2008年11月 8日 (土)

閑話休題

ホームページで発表したコンテンツを、
今までいくつか掲載してきた。
その延長で明日から新しいコンテンツ。
少し旧い研修テキストだけど、
内容は今も通用すると考えてる。

気づいたところはデータなど、
少しばかり修正してるけど、
繋がりを考えて、そのままにしたところも。
間違っちゃいないから、
きちんと本質を見抜いてほしい。

あれやこれやしてるうちに、
2008年も11月を迎えてる。
時代は私が予測したように流れ、
ますます人の問題を問われてる。
企業文化や組織をテーマにしても、
関わるのは生身の人間。

メッセージを伝えながら、
レスポンスに耳を傾け、
さらに具体的にわかりやすく掘り起こし、
新しい可能性を切り開けたら嬉しい。

来年のことを言うと鬼が笑うけど、
求められてるのは基本と原点。
私の出番が増えそうな気がする。
心ある人へ伝わり、
コミュニケーションが深まれば、
駄文にも意味が生まれるかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 8日 (水)

閑話休題

ホームページで発表したコンテンツを、
今までいくつか掲載してきた。
その延長で明日から新しいコンテンツ。
少し旧い研修テキストだけど、
内容は今も通用すると考えてる。

気づいたところはデータなど、
少しばかり修正してるけど、
繋がりを考えて、そのままにしたところも。
間違っちゃいないから、
きちんと本質を見抜いてほしい。

あれやこれやしてるうちに、
2008年も11月を迎えてる。
時代は私が予測したように流れ、
ますます人の問題を問われてる。
企業文化や組織をテーマにしても、
関わるのは生身の人間。

メッセージを伝えながら、
レスポンスに耳を傾け、
さらに具体的にわかりやすく掘り起こし、
新しい可能性を切り開けたら嬉しい。

来年のことを言うと鬼が笑うけど、
求められてるのは基本と原点。
私の出番が増えそうな気がする。
心ある人へ伝わり、
コミュニケーションが深まれば、
駄文にも意味が生まれるかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月22日 (火)

お詫びと報告

 4月12日の金曜日に、突然パソコンが壊れてしまい、バックアップを取ってなかった。新しいパソコンに買い換えたけど、ココログのログインもできず、確認のやり方もわからず、このブログの閉鎖も仕方ないかなと思ってた。メールでの「ココログ通信」に返信し、アドバイスに従ってようやく、こうして書けるようになった。

 この10日ほど、新しいパソコンと古いパソコンのデータ読み込みに振り回されてたが、何とか一段落しそう。数日中にはコンテンツを配信するので、もう少し待っていてください。最初に贈られた本の中から、おもしろいものを紹介するつもり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

物騒な

 千葉県鎌ヶ谷市で服役中の指定暴力団幹部が、入院中の病院から行方をくらました。北朝鮮から覚醒剤を密輸して、一審の東京地裁では無期懲役の判決。昨年の暮れに重篤な状態に陥ったとして、弁護人から執行停止の申し立て。今月18日から入院してた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080225-OYT1T00622.htm?from=main2

 刑務所で診察も受けただろうし、年齢も69歳ということだから、弱ってたのは事実に思われる。確かな証拠があれば、最高裁まで争っても、懲役を免れないし、塀の中で最期を迎えるかも。野垂れ死んでも、娑婆の空が恋しかったか。逃げ切れるものでなし。

 正直に言って浅ましい。諸々の犯罪の中でも、覚醒剤は若い人の人生を狂わせ、社会の根本を揺るがす。決して許してならない。どのような事情があろうとも、今も苦しむ被害者のことを考えたら、罪と真正面から向かい合い、祈りの日々を過ごしてほしい。

 立ち回り先は手配されてるだろうし、この寒空にどこへ向かおうとしてるのか。古稀に近いといっても今どきの老人、意外とパワフルなのか。住宅街にでも逃げ込んで、自暴自棄に道連れを狙ったら恐い。人の命を尊ばない輩は、きちんと隔離しておいてほしい。

 生々しさのようなものを感じると同時に、私もまだ枯れちゃいけないと、ひと回り以上年長の脱獄犯に気づかされた。どんな状況に追い詰められても、終わっていないと呟けるか、必死の行動を起こせるか。悪い奴に負けてるようじゃ、自分の志を貫けないよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 7日 (木)

寒さ厳しく

 ちょっと寒い日が続くと、とたんに意気地がなくなって、外へ出るにも歩かず、ついつい車を運転してしまう。風が吹いても陽射しがあれば、車内はすぐに暖房が利いてくるし、少しくらい道が混んでも気にならない。だけど車を降りると、足の裏から震えてくる。

 若い頃はもっと痩せてたから、骨がきしきし痛んできた。それでも旭川から帯広まで、夜行列車に乗れたけど、今じゃ身体が固まって、強行すれば数日間は響きそう。気持ちばかり若くとも、間違いなく歳は取ってる。ガマンしてると節々が痛むから厄介。

 今は片付けなきゃいけない仕事があるから、出掛けもしないで冬籠もり。今月の末になれば、少しは温かくなるかな。それでもお呼びが掛かれば、スーツを着ると背筋が伸びる。不思議なもんだね。わかってるのに、自分から動こうとしないのは、爺の狡さかな。

 天気予報を見ると、脅かされてるような気になって、忙しげに資料を調べたり、データを読んだり、考えてる振りをしたり。妻はそんな私を尻目に、コートを羽織りマフラーを巻き、友人と会ったりしてる。春よ来い、早く来い。蒲団の中から呼びかける。

 寝るが極楽だけど、それじゃ約束を守れないから、のろのろと机に向かう毎日。自分で決めたノルマを終えると、炬燵に潜り込んで床屋政談。顔を洗っちゃ手を温め、歯を磨いちゃ渋茶を啜る。でもモラトリアムも来週までかな、予定では仕事が片付いちゃう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

早春賦

 目覚めると一面の銀世界、狭山に雪が降り積もるのは2年振り。午後には霙が混じり、やがて雨になったが、それでも用事がない日の雪は、心を凛とさせ清々しい思い。街を歩くとなると厄介で、転ばないようにしながら目を伏せて、勝手なもんだけど。

 節分そして立春、暦の上では春の兆し。本来は旧暦だから、ひと月ほど早いのは事実だが、春と聞くだけで浮き立つ気分。なったらなったで花粉が風に舞ったり、良いことばかりじゃないのはわかってるのに、いつも足りないものを心待ちにしちゃうのかな。

 座って半畳、寝て一畳、人生に必要なものはそれほど多くない。それでも寒きゃ震えて、暑きゃ乾いて、風に飛ばされ、雨に打たれて、1日に数度は腹が減ってくる。同じ雪でも、窓から眺める風景と、実際に歩いて見る感覚は大違い。寒さは身体に馴染んでいく。

 ポジティブかネガティブかと問われたら、私は紛れもなく心配性で、小さなことにクヨクヨ悩む。ほとんど完璧でも、ちょっとした綻びが気になって、そこを繕うのに手間取っちゃう。だからこそ自分で自分を鼓舞して、背中を押さなきゃ前へ進めない。

 良い方向を目指そうとするより、次の一歩を着実に踏み出し、足の裏が大地に接する感覚を楽しむ。今が悪いのじゃなく、これはこれで充分と考える。雪を楽しまなきゃ、鶯の囀りに気づかない。三度の飯を食べられるなら、それ以上を望むのは欲なんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

血の繋がり

 曇ってるのに空気が澄んでるからか、富士山がくっきりと映える16号は、圏央道が開通してから渋滞が緩和。ひと月振りに相模原で孫と遊ぶ。どうしてこんなに愛おしいのか。諸々の理由はあるけど煎じ詰めれば血の繋がり。水より濃いのは当たり前かな。

 父や母を思うより切なさを感じるのは、孫が未来に属しているから。いつか私たちは孫の視界から消え去り、私たちが及びもしない時代を生きていく。孫が成長するほど、私たちは老いていき、ついには何もしてあげられなくなる。最後はひたすら祈るだけ。

 こうした思いは皆同じ、自分の身を削っても、子や孫には幸せになってほしい。どうすれば幸せになれるのか、そこでそれぞれの人生観や価値観が表れる。私が娘にしてきたこと、孫にしていることは、果たしてどれだけ正しいか、省みると不安に襲われる。

 身内を見ると贔屓目になるし、期待もしちゃうけど、私が娘と孫に望んでることは、私が死ぬときに生きていてほしいだけ。それ以上は、本人たちが切り開いていけば良い。他愛なく孫と戯れてる今の時間を大切にして、精一杯に抱きしめてあげればそれで良い。

 余計なことをして孫をスポイルしないよう、それは充分に意識して自らを戒めてる。過剰に与えちゃいけない。押しつけちゃいけない。わかる言葉で語らなきゃいけない。自分を満足させるより、孫のためになることを最優先し、心を砕かなきゃいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

思い込む

 ダメと決めて掛かってやるのと、できると信じてトライするのでは、成功の確率は違ってくると、誰もが頭の中ではわかってる。それならポジティブに考えたほうが良いのに、実際は始める前から腰の退けてる人が多い。行動を起こさない人も少なくない。

 どうしてそうなるのか。自分を強く信じても、うまくいかないことはある。できるはずと考えてた自分を自分が裏切るから、現実を突きつけられて落ち込まざるを得ない。自分の力はこんなものか、便りにしてた人は当てにならなかった。忸怩たる思いを飲み込む。

 それなら最初からダメと思ったほうが、結果が悪くとも「やっぱりね」と軽くいなせる。行動を起こさなきゃ、失敗例だけ拾い出せば良い。世の中甘くないんだよ、自分を正当化する言葉はどこにでも転がってるし、自分の根っこを傷つけないから心は軽いまま。

 でも、現実に叩きのめされた人だけが、事実と真正面から向かい合い、これからどうすれば良いか最善の策を選べる。心も身体も退き裂かれなきゃ、成長しないのも昔からの約束事。傷つくのを恐れてたら、今の場所から一歩も動けず立ち往生。そんなのイヤだね。

 客観的に考えたくとも、人は主観から逃げられない。行動を起こすときは、何らかの意識に支配される。どのみち思い込むなら、マイナスのイメージを描くより、プラスを信じて七転び八起き。うまくいくまで粘ったほうが、自分の心にシコリを遺さない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月31日 (木)

暖かかった

 お台場で午後から講演、1週間前に飛び込んできた仕事。打ち合わせなどができなかったが、ある企業の営業成績者の表彰ということもあり、200名の人たちはマナーも良く真剣に聴いてくれた。会場のライトがちと眩しかったけど、力を出し尽くしやり切った。

 寒い日が続いたので心配したが、風もなく穏やかでマフラーは要らないくらい。新橋までは足を延ばしても、ゆりかもめは久し振りだったので、レインボーブリッジと東京湾を眺めて楽しんだ。たまに観ると臨海新都心、東京タワーと高層ビルが美しい。

 冬の海なのに凪いでいて、水の色も透き通って、講演が始まる前に束の間の小旅行気分。山も良いけど、たまには海も良い。それでも流石に海浜公園には、まったく人影がなかった。自由の女神辺りを散策したから丁度良かったのかな。気分もスッキリ爽やか。

 帰り道に崎養軒の焼売とヒロタのシュークリーム、いつも同じみたいけど、妻を喜ばすにはハズレがない。帰宅したとたんにテレビでは中国餃子の農薬被害。生協を信じてた消費者にはショック。少しばかり高くとも国産品、地産地消を考えなきゃダメなのかな。

 研修に比べりゃ講演は短い時間だが、意識を集中するからやはり疲れる。夕食が終わり、少しくつろぐと、今日の仕事はこれでオシマイ。明日は明日でまたスタート、予定通りに仕事も進んで、無理せず済みそう。気を抜かないで種蒔き、もうちょっと頑張ろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月28日 (月)

失敗しても良い

 北京五輪代表選考を兼ねた大阪国際女子マラソン、30kmまでは福士加代子選手が独走し、日本記録を狙えるほどのペース。2位集団と500mの差をつけて、このまま逃げ切ると思われた。ところが30kmから急激に失速、35km付近でトップの座を明け渡す。
http://www.asahi.com/sports/update/0127/TKY200801270055.html

 福士選手は後続のランナーに次々と追い越され、前半の走りが嘘のように足も動かず、4度も転倒しながらゴールを目指す。途中で棄権せずに、19位でフィニッシュ。5千、1万、ハーフマラソンの日本記録保持者でも、マラソンの壁は厚かったということか。

 失速の原因は、練習不足によるスタミナ切れ。脱水症状で脚は感覚がなく、意識も薄らいでたらしい。マラソンの準備が整ってないと批判されても、甘んじて受けるしかないのが本当のところ。それでもレースに出たら、ゴールへたどり着く精神力は立派。

 いろいろと意見はあるだろうし、身体が壊れる前にリタイアすべきなのもわかる。でも舞台に出たら、今の力を最大に発揮して、やり切るのが大事じゃないか。結果はどうあれ、福士選手が学ぶことは多かったに違いない。うなくいかなくったって、それが財産。

 転んだり、滑ったり、挫けたり、計算通りにいかないから、人の心の痛みがわかり、弱さを抱きしめられる。すべてが順風満帆で運ぶ人より、失敗を積み重ねた人のほうが、人生に味が出る、深みが増す。福士選手、頑張れ。少なくとも私は、勇気をもらった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月26日 (土)

寒いよね

 大寒を過ぎた頃から、身体の芯まで冷える。ちょっと近所で用を足すだけでも、ぶるっと震える日が続く。雪国ではこんなもんじゃないと、頭の中ではわかってるつもりでも、ヒーターの温風さえ冷たく感じる。東京では、この20年間で2番目の寒さらしい。

 2月の下旬までに仕上げなきゃならないものがあるから、それを口実に閉じ籠もってるけれど、呼び出されたら出掛けなきゃ。来週の水曜日は台場で講演、それまでに少しは仕事が進むかな。結論が出ないままの案件もいくつかあるが、来月へ繰り越しちゃおう。

 えぃやっと出てしまえば、何とか適応できるけど、最初の一歩を踏み出せない。炬燵でテレビを眺めていても、スイッチをオフにできずに、ちょっとだけ後延ばし。どうしてこんなに意気地がないのかな、怠け者の本性剥き出しで、われながら情けない。

 土曜と日曜で書き仕事のケリを付け、来週になれば否が応でも尻を蹴られる。少しは温かくなってるかな、このまま寒さが続くのかな。蒲団の中が天国、それじゃダメだよね。やらなきゃいけないことは、たくさんあるのだから、一つひとつ片付けないと。

 今の課題は、スピードを加速する。アクセルを踏み込めば、エンジンも暖まってくる。北風も慣れると肌に心地良い。わかっているならやるのが大人の知恵、反応するだけじゃなく、自律的に動き出すのが肝心。螺旋を回して、気を引き締めて、寒さに負けるな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月17日 (木)

脹ら脛が……

 青山で企業の社員研修、人事部からの要請が多くて、いろいろと頭を悩ませたが、どうにかやり切った。先日に随分と歩いて、翌朝に早起きということもあるが、脹ら脛がパンパンに張って、疲れてるのが自分にもわかる。夕食を終えたら早々と就寝。

 机の前での作業が長いと、打ち合わせくらいは堪えられても、一日中立ってるのがしんどい。それでも研修が始まってしまえば、身を乗り出して語り、会場を所狭しと歩き回る。参加者を煽って熱くさせ、真正面から向き合って気づかせて、時間が経っていく。

 研修が終わってから少しでも、仕事に役立てば嬉しいな。すぐに反映されなくとも、仕事への姿勢を見直す切っ掛けになれば、本人も会社もハッピーになる。そのためには手を抜かず真剣勝負、こなすようになったら退くのがルールと、私は頑なに信じてる。

 現金なもので、朝を迎えると元気になってる。明日の打ち合わせで電話が入り、シャキッと目覚めさせてくれる。昨夜は投げ出してた諸々に取り掛かり、今日のうちに片付けておこう。私が力を宿しておかなきゃ、出会う人たちにパワーを与えられないから。

 気力だけで日々を過ごせない年齢だから、大人になってセルフコントロール。求められることに応えるのは最低限の責務、新たな提案を繰り返さなきゃ、人から一目置かれる存在感を示せない。やることはたくさんあるぞ、ぼやぼやしないで動き出せ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 6日 (日)

祖父のこと

 1月5日は亡き祖父の誕生日、私が中学二年生の秋、67歳で他界したとき、痩せ衰えた手を握らされ、逃げ出したかった記憶が鮮明に刻まれてる。私は兄が夭折して一年後に生まれたから、祖父には猫可愛がりされ、姉や妹に隠れて繁華街を連れ回された。

 私が左肘を複雑骨折したのは、祖父の自転車が坂道で転倒し、荷台から砂利道へ放り出されたから。そんなこともあってか、祖父は特別扱いしたのだろうが、長じるに連れて私の心には恨みが芽生えた。祖父が注意してたら、私の左肘は正常に働いてた。

 自分勝手な理屈で殴られたこともあるし、家長というだけで横車を通すし、それが明治の男だったのかな。若い頃は板橋で豆腐屋を営み、羽振りの良い頃には妾も囲ってた。それが突然弟に店を譲って、父は高校進学を断念して、働きながら夜間高校へ。

 貧乏の種を蒔いたのは祖父、それを修復したのが父、私の目にはそうとしか映らなかった。入れ歯を外してうがいするとき、痰を吐くのにも虫酸が走った。中学生の私にとって、祖父は悪しきことの源泉。臨終に立ち会っても涙は流れず、表情を崩さなかった。

 それから40年もすると、祖父の遺伝子は確実に受け継がれ、苦笑いを浮かべざるを得ない。関東大震災や世界大戦、波瀾万丈の人生に、祖父は苦しみ悩んだのかな。左肘は未だに時折痺れるが、祖父の面影を懐かしく思う。先人たちがいたからこそ私が在る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 5日 (土)

鍛え直さなきゃ

 相模原で孫と一日遊んだら、狭山へ戻ってから腰が痛い。やはり子育ては体力勝負、若い人には勝てないと思ったが、同年代でも子育て真っ盛りの人はいる。ふだん使ってない筋肉を無理に動かしたり、腰を屈めた姿勢を続けたりしたからなのか。ちょっと不満。

 三日間の研修や、一ヶ月の執筆なら、今でも楽にこなせる自信はある。持久力なら負けないと、秘かに誇ってる節もある。だけど幼稚園児のスピードに追いつけず、抱きかかえるとズッシリ重く感じるのも事実。少しずつでも身体を動かさなきゃダメだよね。

 身体にはスペアがないから、騙しながらでも使いこなし、長持ちさせなきゃ何もできない。半世紀以上経ってるのだから、新品というわけにいかないのは、同年代なら誰でも同じ。機能が落ちたと嘆くより、補修して間に合わせるのが先、トレーニングが肝心。

 そうは言っても無理は禁物、壊れちゃったら元も子もない。それほど高い目標でなく、孫と遊べるくらいまで、体力を強化しないとね。それが仕事にも反映され、活力になると考えたい。軽い柔軟体操や足腰の屈伸、できることをやっとかないと後悔する。

 背筋を伸ばし、腰を揉んでたら、いくらか痛みも和らいでくる。対処療法で構わない。元気でいれば何でもできる。自分なら大丈夫と、無前提に信じれば、たいていのことは克服できる。まだまだやることはたくさんあるのだから、ここでへばっちゃいられない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 2日 (水)

情けは人のためならず

 喪に服してるので、初詣はできないから、午後から大宮へ。父母を訪ねて挨拶、義母を見舞って帰る予定だったが、父母がしきりに夕食を勧めるので、再び戻って少し早めにテーブルを囲む。どうやら近親の状況の変化があって、軽い不安に襲われたみたい。

 愚痴も含めて聞き役に徹し、頷いてみせるのも親孝行かな。話の流れで、父が入院した顛末から、開業医との関係の切っ掛けまで及ぶ。私が生まれる前の話だから、半世紀以上も昔の戦後の頃。馴染みのお医者さんが、大宮へ移ってきたばかり。

 世話好きの祖父と父は、庭の手入れを手伝ったり、風呂を提供してたらしい。当時は特別なことじゃなく、新参者が困ってたら、土地の者が手を貸すのは不思議じゃなく、少し前に大宮へ移り住んでた祖父たちにとって、仲間を迎え入れるだけの意識。

 祖父も祖母も、その医師に看取られたわけだが、父が違和感を覚えたとき、医師は寄合に出掛けて不在、奥さんが電話を掛けて、父の名を聞き飛んで帰り、すぐに入院の手続きをとってくれた。一日遅ければ、父は彼岸を渡ってた。これも運なのかな。

 義理堅く、お人好しの父母だから、話を聞いてると損ばかりしてるようだが、きちんと種を蒔いていて、そのお陰で生き延びられたみたい。八十の坂を越え、父母を悪く言う人もいない。目先の結果に心を奪われちゃいけないと、諭されたような思い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 1日 (火)

本気で突き進む

 沐浴して心身を清め、静かに晨を迎える。一年の始まりに木枯らしが吹き荒ぶのも、律して日々を過ごすようにとの戒めか。満ち潮に傲らず、引き潮に滅入らず、自然体で粛々と前へ進む。これから何が起こるかわからないけど、たじろがずに一歩を踏み込む。

 世の中の動きは行きつ戻りつ、組織と個人の関わりが改めて問い直され、座標軸がどこにあるか原点を模索する。大地に根を生やした発想でなきゃ、現実を切り取れないことも理解されてきた。混迷が続く向こうには、極めてシンプルな基本がある。

 一攫千金を追い求めず、地道にコツコツと努力を重ね、揺るぎないポジションを確保する。それぞれの持ち味を充分に掘り起こし、お互いにプラスをもたらせるように伝え会い、個性的な顔が見えるように企画演出。そのためのサポートが私の役どころ。

 求められる舞台に真剣勝負で臨み、全力を尽くして成果を導きたい。一つひとつの局面は違っても、通じる心は変わらないと信じてる。どこまでやれるか藻掻けるか、結果を恐れずチャレンジ。与えられたチャンスには貪欲に挑み、可能性を最大に切り開く。

 素裸で生まれ、素裸で死んでいく。失うものは何もない。活かされてることに感謝し、恵まれたことに報いる。小さな輪を大切に繋ぎ合わせ、大きな仕事へ結びつける。慌てることはないけど、日々の歩みを確実に築き上げ、一年を財産にできるよう志す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月31日 (月)

行く歳、来る歳

 どれだけ深い哀しみに包まれても、飯を食い、寝て、日々を重ねる。当たり前のように些事をこなし、人と交わり、今日を暮らしていく。だからといって、忘れたわけじゃない。心の裡で折り合いを付け、宝物のようにそっと仕舞い込み、自らの糧にする。

 良いこともたくさんあったし、成し遂げたことも少しはあるし、それでも今年は心塞がれる日々。悔やみようがない運命に、挫けそうになったのは確か。私より傷ついた人を守るため、虚勢を張りながら一年を閉じようとしてる。私にできるのは祈ることだけ。

 ゆっくりとだけど笑顔も戻ってきて、一歩を踏み出す意欲も湧いてきたようで、私も生まれてきた裸になり、改めて一つひとつを築きたい。どこで断ち切られたとしても、迷わないように腹を据え、自分にできることを捉え直し、着実に前へ進んでいきたい。

 この世の中で得たものは、この世にきちんと返して、それがどけだけできるか。時の流れに節目があるのは有り難い。心を切り換えて歩み始められる。土へ還るその日まで、遂げられなかった志を背負い、凛として生きる勇気を与えられる大晦日、除夜の鐘の響き。

 たくさんの人に声を掛けられ、支えられ、今年も生き延びてきたことに感謝。ひとりで闘えるほど強くないから、これからも皆さんに助けられ、励まされながら、どうにか道を極めたいと考える。今より少しでも成長し、胸を張れる自分にならなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月28日 (金)

そろそろ幕間

 いよいよ押し詰まり、いくつか打ち合わせを済ませたが、すべて来春の予定。組織そのものをどう革新し演出するか、リーダーはどう考え行動すべきか、不思議なことにテーマは重なってる。時流を読むだけでなく、足場を固める必要を自覚してるのか。

 テーマを具体的に落とし込み、伝えられる形にするのはこれからの作業だが、昼でも夜でも進められるから、年明けの連絡には充分に間に合う。人と会うのは仕事納め、後は穴蔵でコツコツ。歳を経るに従って、一年のスピードは加速する。本当にあっと言う間。

 いろいろなことが起こったけど、揺らいじゃいけないと身に染みた。無器用でも自分の道を歩んでれば、必ず声を掛けてくれる人がいる。一つひとつとていねいに向かい合えば、きちんと結果は積み重ねられ、次の扉を開く力が蓄えられる。当たり前だよね。

 初心に戻り試行錯誤を繰り返し、私の仕事は人を教え育てるのが大事と、改めて強く確信した一年だったかな。独り善がりで勢い込んでも空回り、サポートしてくれる人がいるから前へ進める。昔馴染みの人にも、新しく出会った人にも、心の底から感謝する。

 しばらくは猪突猛進、予定をクリアして形にする。その中から次のテーマが生まれ、立ち止まったり悩んだり、でもベクトルは上へ向いてる。自分を信じて健康に留意すれば、間違いなく今より成長できる。風が吹き荒んでも、身体の芯が熱いから大丈夫。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月27日 (木)

見えないもの

 人は死後どうなるか、限りある生命だから、先人たちも繰り返し問い続けてきた。秦の始皇帝は不老長寿の薬を求め、日本でも若狭の八百比丘尼の伝説など。大乗仏教の輪廻思想を筆頭に、転生という教義を説く宗教も多い。臨死体験も数多く伝えられてる。

 今の自分の意識として、死んだことはないから、頭ごなしに否定できないけど、現世と来世を結びつけるのは人の願望。恵まれた環境に置かれた人は、来世も現世の延長で在りたいと願う。そうでない人は来世こそ、現世より幸せな人生を与えられたいと望む。

 人々が来世を信ずることで社会秩序は保たれ、一人ひとりが徳を積み矛盾の解消に役立てば、あながち悪いことではないけど、何を善として何を悪とするか、現実世界での具体的な基準は示せない。王政を倒す革命について、賛否は立場によって違うもの。

 どのような教えでも、共通するのは自殺の否定。現世が苦しいからと、自らの命を絶って来世を引き寄せれば、現世より苛酷な来世を迎えると戒める。自分が置かれた境遇で精一杯に生きる。人が幸せになれるよう献身的に尽くす。それ以外は求めてない。

 祖先を敬うにも、必要なのは祈りだけ。煌びやかな祭壇も、精緻な像も金品も、取り交わされるのは現世だけ。来世に及ぶものじゃない。見えない世界があるにしても、それに惑わされたら現世を誤る。今の自分にできることを、きちんと成し遂げるのが筋。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月24日 (月)

ひとり遊び

 私が子どもの頃は、味噌っかすで苛められっ子だったので、家の中で遊ぶことが多かった。古新聞にクレヨンで絵を描いても、無器用だったし、どうしても図書館から本を借り、空想に耽る時間が長くなった。物語の中では主人公、誰にも邪魔されない。

 運動は苦手だし、先生の指示に従うのも嫌いだったけど、当時は学校を休むなど許されなかった。本を読むのに比べたら、授業は同じことを繰り返して退屈。体育の時間は、できないことを無理強いされて恥を掻かされる。それでも放課後は少しだけ遊んだかな。

 鬼ごっこやら相撲やら、基本になるのはお金が掛からないもの。三角ベースではグラブとバット、それを持ってれば仲間に入れてくれるけど、足で稼いだ内野安打が精一杯。一日の小遣いは十円、親の目を盗んで駄菓子屋へ、下を真っ赤にしてすぐバレた。

 お金持ちの子もいたけど、クラスで一人か二人だったから、贅沢な玩具を見せびらかしても浮いてしまい、序列を決めるのは腕力や運動能力。ガキ大将は乱暴だったけど、それなりに全体を見渡していた。そうしたヤツに媚びてまで、遊びたくない私は臍曲がり。

 苛められた原因は、三歳の頃に左肘を複雑骨折し、筋力がなくて逆上がりもできなかったから。それでいて勉強はできたから、生意気だったんだろうね。でも、今から考えると、他の子にとっては苛めも遊び、執拗なこともなく、いつもは放っておいてくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月23日 (日)

柚子湯ぽかぽか

 一年で最も夜の長い日、昔から小豆粥や南瓜を食べると、これから寒さが厳しくなっても、風邪を引かないと伝えられてる。それ以上にポピュラーなのが柚子湯、冬至と湯治を掛けて、柚子は融通が利くようにと願いを込めて、江戸時代からの風習らしい。

 先日、寸又峡へ遊んだ帰りに、道の駅で求めた柚子があって、この冬は随分と柚子湯に入ってる。肌が滑らかになって、何より保温効果が高いので、暖房を入れずに深夜を過ごせる。温泉とはまた別の趣、先人の知恵に舌を巻きながら、くつろがせてもらう。

 いろいろなことがあったにしても、家に帰るとほっとひと息。同じ塒でも、旅先とはちと違う。家族の温かさか、馴染んだ空気か、どんなに狭くとも、辺鄙でも、家がやっぱり一番。この感覚が失われたら、流離うばかりの根無し草、人と人の共通言語が消える。

 座って半畳、寝て一畳。欲を掻かなきゃ、生きるのに必要なものは、さほど多くない。すでにたくさんの宝物を手に入れ、食べるに不自由してないのに、さらに身を飾ることもない。足りるを知って慈しめば、毎日は自然と輝いてくる。心の芯が癒される。

 冬至を過ぎると、昼が少しずつ長くなっていく。目に見えなくとも、確実に春の準備。北風が吹き荒んでも、土の中で芽生える仕掛けが始まり、舞台が整えば花は咲き乱れる。焦らず、慌てず、ゆっくりで良いんだよ。柚子湯に浸かって、充分に温まってから。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年12月17日 (月)

形は変わっても

 父に来年の日記を届けるのに大宮へ。毎年、博文館の大型当用日記と決まってるが、幼い頃から一日も欠かさないという。私が贈るようになってからでも30年くらい。父は囲碁に書道を嗜み、今でもよく歩いてるから、脳が活性化していつまでも丈夫なのかな。

 父に寄り添い母も元気、穏やかな日々を二人で過ごしてる。医者に通っていても、無理に節制しないで、心のままに暮らしてるのが良いのかな。義母を訪れると、身体の艶も良くなっていて、丁度おやつの時刻だったが、自分でペロリと平らげ驚かされた。

 大正の時代に生まれ、環境が激変する中で、精一杯に生き抜いて現役を退く。この人たちがいたから、今の私たちがいると、改めて思い知らされる。歴史に名を刻まない普通の人たちが、最も尊い役割を果たしてる。一つひとつの命が、次の世代へ受け継がれる。

 どのような立場に身を置くかより、どのように周囲から見られるか、そこを大事にしたい気になってる。人と人の関わり方は違ってくるし、果たすべき務めは求められるもので決まる。自分に恥じないように生きてれば、きちんと辻褄が合ってくるんじゃないか。

 歳月を経るごとに、人は否応なく老いていく。どこまでも突き進もうとしても、どこかで必ず終止符を打つ。自分でスタートを決められなかったように、自分でゴールを決められないのが人生。だからこそ一日一生、今日に感謝して、心静かに明日を迎える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月16日 (日)

ちょっと疲れたかな

 今年最後の営業マンフォーラム、会場の予定が立たないし、年明けから少し忙しくなるので、リアルの活動はしばらく休止。皆さんのご意見を聞きながら、再開するかどうかを決める。土曜の午後はゆっくりできると思ったが、ちょっと違ったような気もする。

 営業マンを元気にするなら、手弁当でも構わないと考えてたが、全体のプログラムや日程も含め、捉え直しの必要に迫られてるのも事実。コンセプトが中途半端だったかな、力不足も否めないし、無理に続けるとストレスになるから、自然体で構えたほうが良い。

 それでも2年間、随分と勉強になったし、勇気と元気をたくさんもらった。参加した人の声がヒントになって、仕事に役だったところもある。何よりもリアルに出会えたことに感謝。こうした財産を次のステップにどう活かすかは、これからの私の課題かな。

 営業というテーマは、私にとって本業だから、ビジネスとして腹を据えないと、次の展開を切り開けない。でも、あまりのめり込み過ぎると、独り善がりになりかねない。その辺りのバランス感覚も問われるよね。まぁ、焦ってやることじゃないから、のんびりと。

 昼間は温かく感じたけど、夜になって風が冷んや、頭を切り換えるにも良い季節。諸々の戦略を練り直し、誰をどう巻き込むかを考えないと、自分が目指す場所へ進めない。自分が本気で楽しまないと、人を楽しませるなんてできない。休むときは休むこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月14日 (金)

背筋を伸ばして

 年明けの企業内研修の打ち合わせで、そぼ降る雨の中を渋谷へ急ぐ。お昼時だけど面倒なので、蕎麦屋へ飛び込み鴨南饂飩。期待してなかったのに、これが頗る旨い。鴨の脂は最適、葱が甘くて、汁も残さず平らげた。冷えた身体の芯が温められて嬉しい。

 先方の人事部長や課長と話してると、ついつい熱が入ってきて、やはり私は真剣勝負の場が好き。このところ舞い込む仕事も増えてきて、種を蒔いてる甲斐があるのかも。目の前の課題を一つひとつこなし、いつの間にか歳月が流れるのが一番良い。

 今年はいろいろあったけど、シフトを来年に切り換えて、準備を進めることに集中。世の中の動きを眺めながら、自分にできることを絞り込んで、質を高めていかなきゃ。営業研修が本流だけど、それ以外の仕事もあるし、新しい可能性を切り開けるかも。

 一年は長いから、予測通りにはならない。それがまた楽しいし、経験という財産になる。目の玉が黒いうちは生きてる。どう転がろうと心配ない。自分に歩く気があれば、お天道さまは付いてくる。わくわくする日が続いてるから、何が起きても大丈夫(だろう)。

 来る人拒まず、去る人追わず。自分の寸法に合わせ、ひたむきに磨き続ければ良い。わかろうとする人にはわかるし、わかろうとしない人にはわからない。要は自分自身に恥じるところがあるかないか。胸を張って正々堂々と、道の真ん中を歩くだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月12日 (水)

師走なんだね

 10日はさいたま市で研修機関と情報交換、氷川神社の大湯祭もあり、駅周辺は気忙しく小走りに急ぐ人たち。11日は市ヶ谷へ行ったけど、街路樹の葉は落ちて風に吹かれてた。ちょっと油断してるうちに、世間は歳の瀬を迎え、最後のひと踏ん張りに一所懸命。

 すぐに仕事と繋がらなくとも、種を蒔いておかなきゃ芽生えないから、私もせっせと汗を流してるけど、手応えがあるようなないような、決定力に欠けてるのかな。それでも昨年の今頃に比べたら、輪郭が浮かび上がってきた気分。何をやるべきかは迷わない。

 帰りがけにヒロタのシュークリーム、パッケージがクリスマス仕様。ケーキよりも妻が喜ぶので、ついつい選んでしまう。午後4時なのに夕暮れ、西武線の車窓をぼんやり眺めてると、薄墨色に街が染まっていく。淋しいと感じるか、穏やかに癒されるか。

 今年は喪に服してるので、歳末気分に背を向けてるのも事実。やるべきことをコツコツと進め、いつのまにか日常の流れに戻っていたら、一番良いのにと願ってるところがある。それでも皆の足取りが速いから、私もどこか落ち着かず、身を持て余してるかも。

 自宅に戻って紅茶を飲むと、昼間の喧噪から解き放たれる。しばらく訪れない街だと、風景が一変して驚かされたりするが、自分のテリトリーなら安心、いつもの空気が静かに漂う。穴蔵に籠もる習性なのか、沈思黙考が好きなのかも。人と会うのも好きだけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 9日 (日)

試行錯誤かな

 私が幼い頃は、電話機はどこの家庭にもあるわけじゃなく、火急の用件のときは隣近所から呼び出し。それぞれの家庭に引かれても茶の間が指定席、思春期の頃には友だちと電話するにも、家族に気兼ねしながら早々と切ってた。あくまでも緊急連絡用のツール。

 当時の若い人たちは、自分専用の電話など夢物語。ところが今では小学生まで携帯、いつでも自由にコミュニケーションを取れる。そうなると不思議なもので、通話するよりメールが便利、電車の中では皆が小さな画面に見入り、必死に指先を動かしてる。

 メールは文書を入力するから、途中で腰を折られないけど、お互いのコンセンサスも確認できない。一方通行の送受信が繰り返されても、当事者以外に指摘する人もない。カラオケと同じで、熱唱してるのは自分だけ、聞いてる人は上の空になりかねない。

 意志を伝えることはできても、受けとめられないのが昨今の風潮かな。筋が通らなくとも、辻褄が合わなくとも、それぞれに理屈を組み立て、アピールするのは上手になった。でも、キャッチボールにならないと、人間関係を築けないのは、今も昔も変わらない。

 どこかが進化すると、どこかが退化する。それが求められないものなら、必ず揺り戻しが起こるのも人の知恵。顔を合わせて話し、最後に握手して別れる。シンプルなプロセスが、これからは間違いなく重視される。バーチャルだけではリアルを呑み込めない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 8日 (土)

ほいさっさ

 6、7日と静岡県の寸又峡温泉へ。私が中学生の頃に、金嬉老事件があって、借金返済を迫る暴力団員二人を清水のクラブで射殺、逃げ込んで籠城したのが寸又峡温泉。この事件は在日韓国人差別などの背景があり、当時はさまざまな角度から報道された。

 厚木から東名に乗り静岡で降り、カーナビの指示通りに運転したけど、行けども行けども山の中、お店どころか人家もない。温泉街で遅い昼飯、車を停めてウォーキング、吊り橋を渡り急な階段を昇り、息が切れそうになりながらも天気は快晴、空気がうまい。

 当日は温泉が出た感謝祭ということで、宿泊客にも熊鍋やら猪鍋やら鹿鍋やら大盤振る舞い、夕食を終えていたので甘酒をご馳走になり、赤石から来たという太鼓の妙技に聞き惚れた。温泉は柔らかな美人湯。露天に浸かってると時の流れを忘れてしまう。

 翌日は金谷を目指し別ルート、道も広いし立ち寄る場所もあり、のんびりほんわかドライブ。焼津に足を伸ばして海鮮丼、大トロに雲丹にイクラに手長海老、やはり贅沢は妻と一緒にするもの。富士川の道の駅でコーヒーを飲みながら、霊峰と紅葉を楽しむ。

 帰り道の渋滞で携帯電話が鳴って、ちょっと大きな仕事が飛び込んできた。歳の瀬を前にして勢いを付けてくれる。私と妻の旅は、いつでも弥次喜多道中。二人でいるから、些細なことでも嬉しい。なかなか遠出はできないけど、無理して時間をつくらなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年12月 6日 (木)

皆、大変なんだ

 ビジネス書の著者として活躍してた人から電話、旧知の出版社に新しい企画の件で相談したら、担当してた編集者は定年退職。面識のない編集者から内容に触れる前に、どのくらい買い上げられるか打診されたという。かなりご立腹のようで、愚痴を聞かされた。

 いろいろな背景があるけど、日本型経営の構図が崩れ、組織と個人の関わり方が違ってるから、売れ筋のテーマが変わってるのは事実。自費出版が盛んになり、それが書店にも流れてるので、数多くの出版社で、著者にリスク負担を求める傾向も強まってる。

 出版というメディアは、新聞やテレビなどのマスメディアに比べて、狭いところを掘り下げていく。私が出版社に勤めてた頃で、年間の書籍刊行は7万点、1日に200冊の新刊が出されてた。ロングセラーもたくさんあるから、新刊が店頭に残る確率は極めて低い。

 プログやらメルマガやら情報も溢れてるし、知名度の高い著者や話題になった本でなきゃ、なかなかお金を払って買う気になれないのかも。私にしても他人事じゃないが、目的は本にすることじゃなく、思いを伝えることだから、必ずしも本の形にこだわらない。

 先日刊行した8冊の営業テキストも、新しい形で伝えるためのひとつの試み。時代の流れに添いながら、言葉を発し続けるのが大事と思ってる。売れたら嬉しいけど、それだけが財産じゃない。道が閉ざされたら迂回路を探し、ひたすら前へ進むことしか考えない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 5日 (水)

みたらし団子

 池袋で平松先生と会う。出版社に勤めてた頃に、著者と編集者として出会ってから15年、コンサルタントとしては大先輩。豪華な中華料理をご馳走になり、お互いの近況を語り合うと、中小企業診断士の資格を更新してないとのこと。いささか驚かされた。

 経営診断するにも指導するにも、資格の有無が必要になるケースは少なく、問題は本質をどれだけ見極めてるか。それはよくわかるのだが、せっかく取得した資格を返すこともないと思ったが、平松先生はもっと奥を見てるようで、かなりスタンスを切り換えてる。

 研修についても距離を置き、短期の研修は引き受けず、ひとつの企業とじっくり付き合う。よろず悩み事相談所と笑ってたが、胆が据わってるように見える。これからいろいろと仕掛けようとしてる私は、さながら駆け出しのような気分に襲われたのも事実。

 それでも共通するテーマは多く、語り合うとお互いにヒントを示唆される。どうすれば効果的な研修を実施できるか、考えねばならない宿題も持ち帰る。ときには先輩の話に耳を傾け、自分自身の足場を固めるのも大事。このタイミングで会えて良かったかな。

 帰り道に追分け団子、妻と二人で食べるのが楽しみ。お腹は一杯だったけど、このくらいのおやつが落ち着く。私は私の道を歩き、一つひとつ行動を起こし、思いを形にしていきたい。どこまで行けるかわからないけど、未だ道の途上で先は長い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 4日 (火)

聖徳太子

 日本人の凄さは、神と仏を共に尊ぶこと。そう言われてもピンと来ないし、民主主義国家では信教の自由は保障されてる。しかしそれは、つい最近のこと。ヨーロッパの歴史は、宗教戦争の側面もあり、異教徒は徹底的に弾圧され、今も尻尾を引きずってる。

 日本でも信長の比叡山焼き討ち、江戸時代にはキリシタン弾圧、明治時代は廃仏毀釈、特定の宗教が権力の攻撃対象になったことはある。それでも日本人の心には、すべてを受け入れる土壌が耕されてた。その源泉は6世紀に仏教が伝来してしばらく経ってから。

 加持祈祷を持ち出すまでもなく、古来の宗教の目的は国家鎮護。唯一の神に身を委ねることで、国の行く末を誤らないように願う。国王などの後ろ盾によって、宗教の指導者は政治の指導者に優るとも劣らない地位を築く。その典型がローマ法皇かな。

 ところが日本では聖徳太子が、誰よりも積極的に仏教を広めながら、日本古来からの神々も同じように尊重した。十七条の憲法や随への書簡など、今の時代にも通じる先見性を表すが、とりわけ仏教に対する姿勢は、日本人の宗教観を決定づけたように考える。

 聖徳太子の実在に疑問を投げかける人もいるが、大事なのは私たちの祖先が柔軟性に富み、あらゆる可能性を肯定的に受け入れてた事実。私たちの遺伝子には、その文化が脈々と流れてる。その誇りを抱いて、どこかの誰かを真似ないで、日本人らしく生きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 1日 (土)

垣間見た秋

 訪問先が浜松町のオフィスへ移転したので、モノルールの逆の出口とだけ聞いて、初めての場所へ迷い込んだ。JR浜松町の駅から芝離宮公園が見える。ここは、老中大久保忠朝が拝領した屋敷内に造成した庭園。後に紀州徳川家や有栖川宮家の邸宅になる。

 小糠雨に曇ってたけど、銀杏の黄色や楓の紅が鮮やかで、しばし見とれてしまった。少し歩けば竹芝桟橋、高層のビルに登れば東京湾を一望し、振り返れば東京タワー。風もなく穏やかな日だったので、風景の中に溶け込んでいく感覚。こうした時間が好き。

 仕事柄もあるけど、都内を歩く機会は多い。忙しければ地下鉄を乗り継ぎ、ビルの谷間を急ぐが、少し余裕があると、そこかしこに歴史の佇まい。築地から日本橋を抜け、浅草まで歩いたことも。路地裏に迷い込むと、小さな祠に出会ったりするのも嬉しい。

 どこの土地を訪れても、それぞれに歳月の重みを感じるが、東京は意外と狭い地域に、さまざまな仕掛けが準備されてる。若い頃は通り過ぎてしまったが、ゆっくり歩くと味わい深く、一つひとつに人の思いが宿ってるようで、いつまで経っても飽きない。

 仕事の合間に楽しみを見つけながら、少しだけのんびりできるようになったのも、50の坂を越えたからかも。ほっとする感覚を持てると、仕事に対しても前向きになれる。生きてるのは、やっぱり素晴らしい。些細なことの一つひとつが愛おしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月27日 (火)

人の鑑になる人

 今の人は、明らかに本を読まなくなってる。インターネットが普及したとか、携帯電話で忙しいとか、諸々の説があるようだけど、一番の原因は人として成長することを、望まない人が増えてるからのような気がする。謙虚という言葉はすでに死語になってるかも。

 人の値打ちを測る基準が、上から下までお金になってる。肥えた豚が尊敬され、痩せたソクラテスは卑しめられる。お金の臭いのするところに人は集まり、稼ぐためのノウハウは重用されるけど、自分の身を律して道を求める人は誰からも気づかれず隠れてる。

 ひと昔前までは、立派な人に対するコンセンサスがあった。皆が同じようなイメージを描き、それはお金とは違う価値基準だったから、お金持ちも貧乏人も立派な人になるよう、少しでも近づくように学ぼうとした。偉人と呼ばれる人は必ずしも富裕ではなかった。

 お金だけが唯一の価値基準になると、プロセスなど問われないから、どんな生き方をしようが関係ない。法令に違反せず、人から顰蹙を買わなきゃ、何をやってもオールセーフ。本なんか読んでる閑があるなら、金儲けの算段を考える風潮が強まる。

 どれだけ経済的に豊かでも、心が貧しければ幸せでないと、考えるのは異端なのかも。それでもお手本になる人を見つけて、学んでいきたいと願ってる。私などの場合は、恥を減らすことくらいしかできないが、若い世代には前途洋々たる明日が開かれるのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月26日 (月)

阿吽の呼吸

 明治安田生命が20代から50代の既婚男女を対象に、インターネットで調査した結果、平日の夫婦の会話は30分以内が4割。最も話してないのが40代で、30分以内と答えた夫は50%、妻は57%とか。離婚を考えたことのある夫は33%、妻は49%
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071125i514.htm

 男にしても女にしても、異性は配偶者だけじゃないし、隣の芝は青く見えるから、一度や二度は離婚を考えても不思議じゃない。お互いの価値観をすり合わせ、理解し合えるまでには歳月も掛かり、その途中で真正面からぶつかれば、別れようと思ったりして。

 今の世の中、寄り添わなきゃ暮らせないわけでもなし、気に入らなきゃサッサと別れ、不平不満を溜め込まないほうが賢いかも。結婚なんて、好きで一緒にいたいから続けてる。辛抱なんてするもんじゃない。子は鎹なんて、子どもにすれば大迷惑。

 会話の時間が短くとも、お互いに見つめ合っていれば大丈夫。相手が何を必要としてるか、夫婦を長くやってればわかってくるし、黙って夕景を眺めていても心は通い合う。家庭は国会じゃないから議論で結論を導かない。お互いの必要に応じて折り合いを付ける。

 夫婦のことなんて、アンケートでわかるわけもない。ハタからどう見られても、自分たちが満足してりゃ充分。幸せそうに映っても本当のところはわからない。要は相手を大切に思うかどうか、掛け替えのない存在なら、お互いがお互いを必要とする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月25日 (日)

空恐ろしい

 栃木県で夫が妻を殺害し自宅を放火、数日前にも同じような事件が群馬県であり、どちらも50代で私と同世代。長いこと夫婦をやってれば、そりゃいろいろなことがあるさ。不平不満はお互いさま、折り合いを付けながら暮らすのが普通。殺すくらいなら別れる。
http://www.asahi.com/national/update/1124/TKY200711240261.html

 夫婦間の殺人など昔からあったけど、話を聞けばわかるような気もした。ところが最近ではガキのケンカ、分別もなきゃ節度もなく感情の放し飼い。下手に知恵がついてるから、傷つけるだけでなく命まで奪う。遺された子どもは、どこにも怒りをぶつけられない。

 男と女の関係では暴力は御法度、殴るくらいなら離婚すれば良いし、殴られてまで共に暮らす義理はない。恋愛にせよ見合いにせよ好きで一緒になったんじゃないか、一番身近な人を大切にできなくて、どうして世間を渡れると思えるのか不思議でならない。

 惚気るわけじゃないが、私は妻が大好きだから、どうすれば幸せになれるかをいつも考える。脚が痛ければ脚をさすり、腰が重ければ腰を揉む。元気な側が弱い側を助ける。バランスなんか取れなくても良い。お互いに笑顔を向けられる時間が長ければ充分。

 そりゃ暮らしていくのにお金は必要だし、少ないより多いほうが楽になる。でも、お金なんかあったって、空気が冷えてたら哀しいじゃないか。慎ましくたって、私は温かいほうが好き。それでも妻が別れたければ、潔く退くのが男の花道。古いのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月23日 (金)

日本人のモラル

 ルールに違反してるかどうか以前に、上から下まで日本人の発想から、「お陰さま」という言葉が消えかけてるような気がする。この世に生を受けたのは両親のお陰、育まれたのは周囲の人のお陰、毎日暮らせるのはたくさんの人のお陰、感謝するのは当たり前。

 自分ひとりで生きてるわけじゃないから、慎ましく暮らせて余ったものは世間に対する恩返し。それが、ひと昔前までの日本人の常識だった。身の程知らずの散財は成金と賤しまれ、傍若無人の振る舞いは世間を狭くした。お互いがお互いを慈しんでいた。

 それがいつ頃か、周囲に飢えてる人がいても、ご馳走を貪るのを恥と思わなくなった。道に倒れてる人がいても、横目で眺めて通り過ぎるようになった。自分の行動が他人に迷惑でも、処罰されない限りは反省する必要もないと考える。それが時代の風潮なのか。

 私たちの世代を含め、親たちが子らに教えてこなかったツケが、今まさに突きつけられてるような気がする。嘘をついても、ばれなきゃセーフ。狡賢いヤツが得して、正直者がバカを見るだけじゃなく、狡賢いヤツが尊敬され、正直者が蔑まされる。

 勝った負けたと騒ぐより、お互いに良いところを認め、それぞれの身が立つようにしたほうが、皆が楽しく穏やかに暮らせると思うけど。成功した人は感謝の気持ちを形にして分け与え、失敗した人は何度でもやり直せる。そんな社会を日本人なら創れるのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

足早に

 久し振りに川越の丸広へ足を向けたが、店内はクリスマスのイルミネーション、今年も残り少なくなってきた。仕事の問い合わせも年明けのものが多くなり、そろりそろりと腰を上げなきゃ間に合わない。ちょっと前まで暑くて汗を拭いてたような気がする。

 今年は年賀状を書かないから、よけいに季節感がないのかな。服喪中の葉書は絞り込んだので、一日で作業は終わってしまった。仕事の面ではプラスになることも増えたが、プライベートは慎ましく過ごした印象。来年は良いことが待ってるかもしれない。

 そのためには気持ちを切り換え、何事にも積極的にチャレンジ。リスクを恐れちゃ前へ進めない。知恵をもっと働かせなきゃ。たくさんの人と会わなきゃ。小賢しく考えず、ムリ・ムダ・ムラを計算せず、種を蒔き続けるのが大切なんだよね。それはわかってる。

 歳月を重ねるほど時の流れは加速して、あっと言う間に周囲の環境は変わる。人との付き合いも、自分の思い込みで向かい合ったらダメ。それぞれの事情は大きく異なってるから、新しい視点から捉え直して、お互いにプラスをもたらせるように再構築。

 今までやってきたことを見直し、新たな可能性を切り開く時機なのかも。座標軸はぶらさなくとも、展開は大きく切り換えられる。何が起こるかわからなきゃ、自然体でゆったり構え、予断を持たずに動けば良い。どれだけ頭の中を柔らかく保てるか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月19日 (月)

最後まで走る

 北京五輪の代表選考を兼ねた東京国際女子マラソン、アテネ五輪の金メダリストで国内最高記録を持つ野口みずき選手が、2年以上のブランクを乗り越えて大会新記録で優勝。とりわけ35kmからの坂で加速したレース運びは圧巻で、流石と思わざるを得ない。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20071118it04.htm

 国内歴代2位の記録を持つ渋井陽子選手は、30km付近でトップグループから離脱。その後は急激に減速し、7位でゴールテープを切った。競技場でも日本人選手に抜かれ、最後はウォーキングのような足取り。走りきれる状態でなくとも完走したのは立派。

 トラックの長距離でもロードレースでも、安定した実績を残している渋井選手だから、一流として意地もあればプライドもある。自分の脚の異変に気づかないはずもない。30kmを過ぎた時点で棄権したからといって、誰からも批判されないのを知っている。

 それでも彼女は楽な道を選ばず、抜かれるのも承知で、苦しい距離を堪え続けた。悔しさもあるだろうし、情けなさもあるだろう。自分の思い通りに鍛えた脚が動かない。自分が同じ立場に置かれたら、彼女のようにひたすら走れるか。途中で立ち止まらないか。

 優勝した野口選手は素晴らしいが、人生に勇気を与えてくれたのは渋井選手。自分が決めたレースに出場したら、どんな状況が訪れてもあきらめない。人との比較や評価のためでなく、自分自身のために最善を尽くす。ポロポロになった彼女は光り輝いていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月18日 (日)

10万人の訪問

 足跡がとうとう10万人、mixiを始めてから2年4ヶ月、やはり来てくれる人が多いのは嬉しい。
 99,999人目はまろこさん。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1466162
 100,000人目はひよこさん。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3619803
 100,001人目は上野のサラリーマンさん。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=12787583

 3人がマイミクなのも、いつも支えてくれる人たちを胸に刻み込むように教えられる思い。古くからの人もいれば新しい人もいて、それがまたシンボリック、リアルのお付き合いと似てるみたい。これからも入れ替わりはあるだろうが、今このときが一番大事。

 このところ仕事の打ち合わせが続き、初対面の人もいれば旧知の人もいて、それぞれに新しいスタートを切れそうだから、よけいにそう思ったのかも。忘れかけた人から電話が入り、大きな仕事が始まりそうな気配も。でも油断大敵、最後の詰めが待ってる。

 いろいろと準備してると、勉強しなきゃいけないこともあり、それがまた新鮮。知らないことを覚えるのは、幾つになっても楽しくて、神経が研ぎ澄まされるような緊張感を味わえる。ひとつ賢くなれば、成長できてるようで嬉しい。まだまだいけそう。

 10万人の大台に乗れたけど、次の大台には乗れないだろうな。今のペースを保っても、100万人になるのは80代。それまでmixiをやれるかどうか、この世にいるかどうかもわからない。それでも一歩ずつ前へ踏み出し、その姿勢のままで倒れたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月12日 (月)

晩秋の雨の週末

 親しい人の会社から封書、9月の株主総会で代表取締役会長から相談役へ。功成り名を遂げ悠々自適、こうした便りが最近は多い。自分では若いつもりでいても、周囲の諸先輩が現役を退くと、私たちの世代もそろそろ、働き盛りではなくなっているのか。

 歳のことはあまり気にしてないが、言われてみると一緒に仕事をする人たちが、しだいに若くなってるような気もする。20代だろうと30代だろうと、私は関係ないと思ってるけど、相手にすればやりにくいのかな。同じ視線で話しているはずなんだけど。

 若い頃と一番違うのは、同じことを伝えても、生意気と言われるのが減ったこと。私だってまったくバカじゃないから、自分より強い相手じゃなきゃ、ストレートに攻撃しないし、自分より若い人や弱い立場の人の言葉は、想像力で補って受けとめてる。

 でも、自分自身への位置付けがチャレンジャーだから、その辺りにギャップが生じるかは気になる。コミュニケーションという課題は、いつになっても卒業できず、いろいろな角度から考えさせられることが多い。それだけにおもしろいし、興味も尽きないんだが。

 諸先輩と実際に会って、一番違和感を覚えるのは、好々爺になってるとき。孫の話と趣味や旅行ばかりで、ビジネスに触れなくなると物足りないのは、私のお尻がまだ青いからなのか。それでも生き方を変える気はなく、いつまでもやんちゃ坊主のままで良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 3日 (土)

書く覚悟

 奈良県田原本の家族放火殺人事件で、奈良地検は秘密漏示罪で精神鑑定医の崎浜盛三容疑者を起訴。著者である草薙厚子氏は嫌疑不充分で不起訴処分になったが、その理由は崎浜容疑者が、出版に主体的に関与してないから、共犯関係の立証が困難と判断したから。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071102it11.htm?from=top

 普通に文脈をたどると、かなり不可解な話。崎浜氏はケーススタディとして情報を提供、それが第三者に伝わると予測してない。崎浜氏への仁義も切らず、一方的に著書を刊行し、衆目に晒したのは草薙氏、お咎めなしは腑に落ちない。崎浜氏がお気の毒。

 資料をそのまま書き写さずとも、筆力があれば伝えたいことを表現できる。少なくとも情報提供者に迷惑を掛けないのは、もの書きの端くれである私も承知。こうした情報をどう取り扱うかは別問題で、公開が相当と考えるならルール改正を働きかけるのが先。

 お金になるかならないかを問わず、書くことは自らが責任を負う営み。一言一句たりとも、余人に責任を転嫁できないし、他の文章を引用するなら、明確なルールの範囲内のみで許される。法が裁かなくとも、こうした結果を導いたら、自らが自らを裁く。

 自分の思いが確信へ至らず、コピー&ペーストで一冊を仕上げるなら、筆を折るのが節度と考えるのは私だけか。草薙氏は崎浜氏にどう申し開くか。読者ニーズ云々より前に、自分の文章を公開する意味を問うのが筋。自分の内部の突き上げるものは何か。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月28日 (日)

雨が降ってたけど

 金曜は義母を見舞い、両親の顔も見て、生まれ育てられたことに感謝。介護の方の尽力か、義母は訪れるたびに元気になり、笑顔が増えてる。妻のこともどれだけわかってるのか、それでも妻の名には嬉しそうに反応し、強い力で手を握り返す。

 40代で夫に先立たれた義母と比べ、80代まで添い遂げてる両親は、二人で旅行したり、浅草へ出掛けたり、私たちより元気なくらい。病院とは仲良くしてるらしいが、自分たちのペースで人生を楽しんでる。不肖の息子と会うのも喜んでくれる。

 土曜日は相模原へ。少し間を空けたが、娘も孫も大丈夫みたいで一安心。公園では遊べないので、近くのスーパーで数時間。嵐が近づいてるらしいので、早めに帰ろうとも思ったが、孫が婆ちゃんを放さず、私も巻き込まれて、ずっと部屋で遊んでた。

 孫も気になるが、幾つになっても娘は娘。明るい表情を見るために、時間をやり繰りして訪れる。御飯をたくさん食べてくれると、ほっとするのは親バカなのか。自分の親たちも、きっと同じ思い。血の繋がりは不思議、自分より大事なのは当たり前。

 何事もなく穏やかな時間が流れるのが、本当は一番幸せなことなんだけど、何かが起こるのが人生なのも事実。代わってあげたくとも、自分の人生は自分で背負うしかないから、寄り添って見守ることくらいしかできない。できることをやるだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年10月25日 (木)

ご馳走になった

 久し振りに先輩と会い歓談、場所は御茶の水の山の上ホテル、著者が缶詰になるので有名。出版社に勤めてた頃は、物見遊山で何度か訪ねたが、編集者としては一度も使ってない。出版関係者には憧れというか、幻というか、伝説のホテルとして知られてる。

 落ち着いたロビーで、話題はあちらに飛び、こちらに飛び、共通するところが多いので、お互いに深掘りできた。内容は守秘義務、それだけ密度が濃かった。流れで地下の中華料理店へ。すっかり散財させてしまったが、先輩なので甘えさせてもらう。

 フィールドは近いけど、直接ビジネスに関わってないが、共に闘う戦友のような関係。たまに会って話して、ヒントをもらったり、ときどきは与えたり、こうした人脈が大切なんだよね。自分ひとりが苦しんでるのじゃないと、わかるだけでも勇気が湧いてくる。

 秋の夜風は心地良く、電車の中で頂いた雑誌を眺めながら、勉強することが多いな。でも、自分で境界線を引いたら、ますます取り残されてしまう。ちょっとずつでも学んで、時代の空気を感じないといけないやね。独り善がりになったらオシマイ。

 いろいろな情報を整理して、自分なりに出口を探し、新しいコンテンツを生み出し、それをどこまで繰り返せるか。伝わる言葉に力を宿せるか。源泉になるのは人の知恵、出会う数が増えれば、それだけたくさんの力を借りられる。自分をサポートしてもらえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月22日 (月)

晴れているのに

 秋の日のヴィオロンの溜息の身に染みて、ヴェルレーヌではないけど、外気温が下がると人恋しくなる。ここ数日でぐっと秋は深まり、快晴でも冷んやりしてる。これから先は急激に進み、冬籠もりの準備を迫られそう。それでも今のうちは爽やかかな。

 遊びにでも出掛けたい気分なのに、そうも言っていられない状態が続き、今日も朝から書き仕事だけど、なかなか思うようには捗らない。もうちょっと無駄な時間を過ごし、遠回りの議論を重ねたほうが、将来の布石を打てるとわかっていても動けない。

 でも、もう少しだけ。今月が終われば息をつけそう。いろいろな人と会いたいな。お世話になってる人も訪ねたいな。勉強もしたいな。まだまだ足りないところがたくさんあるから、力を蓄え大きく育ち、いつでもどこでも闘えるところまで成長したいな。

 その合間に、少しだけ遊びたいな。山道を散歩したり、温泉に浸かったり、紅葉もきれいになってるだろうな。晴耕雨読が基本だけど、それだけじゃ疲れちゃう。怠け心も満たしてあげなきゃ長持ちしない。死ぬまで現役でいたいから、無理は禁物マイペース。

 滑ったり、転んだり、挫けたり、雨が降ったり、曇ったり、いろいろあるからおもしろい。最後まであきらめなきゃ、天は自分に味方してくれる。柩の蓋を閉じるまで、人の値打ちなんてわからない。自分がやりたいことを、きちんと成し遂げれば良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月19日 (金)

人生論の復権

 テレビや新聞の報道を見ても、上から下まで自己中心的で短絡的な事件が多い。平気で嘘はつくし、約束は守らないし、モラル感覚は小学生未満。亀田父子の謝罪会見で、「負けたら何を言われても仕方ない」と協栄ジム会長の発言が、時代を象徴してるかも。

 突然に辞任した安倍政権の背景には、選挙で安定多数を得たから何をやっても許されるという論理。参院選で敗北を喫したら一転して話し合い路線。さまざまな分野で、その場凌ぎのご都合主義で、自分で自分の首を絞めるケースが増えてるような気がする。

 結果だけを評価するから、裏表があるのは当たり前。プロセスを問わないから、経験が財産に繋がらない。浮くも沈むも刹那的、成功した人が伝えるのは、いかにしてチャンスを掴んだか。清く正しく生きる人は愚鈍と蔑まれ、誰も怪しもうとさえしない。

 私たちの先人がどう生きたか、生きることと向き合ったか。少し前の日本には、お手本になる人がたくさんいた。銭や金でなく、その生き方を学ぼうとする人たちも多かった。表面だけでなく、公私ともに高潔で、頭の下がる思いをする人たちを見直したい。

 いかに生きるか、何を大切にするか。巨額の富を手にして、酒池肉林に溺れるのが、唯一の成功と意識に刷り込まれてないか。それを手に入れられなければ自暴自棄になり、世の中に背を向けていないか。一枚の紙の裏表、どちらに転んでも淋しすぎる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 9日 (火)

夢の追い方

 池袋で妙齢の女性と食事、ご馳走になった。数年前からお会いしてるけど、丁度一年ほど前に方向が定まり、それから驚くほどの成長。来年の春先、今から半年後には、世間の注目を浴びるかも。賢い人で、人脈に恵まれてるが、一番の長所は素直な姿勢。

 私は相変わらず歯に衣着せないが、それを単純に受け入れるのでなく、一つひとつを噛みしめるように考える。わからないところがあれば質問、僅かの時間で自分のものにする。あれやこれやのテーマをジャンプしながら、気づけば随分と時間が経ってる。

 この人の着眼点は、間違いなくこれからの時代のニーズ。掘り起こすだけの深さもあり、私は秘かに楽しみにしてる。心配なのは、健康に留意することだけ。後は順調に運んでるし、何かあれば相談されるだろうが、急速に力を蓄えてるので、そこは安心。

 ビジネスに直接結びつかなくとも、刺激を受ける人と会って、未来のために種を蒔くのも大事。どこでどう縁が繋がるか、これから何が起こるか、誰にもわからなければ、求められたら応じて最善を尽くす。それがしだいに風になり、着実に前へ押し出してくれる。

 正直に言って、来る人拒まず、去る人追わず。食い扶持を稼ぐのは別だけど、人を育てるのはライフワークだから、少しばかり遠回りしても、地に足が着いてる人が、私を必要とするなら付き合う。それがいつの日か、私の土壌を耕して豊かにしてくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 7日 (日)

イライラ

 インターネットへの接続が、ここのところちょっと調子が悪い。ミクシィのデザイン変更で、事務局からの返信でも、エクスプローラは推奨できない。仕方がないからネットスコープをダウンロードし、サイトによって使い分けてる。そのせいなのかな。

 途中で固まってしまうことがあり、緊急避難はシステム終了しか思いつかない。再びスイッチを入れても、しばらくの間はインターネットが繋がらない。そうなるとパソコンはワープロ、仕事をやってりゃ良いのだけど、繋がらないとどうしても気に掛かる。

 スパムメールも相変わらず多いし、ブログにトラックバックがあれば怪しいサイト。これを消すのが手間。その後にパソコンがおかしくなるのは気のせいか。マウスが機能しなくなると、タッチパネルで修復したくなる。せっかちな性格も災いしてるかも。

 ITの進化は著しいけど、ほとんどが見た目。便利になるほど負荷が増えるが、それほど便利じゃなくて良いから、手軽に使えるようにならないか。欲しいのは情報、コンテンツ。きれいに見えなくとも、きちんと伝われば充分なのに、それじゃお気に召さないか。

 伝える側に追いつくくらい勉強すれば良いのかもしれないが、同じ時間があればやりたいことは他にある。お金を費やせば簡単に解決するかもしれないが、そこに予算を回したくもない。ワガママを言うようだけど、何か本質からどんどん離れていくみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 6日 (土)

誕生日だって

 いろいろなことがあったので、今年は慎ましく暮らしてたが、55歳の誕生日を迎えることもあって、妻と二人で早起きして草津温泉へ。関越道を渋川で降り、田舎道をのんびりと。新しい道もできてるし、風景もちょっとばかり変化。でも、一つひとつが懐かしい。

 最近は近所の日帰り温泉が多いけど、やはり草津温泉は別格で、身体を浮かしてると溶けてしまいそう。今日は熱さも丁度良かったが、強いお湯なので浸かってばかりいられない。それでも3時間、その後は湯畑を経て西の河原まで散策。途中でお蕎麦をつるり。

 のんびりしぎたけど、ここまで来たら軽井沢、白根山へ向かわずに北軽井沢から抜ける。両側に林の続く道がお気に入り。外気は15度なのに、妻は浅間高原牧場でソフトクリーム。那須の南ヶ丘牧場と双璧とのこと。私はひと口舐めてギブアップ。

 白糸の滝へ至る途中で、木々の葉が少し色づいてる。緑の中に鮮やかな黄と紅、この空気に包まれてるだけで幸せ。横川で荻野屋に寄り、夕食は峠の釜飯。天気予報は小雨模様だったけど、気持ち良く晴れた一日。これからの一年にエールを贈られたみたい。

 ひと昔前なら、定年でお役御免の歳、でも、今の時代ではこれからが本番。風も吹いてきてるし、忙しくなってきて、いよいよおもしろくなってきた。朝から晩まで自分を甘やかしたのだから、随分と頑張らないとバランスが取れない。さぁ、気を引き締めよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 3日 (水)

mixiが……

 デザインを一新したからなのか、表示画面がバラバラになり、日記を書くにも、タイトルの欄に記入できない。ブラウザがエクスプロラーということもあって、適応しないのかも。もう少し様子を見るけど、このままだとサファリを買うか、脱会するか。

 いろいろな人とお付き合いできているし、地域の離れた人とも交流できるし、私にとっては大切なコミュニケーション・スペースだけど、アクセスするのがストレスになるようじゃ困る。有料会員でもないし、推奨するブラウザじゃないし、文句は言えない。

 こういうことになると人任せ、どこをどうすれば対処できるかわからないし、正直に言ってお手上げ。どうして使いにくくするのかと思うけど、他の人には使いやすくなってるのかも。自分で立ち上げてるわけじゃないから、適応できなきゃそれまでの話か。

 最近始めたwizliへ全面移行することも含め、今のところ思案中。mixiが元の通りに表示されるなら、こんなことは考えもしなかったけど、もしかしたら不本意ながら脱会せざるを得ないかも。誰か良い知恵があれば授けてください。いきなり嵐に巻き込まれた気分。

 私とお付き合いしてくださる方は、私のホームページから直接にメールしてくださると嬉しいな。使いにくい状態で、しばらくは過ごすつもりだが、何ともならなきゃ仕方ない。いきなり追い詰められ、どこにも持っていく場所がなく、立ち尽くしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 2日 (火)

欲しければ奪い取れ

 物騒なように聞こえるが、待っていても誰も準備を整えてくれない。欲しい物があるなら算段して、奪い取らなきゃ自分の物にならない。奪われる側も用心しているし、黙って奪われないから、闘い抜く覚悟が必要。世間の目が光っているのも当たり前。

 暴力ら訴えて奪おうとすれば、社会からの制裁を受けるから、よほど愚かでないと、この策は用いない。資力や権力に頼っても、判官贔屓の世間に奪い返される。大義名分を明らかにして、ルールに従い正々堂々と、公然と奪い取らなきゃ意味がない。

 どうして、こんなことを言うのか。正論を吐く人は多いけど、闘う意欲を湧き起こす人は少ないから。私もそのうちの一人かも。いつの間にかマムシの牙を抜かれ、運ばれる餌に満足し、飼い慣らされてしまったような気もする。老け込むにはまだ早過ぎる。

 正しくない人が跋扈してるなら、徹底的に糾弾すれば良い。蟷螂の斧に過ぎないにしても、一太刀浴びせて倒れるなら、後に続く人のために道ができる。だからといって犬死にはしたくないし、知恵を働かせて人の力を上手に借りて、持久戦に持ち込むのが賢明。

 問われるのは、闘う意欲があるかないか。何を本気で求めるか。奪い取るだけの価値があるか。返す刀で切り刻まれる覚悟はできているか。自分の人生だから、流されるままに朽ちるつもりはない。納得できるように闘いを挑む。さて、どうやって誰と闘うか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 1日 (月)

日本歴史占い

 ネットで「日本歴史占い」なるものを見つけた。
http://uranai.artisthouse.co.jp/

 それによると私は宮本武蔵、万事において我に師匠なし、道なき道をひたすら走る。天才か、紙一重か、見極め難し。今までの占いとまったく違うので、少しばかり面白かった。

<1952年10月6日生まれの男性は>
 危なっかしくて見ている人をハラハラさせ、あなたがよしすることは、従来の常識・定石から大きく外れていることが多いのです。やるぞと決めたら、それまでの経緯や人間関係、時間や場所もお構いなしで、まるで宮本武蔵。だから、並の人間には到達できない境地が開け、大きな業績が上げられるのです。

 武蔵の剣は師匠につかない独自のもので、ましてや人に仕える器でもなし。結果的に『五輪の書』とう不朽の作が残されました。

 ひらめきの鋭さ、創造力は他の追随を許さず、独自の世界を開拓していく。助言に耳を貸さないので疎まれることも多いが、根は案外と単純。放任主義のもとで才能を開花させる。

 人間関係、衣食住_あらゆる面でバランス感覚に欠け、バランスをとろうとするとかえって崩れる。対外的には何とか繕っていたとしても、身近な人にはかなり迷惑をかけているはず。

 大きな態度をしていてもウソをつくと顔が赤くなるような小心者だが、プライドの高さは人一倍。ある意味純情で根回しなども下手なため、ツメの部分で失敗することも多いはず。

 本人はフレンドリーにしているつもりでも、とっつきにくい印象は拭えない。変わった風貌・雰囲気に相手が引いてしまうことも。
挙動不審気味。計画や予定にとらわれず、その時々の思いつきで行動する。距離や時間の感覚が他の人とずれているのでよくも悪くも神出鬼没。<とのことです。>

 自己分析とはかなり距離があるけど、こうした一面があるのかもしれない。言われてみると、そうなのかなと思ったりして。当たるも八卦当たらぬも八卦、自分のことだから気になる。気づかなかったところをも捉え直すヒントにすれば良いのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月30日 (日)

積み重ねる喜び

 たくさんの人を同時に振り向かせられずとも、一人ひとりと向かい合って心の底から納得してもらう。美女に囲まれ暮らさずとも、ひとりの人と歳月を重ねる。人にはそれぞれ価値観があるけど、私が好む生き方は時代遅れになってるのかな。

 成功か失敗か、勝つか負けるか、二進法の発想がトレンド。日本人は昔から、お互いの顔を立て、折り合いを付ける。ビジネスにしても、近江商人の三方良し、商人も客も世間も納得する落としどころを得て、初めて商いが成り立つ。金は天下を回っていた。

 情けは人のためならず、風が吹けば桶屋が儲かる、因果関係を諭した故事成句も多い。俄成金は卑しめられ、焼き討ちされても世間は知らぬ顔。喜捨しない分限者は、強突張りと蔑まれ身代を潰す。お上の政策とは別に、庶民は生きる知恵を身に付けていた。

 いつの頃なのか、皆が笛に踊らされるようになった。分別をわきまえず、身の程を知らず、浮かれる人ほど持て囃される。シッカリ土台を築き上げ、煉瓦を一つずつ積み重ねるより、絡繰り仕掛けで空中に虚像を映したほうが、木戸銭を稼げる世の中へ。

 それでも人は飯を食べ、糞をして寝る。雪が降れば寒いし、照りつければ暑い。生まれてから死ぬまで、誰もが道を歩き続ける。自分の人生を、他の人は背負ってくれない。旨い物を食べてる姿を見ても、自分の腹は膨れない。そこのところは同じだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

木々に抱かれて

 打ち合わせの予定が流れて、仕事をすれば良いのだけど、久し振りに妻と智光山公園へ。曼珠沙華が咲き残ってるくらいで、紅葉には少しばかり早いし、人影もまばら、穏やかな空気だけが漂う。当たり前のように妻が傍らにいるけど、考えてみれば有り難いこと。

 華やかな世界も知らず、さしたる贅沢も覚えず、平凡な人生を歩んできたが、苦労だけは人並み以上。他の人に添い遂げていたら、もっと幸せになっていたかもしれないのに、文句一つ口にせず一緒に歩いてくれる。私の気ままを受け入れてくれる。

 威勢は良いのに弱虫だから、神さまが支え棒を授けてくれたのかな。たまに旅行したり、孫と遊んだり、この先に待っているのもささやかな楽しみ。穏やかな日々を重ねながら、老いていければ幸せなのに、私は波風立つ世界から離れずに、闘い続けようとしてる。

 曲がりくねった道を歩み、池の畔で小休止、薔薇園を抜け再び森の中へ。木々のそよぎが心地良い。しばらく閉じ籠もっていたので外気の爽やかさが肌に染みる。いくらか汗ばむのは夏の名残か。吹き渡る風にも、重ねた季節の記憶が刻まれてる。

 田舎者なのだからなのか、木々に囲まれた道を歩くと、ほっとするような気分。小一時間ばかりの散策で、仕事をやろうと思うから不思議。妻と繋がってることで、その先のたくさんの人たちと、安心して繋がれるような気もする。恵まれているんだろうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月26日 (水)

秋の風に吹かれて

 朝夕はめっきり涼しくなり、陽射しも柔らかくなってる。このところ書き仕事に追われて、なかなか机の前を離れられないが、近くを散歩するときなど、季節の移ろいを肌で感じる。秋の日は釣瓶落とし、夕闇が迫るのもあっと言う間。食欲も湧いてきた。

 秋に生まれたからだろうか、この季節は心が落ち着き、気力が満ちてくる。人と会うのが楽しくなり、学ぶ意欲が旺盛になる。ひとつ歳を重ねるごとに、ほんの少しだけ成長して、改めて道が遠いと痛感し、それでも次の一歩を踏み出せる季節。

 書く仕事は手作業なので、自分の思いを形にしたくとも、遅々として進まない。苛立ちを抑えながら、これだけは伝えたいと、読む人の想像力に働きかける。改めて読み直すと、何のことやらわからない。それまでの作業を捨て去り、心を新たに向かい直す。

 こうした蓄積が力になってると信じたいが、伝わる人もいれば、伝わらない人もいるのは事実。一所懸命にやってるのは、自分を勇気づけるため。紡いだ言葉がどれだけ通じるかは、問うた後でなければわからない。借り物の言葉では誤魔化したくない。

 もう少しで宿題は半分終わる。別の宿題を片付けた後で、残りの宿題に取り組むから、終わる頃には冬の気配かな。頭を悩ませ、神経を研ぎ澄まし、それが成果に結びつけば良いのだけど、結果を恐れずにチャレンジして、絞り尽くした後に違う風景が開ける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月25日 (火)

共に生きる

 TVを眺めていたら、軽井沢で熊や猿の被害。私が訪れるような見慣れた風景に、野生の月の輪熊が出没してる。農作物を食い荒らしても、法の規制があるから地元の人は手を出せない。脅かして山へ戻そうとするが、熊や猿も学習して効き目は薄くなってる。

 熊や猿にしてみれば、エリアを侵したのは人が先だし、元々エリアという概念もない。周囲に食べるものがなくなれば、餌を求めて移動する。人が作った物なのか、自然が恵んでくれたのか、それを判断することもない。容易に手に入ればそれを口にする。

 加速させたのは、観光客などのエゴ。見た目が可愛いというだけで、後先も考えずに餌を与える。生き物と付き合うには、死に際まで立ち会うのが基本。通りすがりに触れ合うべきじゃない。飼えなくなったペットを、山中へ放棄するなど言語道断。

 スポーツフィッシングなどと抜かして、日本中の湖にブラックバスを放った輩もいる。生態系が崩れて、人の生活にも影響を及ぼしてるのに、後は野となれ山となれ。自分を中心に世の中が回ってると、思い込んでる人が多すぎないか。犬や猫が嫌いな人もいる。

 共生という言葉の響きは美しいが、前提になるのは厳しいルールを守ること。どのようなルールにするべきか、現状を踏まえて捉え直すことが必要。その前に、お互いが心地良く暮らすには、何をすれば良いか、何をしてはいけないか、きちんと考えなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月23日 (日)

彼岸に思う

 赤い花なら曼珠沙華、彼岸花として知られている。隣町の巾着田が自生地として有名なので、この季節に何度も訪れているが、高麗川の清流を背景に、一面に咲き乱れる姿は流石に見事。曼珠沙華には、天上の花という説もあるらしい。

 春のお彼岸には牡丹餅、秋のお彼岸にはお萩、幼い頃はそれで済んでいたが、祖父母が逝き、妹が逝き、親しい友が逝き、そして孫までが逝くと、西方浄土を身近に思わざるを得ない。此岸と彼岸は結ばれているのに、逝った人たちは二度と再び戻ってこない。

 夏の終わりに、妻と娘と孫と巾着田に遊んだが、水車小屋の近くに大輪の蓮の花。和義はお釈迦様の胸に抱かれて、可愛がられているのだろうか。思わず涙ぐみそうになる。和義の幸せを祈るには、線香を手向け、手を合わせることくらいしかできない。

 まだ百日を少し過ぎただけなのに、遠い昔のような気もする。和義が、いきなり抱きついてきそうにも思う。私でさえこうなのだから、妻や娘や孫の心には、埋められない大きな穴が開いている。決して忘れられないが、歳月だけが傷を癒してくれるのだろう。

 いつも笑っている子だった。私に懐いてくれた。抱き上げると涎を垂らすのだが、それが今では堪らなく愛おしい。娘の香織と孫の愛を幸せにすることが、和義の遺志と信じてる。何かをしてやるのでなく、ただ見守って、いつでも抱きしめてあげる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月20日 (木)

自分を苛めない

 このところ若い人からのメールで、気になってしまうのは、頑張っている人、精一杯にやってる人が、自分で自分を追い込んでいること。日本人には謙譲の美徳というのがあって、それが人間関係を円滑にするのだが、過度になるとちょっと考えもの。

 優秀な人は、自分が優秀なことを知ってるし、目標も高いからなのか、常に足りないところに目を向ける。ハタから見れば充分にできてるのに、パーフェクトを目指すから窮屈になる。少しくらいの傷や汚れはあったほうが、味が出るとは思えないみたい。

 どんなに頑張ったところで、森羅万象を知り尽くせるものじゃない。どれだけ注意しても、間違えるときは間違える。向上心は大切だけれど、いつも緊張してたら息が詰まる。ときには自分を甘やかして、新鮮な空気を大きく深呼吸。気分を入れ替えなきゃ。

 私の場合は、そんなことばっかりやっていて、なかなか仕事が捗らないので、それはそれで問題だけど、足して二で割ると丁度良いのかな。自分に何ができるのか、きちんと捉え直して、等身大の自分を認めてあげると、随分と楽になるよ。

 足りないところはどうするのかって、周囲の人の力を上手に借りて、助けてもらえば良いじゃない。その代わりに自分にできることで、周囲に役立てばイーブンの関係。ひとりで抱え込まないで、泣きたいときは泣けば良い。胸ならいつでも貸してやるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月19日 (水)

熱闘8時間

 渋谷で人と会って近くの喫茶店へ、話し込むつもりだったので、静かな場所を選んだけど、気がつけば飯も食べないで8時間、携帯へのメールに気づかなければ、そのまま夜を徹しそうな勢い。ビジネスの打ち合わせでもないのに、私も私なら相手も相手。

 話していたのは20歳近く年下の女性、頭の回転は頗る速く、若い頃から全力疾走で生きてる。細い身体を張って、心を研ぎ澄まし、周囲に役立つように一所懸命。好きなことをやってるのだから、頑張ってるわけじゃないと言うけど、とても真似できない。

 私に比べりゃ若いから、気力と体力で乗り切ってるが、やはり窮屈な印象を受ける。自分の夢を追いかけてるし、毎日が忙しいこともあり、いくら時間があっても足りないのだろうが、私が勧めたのはバカになること、頭の中を空っぽにする一日を過ごすこと。

 この人に限ったことじゃないけど、精一杯にやり切ってる人ほど自分を甘やかさない。目指すレベルが高いから、少しでも気を抜く自分を許さない。無理をしてる自覚は薄いけど、それじゃ長丁場を乗り切れない。頑張ってる自分を認めてあげなきゃ。

 人生は短いけれど、一瞬で終わるものでもない。歳を重ねれば若いときのようにもいかない。適度に休んで、適度に楽しんで、そうしなければ追い詰められる。能力が高く、可能性に富んでる人は、社会に必要とされてるのだから、上手に自分を癒さなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月12日 (水)

人生の途上にて

 9月も中旬、虫の音に秋の気配、暑さも峠を越えたよう。今日も朝から書き仕事、ゴールまでの距離が遠いこともあって、ときおり妙に苛立ってくる。内へ内へと向かう意識が、押さえつけられるような圧迫感。いつものことだけど、持て余してしまう。

 しばらくぼんやりしてると、先々のことを考えたりして。気負っていても若くない。いつまで働けるやら、それより生きられるのやら、自分で決められることじゃない。杖をついて妻と寄り添い、黄昏れた風景を歩く姿を想像できない。もうすぐなのに。

 人の一生は長いのか、短いのか。それぞれに思うところはあるけれど、大事なのは後悔しないこと。だからといって悔やまない人生なんて、どこを探しても見つけられない。それならば今の自分を、ありのままに受けとめて、悔いが少ないように生き直す。

 もう随分と生きているのに、さほどのことを成し遂げてない。これからどれだけのことをできるのか、自分の思いだけでは世の中に通じない。支えてくれる人、助けてくれる人がいて、初めて自分の持ち味が活かされる。運もあれば、タイミングもある。

 坂本龍馬じゃないけど、志半ばで溝の中で倒れるにしても、前のめりになって死にたい。自分が自分であると、最期までわかっていたい。それだって、思い通りになるか、ならないか。やれるだけのことをやり切って、天に委ねるしかないのだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 8日 (土)

二天一流

 『五輪書』を著した宮本武蔵は、天下の剣聖として名高い。戦国の末期に生まれ、数多くの果たし合いに勝ち続け、名を知られるようになったが、大名になる夢は果たせず、細川家の食客として晩年を過ごす。宮本武蔵の生涯は本望だったのか。

 吉川英治氏の小説が読まれ、ストイックで純情な求道者のイメージが定着してるけど、『五輪書』を読むとかなりしたたか、勝つためには手段を選ばず、目的のために細心の注意を払う。経営者が愛読する理由もわかるような気がする。勝つための指南書。

 斬り結ぶのが侍なら、宮本武蔵を無視できない。しかし泰平の世に必要なのは、剣によって相手を倒すことではない。このジレンマが宮本武蔵を苦しめた。剣の道は武士にさえ求められない。敬して遠ざけられ、書画をたしなむ日々に命の炎を燃やす。

 宮本武蔵が『五輪書』を書き遺したのも、人に読ませるためでなく、自らの人生の軌跡を刻み込みたかったから。武蔵だけの真実が行間に滲み出て、四百年の時代を経て私たちの心に伝わる。世の流れに関わらず、信じるわが道を極める他に道はない。

 どう生きるか、歩き始める前なら道は無限に広がっているが、歩き進むに連れて少しずつ狭くなる。五十年も生きると、他の道を選ぶのが恐くなる。そのときに大胆に切り換えられるか、伊能忠敬のような人生もある。先人の教えをどう読むかはそれぞれ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月31日 (金)

叛逆天使

 神の寵愛を受けた大天使ルシファーが、紙に背いて敗れ去り堕天使となる。これが悪魔の祖という説もある。天地創造した神でさえ反旗を翻すのを防げず、信頼厚い大天使さえ秩序を守り抜けなかった。古代から人の心には、邪なものが生まれてしまう。

 アダムとイブの知恵の木の実、パンドラの箱、バベルの塔にノアの箱船。人はいつも試され、平穏な生活を捨て可能性に挑む。何が善で、何が悪なのか、すでに検証された例がいくつもあるのに、それでも心の奥底から湧き起こる思いを断ち切れない。

 「一杯の紅茶のために世界が滅んでも構わない」と、呟いたのはドストエフスキー。絞首台で縄に首をかけられ、そこで死刑中止の伝達。人の心に潜む悪意を抉りだし、世界中の読者が共感して魂を震わせた。文学に潜む毒は、しばしば私たちを酔わせる。

 私の心は清く澄んでない。嫉妬心、猜疑心、慢心、さまざまな煩悩に捕らわれてる。若い頃ほど脂ぎってはいないけど、それでも欲もあれば狡さもある。その事実を素直に認め、どう生きれば自分自身に納得できるのか、常に問い直しながら歳月を重ねてる。

 ときどき思うのは、ルシファーの決断。世界中を敵に回しても、信じる道を行くだけの気概が、私の裡に遺されているだろうか。その必要はないと思うのは、牙を抜かれてしまったからなのか。感傷に過ぎないのかもしれないが、思えば遠くへ来たものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月26日 (日)

喋り疲れて

 男4人が喫茶店、仕事も世代も違うけど、あちらこちらに飛びながら、珈琲をお代わりして、3時間半の雑談タイム。目的もテーマもなくて、楽しい時間を過ごした。たまには良いなと思ったけど、お付き合いしてくれた人たちは、お腹が一杯になっちゃったかな。

 今どきの人は、時代が変わったから、そんなの嘘。やっぱり皆が一所懸命で、周囲の人を幸せにしたいし、世の中を良くしたいと考えてる。自分だけ儲けようなんて人たちは、誰かが頭の中で描いたイメージでしょ。私の周りには、ひたむきな人ばかり。

 やる気がない人なんか、どこにもいない。そう見えるのは、どこへ行って良いのかわからなくて迷ってるか、やり方に自信を持てなくて困ってるだけ。自分の活かしどころを見つければ、間違いなくスイッチが入る。今も昔も人間は人間、大筋は同じようなもの。

 話に夢中になってたら、心の中がスッキリ爽快。シャワーを浴びたら身体も元気。言葉が伝わらない人もいるけど、気持ちが伝わる人が多いから、歩いてる道を真っ直ぐに進めば良い。世の中は決して悪い方へ流れていない。山へ登る途中に谷があるだけ。

 若い人たちと話してるのに、タメのような気分になって、古い話も随分と口にしたかな。それでも黙って聞いてくれ、自分の意見を返してくれ、今になって気づいたけど勉強してるよね。頼もしい人たちがたくさんいるし、明るい日が訪れるのは間違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月25日 (土)

頭の中が雲丹

 朝から書き仕事、9月と10月で小冊子を8冊仕上げることになりそうで、しばらくこうした作業が続くかも。今日のところは来月の企業内研修の準備、久し振りに名古屋へ行くことになった。味噌煮込み饂飩を食べられる。スケジュールは詰まってるみたいけど。

 お仕事が増えるのは嬉しいけど、当日だけで済むわけじゃないから、諸々と忙しくなるのは当たり前。今回は2日間研修なので、懇親会やらも予定されて、少しは影響を及ぼせるかと期待してる。東京駅に着くまでのほうが、そこから名古屋までより時間が掛かる。

 若い頃から名古屋ではお世話になって、ものの見方考え方のヒントを示唆されることも多く、心躍るのも確かなんだけど、私費で行くわけじゃないから、どこにも立ち寄れないかな。駅前で空気を感じるだけでも、有り難いと感謝しなきゃいけないね。

 夕方になって、いくらか暑さも和らいだと思ったので、近所を歩いてみたけど汗が滲む。そう言えばこの夏は夕立がない。雷さまを聞くことも少ない。ひと雨来ると涼しいのに、軒先の風鈴が頼りなく揺れて、残暑は厳しく長く続きそうな気配。しんどいことだな。

 それでも秋が近づいて、手足が自然に動き始める気分。いろいろな人から声を掛けられるたび、励まされて勇気が湧いてくる。出会いのチャンスが訪れると、新しい可能性を掘り起こされる。まだ若いのだから、背筋を伸ばしてシャンとしなきゃね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月22日 (水)

自分のことは後回し

 山口県で祖父を殺害して逃走した少年が、秋葉原でスナック菓子を万引きして捕まった。いろいろな事情はあるのだろうが、加害者である少年が、この家族の中で一番の被害者と思えてならない。どうして弱い者を、ここまで追い詰めてしまうのか。

 殺された祖父にも、少年を預けた父母にも、悪意はなかっただろうし、それなりに愛情も注いでいただろう。だけど少年には少年の人生があり、自分たちの価値観とは異なると、本当にわかっていたのか疑問。医師になるだけが成功へのルートじゃない。

 明石家さんま師匠の娘さんは、生きてるだけで丸儲けから、いまるちゃんと名付けられてる。生まれてきてくれたことに素直に感謝して、健やかに育ってくれたらそれで充分と、思いが切々と伝わってくる。誰もが子宝に恵まれたとき、そんな思いを胸に抱く。

 それが他の人より幸せになってほしいと、大人の知恵でさまざまに期待する。でも、いくら可愛いわが子だって、わが子は自分自身じゃない。人と人の関係だから、誤解もあれば裏切りもある。それらをすべて引き受け、本人を中心に考えなきゃ育てられない。

 私にも娘がいて孫がいて、もうちょっと何とかしてと思うことはあるけど、それをわかってもらうには時間を掛けて、相手の言い分に耳を傾け、押しつけずに一緒に考えるしか道はない。面倒だし厄介だけど、手塩に掛けなきゃ、思いの一端も伝わらない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月20日 (月)

それはさておき

 残暑は相変わらず厳しいけど、旧盆の休みも明けて、そろりそろりと世間は動き始める。私もいくつかの準備を進め、それなりに対応できるように。それでもなかなか思うようには、段取りが運ばないことも多くて、自分の目には遅ればせながらの感が強い。

 若い頃と比べると焦らなくなったのか、妙に期待しなくなったのか、流れの中に自然体で身を置けるようになった。ジタバタしたところで、なるようにしかならないと、経験値に刷り込まれてるのかも。だからといって受け身の姿勢になってるわけじゃない。

 欲を掻いて張り切りすぎると、肩透かしということもあって、巡り会う相手とは、思いがけない場所が用意されてたり、あまり計算しないほうがうまくいく。果報は寝て待てというのとは違って、自分のペースで歩み続けるのが大事。だって自分の足だもん。

 近頃では物書きとか、コンサルタントとか、研修講師とか、そうした枠組みにも頓着しない。ご用があって、できそうなら、迷わずチャレンジ。たいていのことは何とかなるもので、頼んだ人が笑顔になればそれで満足。どう呼ばれるかなんて、人が決めれば良い。

 忙しくなさそうだけど、実は忙しくて、やらなきゃいけないことが増えてくる。何でこんなことに頭を悩ますのか、ぼやきながらも喜んでる。それでどれだけ稼げるのか、結果は後から付いてくるから、興味を持てることならのめり込んでいく。それで良いのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月18日 (土)

白い恋人

 北海道土産の定番だから、何度も買って帰った懐かしい味。ホワイトチョコが珍しい時代に、ネーミングもパッケージも秀逸で、帯広の六花亭と並び称されるほど注目される。聞くところでは、サッカーのコンサドーレ札幌のスポンサー。年商92億円の中堅企業。

 賞味期限の改竄どころか、バウムクーヘンから黄色ブドウ球菌、アイスキャンデーから大腸菌群を検出。当初は魔が差したと言ってた賞味期限の改竄も、実は10年前から常態化してたらしい。代表取締役社長は引責辞任、後任は北洋銀行常務取締役が就任予定。

 賞味期限を過ぎたところで、健康に及ぼす影響は薄いと、無頓着な食品関係者は意外に多い。消費者は神経質にチェックしてるのだけど、意識の乖離があるような気がする。消費者が求めてるのは安全性以上の安心感。不安な要素はすべて払拭してほしい。

 食品の中に何が含まれてるのか、どこから先が基準値を超えるのか、私たち素人にモノサシがあるわけじゃない。国や公共機関が決めたことでも、どれだけ信頼できるか不透明。それでもすべてを疑い始めたら、財布の中のお金では食材も揃えられない。

 だから信用できる企業なら、安心できると自分に言い聞かせる。一度でも裏切られたら、二度と手を延ばさないのは自己防御。その辺りの感覚がわからなきゃ、食品事業を展開できないのに、売れてる現実に気が緩み、経済原則だけで動くのが落とし穴。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

pureな人

 埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で、74年振りに日本の最高気温の記録を更新。炎天下なのに、今日も都内で人と会う。仕事で日頃からお世話になっていて、妙に気に掛かり好きな人。どうして好きなのか考えたら、生きる姿勢が真っ直ぐでpureだから。

 どうも私は、この手の人に弱いみたい。たまに奥さんの話が出るけど、気性がさっぱりして、竹を割ったような印象。実際に会ったこともないのにそう思うのは、夫婦間のバランスが良いから。奥さんを人として尊敬し、信頼してる心象風景が伝わってくる。

 お世辞も言わないけど、偉そうなことも口にしない。等身大で語り合えるから楽なんだ。嘘もつかないし、できないことはきちんと断るし、話してる内容を疑わなくて済む。当たり前のように思ったら大間違い。たいていの人は自分を飾り立てるのが好き。

 私の周りに集まる人は、どちらかと言えば無器用。計算高い人もたまに来るけど、いつの間にか姿を消してる。私と付き合えるのだから、謙虚で素直で度量もあるのだろう。いくつになってもワガママ小僧、皆が包んでくれるから、何とかなってる気がする。

 正直に言って暑くとも寒くとも、人と会って心が温まれば、それで幸せな気持ちになれる。身体が疲れたって、そんなもの一晩寝れば回復しちゃう。良い出会いは大切にしなきゃね。そのためにも源泉は自分自身、会う人に相応しく自分を磨かなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月15日 (水)

元気で良かった

 お盆なので大宮へ。妻の父に手を合わせ、私の家では祖父母と兄に線香を手向け、嫁いだ妹には頭の中で祈り、久し振りに父母と昼飯。日帰りで仙台の七夕を見てきたという。ゆっくりだけど、二人ともに死線を乗り越え、自分のペースで生きてる。

 その足で妻の母を見舞う。バタバタしていて3ヶ月振り、意識のほどは定かではないけど、頬はふっくら、幸せそうな笑顔。白岡の病院では秒読みと思われたのに、やはり人の命は人智を越えてる。私たちのことがわからずとも、楽しく暮らせるならそれで良い。

 80歳を越えた父母、90歳を越えた義母と会うと、いかにも自分は洟垂れ小僧。父母の足腰もだいぶ弱ってきたが、それでも旅する意欲は旺盛。秋には福島を訪れるらしい。悠々自適と言えば聞こえは良いけど、質素で慎ましく自分の身をいたわって歩いてる。

 私たちは若くはないけど、さりとて老いてるわけでもない。欲張らなければ充分に働けるし、些細なことなら人のために尽くせる。時の流れに棹を差せないのなら、流れに身を任せながら自由に動きたい。ありのままの姿で、無理なく自然にゆったりと生きよう。

 真夏の太陽は相変わらずだけど、少しずつ身体が慣れてきたせいか、頭もスッキリしてきたような気がする。父母の元気な姿に励まされるように、私が熱く語りかければ反応する人もいる。もらった元気を力に換えて、一歩を踏み出すのが私の務めかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月14日 (火)

ピーターパン

 娘と孫と相模原の麻溝公園へ。出掛ける前にピーターパンごっこで、孫がウェンディ、私がピーターパン。車を海賊船に見立て、船長のフックに追いかけられながら走る。公園に着いてからも、妻ではなく私の手を引き、ネバーランドを駆け巡る設定。

 展望台でもストーリーは続行、娘を人魚にしたり、妻を妖精にしたり、その都度に指示は異なるが、私と孫の役は代わらない。少し休ませてもらったのは、噴水がある水遊び場だけ。何度も同じことを繰り返しながら、爺ちゃんとベッタリ一日を過ごした。

 一緒に遊んでくれる大人はいても、途中で大人の表情を垣間見せるから、役になりきる爺ちゃんが嬉しいのだろう。今さら人の目を気にする歳でもないし、孫が笑顔になるのが最大の願いだから、恥ずかしいなんて思わずにピーターパンはウェンディと付き合う。

 その甲斐あってか、孫は少しずつ落ち着きを取り戻してる。正直に言うとヘトヘトだけど、今の私にできるのは、爺ちゃんと婆ちゃんはいつでもおまえの味方と、メッセージを伝えることだけ。理屈を説いてもしょうがないので、心と身体で目一杯に表す。

 そうは言っても四六時中寄り添ってやれない。せめて一緒にいるときだけでも、この夏休みだけでも、できるだけ時間を割き甘やかしたい。妻は妻で午前3時に起きてお弁当を準備、娘と孫の笑顔に身体は疲れ果てても心は満足。やれるだけのことはやるからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月13日 (月)

うさぎ美味しい

 童謡『故郷』の歌い出しの聞き間違い。兎など食べたことはないから、幼い頃は「かの山」という場所で、兎が名物料理だと思ってた。『赤い靴』でも、女の子を連れて行ったのは、いい爺さんなのに、どうして悲しい歌なのかわからなかった。よくある話さ。

 日本語の乱れを嘆く人は多いけど、元々は漢字が真名で、ひらがなやカタカナは仮名。江戸時代以前の公式文書は漢字だらけ。坪内逍遙が口語文での評言を提唱し、二葉亭四迷が『浮雲』を発表する頃から、私たちの耳に馴染んだ日本語のスタイルになる。

 今では明治の文豪と称されるけど、二葉亭四迷は「くたばってしめえ」をもじってる。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳もあるくらいだから、外来語に至ってはかなり変化。小麦粉をメリケン粉と呼ぶのさえ、今の若い人たちは知らないよね。

 メリケンとはアメリカ合衆国、漢字で書くと米利堅、だから米国になる。略称だけが遺って、今も平気で使われてる。そう考えると私たちの耳には珍妙な言葉も、これから先の時代には馴れてしまうかも。「何気なく」より「何気に」を好む人が増えてるのも事実。

 仕事柄なのか、言葉には神経質なほうだったけど、最近ではあまり気にならない。皆が違和感を覚えなきゃ、それはそれで収まっていく。大事なのは言葉を遣う心、そこに澱みがなく清らかなこと。人を人として思いやる気持ちが失われなきゃ、それで良いかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月12日 (日)

故郷は遠くにありて

 室生犀星でなくとも、生まれ育った土地は懐かしく、大切な人と繋がる風景が広がる。写真を胸に抱いて、悲しく謳うのも人生だけど、戻れるときに戻りたいのが人情。かくして日本列島は大渋滞、都市で暮らす人たちが、故郷を目指して移動中。

 小賢しげに嗤う人もいるけど、旧盆の季節に故人の魂を迎え、思い出を語り合うのは、日本人に欠かせない行事。今年は和義の新盆で相模原へ、父母が暮らす大宮へも。たまたま近いというだけで、遠くに故郷があれば、間違いなく大渋滞の列の中にいる。

 仕事の都合などで、今じゃなきゃ休めない人も。海外や国内の旅行もピーク。混んでるときに、混んでる場所へ、それでも家族の笑顔を見たいから、お金を掛けて、時間を掛けて、身体は疲れるけれど、心を遊ばせたいから。それはそれで微笑ましい光景。

 今さらながらに思うけど、人は自分のためなんかに生きちゃいない。大切な人のため、身近な人のため、骨身を削って踏ん張る。その気持ちが形になって表れてるうちは、日本人を信じて良いような気がしてる。話せばわかる土壌が耕されてると考える。

 やっとのことで故郷にたどり着き、とんぼ返りで生活の拠点へと戻る。不合理なようだけど、それで活力が満たされる。大切なものを、もっと大切にするために、何を考えどう動けば良いのか、日常の中で一歩踏み込めば、それぞれの明日が変わっていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月10日 (金)

夏、真っ盛りだね

 一番町に用事があったので、池袋から有楽町線で麹町へ。そのつもりだったけど、車内アナウンスが新大塚、うっかり丸ノ内線に飛び乗ったみたい。大学も立教で、会社も千早町から音羽だから、この路線で間違えることなど有り得ない。いささかショック。

 大手町で半蔵門線に乗り換えれば、難の問題もないわけだし、約束の時刻に遅れたわけじゃなし、誰も知らないことなのに、やはり心は揺れてる。人生の道は迷っても、都内の路線には自信があったのに、こうした日は空回り。暑さのせいではないと思うけど。

 案の定、初対面の協会の代表理事は要領を得ず、紹介してくれた人の意図も測れない。昼飯にお蕎麦をご馳走になったが、ビジネスに繋がる雰囲気ではない。敢えて言ってしまえばメールで済む話、それでも人と会うのが種蒔き、いつかどこかで実を結ぶかも。

 クールビズの時代なのに、私は真夏でもスーツにネクタイ。自宅での作業はラフなスタイルだから、そのギャップでさらに暑いのかも。自宅に戻ったとたんにシャワー、汗を流すだけで生き返る。射抜かれるような陽射しだけど、ようやく夏を実感するのも嬉しい。

 無駄なことも、無駄じゃないことも、積み重ねられて形になる。先行きが見えないときは、疲れたような気分だけど、それが意外に大事だったりする。声を掛けてもらえるうちが華、じりじりと焼き焦げるような季節だからこそ、生きてる事実を喜ばなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 8日 (水)

大人の責任

 大相撲の横綱、朝青龍関の二場所出場停止と謹慎問題、本人は精神的に不安定な状態と報じられてる。優勝した直後の地方巡業を、病気を理由に欠場すると届けながら、母国のモンゴルでサッカーに興じる画像を報道されたのが原因。厳罰は当然との越えもある。

 確かに一点だけを捉えると、公平で妥当な審理に映るけど、大切なのは朝青龍関が、独りで横綱を張っていた期間も、高砂親方や相撲協会は同じ姿勢で臨んでいたか。心技体を前面に打ち出し、勝つより大事なものがあると指導してきたか。疑問は消えない。

 そこへ新横綱の誕生、手の平を返した態度で臨まれたら、朝青龍関に理解できるはずがない。今まで許されてきたことが、どうして突然に責められるのか。横綱の二場所出場停止も前代未聞だけど、それ以上に打ちのめされるのは蟄居にも似た行動の制約。

 母国へ帰して、自分自身を見つめ直すよう勧める越えもあるが、高砂親方は反対の立場を明らかにして、この機会に朝青龍関を押さえ込む構え。最悪の場合には引退に追い込まれるが、朝青龍関はもちろん、高砂親方も相撲協会も大きな痛手になる結末。

 横綱の責任を問う前に、周囲の大人たちがどう接してきたのか、胸に手を当て考えてほしい。それは決して他人事でなく、私たち一人ひとりに問われること。ルールを教えないから、ルールを守れない。ルールそのものの意味がわからないのだから仕方ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 6日 (月)

狭山の七夕

 妻と娘と孫と、狭山の七夕へ。規模は小さいし、派手じゃないけど、平塚、茂原と並んで関東三大七夕祭り。仙台の七夕祭りに次ぐ歴史らしい。商店街や地域の小中学校が手作りで竹飾り、そこがまた地味でご愛敬。家族連れが圧倒的に多いのも頷ける。

 交通規制のために、車でなくバスで狭山市駅へ。孫はそれだけではしゃいでるが、公共ルールを守らせるのに一苦労。それでも大好きなお婆ちゃんの言葉は素直に聞いて、娘の差し出す手を振り払い妻の手を握り歩き始める。時刻は正午、炎天下の坂道である。

 やはり最初に目に飛び込んだのは、七夕の竹飾りより先にかき氷で、これには誰も異を唱えず、汗を拭きながら一瞬の涼を味わう。聞けば昨夜は相模原で夏祭り、スーパーボールすくいなどはやってる。買い物はひとつだけと釘を刺し、露店を覗くのも楽しみかな。

 プリキュア5のビニールヨーヨーを買い与え、広場に差し掛かると太鼓の音がする。実は孫のお気に入り。地元の有志が競ってるのだけど、目の当たりにするとかなりハード。日頃の稽古の賜物なのか、迫力がビンビン伝わって、小一時間ほど動けなくなる。

 再び狭山市駅へ戻り、バスで帰路に就いたわけだが、孫はすっかり興奮して、家に着くと新聞紙でバチを作り、空箱を太鼓に見立て打ち始める。私たちも参加させられ、「そーらん、そーらん、どっこいしょ」と掛け声。孫の笑顔が、私たちへの最高の贈り物。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 5日 (日)

余計なお世話

 漫画家の楳図かずおさんが、新居の外壁を赤と白で塗ろうとしたら、近隣の住民が美観を損ねるとして、裁判所に建築差し止めの仮処分を申し立て。自分の趣味に合わないからと、私有地の個人住宅にまでケチをつけるとは、いったい何様のつもりなのだろうか。

 色やデザインは理屈じゃないから、好きもあれば嫌いもあるのは当たり前。楳図さんの漫画にしても、熱狂的なファンもいるけど、虫酸が走る人もいるだろう。赤と白のストライブがお気に召さないのなら、お祝い事の垂れ幕にもクレームをつけてるのかな。

 個人の意見を主張するのは自由だし、イヤなことはイヤと口に出すのは構わない。だけど根拠のない感情論を振りかざし、権力の手を借りて個人の自由を侵すのは如何なものか。自分が逆の立場で強制的に壁を塗り替えるよう命じられたら、どんな気持ちなのか。

 テレビ画面に登場したのは、私より人生の先輩に見える。ものの道理がわからない年代ではなかろうに、今まで周囲にどれだけ甘やかされてきたのか。ガマンすることを覚えずに、年齢だけが大人になってしまった。イヤなら見なきゃ良い。単にそれだけのこと。

 社会というものは、個人を基盤として形づくられるけど、それは声が大きい人の傍若無人を許すということじゃない。人の塀の色にまで難癖をつけて、それが罷り通ると思い込む無神経、楳図さんがお気の毒。この手の人が増えてるように思うのは気のせいかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 4日 (土)

ばたんきゅー

 久し振りに松井健一先生に誘われ、丸ノ内のoazoで食事。私が編集部長を務めてた頃だから、すでに15年以上の歳月を経てる。独立してから教えられることが多く、何かと面倒を見てもらって、昨年の岡山での講演も松井先生からの紹介。飾らない人である。

 お互いに近況を報告し、仕事の話もちらほら。ご子息も研修講師として活躍とのこと。方針が急変したセミナー会社の幹部が、独立して新しい組織を立ち上げたことも聞き、この世界では大先輩と実感させられる。こうした人との縁に恵まれたことに感謝。

 それから神保帳で、『あなたの意見はなぜ通らないのか』を創ってくれた編集者と会う。この人とも久し振りで、今は歴史のテーマを追い続けてるらしい。早々と『小学生の子どもに教える営業という仕事』を読んでくれて、編集者の視点からの意見を聞く。

 出版という共通項があるから、話は汲めども尽きない。業界事情はもとより、これからの時代のこと、今の人が何を求めてるか、スタイルはどう変わるか、気づくと3時間が過ぎてる。私の企画を考えてくれるように頼み、楽しみをひとつ遺して笑顔で別れる。

 狭山市の駅に着くと、翌日からの七夕の準備、一挙に夏が訪れたよう。心躍る一日だったので、疲れてなんかないと思ったが、シャワーを浴びて夕食を済ませると、急激な睡魔に襲われた。時計の針はようやく10時を回った頃、それでも抗うことはできなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 3日 (金)

とうもろこし

 生まれた家には小さな畑があって、夏には玉蜀黍が実ってた。いつの間にか両親は手放したようで、幼い頃の思い出は一つひとつ消えていく。どのような理由なのか、私が稼いだものじゃないから、一度も尋ねたことはないが、薄々は気づいていて当たり前。

 大学まで卒業させてもらったのだから、それ以上は親に甘えられないと考えてたけど、自分が親になってみると、いつまで経ってもわが子は可愛い。頼られると無理しても、手を差し延べたくなる。だからといって老いた親に、今さら何もねだれないけどね。

 昼に素麺を食べた後に、茹で上がった玉蜀黍。素麺の薬味は茗荷に生姜、長葱、さらに妻が育てた朝摘みの胡瓜。一つひとつをゆっくりと味わう。それぞれの命が、私の中で再び生きてくる。有り難いことだな、たくさんの人が私を活かしてくれている。

 こうした感覚は、若いときにはわからなかった。お金を払えば何でも食べられるし、手に入れたら自分のもの、平然と口にして疑おうともしなかった。肉でも野菜でも、工場で自動的に生産されてるかのように、感謝することがなかったのは若気の至りかな。

 目に見えない人や知らなかった人が、どこかで自分と繋がってるのを、リアルに受けとめられるようになってから、それほど歳月を重ねてないのは事実。そうした意味では、ようやく大人になりかけてる。自分の力を過信しないのも、つい最近のことみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 2日 (木)

梅雨が明けて

 やはり夏の陽射し、風が吹かないと、じっとしてるだけで汗が滲む。今まで涼しく過ごさせてもらったのだから、これからしばらくは暑さに堪えなきゃ。春夏秋冬の巡る有り難さを、皮膚で受けとめよう。それにしても、突然の夏の訪れのような気がする。

 さまざまな原因があるのだろうが、自然災害や天候不順、穏やかに暮らす環境が整わない。柏崎の地震の傷も癒えないのに、また台風が九州か四国を襲うかもしれない。九州は長雨と台風で、かなり打撃を受けてるようなので心配。勢いが削がれますように。

 営業マンだった頃に、沖縄県糸満市から北海道釧路市まで、全国の県庁所在地すべてを含め、くまなく歩いてきたからなのか、日本中どこで何が起きても、ついつい身を乗り出してしまう。テレビ映像に流れる風景は、一度は目にした懐かしい街が多い。

 昨年はご縁があって、全国の農業関係者と懇談し、地産地消を中心に考えさせられた。すぐに行動を起こせないけど、日本という土地に生まれ育って、これからも暮らす一人として、真剣に向き合わなきゃいけないよね。炎天下の田畑で、厳しい農作業が続く。

 私としては、公私ともに踏ん張りどころと心得て、この夏は苦しくても乗り切るつもり。暑いとか、疲れたとか、よけいな言葉はなるべく慎み、地味にコツコツと力を蓄えよう。熱波に襲われても出掛けて、人の話に耳を傾けよう。それが明日の私の土台を築く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月30日 (月)

脳内メーカー

 昼間のテレビを眺めてたら、脳内メーカーというサイトが人気。
http://maker.usoko.net/nounai/
 さっそく試したら、脳の3割程度のスペースに、悩と道のオンパレードで、間に1行だけ欲の文字。テレビで紹介してたのは、脳内のスペースをすべて産めてたから、私の場合は未熟ということなのかな。

 自分では、もっと欲張りと思ってるが、意外に少ないのは、向上心を高めなさいとの示唆か。そんな風に受けとめるのが、悩みを増殖させるのか。道が溢れ出してるのは堅苦しいのか。説明がまったくないので、解釈は自由だが、月間3千万アクセスという。

 それだけ自分のことは、わかってるようでわからないし、少しでも正しいところを知りたい。サイトの管理人も賢くて、遊びと断るだけじゃなく、よけいな言葉を慎んでる。アクセスした人は「ふーん、そうなのか」と、物足りなさを覚えても、それでオシマイ。

 メインページは別にあるから、導入の役割は果たしてる。人を集めるには、やはり創意工夫が必要。中身が濃くても、通り過ぎては意味がない。私のホームページも、アクセスを増やすために、もっと頭を捻らなきゃ。それとも捻りすぎて、わかりにくいのかな。

 本当のことを言うと、雑誌の原稿を書いてる途中の気晴らし。ひと休みしてるときに思い出し、ちょっと覗いてみたしだい。やらなきゃいけないことは山盛りだが、そこにばかり集中しすぎると、頭の柔らかさを失っちゃう。遊びすぎると本末転倒なんだけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月28日 (土)

言葉に酔ったら

 私はお酒を飲めないし、飲めばすぐ眠くなるので、酩酊状態に陥らないと思ってた。でも、お酒を飲んで酔うのは、誰の目にもわかりやすいし、事前にブレーキを利かせられる。私の場合はお酒じゃなくて、言葉に酔っちゃうみたい。これは、根深く始末が悪い。

 とりわけ酔いやすいのは故事成句、本が好きなこともあるけど、故事成句を遣うと文章をまとめやすく、奥深い意味を包括できる気になる。業界用語や専門用語と同じで、共通の理解を前提とすれば効果的だけど、わからない人には何を言いたいのやら。

 文字遣いでも微妙なニュアンス、送りにもこだわってしまう。それぞれ講釈はあるけど、読む人は気にも留めない。出版社に勤めてた頃は、文字の統一やら詠みやすさやら、重箱の隅を突くような作業。校正ミスがあってもなくても、売れる本は売れるのに。

 編集者とやり合うときも、自説を主張してきたけど、どうでも良いことなら先方は譲る。大事なのは魂が伝わるか、大意を理解されるか。わかっていても、ついつい心地よさを優先。辞書が必ずしも正しいとは限らないから、自分のルールで言葉を積み重ねる。

 最近になってようやく、こうした傾向も薄らいできた。いろいろな人と交わるプロセスで、捻った言い回しが個性でないと、今さらながら気づいたしだい。言葉に酔ってると自覚したら、できるだけ人と会うのが良い。自分の思いが伝わってるか検証できる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月27日 (金)

充実してますよ

 本の売れ行きも気になるが、それを切っ掛けとして、新しい出会いがあったり、旧交を温められたり、新刊の話題から違う一面を発見したり、ここのところ刺激されることが多い。やはり無駄になっても、一歩踏み込む勇気、それが一番大切と実感。

 人と会うのも同じで、後で悔やむくらいなら、歯に衣を着せないのが私流。本当のことを口にすると、勝負がつくのも速いけど、すぐに親密になることも多い。全方面外交など柄じゃないから、この辺りはこれから先も変わらないんだろうな。

 来る人拒まず、去る人追わず。未練がないとは言わないけど、相手の気持ちが冷めたら空回り。しばらく疎遠になった人でも、必要ならば間違いなく再び巡り会う。何事にもタイミングがあるから、自分の気持ちだけで動かないようにしてる。

 そうは言っても根がワガママだから、自分が思ってないことは口に出せず、不本意ながら従うこともない。いつも一所懸命なのは、真面目だからじゃなく、本気で打ち込めないものはスルー。筋を通して道理をわきまえ、それも自分が気持ち良く生きられるから。

 それでも仕事が舞い込んだり、会いたい人が現れたり、運には恵まれているのかな。忙しければ、人から求められてると喜び、閑なら、新しいことを知るチャンスと楽しむ。極楽蜻蛉みたいなところもあって、人生の可能性は未だ大きく潜んでると信じてる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月26日 (木)

それほどでも

 南武線の谷保駅で待ち合わせ、狭山市から東村山を経て国分寺、中央線に乗り換え立川、そこから南武線になるから、遠いと覚悟してたけど、それほどでもなく楽勝。新宿まで出るより、はるかに時間も掛からず、料金も安い。車で行っても良かったかも。

 余裕があったので谷保天満宮へ。延喜三年に道真の三男が祀ったというから、流石に東日本最古の貫禄がある。蜀山人の詠んだ狂歌から、野暮天の語源という説もあって、一度は参拝したかったのだが、忘れられたように訪れる人も少なく、期待したほどでは。

 空が晴れると夏の陽射し、スーツを着てると汗ばんで、厳しい一日になると思ったが、午後四時を過ぎると風も涼やか、のんびりと電車に揺られると、酷暑というほどでもないと、少しばかり安心した。そうは言っても夏本番は、これから先の話。

 紹介してくれる人が居て、ある会社の経営者と会ったのだが、ここでは充実した時間を共有できた。私が話してる間も、真っ直ぐにこちらを見つめる人。本気でない人は疲れるけど、逆の場合はしだいに熱くなる。それほどでもない一日を瞬時で輝かせてくれた。

 これからどのような関わりになるか、提案してくれるとのことだけど、幅広い人脈の中から私を選んで、引き合わせてくれた人に心から感謝。捨てる神も在れば、拾う神も在るのが世の常。捨てる神は気にしないで、私を拾ってくれる神を大切にしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月25日 (水)

あけぼの公園

 娘と孫が狭山へ。本当は夏休みに入って、すぐに来たかったらしいが、孫が熱を出して数日遅れた。明後日には帰り、次は8月の初め。幼稚園があるので、何かと忙しいとのこと。こちらとしては、会う日々が娘と孫にとって、心安らかならそれが一番。

 私が翌日に外出することもあり、昼飯を食べてから飯能のあけぼの公園へ。締め日の前、夏休み、そして快晴、道が混んでるのは仕方ないやね。ムーミンのきのこの家も、子どもたちで溢れてた。直射日光を浴びずに、ドタバタ騒げるのだから、無理もないか。

 孫と追い駆けっこ、最近はアニメの影響で、キュアレモネードを気取ってる。もちろん私は悪人で、孫のビームに倒される。呆気なくやられるとご不満で、いささか抵抗した後で、必殺技で退散するストーリー。何度でも繰り返すと、腰と脹ら脛に堪えてくる。

 飽きてくると、私と妻が子どもになり、自分はちゃっかりお母さん。駄々をこねるように命じられ、その通りにすると叱られるのだが、それからやさしく頭を撫でる。甲斐甲斐しく世話したり、食事を振る舞ったり、育ってると思うのは爺バカなんだろうけど。

 娘も甘やかし、孫も抱きしめて、爺と婆は駆け込み寺だから、少しだけ元気になってくれたら嬉しい。夕食は遅くなったけど、ストレスは発散されたのか、絵本を読み聞かせてる間も穏やか。ぐっすりとお休みなさい。爺と婆は覚悟して受けとめるから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月24日 (火)

朝に道を聞きては

 孔子が夕暮れまでの時間を欲したのは、真実を書き遺すか、口頭で弟子に伝えるか、どちらにしても自分で抱え込んだまま死にたくはなかった。真実というものがあるかどうか、孔子は求めて流離い続けたのだから、そう簡単に手に入れられないとわかってた。

 それでも道を極めようとしてれば、突然にすべての疑問が解けることがある。鬼神に頼らない孔子だから、それは天から降ってくるものでなく、誰かに授けられるものでなく、自分自身の足跡の先に光明のように注がれると、きちんと知ってたに違いない。

 そうは言っても孔子と違って凡俗だから、義には暗くて利益に明るい。目に見える結果を確かめられないと、次の一歩を躊躇ってしまう。本当はひたすら突き進んで、評価は他人に委ねれば良い。孔子は、慎ましく暮らして、失敗する人は少ないとも言ってる。

 久し振りに『論語』を捲ったが、やはり孔子は凄いやね。だけど金持ちになれないのも確か、孔子より頭が下がるのは、子路をはじめとする弟子たち。豊かに暮らせないとわかりながら、それでも生涯を捧げて師事。これだけの覚悟を、私は持てるだろうか。

 もっと謙虚にならなきゃ、一日に三度も反省できないけど、ときどきは自分自身を問い直し、人のために尽くしたかを考えよう。生まれたら死ぬのは、今も昔もまったく同じ。大事なのはその間に、どれだけ贅沢したかより、柩の蓋を閉じるとき満足できるか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月23日 (月)

フレームなんだって

 ホームページの構造が基本的に怪しいと、詳しい人から指摘されたけど、どこがどう間違ってるかわからない。インターネットで調べると、ホームのソースと違うものが現れる。それが長いこと放置してたインデックスのファイルとわかるまで一昼夜。

 どこをどうして良いものか、ホームのファイルをコピーして、インデックスに貼り付けたうえで、今までホームへリンクさせてたところを、すべてインデックスへのリンクに修正。それでまた半日、これで終わったわけじゃない。指摘されたミスは500以上。

 私がホームページを立ち上げた2000年頃は、フレームが流行ってたということもあるが、そもそも頼んだ友人の会社が、それほど詳しくなかったようだ。デザイナー出身の若い人が、参考書を片手に作成し、私の注文もウェブでの見た目だけ。素人仕事だね。

 それからコピペで凌いできたわけだが、確認するのも自分のディスプレイだから、OSやアプリケーションが違ったときに、どう現れるのかなんて知ったこっちゃない。だけど、それじゃ手慰み。情報を発信するには片翼飛行、わかったからには改善しなきゃ。

 そうは言っても、わかることをやるだけでも大変。基本ページだけでも見直して、それから後の作業はゆっくりと。検索ロボットが拾ってくれなきゃ、住所録に載ってないのと同じ。難儀なことだが仕方ない。素人は素人なりに、できる限り精一杯に。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月22日 (日)

熱い思い

 今回の営業マンフォーラムは、研修会社の人が3人も参加、その道の専門家も多く、若い人は少なかったので、いささか平均年齢もアップ。いつものように話してたつもりだが、もしかしたら試験を受けてるようで、少し緊張してたかも。それでも語ったけど。

 終わった後に4人で喫茶店へ、雑談に花を咲かせたけど、参院選が近いこともあってか、どんな世の中にしたいのか。個人の力なんて頼りない気もするが、百年単位で考えてみると、一人ひとりのものの見方考え方も、世の中の常識も随分と変わってる。

 正直に言って間尺に合わないことも多いけど、それじゃ戦前の日本へ戻りたいのか、江戸時代にタイムスリップしたいのか。一部の恵まれた人はいざ知らず、ほとんどの人たちは今のほうが幸せ。それはどうなりたいかを望んで、口に出し、動いてきたから。

 自分がやってることで、人にどのような影響を及ぼしたいのか、人とどう繋がっていきたいのか。それを本気で考え、形にしようとすれば、自分の代では成し遂げられなくとも、引き継いでくれる人が必ず現れる。明日は今日より良い日にしたいと皆が考える。

 いつでもそうなんだけど、私はついつい熱く語ってしまう。暑苦しいかもしれないし、ウザイかもしれないけど、こんなバカがいなけりゃ、世の中おもしろくないよ。私の理想は、自分の頭で考え、自分の心で動く人を、ひとりでも増やすこと。できるかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月20日 (金)

なにか嬉しい

 久し振りの新刊ということもあるけど、ありそうでなかった企画なので、随分とたくさんの人にメールで案内。ホームページからもPDFで内容見本をご覧頂けるようにした。すると素早い反応、積極的に関わってくださる人もいて、これは企画した編集者に感謝。

 随分と会ってない人や、忙しく活躍してる人や、告知するだけでもと思って伝えたのに、それぞれが心のこもった返信。読んでくださるという人も多く、さっそくブログで紹介してくれる人も。連載中の『郵政研究』編集長から、来月号の書評に掲載と。

 メールを出したり、返信に返信したり、いつの間にか一日が過ぎちゃったけど、支えられてることを実感。良い仕事をすると、見ていてくれてるんだな。まだ配本してないのに、書いたことにすっかり満足。本当はこれからスタートなのにね。

 でも、ミクシィも含めて、人と言葉を交わすのは心が弾むよね。きちんと応えなきゃならないところもあって、返信するのに時間が掛かるけど、ちっとも気にならないのが不思議。基本的に人が好きで、笑顔に囲まれると幸せ。そんな気持ちで一日を過ごせた。

 そうは言っても期待のエール、これからどう動くのか、皆から見られてる。小学生でも読める本を書いたのだから、歳は重ねたけど小学生に戻ったつもりで、全身全霊を傾け打ち込もう。活かされてるんだな。皆のお陰だな。しみじみと思ってる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年7月19日 (木)

さぼっちゃった

 朝からやることはあったんだけど、妻に誘われ近くの日帰り温泉へ。ついでに床屋を済ませようとおもったら、そこが意外に混んでいて、1時間も待たされた。でも、要領良いし、若いけど髪のことをよく知ってる。そうすると、任せる気になるから不思議。

 曇り空の温泉は快適、露天でも暑くないし、これで風が吹いたら最高だけど、欲を掻いたら罰が当たる。手足を伸ばして大の字で、湯に浸かるのは久し振り。普通のサウナにスチームサウナ、喉がカラカラに乾くのも懐かしい。しばらくのんびりしてなかったな。

 遅いお昼を食べたら、さて仕事のはずだったけど、案の定お昼寝に。目覚めたら夕方、電話を一本掛けたけど、あいにく相手はお留守番。自分はのんべんだらりで、厚かましいやね。心を入れ替えて作業を始める。ホームページで新刊を紹介しなくちゃ。

 せっかく本が出るのだから、メールでご案内も必要。土曜日は営業マンフォーラム、話すシナリオも書かないと。諸々と片付けるこもあって、本当は忙しいのに、それでも誘惑に負けちゃった。お陰さまで、頭の芯から重いものが溶けて流れていった。

 人と会う予定は、万難排して約束を守るけど、自分で仕切れることだから、たまには良いやね。何か始めると夢中になっちゃうし、中途半端に妥協したくないから、ついつい自分を追い詰めてしまいがち。ちょっと緩めるには、絶妙のタイミングだったかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月17日 (火)

もうちょっと

 ホームページを手直し、思ってたより時間が掛かり、リニューアルできるのは明日かな。自分がアクセスするとしたら、そんな風に考えて、ついついあちらもこちらも。何をやるにしてもそうなんだけど、意外に大変なことって多いみたいで。

 正直に言ってしまうと、わかる人にわかれば良いと思ってた。でも、それならホームページなんか開かないこと。仕上がりは別として、わかってもらいたい気持ちがなきゃ、訪問してくれる人にも失礼だよね。本当のことを言うと、この手の分野は苦手意識がある。

 同年代の中では好奇心旺盛だけど、専門家ってわけじゃないし、少し突っ込まれると立ち往生。中途半端にできるから、忙しいと理由をつけて勉強も疎かに。謙虚な気持ちでトライ&エラー、その意欲が薄れたら危険信号。誰も叱ってくれない歳なんだから。

 生涯現役を通すつもりなら、立ち止まってはいられない。やれることはやり切って、積極的にアウトプット。レスポンスを確かめながら、半歩だけでも前へ進む。精一杯にやったのか、怠けてしまったか、誰に言われなくとも自分が一番わかってる。

 一所懸命にやるのは好きだけど、ケチをつけられると青菜に塩。とりわけセンスについては、あまり自信がないから、批判されると右に揺れ左に揺れ。でも、気にしないんだ。良いと言ってくれる人がいれば、その人のために頑張っちゃう。味方を大事にしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月16日 (月)

こだわる

 元々は執着心を表してるから、宗教人や知識人はあまり肯定的に用いない。とりわけ仏教の世界では、こだわりを捨てることが悟りへの一歩。家族への愛情も煩悩になるけど、そこで目指すものはこだわりじゃないのか。思想や宗教にはまり込めない理由かな。

 こだわらないほうが、確かに受け口は広くなる。新しいものも吸収しやすい。心が捕らわれず自由になるから、いつでもどこへでも飛び立てる。時代の流れの先端を掴むには、頑固一徹はむしろ邪魔になるかも。ニュートラルの状態なら、スピーディに対応できる。

 だけど不安なんだよね、こだわらなきゃ、どこへ流されるのか。引っ掛かるところがなきゃ、自分が居る場所もわからない。築き上げたものを捨て去るほど、これから強く生きられる自信など持てない。それがたいしたものでなくとも、こだわらざるを得ない。

 強くこだわるほど深入りするから、その道を極める確率は高くなるけど、その反面で視野が狭くなるのも事実。確信を抱きながら疑えるか否か、その辺りが鍵になりそうな気がする。まったくこだわらない人は付き合いやすいけど、魅力が伝わってこないのも実感。

 こだわりを持ちながら、耳を傾けられるか。批判や異論を真摯に受けとめられるか。知性を問われるのだろうな。一所懸命にやってきたことほど、こだわってしまうけど、それを一度は放り出して、客観的に捉え直すのも修行だね。道はまだまだ遠いみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月15日 (日)

戦略って

 勝つための最短ルートを設定、本当は具体的なてーまだけど、どうしても抽象的になりがち。ひとつには勝つというイメージが、人それぞれに異なるから。ひとつには置かれた環境が違うから。当たり前の話だけど、資質も能力も同じわけがない。

 できるだけ客観的な視点から、今の力と立場を公正に評価して、一番効率的なルートを提示しても、そのやり方はイヤと言われたらそれまで。そこで抜け落ちてるのは価値観。東京から北海道へ行くにも、飛行機にするか列車にするか、それとも車を運転するか。

 さらに難しくするのはスピード。価値観に基づいて決めたいけれど、それじゃ間に合わないケースもある。どうしてもこだわるならば、目的地の変更も視野に入れなきゃ。ガソリン代なら払えるけれど、飛行機代まで賄えない事情もあったりして。

 素晴らしい戦略と歩き始めたものの、途中で足腰が付いていかないと、絵に描いた餅で終わっちゃうからご用心。先の話だから、できると思い込みたくなるし、幸運が舞い込むと期待もしちゃう。でもね、先の話だからこそ、等身大の自分から始めなきゃ。

 そうは言っても等身大の自分って、これはこれでなかなか判断できない。戦略を練るからには、向上心に燃えてるだろうから、努力すれば何とかなると考えたい。青天井の理想像を掲げ、徒手空拳で歩き出そうとする人もいる。諸々と厄介なもんだね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月13日 (金)

四十九日

 お寺での法要を終え、仏壇に位牌が収まり、兎にも角にもひとつの節目。読経を読む声は、どうしてあんなに心に響くのか。数珠を握りしめながら、短い人生が脳裏を駆け巡る。私も半ば幻の想いだから、娘たちの家族にとって和義は未だ生きてる。

 儀式は午前中に済んだが、娘たちと一緒に相模原のジャスコへ。雨が降っていて、孫を外で遊ばせられないこともあったが、ここは和義と最期に遊んだ場所。あの日と同じように、お昼はバーミヤンにする。今日はパパがいるけど、和義がいない。

 歩き始めたばかりの和義は、皆が食べ終わるまで待てない。そこで私が連れ出し、手を繋ぎながらお散歩。ヨチヨチ歩きのくせに、私の手を振り払いたがる。いつでも抱え込む距離で自由にさせ、不安定になると私に身体を預ける。疲れたら抱っこをねだる。

 それぞれが胸に秘めながら、穏やかに食事を進めて、孫はパパと婆ちゃんと一緒が楽しくて、いつもより食欲旺盛。私たちは目を細める。孫が遊び疲れて納得しないと、近頃は還らないようにしてるので、狭山へ着いたのは午後8時、妻は心身共に疲れ果て。

 軽く夕食を済ませ、シャワーを浴び、ひと息ついてると孫から電話。「おやすみなさい」を告げる頃、妻の足は動けないほど。しばらくさすって、身体より気持ちにお疲れさま。もうすぐ夏休み、婆ちゃんの出番は増えそうだけど、よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月12日 (木)

コンセンサス

 人と人がものごとを進めるには、お互いの合意を得るのが必要不可欠。それぞれが納得して、初めて次の段階へ。だけどパワーバランスもあれば、説得力の強い弱いもあるから、合意の内容は客観的に公平とは限らない。それでも決めたら約束、守らないと。

 極端な話はニューヨークのマンハッタン、オランダ人が僅かの品物と引き替えに、ネィティブアメリカンから譲り受けた。契約書に署名捺印すれば、合意の形成が証明される。この手の話は、あちらこちらに転がってる。それでも略奪するより紳士的なのかな。

 お互いに合意したからって、うまくいくとは限らない。平気で約束を破る人にとって、契約書なんて紙切れ同然。お金がないと開き直り、恥じない人たちもいる。相手の義務の履行を迫り、自分は何もしない人もいる。人を見る眼を養わないからいけないのか。

 だからといって合意の形成を、軽く扱うわけにいかない。言葉の重さをわきまえなきゃ、私の仕事など存在しない。どれだけ心の底から納得したのか、次へ進む現実的な裏付けはあるのか、崩れてしまうのは自分にも責任があり、少なくとも力不足は否めない。

 合意を形成するのは大事だけど、それですべてを満たさないと、検証を繰り返すよう求められる。お互いを取り巻く環境も、しだいに変わっていくのだから、確かめないと反故が増えていく。完璧に勝とうとするから、相手が窮屈になることも知らなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月10日 (火)

基本スキル

 近頃の人は頭が良いから、難しいことをよく知ってるけど、当たり前のことが意外とできない。偏差値教育の影響なのか、アクロバティックな印象さえ受ける。私たちの仕事も同じで、当たり前のことを説いても人が集まらず、常に新しさを追い求めてしまう。

 その結果、蔓延ったのは無数の我流。ベースが一定ならそれも魅力だけど、それぞれの根拠が怪しかったりする。どんなに料理が美味しくとも、挨拶もできないレストランじゃ、通う気になれないのは私だけなのか。口の利き方ひとつで神経を逆撫でされる。

 何が当たり前なのか、わかりにくいのも事実。でも、不祥事を引き起こされると、どこで腹を立てるか、皆の感覚はそれほど遠くない。そりゃそうだよね、百年も二百年も経ってるわけじゃなし、きちんとした道筋は、昔も今もほとんど同じってこと。

 イチローの振り子打法は当たり前じゃないけど、高校を卒業するまで基本を身につけたから、理に適ったスタイルで説明できる。ピカソの抽象画にしたって、修業時代のデッサン力に支えられてる。退屈な反復を繰り返さないと、オリジナルの花は開かない。

 わかってるとバカにしないで、基本を再び問い直そう。当たり前のことができなきゃ、噛み砕いて教えられない。土台に手を抜いたら、高層建築ほど危なっかしい。地に足が着いてるのか、そうでないのか、これからの時代に信頼されるための必要充分条件。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 9日 (月)

持ち味って

 人や組織にはそれぞれに持ち味があって、それを最大限に活かすのが成功の鉄則。そこまでは皆がわかってるけど、肝心要の自分の持ち味については、わかってるようで実はわかってない。自分から見た自分の像と、人から見た自分の像も、微妙に違うのが普通。

 何が得意か問われても、歯切れ良く答えられない。学校の勉強にしたって、好きな学科と得意な学科は違うし、どれもこれも団栗の背比べという人も多い。テストの成績が高くとも、それでヒトを教えられるかといえば別問題。まして人生はさらに複雑だし。

 何をやってるときが一番夢中になれて、他の人よりうまくできるのか。その辺りが自分の持ち味を探るヒント。漫画を読むのが大好きなら、どうしてそんなにおもしろいのか、どこに心を震わせられるのか、そこを掘り起こしていくと、いつの間にか浮かび上がる。

 漫画が好きだからって、すべてのジャンルに惹かれるわけじゃない。テーマによって、ストーリーによって、志向は切り分けられるから、高ぶる気持ちの源泉をたどれば、自分がどうしたいのか明らかになる。それを実現可能なところへスライドさせる。

 大切なのはシンプル・シンキング、あまり複雑に理屈をこねず、素直な気持ちで自然に考える。肉付けしていき無理を感じたら、それは本当の持ち味じゃない。周囲の意見に耳を傾けながら、最後は自分の腹に落ちるか落ちないか、何度でもやってみる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月 8日 (日)

織姫と彦星

 空模様は怪しかったが、それ以上に娘と孫が気懸かりで、相模原へ出掛ける。幼稚園に入ったばかりで、突然に弟を奪われた孫は、現実の重さを受けとめきれず、表す言葉さえ見つけられず、それでも健気に明るく振る舞ってるが、やはりいささか情緒不安定。

 孫を抱きしめるように育てる娘も、わが子を失ったショックから癒えたわけじゃない。何も言わずとも私たちには、娘の弱さも手に取るようにわかるから、一番頼りにしてる妻が寄り添うことで、少しでも穏やかな時間を過ごさせたい。何もできないのだけど。

 あの日までは、相模原へ行っても、夕食までには狭山へ戻ったけど、孫が起きる時刻に到着し、孫が眠る時刻に狭山へ向かう。正直に言って身体には堪えるけど、慕われてるうちが華だから、さり気ない時間を娘と孫と。人から見たらどこにでもある風景。

 帰りの夜空は曇っていて、織姫と彦星どころか天の川さえわからない。きっとどこかで逢瀬、公園で遊んでたときに、「和くんがいたらもっと楽しいのに」と、呟いた孫の言葉が胸を刺す。愛と和義は、もう二度と会えない。大人の言葉で飾っても伝わらない。

 近頃は安っぽいドラマにも、涙もろくなってる。忘れる気はないけど、娘と孫が生きてくれてることに感謝。娘の家族が幸せに近づくことが、和義の冥福と考えるようにしてる。運転手でも荷物持ちでも、私にできることなら尽くしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 6日 (金)

わかりやすさ

 自分のホームページを全面的に改めてから、すでに1年以上経ってるけれど、最近見直して気づいたのは、よくわからないページということ。本を書いてる人とわかるけど、だからって何を言いたいのか。途中で息切れしたのも事実だが、それにしても……。

 さて困った。どこから手を付ければ良いのやら。間口ばかり広くて、何が強いかわからないし、訪問した人に何を期待するのか、どんな期待に応えられるか、その辺りもわかったようでわからないようで、掘り下げと絞り込みが足りないのは明らか。

 言いたくはないけど、私の基本姿勢に関わるのかも。野次馬根性丸出しで、何にでも首を突っ込みたがり、それにしては底が浅すぎる。もっと裃を脱ぎ捨て裸になって、率直に伝えなきゃ伝わらないよね。一方通行のコミュニケーションじゃダメなんだ。

 そういうことで、全面改定を試みる。だからといって時間はないし、知恵もいささか不足気味。それでもチャレンジ、どうなることやらわからない。少し時間が経ったら、また壊したくなるかも。わかりやすさが大切と説いてるのだから、わかりやすくなきゃ。

 コンテンツを入れたり出したり、書き改めたのを捨てたり、途中で仕事もやらなきゃ。出版プロデュースを加えようかな、講演という項目は要らないかな。納得できるまでしばらく、頭の中の整理も求められる。お知恵がある人は、お貸しくださいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 5日 (木)

原爆はテロ

 久間防衛大臣が長崎への原爆投下を、ソ連軍の進入を防ぎ戦争を終結させるために、やむを得ない判断と発言したことで、長崎や広島を筆頭に全国民の怒りを招いた。7月末に参院選を控えてることから、辞任で幕を引こうとしてるが、それで済む問題じゃない。

 アルカイダなどのテロ組織が糾弾されるのは、戦闘地域を限定せず一般市民を巻き込むから。たとえ戦争といえども、昔からルールは決められていて、戦闘員および軍事施設への攻撃だけが許されている。無差別の虐殺は、どんな理由を挙げても認められない。

 ナチスのアウシュビッツが非難されるのも、国家権力による民族の根絶が狙いだから。当時の広島では34万人のうち14万人が年内に死亡、長崎では24万人のうち7万人が年内に死亡、老若男女を問わずに殺されてる。目的のために手段は浄化されない。

 大国を中心に核武装を進めながら、日本の被爆以来62年間、ただの一度も原爆が投下されてないのは、それがどれほど悲惨な結果を招くか、国際的に知れ渡ったから。人は間違えるし、歴史としても刻まれる。それを忘れずに、過ちを繰り返さないのが人智。

 国家間の利害や思想の違いはあっても、共存できるのは同じ人類としての認知。皮膚の色が白くても黒くても黄色くても、切れば赤い血が流れ出す。そうした一人ひとりの命を尊重することで、政治を成り立たせてもらわなきゃ、私たちは安心して暮らせない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 4日 (水)

パラドックス

 組織や個人がどんなポジションに置かれてるか、現状を認識することで次の一歩を踏み出せる。満足できる状態なら、自然に足が前へ進むけど、思惑と違ってれば立ち止まる。今までと同じ繰り返しでは、先行きを見込めないのだから、当たり前だよね。

 やおら周囲を見渡して、うまくいってる成功事例を参照。学ぶ姿勢は必要不可欠、良いところはどんどん採り入れ、強く鍛え上げるのは勝利の方程式。時流を見極め適応しなきゃ、組織や個人の特長を伝えられない。自分の殻の中に引き籠もっていられない。

 足りないところを補うのは良いけど、ここで間違いやすいのは、自分の特長を見失うこと。とりわけ日本人は、明治時代から欧米へのキャッチアップに慣れてるから、新しい手法を提示されて革新を説かれると、チャンス到来とばかりに乗り換えかねない。

 もしかしたら日本人の気質かな。共産党からの転向や全共闘の自己総括など、今までの履歴を全否定。心機一転で巻き返すのが、成功確率が高まると思ってる節がある。やり直すのは良いけど、過去は背負わざるを得ない。良いも悪いも含めて自分なのだから。

 だからといって自分の持ち味にこだわりすぎると、頑迷に陥って二進も三進もいかなくなる。バランス感覚を問われるのは、この辺りかな。自分の足が宙に浮いてないのか、苦しさを乗り越えた後に展望は開けるのか、想像力を働かせなきゃいけないね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 3日 (火)

mixiで90,000アクセス

 もちろん延べ人数だが、 mixiの足跡が9万人へ到達。たくさんの人が訪問してくださるのは、やはり嬉しい気持ちで一杯。参加してから2年経つが、良いことも悪いことも諸々とあった。リアルとバーチャルの狭間で疑心暗鬼へ陥ったことも。兎にも角にも、皆さん、ありがとう。

 90,000番は、いなちゃんさん。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=776065

 89,999番は、ちゃりーさん。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=5632475

 90,001番は、ゆうきゃんさん。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=273142

 ここのところ、自分の考えをまとめようと、断片的な思索を投げかけてるが、今月の下旬には久し振りの新刊、電子出版も20点を超えて、さまざまな新しいことが始まるような予感。そのために準備したい気持ちが強まる。人と人の繋がりも、積極的に深めていきたいな。

 そのうえでチャレンジ、自分自身を革新。古い酒を新しい皮袋で甦らせて、気力も体力も充実させて、存在感を示したい意欲が高まる。mixiも3年目に突入したから、ポジショニングを捉え直しても良いかな。お互いにお互いを活かせたら素晴らしいな

 簡単に言っちゃえば、若返ろうとしてる。隠居するには早過ぎるから、ジタバタと騒ぎまくりたい。高齢化社会なんだから、まだまだ洟垂れ小僧だよね。人を育てること、教えることに、もっともっと本気になろう。ビジネスに対しても、欲張らなきゃいけないと気づきつつ。

 私の誕生日を迎える10月頃には、10万人の訪問者があるかも。それまでに何らかの形を提示できるよう、この夏は踏ん張ってみるつもり。ご意見、ご批判、ご感想、ご提案、受け入れたいと思うので、さまざまな立場からアプローチしてくださいな。心からお待ちしてます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 2日 (月)

仕事の設計図

 働かなきゃ食べていけないから、ほとんどの人は何らかの仕事に就くけれど、たいていの場合はすでに枠組みが決まってる。組織に関わるならもちろんだが、独立するにしても業界の掟やら、与えられた環境やら、無地のキャンパスに絵を描けるわけじゃない。

 そこで必要とされるのは、個人の思惑や意識を、既存の価値観とすり合わせること。それはそうなんだけど、根っこのところまで問い直さない。現象を是認して、利益に直結するスタイルを踏襲。それじゃ前を走ってる人に、いつまで経っても追いつけない。

 大事なのは取り組む仕事の本質。どうしてその仕事が成り立つのか、何を世間から求められているのか、自分はどうしたいのか。最初はわからないから、見様見真似で仕方ないけど、一定の修行期間を経たら、自分自身の足場を確かめないとダメだよね。

 やらなきゃならないのは、既に在る設計図の検証。理念と現実のズレはどこで生まれたのか、その時代の必然は今でも通用するか。自分のものの見方考え方と、どこでどれだけの距離があるか。そこが見えてくると、仕事の設計図をカスタマイズできる。

 そうなると闘うために何が足りないのか、何を準備すれば武器になるのか、具体的な行動指針が明らかになる。きちんと身につけたら一歩を踏み出し、通用するかどうか投げ入れてみる。そのうえで微調整、さらに試行錯誤。それからやっと機能する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 1日 (日)

生煮えのまま

 会期延長した国会で、改正国家公務員法、社会保険庁改革法、年金特例法を強行採決。参院選の投票日を1週間ずらして、多額の税金を費やすのだから、5日間も余すくらいなら、きちんと審議してほしかった。素人の私が見ても抜け穴だらけの法案で成立。

 壊滅状態の自民党を救ったのは、「自民党をぶっ壊す」と発言した小泉前総理。改革を旗頭に掲げ、郵政民営化で民意を問い、圧倒的多数の支持を得て誕生したのが安倍内閣。しかし政治の流れは、明らかに数の横暴。小泉氏が批判した旧態依然の自民党の体質。

 官僚に対しても、国会議員に対しても、既得権を擁護する甘い内容。松岡大臣を自殺へまで追い詰めた反省は、ほとんど窺えないと感じるのは私だけなのか。社会保険庁を民営化することで、年金は保証されるのか。責任を先送りして、国民へ押しつけないか。

 今の政党政治では、選挙をやればどこかが多数派になる。しかし少数党派の国会議員も、国民から選ばれた代表者。安倍内閣の論理に従えば、その人たちを選んだ国民の意見は切り捨てられる。自民党に投票した人だって、専制を許した覚えはないだろう。

 私利私欲に走らず、頑迷に陥らず、虚心坦懐に国政に臨む。それは、ないものねだりなのか。一人ひとりの国会議員は、地元に帰れば信望も厚く、立派な人材に違いない。初心に戻って、国民に尽くすのが、国会議員の役割と思い直してほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月30日 (土)

職業倫理って

 酷いもんだ。山口県光市での母子殺害事件、最高裁から差し戻され、広島高裁で争われてるが、弁護団の荒唐無稽な茶番劇。七年間の審議を経て、本人自筆の書簡や証人など、明らかに積み重ねてきた事実を全否定。被告人の心の中まで捏造しようと企てる。

 何が狙いなのか。メディアに露出することで、ビジネスチャンスを広げたいのか。死刑廃止のキャンペーンなら逆効果、死者を侮辱して、遺族の心を逆撫でして、お伽話の世界を装っても、天網恢々疎にして漏らさず、真実は被告人の心から消えない。

 何が何でも彼を死刑台へ送りたいわけではないが、延命のためなら形振り構わず、幼い無垢な魂を演じる被告人が、痛ましく哀れにさえ思う。弁護団に教えられた筋書き通り、必死に道化を演じるほど、人々の心は彼から遠く離れていくのに気づかない。

 それより卑劣なのは弁護団。彼らにとって被告人さえ道具。優秀な大学を卒業し、難しい司法試験に合格し、世間から信頼されるべき立場なのに、恥じることなく独善的な主張を貫こうとする。弁護士の資格を有してれば、法廷での与太話まで許されるのか。

 どのような罪を犯しても、被告人は法廷で裁かれる権利を持ち、弁護人は被告人の立場で争える。しかしそれは、鷺を烏と言いくるめることでなく、あくまでも事実に対する解釈。司法に対する信頼を揺るがしたら、私たちは安心して暮らせなくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

人としての器

 豪放磊落、清濁併せ呑む。ひと昔前の経営者は、在るべき姿を追い求めた。山岡荘八氏の『徳川家康』がベストセラーになり、中国古典を紐解くのは一流の経営者の常識だった。これは高度経済成長期だからでなく、明治時代の経営者でも同じこと。

 日本の資本主義を形づくった第一の功労者、澁澤栄一翁には『論語と算盤』という著書もある。マックスウェーバーの『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を挙げるまでもなく、企業を経営するのは人の道を極めるのと近しいものだった。

 今どきの世の中では、目端の利くのが大事で、お金の匂いを嗅ぎ取るのに優秀な人が持て囃される。古典に対する素養など、誰も問題にしてない。人がやってない分野に、最初に踏み込めば成功者。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い浮かべる風景。

 チャンスを活かすのは当たり前だが、それから頂上まで登るにはサポートが必要。それを忘れて自分の手柄ばかり吹聴し、共に歩く人たちに分け前を与えない。天網恢々疎にして漏らさず、人と人の世の中でいつまでも栄華を保てないでしょ。そんな気がする。

 古臭いかもしれないけど、人としての器について、少しは考えたほうが良いような。時代を取り巻く環境がどれだけ変わっても、人と人が仕事を創り社会を営み、基本のところは同じじゃないか。自分には、どれだけ多くの人を受け入れる器があるのか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月28日 (木)

ルール違反

 社会保険庁は言うに及ばず、ミートホープやグッドウィル、何をやってんだか。国民の怒りの矛先が向かうのは当たり前、でも、私たちはどうして怒るのか。年金については、一人ひとりが当事者だけど、それ以外は直接関わってなくとも腹を立てる。

 確かに法令に違反して、人を欺いてるわけだけど、私たちだってそれほど清廉潔白じゃない。ハンドルを握れば速度オーバー、駐車違反、見つからない程度のルール違反は日常茶飯事。大事と小事の境界線は引きにくい。メディアのバッシングで尻馬に乗るのか。

 ルールそのものが適正なのか、現状に適応してるのか、異論を求めれば噴出するに違いない。ソクラテスは悪法も法と説き、自ら毒の杯を仰いだが、私などは自主的に切り分けてしまう。赤信号でも車を目視しなければ、渡ってしまうことだってある。

 でも、それってやっぱりいけないよね。自分の身体能力を過信して、事故に遭うのは自業自得だけど、車を運転する人に迷惑を掛ける。ルールが間違ってるなら、改めるのが先だよね。どうのこうの言っても、ルールを決める人たちを選んだのは私たち。

 不祥事に対して怒るのは結構だけど、自分自身の責任についても少しは考えたい。自分の意見が通らなくとも、皆で決めたことなら従わなきゃ。それで納得できないなら、本気で取り組むしかない。観客席で野次を飛ばしているうちは、ゲームに参加できないし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月27日 (水)

宗教心について

 宗教は人民の阿片、若い頃の私にはマルクスの言葉が重かった。死後の世界など、誰も見てないのに信じない。人は死ねば、それっきり。合理的に考えればそうなるのだが、一方では道元や親鸞に心惹かれて、仏教の入門書など読み漁ってた。

 今でも基本的には無宗教、実家は日蓮宗の檀家で、だからといって仏教徒ではない。正月には神社に初詣、仏壇には線香を供えて手を合わせ、教会を訪れても頭を垂れる。私が死んだら、どこかのお寺に葬られて、お経を上げてもらえるのだろうが……。

 死んだ後のことはわからないが、人智を越える存在はあるように思う。それは自然なのか、それとも仏神なのか、少なくとも今を生きる私にとって、傲らないように戒める存在。受け入れない現実が起こっても、それを受け入れて生きるように諭す存在。

 天の邪鬼なのだろうか、どれだけ立派な教義でも、押しつけられると反発する。学生運動華やかなりし頃も、皆がマルクス、エンゲルスと唱えると、クロポトキンやバクーニンの説に耳を傾けた。そうした点では日本の仏教の高僧は、穏やかにやさしく語りかける。

 人がどう生きるべきか、指針を求めるときにも、仏典は文学に似てわかりやすい。それは日本人としての生活様式が、私の肌に馴染んでいるからなのか。輪廻転生はなくとも、人生の穢れを少なくして、周囲の笑顔に仕える道を歩みたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月26日 (火)

モラルの根拠

 欧米や中近東では、絶対神への信仰が篤く、聖典に記された規範が、多くの人の心に宿ってるが、日本人は神仏混淆で、特定の教典がスタンダードになってるわけじゃない。だからといって宗教心が薄いということでなく、歴史的にも謙譲の美徳を備えてる。

 それでも自らの人生を、神との契約とは位置付けてない。気にするのは世間の目、自分の言動がどう受けとめられてるか、人の噂や評判に耳を傾け、後ろ指を指されないようにする。江戸時代の石門心学や三方良しの発想が綿々と受け継がれてる。

 こうした社会が成り立つには、個人と社会の結びつきがわかりやすくなきゃ。社会といっても地域であったり、職場であったり、個人が日常生活を営むうえで、具体的に関わってくる空間を踏まえた意識。そこでの規範がルールとして自覚されるのが普通。

 ところが移動距離が長くなり、価値観も多様化してくると、お互いを裸眼で捕捉できない。小さなグループが乱立し、それぞれが独自にルールを定めれば、全体的な整合性は取れない。ましてグループの利益を全体より優先させれば、百家争鳴は当たり前。

 お互いに気持ち良く暮らすために、モラルを必要としてるなら、接点がない人の迷惑など考えずとも、それなりに毎日を楽しく過ごせるというわけ。それが自分で自分の首を絞め、世間を狭くすると気づくには、お互いが繋がってることを、どこかで見つけないと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月25日 (月)

コンプライアンス

 法令遵守と社会的要請への適応。企業の社会的責任を問われる時代に、改めて突きつけられてるみたいだが、モラルハザードとも密接に関わって、実のところ悩ましくも根が深いテーマ。第三者の目で見れば当たり前のことが、当事者同士ではそうとも限らない。

 組織を運営するには権限を委嘱して、特定の個人に決断を任せるのが通例。あくまで業務を推進するための機能だが、パワーバランスが偏ってくると、コミュニケーションにも影響を及ぼす。社会的要請を背景に正論を主張しても、力が伴わないと通用しない。

 悪いとわかっていて、手を染める確信犯は少なくて、置かれた組織の環境や風土で、結果としてコンプライアンスに違反する。世間一般の常識より、自らを利する選択肢を優先し、無理矢理にでも許容範囲内と思い込む。それくらいのことなら誰でもやってる。

 法令に違反してるなら公的制裁を受けるが、そうでなくとも社会的要請に応えてなければ、市場から淘汰される確率は極めて高くなる。でも、それは明らかにされた場合で、水面下で推移するケースも多く、法令そのものが不備なことも。バレなきゃ良いってか。

 率直に言ってしまうと、事実は露呈する時代を迎えてる。自らの行動スタイルが適正か否か、検証しておかないと、とんでもないことに。さまざまな事例を他山の石にするだけでなく、第三者からのチェックを受けるのが、これからもうまくいく転ばぬ先の杖。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月24日 (日)

大事なもの

 朝も早よから相模原へ、娘と孫のために一日を空けてる。そんなことは口に出さないが、今の私と妻にできる精一杯。最初に買い与えたパトカーの玩具、お気に入りだったクガーの縫いぐるみ、霊前に供えて線香を手向ける。和義の魂が微笑んでくれてる。

 朝食は済んでたようなので、上溝公園へ出掛けて、孫はポニーに乗るとご機嫌。噴水の辺りや遊技場へ誘ったが、小動物園の近辺が良いみたい。動きたいように動かせ、爺と婆は引き回される。風車をねだられたが、本人はアニメの主人公が使う魔法の杖の気分。

 妻のお手製の稲荷を頬張り、アスパラや胡瓜のお新香など、昨晩から準備してたみたい。娘も孫もあれ以来、近所のスーパーより遠くへは出掛けてない。外の空気を吸えば気持ちも晴れる。妻の思いは娘へ伝わり、孫は大好きなお婆ちゃんとの時間を楽しむ。

 少し飽きてきたので、次は淵野辺公園へ。ここは私の出番だが、娘と遊んだ頃と違って、孫を追うのに足腰が付いていかず、それでも危なくないように、常に手の届く範囲で待ち構える。夕食はファミレスで、その後もお絵描きやらひらがなの練習。

 孫が納得すると、時計の針は午後8時、へとへとに疲れたけど、同じ道を穏やかな心で走るのは、久し振りのような気がする。それも娘と孫の笑顔のお陰。本当に癒されるまでは、随分と歳月が必要だろうし、無理なのかもしれないが、今はただ側にいてあげたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月23日 (土)

目的と目標

 個人でも組織でも、目的を果たすために目標を設定する。基本的には不可分なのだが、往々にしてずれてしまうのは、目的のイメージが曖昧だから。企業なら利潤の追求、公的機関なら公共の福祉、その程度の煮詰め方でも目標を設定できる。

 とりわけ日本では明治時代から、欧米のキャッチアップで成功できたこともあり、目的に対する意識は薄い。既存の価値観を理解し選択し、具体的な目標へ落とし込めば、それなりの成果を導いてきた。グローバリゼーションもその延長線上での認知。

 あらかじめルールが決められ、ゴールを設定されると、日本人は頑張りやすいのかも。勉強するのも好きみたいだし。でも、これからの時代には価値観が多様化し、従来の成功法則が必ずしも通用するとは限らない。すでに諸々の面で綻びが目立ち始めてる。

 そこで問われるのが目的、何のためにやるのか、どこを目指すのか、でも、これがなかなか難しい。動いてみないとわからないことも多いし、知識や経験が未熟な段階で方向を決めなきゃ、取り敢えずスタートできないし。時間だけは加速度的に流れていく。

 そうなると自らと向かい合い、目的と目標を検証し、改善を繰り返すしかない。ときには大胆に修正し、方向を切り換えることも。そんなに簡単じゃないけど、そこを掘り起こしていかないと、世間で通用しなくなり、後悔先に立たなかったりして。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

パラダイム

 人はそれぞれの知識と経験を踏まえ、固有の思考の枠組みを持ってる。それは歴史的事実や時代状況、置かれた環境に影響されるけど、自分自身の人生の歩き方に応じるから、そう簡単に修正できるもんじゃない。拡大や縮小は利いても変形できない。

 ところが新しい思想に出会うと、パラダイムの放棄を求められることが多い。水で満たされたコップに酒を注ぐには、水をすべて捨てる必要がある。少しでも水が残ってれば、どれだけ芳醇な酒を加えても、酒本来の味が損なわれるという理屈。

 そもそもそれが酒かどうかは、従来のパラダイムで判断する。すでにパラドックスだが、そこを踏み越えるのは直感力。ピンと来たら全身全霊を委ね、新しい可能性にすべてを懸ける。仏教では一念発起、妻子を捨て出家した高僧の列伝が遺されてる。

 一面の真実を示唆してるのだろうが、私のような臆病者には到底無理。今までに培った知恵と経験値で、石橋を叩きながら世を渡るしかない。それで時代のスピードに追いつけなければ、各駅停車でゆっくりと進むだけ。論を積み重ねないと納得できない。

 確かに従来の発想だけでは、今の時代を切り取れない。何を基準とするのか、価値観の変容も迫られてる。でも、細かく見ていくと歴史は連鎖して、種を蒔かない土地に実は結ばない。たとえ間違ったとしても、私は私が認識できる道を歩くだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月20日 (水)

理念について

 人も組織も社会的存在で、認知を求めるなら、理念を求められるのは当たり前。理は「ことわり」で、念は「想い」だから、社会に通用するだけの想いがあるかを問われる。しかし、この「想い」というのが厄介で、ホンネを吐露すれば良いってもんじゃない。

 たとえば楽して儲けるために事業を立ち上げたとして、それを前面に押し出すには、相手にも同じ権益を与えなきゃ同意を得られない。マンツーマンなら説得できるかもしれないが、社会全体に投げ出したらいかがわしさが先に立つ。皆が楽して儲かるわけがない。

 それなら視点を切り替え、不合理なシステムを合理的に改善し、社会に余剰をもたらすなら、そこに富が集まっても納得できる。言葉遊びじゃなくて、パラダイムの転換。人が何を目指してるのか、そこにどれだけの人を巻き込めるのか、想いが違ってくる。

 自分に富を集めるために、他人を犠牲にする発想は、一時的に成功しても長続きしない。その理由は簡単で、社会に受け入れられる理念がないから。自分のやろうとしてることが、他にどのような影響を及ぼし、多くの幸せへ結びつくかどうかを問い直さなきゃ。

 だからといってタテマエじゃ、人の心を震わせられない。自分のホンネが人として正しいか否か、常に生きざまを試されてる。やるべきことを高く掲げ、それが支持され認められ、その結果として成功するのでなきゃ、これからの時代に間違いなく淘汰される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月19日 (火)

苦しい思いこそ

 しばらく会わなかった人からメール、心と身体を患って入退院を繰り返し、半年ほど休職してたとのこと。まだ20代だから気持ちも純粋で、創業社長の長男という立場もあって、何もかも自分一人で抱え込んでしまったのだろう。辛く厳しい歳月を過ごした。

 それでも、その間の経緯も含めて、私に連絡してくれたのは、もう大丈夫というメッセージ。袖振り合うも他生の縁、私の講演を聞いてくれて、控室に飛び込んできたのが最初。真っ直ぐな姿勢が潔くて、私も歯に衣着せずにアドバイス。結構きつかったかな。

 連絡が途絶えていたのは、忙しいからと思い込んでたし、来る人は拒まず、去る人は追わないのは、私の毎日のことだから、さほど気に留めてなかった。彼は彼なりに私を卒業し、さらに高い場所を目指してる。そんな風に割り切るクセが身についてた。

 その間に彼は病床で、私の言葉を噛みしめ、孤独に闘い続けて、自らの力で苦境を越えた。少しばかり長く生きた身で見れば、これから人の上に立つ者として、彼は絶対に必要な財産を手に入れた。苦しんだ者でなければ、人の心の痛みは察せられない。

 スキルやノウハウは学べば得られるし、人の力を上手に借りられる。でも人としての器は、自分で磨かなきゃ育たない。苦しさに潰される人もいるけど、胸突き八丁を克服した後は、前途洋々とした未来が開けてる。年の離れた友人の成功が見えるような気分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月18日 (月)

父の日だとか

 朝一番で娘からメール、別便でシャツも届き、こんなときだから流せば良いのに。文面では気丈に表してるが、行間からは苦しい思いが伝わってくる。携帯で返信するのは苦手なので、電話を掛けるとすぐに孫と交代。孫は婆ちゃんと代わってほしいらしい。

 妻も気遣ってくれて、お昼は私のリクエストで万世へ。注文したのはステーキじゃなく、若い頃から食べ慣れたハンバーグ。娘が小さいときは、これが一番の贅沢だった。噛みしめると肉汁が溢れ、幸せな日々が脳裏に甦る。笑顔ばかりを思い出す。

 夕方になると風も吹いてきて、妻と二人で近所を散歩。木漏れ日の林を抜け、住宅街から茶畑まで。車で通りすぎると気づかない風景の変化が、ゆっくりと歩くと目に飛び込んでくる。娘の手を引いて遊んでから、すでに四半世紀の歳月が流れてる。

 子宝に恵まれたのは一人だけだったが、年頃に育つのは当たり前と考えてた。それがどれだけ幸せなことか、つくづくと思い知らされる。娘も遺された孫を慈しむ気持ちが強まり、周囲に対する感謝を忘れないようになってる。それがやけに心に染みる。

 父の日は父のためのものじゃなく、父にしてくれた妻と娘を思って、足りないところを確かめるためのもの。そんな気がして、妻と烏龍茶を飲む。静かな時間の有り難さ、心に刻んでおかないと。来週にでも、娘の顔を見に行こうかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月17日 (日)

中野で

 中野市民会館で営業マンフォーラム、会場は和室だったので私塾の雰囲気。参加者は少ないなりに盛り上がり、皆が真剣な表情でメモを取る。横道に逸れたところもあったが、それはそれで活発な意見交換。久し振りに参加した人の言葉が新鮮。

 終了後に相談に応えたり、最後はマンツーマンで経営戦略。凄い商材を持ってるのに、活かし切れてないから、提案書までチェックして、気づけば午後9時。創業して間もないから、何とか事業を軌道に乗せてほしい。儲かってから授業料を頂こう。

 そこで初めて聞いたのは、無農薬栽培の烏龍茶が、台湾でしか栽培されてない事実。元々は中国本土で生まれ、大航海時代から後はヨーロッパの王侯貴族が争って求めた逸品。ジャスミン茶も高級なものは、ゼンマイのような形状、明日にでも飲んでみよう。

 日本人でもネイティブのように発音できる。そんな夢のような教材を開発した人も、いよいよ仕上げの段階に入った。すでにアメリカ在住の舞台女優らから申込み、だからといって難しなく、初めて英語に触れた人が、数週間でマスターできる優れもの。

 私を取り巻く人たちが、成功へ羽ばたいて、大きくなるのが嬉しい。これも私の種蒔きかな、エナジーをもらえるし。何より喜べるのは、私の言葉が力になること。成果へ近づくほど、信頼関係も強く結ばれ、面倒な話でも身を乗り出したくなっちゃう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月16日 (土)

流れを呼び込む

 妻と智光山公園へ、菖蒲が満開で見事。風も爽やかだが、歩きやすいのは木陰が増えたから。木々が伸びて空を覆い、柔らかく私たちを包み込む。池の畔にも菖蒲が植えられ、パステールトーンの色彩に癒される。少し歩くと薔薇園に出迎えられる。

 暑い日が続いても、そこはやはり6月、突き刺すような太陽じゃない。額が汗ばんでも、拭えば凌げる程度。雨上がりの大地を踏みしめれば、足下からエナジーを注ぎ込まれ、私の中の生命が躍動する。頭もスッキリして、勢いが増してきそう。

 このところ、ある人から頂戴した講義録を読んでるのだが、流れを呼び込む9つの法則が説かれてる。1物事に真剣に関わる。2自分に素直になる。3勇気を持つ。4情熱を忘れるな。5今ここに生きていることに価値がある。一つひとつ頷けることばかり。

 続いてるのは、6心に壁を作るな。7物事をあるがままに受け入れろ。8前向きに生きろ。9徹底的に信頼することしか価値は生まないと思え。どうやらユングの説くシンクロニシティーを踏まえ、アメリカでフローの研究から導かれた成功法則らしい。

 大事なのは、これをどう読み解き、具体的に落とし込むか。諸々とヒントを示唆されたような気になってる。もう少し掘り起こし、突き詰めて、伝えられる形に仕上げたい。自然に身を委ねると、素直な気持ちになって、新しいものを貪欲に吸収できる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月15日 (金)

米屋の羊羹

 両親が成田山をお参りしたとのことで、お土産に頂戴した米屋の羊羹、渋い煎茶によく合う。妻は一切れ食べるのがやっとだが、私は好物なので食べ過ぎる。子どもの頃は甘味が少なかったので、とりわけ上等なお八つだった。今はもう遠い昔の話。

 幸いなことに両親とも健在だが、年老いてない感覚で自転車に乗る。若い人のように音楽を聴いてたり、携帯に夢中になってたり、無鉄砲なスピードを出したりしないが、それでもヒヤリとすることはあるらしい。私は車を運転するから、わかるような気がする。

 歳を重ねるほど反応が鈍くなり、集中力も弱まって、自分が思うほど素早く動けない。それは悪いことじゃないけど、自分でわきまえないと、危険に身をさらしかねない。そんなことを考えたのも、小田急線の駅で同年代の女性が重傷を負ったから。

 駅のホームで次の電車を待つのは退屈だから、駆け込み乗車する気持ちはわからなくもない。だけど閉まったドアを無理矢理こじ開けて、発車時刻を遅らせるのはルール違反。車掌だけを責めるのはお門違い、大人の分別で行動を慎めば、何も起こらなかった。

 歳を重ねれば体力は衰えるけど、それだけ知恵と経験は蓄えられる。それを活かして身を守り、世の中の役に立たなきゃ。若い頃は頬張った羊羹だって、今はゆっくりと味わえる。失ったものを嘆くより、今できる喜びを噛みしめ、自分のペースで動けば良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月14日 (木)

何だかなぁ

 都内で打ち合わせてるとき携帯にメール、発信するのは妻しかいないから、すぐに開くと私の本を読んで、コンサルの相談をしたい人が居る。連絡先も記されてたから、仕事が終わった後に電話したけど繋がらない。少し遅くなるが、事務所に戻ってから再び連絡。

 ところが実際には厚かましい問い合わせ、私の本に関する質問でもなく、ましてやビジネスに結びつく話でもない。電話一本でアドバイスを得られると勘違い、手短に答えたが後味の悪さは残る。双方にメリットがなきゃ、単純に時間を盗まれた印象。

 仕事柄もあるが、提案を求められることも多い。それに応えないと何も始まらないから、ない知恵を絞って形に仕上げても、そのまま梨のつぶてだったりする。こちらのピントが外れてるなら、それくらいは伝えてほしいと思うのは、私のワガママなのかな。

 お互いを尊重して礼を尽くすのは、人間関係の基本と考えるのだけど、どうやら近頃では通用しなくなってる。文句があるなら力で示せ、そういうことかと受けとめざるを得ない。そんな人ばかりではないけど、昔気質の私には淋しすぎる風潮だったりして。

 それが時代の流れで、皆の幸せと結びつくなら、私のスタンスを切り換えりゃ良いのだが、諸々の場面で不都合が起きてる。問題点が明らかなら、具体的でわかりやすい解決策が必要。それを創り出すのも私の仕事かな、落ち込んでる場合じゃないでしょ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月13日 (水)

話を聞けない

 世の中には立派な人がたくさんいて、それぞれに素晴らしい意見を持ってるのに、活かされないケースが多いような気がする。その原因は簡単、皆の頭が良くなりすぎて、人の話を聞けなくなった。とりわけ私たちの世代辺りから、その傾向は強まってる。

 自分の考えを相手へ伝え、同意を求めたい気持ちは皆同じ。若い人は知識も経験も未熟だから、どうしても舌足らずになる。そこを経験豊かな想像力で補って、きっちり受けとめるのが大人の知恵。自分の意見を述べる前に、やらなきゃいけないことがある。

 誰に対しても真剣勝負で挑むのは、力任せで押さえ込むことじゃない。相手が何を伝えたいのかを、真正面から受けとめるのが、コミュニケーションを成り立たせる最初の作業。叩き潰すだけの荒技では、相手の心を開かせないのは当たり前。

 歳月を重ねてきたのだから、自分の人生に誇りもあれば、譲れないところもあるでしょ。でも、それは三歳の幼子でも同じ。百人いれば、百の人生があり、百の価値観がある。自分を認めてほしければ、その前に相手を認めるのが先じゃなかろうか。

 言いっぱなしで終わらせるなら、声が大きい人の勝ち。でも、それじゃ何も生まれないどころか、感情的なシコリを遺すだけ。自分の意見が正しいと思うなら、がっぷりと四つに受けとめて、相手を心から納得させなきゃ、大人としての沽券に関わるよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

そろりそろり

 昼飯の後に、久し振りに妻と近所を散歩。この辺りは森が残っていて、脇から入れるようになってる。ひと雨来そうな空模様だが、木々に埋もれると風が爽やか。住宅地を抜けると、どこにでもある田舎の風景、さらに進んでいくと見慣れた街並みにぶつかる。

 気づかないうちに、コンビニが2軒なくなって、違う職種の店になってる。こんなところに公園があったかと、私ひとりが忘れてる場所もある。娘が通った幼稚園は取り壊され、跡には某宗教の立派な文化会館。狭山市で暮らしてから30年、そりゃ変わるよね。

 若い頃に住んでた公団の近くには、当時から開けてる店もあり、幼い娘の手を引いて、諸々と買い物を楽しんだ情景が甦る。しばらく休んでたコロッケの美味しい肉屋さんが、店を開けていたので嬉しくなったりして、あちらこちらの路地を探索。

 流石に1時間も歩くと、脹ら脛が張ってくる。強い陽射しがすっかり消えて、ぽつりぽつりと雨宿り。家に戻って珈琲を飲み、くつろいでるうちに昼寝モード。目覚めれば夕暮れ、こんな日を繰り返しちゃいけないが、心も身体も休みたがってるのかな。

 歳月を重ねると、油断してるうちに季節が巡る。今年の夏は猛暑とのことで、今から思いやられるが、それを感じられるのが有り難い。急ぐ旅ではないし、ゆっくりきっちり一歩ずつ。前へ進めれば良いとしよう。明日が訪れることに深く感謝して。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月11日 (月)

たまには仕事

 いよいよ梅雨空になってきたが、暑い日が続いたせいか凌ぎやすい。出掛ける日は、曇ってるくらいが丁度良い。土曜日は池袋のメトロポリタンホテル、企業グループ主催の研修会で講演。午後からだったので、街は人で溢れていて、私はお上りさん気分。

 担当する方が私より年長で、ていねいに接してもらうとお尻がこそばゆい。控室で待機してたが、時間が押してきて、頭の中でシナリオを再構成。登壇すると前二列は明らかに経営者、それも先輩諸氏なので、ここを巻き込むのがスタートと腹づもり。

 それでも始まってしまえば、一人ひとりと真正面から向かい合って、真剣勝負を挑むいつもの私流。質疑応答までを予定時間内に収めて、かなり具体的な質問にも的確に答え、手応えを感じながら会場を去る。この後は懇親会への参加、創業者と同じテーブル。

 数人から声を掛けられ、講演会場では出ない際どい質問。相手の立場から本気で考え、それぞれにアドバイス。経営者たちは悩んでいると、今さらながらに実感する。数時間だったが、できることはやり切った。さらに可能性を開くチャンスを待つのみ。

 講演や研修が終わるまでは、気が引き締まってるけど、終わって帰りの電車に乗ると、どっと疲れてしまうのはいつものこと。お土産にクッキーを頂いて、妻と紅茶で楽しむとき、いくらか心を和らげる。ひと休みしたら次の準備、頭を切り換えなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月10日 (日)

螺旋を巻き直し

 それなりに忙しいのだが、油断してると気が抜ける。ここのところアプローチは受けてるが、自分から積極的に働きかけてない。それじゃスピードが緩んじゃう。諸々のお話を頂いてるうちに、会わなきゃいけない人を訪れ、忘れられないようにしなきゃ。

 それと並行して勉強し、考えをまとめていこう。日々新たに革新しようと、人に説いてるのだから、自分が変わらなきゃ洒落にならない。落ち着いていられるほど立派じゃないのは、自分自身が一番よくわかってる。未熟なら未熟なりに精一杯を尽くせ。

 そうでなくとも7月には本が出て、雑誌では8ページの記事が載るし、電子出版も20点を超えるから、私自身の中身を詰めておかないと、対応すらできかねないかも。動きながら次の展開を想像し、最善の手を打たなきゃダメと、先日も話してきたばかり。

 緊張感を身に纏い、気力を充実させると、流れを引き寄せられるのは、経験則でわきまえてる。のんべんだらりと日々を過ごせば、そのツケは間違いなく回ってくる。小手先で仕事をこなせるほど器用じゃないし、全身全霊で打ち込まなきゃ何も生み出せない。

 自分の内側に引き籠もらず、ジタバタと動き回れば、いろいろな人からヒントを示唆される。それをどのように加工して、戦略から戦術へ落とし込めるのか、自分から実践しなきゃね。闘う意欲が萎えたら戦線離脱、未だ最前線でやるべきことはたくさんある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 9日 (土)

迷い道

 時代の感覚に応じられなきゃ、どの世界でも淘汰されるのが掟。既得権を持つ人は、昨日と同じ明日が続くことを望むが、それを認められるのは絶対的多数の支持を踏まえてのこと。他人の幸せを土足で踏みにじり、私利私欲を貪れば許されない。

 基本になるのは社会での役割を果たし、正当な報酬の範囲内で生活を営むことだが、何を社会が求めてるのか、どこが適正な報酬なのか、その辺りは不透明。人は皆、自分に都合良く考えるから、明らかに法令に違反してなきゃ、恥じることはないと思い込む。

 しかし本当のことを言ってしまうと、法令がいつも正しいとは限らないし、社会正義が適切に機能する保証もない。とりわけ私たち一人ひとりは、目の前で起きてる現実さえ、目を背けて見ない振りをする。自分の身に危害が及ばなきゃ、しょせんは他人事。

 だからといって仙人でもあるまいし、社会を捨象して独りでは生きられない。今は遠い問題でも、巡り巡って当事者になる。そのときに声を荒げても、蟷螂の斧では力及ばない。人生は何が起こるかわからない。僥倖ばかり訪れるわけもない。

 最初の作業は自分を律すること、そして社会への参加意識を生活に根づかせること。できる範囲で、やれることをやれば良い。大事なのは社会を外化させず、そこに関わる当事者として強く意識し、間違っていても自分の意見を堂々と述べること。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 8日 (金)

透明度の問題

 社会保険庁の杜撰な年金管理が明らかにされ、暴かれるほど実態の酷さに呆然となるが、今度は介護大手の失態、どこまで弱い者を苦しめれば気が済むのか。世も末のような気もするが、今まで隠されてた事実が表沙汰になっただけ、不正は延々と続けられてた。

 インターネットの普及もあるが、皆が苦しむ時代になったから、不合理な局面に照準が当てられる。高度経済成長期には、それぞれが少しずつ濁り、各々に権益を受けてたから、見て見ぬ振りをしてただけかも。個人意識の自立が促されたこともある。

 そうは言っても資本主義社会は、自由競争が大前提で、私たちの多くはこの仕組みを支持してる。全員平等の正義を掲げ、管理社会へ移行するのを恐れてる。一人ひとりの自由を認めながら、公正な競争を裏付けるような、そんな社会を望んでるような気がする。

 そうなると個人でも組織でも、問われるのは透明度の高さ。どのように動いてるかが具体的で、わかりやすいほど、たくさんの人を惹きつける。そのためには伝える工夫も必要、真面目に頑張ってさえいれば、認められるというもんじゃないのも事実。

 自分の良さを掘り起こし、伝えたい人へ伝わるように演出。その力を蓄えた個人と組織が、これからの時代に間違いなく勝ち残る。だからといって羊頭狗肉なら、その正体はすぐに見破られる。自分自身と向かい合えるか否か、個人にとっても組織にとっても重要。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 7日 (木)

大宮へ

 妻が預かってきた香典返し、今日は親戚へ届けなきゃ。義理の姉は蓮沼、16号を一直線。久し振りの訪問になるが、長居する気になれない。途中で昼飯を食べたが、妻の食は細いまま。それから妻の実家へ。ここは生まれたばかりの赤ん坊が居るので、挨拶のみ。

 私の実家へ寄ったが、実を言うと両親は、娘と同じことを経験してる。生後一年の長男を、肺炎で失ってる。私が生まれる前のことだから、詳しくは聞いてないが、悲痛な心情は想像できる。父の口から、会社の帰り道、毎日念仏を唱えていたと初めて聞く。

 「心が言えるまでに半年か一年」、私の言葉を耳にしたとたん、母は五十年経った今でも、赤ん坊姿の兄を思い出すと応える。忘れることなんかできない。それが本当のところだろうな。両親が涙ぐんできて、退散するしかない。最後は義母を見舞わなきゃ。

 妻のことをわかってるのか、92歳の義母は体調は良好そうで、頬にも肉がついてきた。握る両手が力強くなってる。生命の灯火が盛んになってると、やはり嬉しくなる。我が儘なのかもしれないが、身内の健やかな日々を祈らざるを得ない。妻も少し微笑む。

 川越辺りで突然の雷雨、お役は果たしたから、あまり気にならない。娘から妻へのメールで、四十九日の場所と時刻。こうした決まり事は、故人と繋がりながら、遺族が日常へもどるための儀式。そこで肩を抱きながら、共に背中を震わせる。いつまでも続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 6日 (水)

岡山で

 ある企業グループ主催の講演、昨年の2月も同じホテルで講演、4月にはプライベートで旅行、岡山とは縁があるのかも。前日の夕方に到着し、ちゃっかり懇親会に招かれ、大盤振る舞いを楽しませてもらった。担当部長は意欲溢れた好漢、九州男児。

 1時間ほどの講演だったが、水を打ったような静けさ。目が合うとしっかり視線を返し、真剣にメモを取る人も多い。これから伸びようとする企業は、熱気がビンビン伝わってくる。手応えも充分、これからさまざまに関われそうで、期待に胸が躍る。

 心地良い疲れは、講演をやり切ったからか、それとも往復の新幹線のせいか。少し本を読んだりしたけど、車窓に流れる風景に見入り、穏やかな気持ちにさせられた。過ぎゆく街それぞれに、新しいビジネスの予感、積極的に攻め入りたいな。

 私が留守の間に、妻は娘の家へ。今は少しでも、側にいてあげるのが、何よりもの励みになる。私より妻、母の力は偉大。私は脇役として仕えることにしよう。止まった時計を動かすのは、そんなに簡単なことじゃない。ゆっくりと、無理をせず、ちょっとずつ。

 妻が傍らにいることで、娘と孫が少しだけ癒される。妻はくたくたになって、私が足腰をほぐし、少しだけ和らぐ。私は仕事で喜ばれ、心安らかになる。しばらくの間は、こんなことを繰り返し、笑顔を取り戻すしかない。泣いてばかりじゃ、前へ進めない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 5日 (火)

モノローグ

 抜けるような空に、すでに陽射しは鋭い。いつの間にか初夏は訪れ、見渡す限り眩しく光ってる。汗ばむ肌に、吹く風が心地良い。このままぼんやりと漂いたいが、仙境へ至るには早過ぎる。人と人の間にこそ、私の生きられる場所がある。

 来る人、去る人、通り過ぎる人、遠くから私を見つめてる人、それぞれの思いの中で、私は活かされてる。いつまで生きるのか、どこまで歩むのか、それはわからないけど、自分の足の重さを確かめながら、ゆっくりと大地を踏みしめる。

 ときどき立ち止まり、あるいは後退り、なかなか前へ進めないけど、それでも良いんだ。歩いてる実感があれば、必ずどこかへたどり着く。そこでまた考え、いくつかの道のひとつを選ぶ。そんなことを繰り返しながら、やがて老いていくのだろうな。

 道がなければ草を分け入り、河に遮られたら泳いで渡り、その気力があるうちは大丈夫。山を越え、谷を越え、へばりながらも突き進む。もっと平坦で楽な道もあるし、歩かずとも済むかもしれないが、これが私の選んだ道、無器用でもこだわり続けよう。

 それが細くとも、私が歩いた後に道ができ、続いてくれる人がいたら嬉しいな、歳月を経た後で、誰かが見つけてくれて、利用してくれるかも。そんな先のことなど、わかりゃしないから、今はただ信じて、ひたすら道を極める。それが幻であっても。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 4日 (月)

流れるままに

 少し前の話になるが、間接的に関わっていたコミュニティが閉鎖された。事前に話は聞いていて、事情も呑み込んでいたが、中心になって関わる人の温度差と目的の違い。それぞれに思うところもあるだろうが、観念だけで突っ走った結果のように映る。

 それと前後して、人間を育てる塾を開きたいと、相談されてた人の構想も頓挫。出版関係で新たな事業を展開しようと、頼まれて開いたコミュニティも進展しない。正直に言って臆病だから、それぞれ距離を置いていたので、私には致命的な打撃になっていない。

 私が一歩踏み込まなかったのは、夢でお腹が一杯になって、現実と乖離してると感じたから。若い人だけでなく私より先輩でも、自分の思いが強すぎて、周囲と折り合いをつけられず、泥仕合に巻き込まれてる人もいる。ビジネスのほうが、よっぽどわかりやすい。

 皆が同じ価値観を抱く護送船団方式の発想が疑われ、個人の可能性に着目されるのは時代の流れ。でも、過渡期なのだろうか、玉石混淆もそうだけど、どこに座標軸があるのか不透明。皆がエースで四番の草野球、自分ではメジャーリーガーと思い込んでる。

 そうは言っても、石の中には玉が光ってる。それを見分けられないのは、明らかに私の力不足。これからも同じようなアプローチがあれば、適切な距離で時間を費やし、勉強させてもらうつもり。流れに身を委ねなきゃ、新しいものを見つけられないし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

さぁ、やるぞ!

 今日は原稿を書かなきゃ、テーマは郵便局長の仕事。秋からの民営化へ向け、骨子が定まったところで、7月号で営業特集。充分に余裕があったのだが、来週は予定が詰まってるので、実質的には締切の気分。ようやく道半ばへ至り、ほっと胸を撫で下ろす。

 これからの時代には、ますますコミュニケーションが重要。それも肉声で語らないと、心と心が通い合わず、人を動かすことなどできない相談。頭の良い人も増えるだろうし、ツールも発達していくだろうが、肝心なのは生身の人間としての想像力。

 自分が伝えたい内容をストレートにぶつけるのでなく、相手の言葉に置き換えて、相手の利益に訴えかけて、自分の目的へ誘いながら、合意を得るのが営業のプロセス。その辺りは業種に関わらず同じこと。とりわけリーダーに求められる役割は大きい。

 仕事に打ち込んでると、自分の天命に気づかされる。一人でも多く、壁を打ち破れるように、あらゆる角度からサポート。知識や経験も大切だが、何よりも優先されるのが思いの強さ。自分の内側に深く降りていき、コアになるところを自覚してもらわなきゃ。

 ほんのちょっとのヒントで、人は飛躍的に成長する。優れた原資を活かさずに、ないものねだりをする人が多いから、私の言葉を届けなきゃ。今の場所から語るのでなく、明日は一歩前へ進んで、私自身が成長しなきゃ、言葉に力は宿らず、人の心を震えさせない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 2日 (土)

泥のように眠る

 朝一番で日帰り温泉へ。ここのお風呂は温くて、いくら入っていても飽きない。ついつい長湯になって、空いていたから手足を伸ばし、ぷかりと浮かんでた。サウナで汗と一緒に疲れを流し、頭の中がグルグル回るまで俯いてた。曇り空なのも心地良い。

 少し遅めの昼飯、食べ終わると睡魔に襲われ、ほんのちょっとだけと寝転がる。気づくと夕暮れ、やたらと喉が渇いて、それでようやく目覚めたみたい。これだけ寝ても、まだ眠い。お茶を飲んで、ひと息ついて、なかなか身体が動き始めない。

 夢の中で、私は何かを探して歩いてる。目的を達せられたと思うと、そこは実は勘違いで、新たに歩き始めねばならない。何度も同じことを繰り返し、たどり着いたのが階段を昇った後に続く商店街だが、そこはあまりに長くて、階段の下でためらってる。

 覚えてるのはそれだけで、ほとんどは闇に包まれてた。胎児のように膝を抱え、丸くなって漂う。どこから来て、どこへ向かうのか皆目見当が付かない。足腰が鉛のように重く、自分の自由にならない。それでいて不安はなく、流されるのを受け入れている。

 流石にこれだけ眠ると、いささか寝疲れて、夕食の後もぼんやりしてる。すべてをリセットするための準備か、ウォーミングアップを終わったら、戦闘モードへ突入できるのか。背筋を伸ばし、大きく深呼吸して、頭だけはスッキリさせなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年5月27日 (日)

大人の時間

 六本木で大人倶楽部と称してセミナーを開催、これからの時代をどう生きるべきか、世代を越えて語り合うのが狙い。30代から60代まで参加してくれて、自立というテーマで1時間話す。その後の意見交換では、具体的かつ積極的なやり取り。

 振り返ってみると、講師の私が一番幼くて、皆は熟慮した発言が多かった。それでいて内容は濃く、流石と思わせる言葉が耳に飛び込んでくる。それぞれが経験を重ね、その道では確信を抱いてるからだろう。人の話を聞く態度もきちんとわきまえてるし。

 今のところ出口はないのだが、こうした試みを重ねていきたい。私たちがどう社会に関わるのか、どうすれば歪みをなくせるのか。他人に尽くすためでなく、自分が納得する人生を送れるように、たくさんの人と意見交換しながら、そのうち方向を定めたい。

 年齢で切り分けるのでなければ、大人をどう定義するかは難しくて、私自身のことを考えても大人と言えるかどうか。大人と思い込んでも、頑固で狭量では世の中に取り残される。爺たちの世界とか若者たちの世界とか、棲み分けるのも違うような気がするし。

 かなり気合いを入れたので、終わった後は疲れ果てたが、良い出会いもあって、学ぶところも多かった。もしかしたら私にとって、成長の糧として最も必要なのかも。形も含めてトライ&エラー。世の中の役に立つよう仕上げたくなってきた。ご支援してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月26日 (土)

雨の誕生日

 5月25日は、妻の誕生日。昨日までの快晴が嘘のように、空模様は朝から愚図ついてる。往復で1,000km走ったこともあり、私も妻もいささか疲れ、何もしないのんびりとした一日。そうは言っても仕事は残ってるし、あれやこれやと雑用も溜まってるし。

 それにしても17歳からだから、私の人生の傍らにはいつも妻が居て、誰よりも大きな影響を受けてる。若い頃は烏の行水だったのに温泉に嵌ったのは、40代で妻に誘われてからの話。野菜は鳥の餌と心得たのに、いつの間にか山菜の味を楽しむようになった。

 何もなくとも妻の笑顔があれば、それで私は幸せになれる。だけど妻に何をしてやれるのか、問い直すといつも歯痒い思い。贅沢をさせたいとは思わないが、癒される時間を少しでも増やしてあげたい。できることはやってるつもりだが力及ばない。

 すでに若くない夫婦だけど、だからといって穏やかに年老いていく心境でもなし。私自身はこれから始まると考えてる。そう思えるのも、独りじゃないから。割れ鍋に綴じ蓋、足りない者同士が補い合って、支えられてるから生きていける。ただひたすらに感謝。

 これから何度一緒に誕生日を祝えるかわからないけど、道が尽きるその日まで共に歩き続けたい。たまには山野に遊んで、胸一杯に深呼吸して、周囲の人たちに役立つよう、邪魔にならないよう、独りでは淋しいけど、二人なら楽しく暮らせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月25日 (金)

銀山温泉から

 銀山温泉の宿泊は銀山荘、温泉街からほんの少し離れてるが、露天風呂があるのが決め手。到着するとすぐに裸になって一直線。少し温めの寝湯に浸かってると、高い空で小鳥が遊んでる。風呂で久し振りに小さな蛇を見た。赤楝蛇かな、単に通り過ぎただけ。

 それだけ山深く、自然の懐に抱かれてる。温泉の質も良く、料理も申し分ない。少し贅沢のような気もしたが、たまには許してもらえるだろう。少し疲れていた妻も、身体の芯から癒されたようで、それが私には一番嬉しい。静かな夜が更けていく。

 翌日は予定はなかったが、山形と言えば最上川なので、船着き場のある古口まで。1時間ほどの川下りを楽しんだが、この辺りは平地なので暑すぎる。川も広く大らかで、天竜川や大歩危小歩危のようなスリルもない。このとき忘れ物に気づいた。

 旅館に電話して確認した後に、再び銀山荘へ急ぐことになる。酒田まで足を伸ばそうと思ったが、私の失敗で逆方向へ戻ったが、お陰で名物の板蕎麦を食べられたし、帰り道の天童温泉の道の駅ではサクランボも買えた。結果的には良かったみたい。

 GWの後で平日ということもあり、道も空いていたし天候にも恵まれたし、夫婦でいることが楽しかった2日間。たまにはこんな日があっても良いよね。宿題も残ってるし、明日からは頑張るけど、今日のところは心地良い疲れに抱かれて眠っちゃおう。

| | コメント (0) | トラックバック (7)

2007年5月24日 (木)

銀山温泉へ

 昨日と今日、妻と銀山温泉へ。今回はツアーではないので、足の向くまま気の向くまま。加須から東北道に乗り、白石で降りて蔵王まで。お釜が見たいとのこと。山腹に差しかかると雪の壁、見事なまでに連なってる。樹氷ができるのもわかるような気がする。

 山頂付近は別世界、風が冷たく吹き荒れる。やっとのことでお釜へ至り、背景の雪とのコントラストに見惚れる。剣山のリフトで往生したのを思い出し、そのときと同じなのは甘酒の美味しさ。名物の玉蒟蒻も腹に染みて、山形から村山へ抜ける。

 村山の道の駅で、遅めの昼飯。この辺りは街道筋に店がない。観念して山菜蕎麦を注文、400円なので期待しない。ところが蕎麦は手打ち、姫筍が二本と山菜もたくさん、出汁まで旨くて仰天。都内なら倍の値段でも、安くて美味しいと評判が立つに違いない。

 田園地帯がどこまでも続き、噂の銀山温泉へ。箱庭のような趣もあるが、確かに懐かしさを感じる風情。奥の公園を進むと銀の採掘坑へ。これが無料で開放されている。暗い階段を降りると、当時の面影をそのまま遺して、圧倒されたまま立ち尽くした。

 温泉街も採掘坑も、少し手を加えれば観光資源。たとえば温泉街なら、せめて午後10時頃まで営業する喫茶店が欲しい。土産物屋もあるのだが、ディスプレイに工夫を凝らしたい。商売ッ気がないから癒されるのかもしれないが、ついつい余計なお節介。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月23日 (水)

道は続く

 随分と勉強してきたつもりだが、知らないことが多すぎる。専門領域を問い直してみると、一貫して追い求めてるのは人間。わかったと思っても、新たな疑問が湧いてくる。どうしてこんな厄介なところに、足を踏み入れてしまったのだろうか。

 それでも人の心と行動には、興味の尽きることがなく、どんどん深みにはまってしまう。ある程度はパターン化できるし、整理もされるけど、人と会うたびに新しい発見、自分自身も変化するから、これで打ち止めというわけにいかない。教えられることが多い。

 さらに想像力を働かせ、テーマを決めてアウトプット、糊口を凌いでるわけだが、それがどれだけ人の役に立つのか、世間に影響を及ぼすのか、ぼんやりすることもある。自分から舞台を降りてしまえば、誰も引き留めてくれない。気づいてさえもらえない。

 それが自分の選んだ道、謙虚な姿勢で人の言葉に耳を傾け、沈思熟考イメージを描き、誰もがわかるように具体的な形に仕上げる。そのプロセスが堪らなくおもしろく、いつまで続けていても飽きない。楽じゃないけど、苦しむから良いんだよね。

 そんな日々を暮らしていると、活かされていると実感できる。私を拾い上げてくれる人、見つめてくれる人、手を差し延べてくれる人、お陰様で生きていける。命の炎が燃えてる限り、次の一歩を踏み出せる。終わりは求めず、いつまでも歩く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月22日 (火)

思い通りには

 世の中の諸々は、描いた図面通りに運ばない。私のような若輩はもちろんだが、経験豊かな諸先輩でも、人情の機微を見誤る。デカルトじゃないけど、自分が死んだら、世界も滅亡すると思い込む。皆が皆、お互いに自分が地球の中心にいると錯覚する。

 因果応報、蒔かない種は生えない。それでも自分がやったことは正しく思えて、割を食ったことだけを鮮明に覚えてる。他人事じゃなくて、自らを省みなきゃ。仕事が溜まってきてるのは、誰のせいなのか、他ならぬ私自身が怠けていたから。それだけのこと。

 いろいろな人から声を掛けられると、それが当たり前に感じてしまうけど、冷静に考えれば有り難く深く感謝。今日も秋口の研修の問い合わせ。先が長いようだけど、きっとあっと言う間。それで安心しちゃいけない。蒔いた種だって、生えるのは僅かだから。

 トライ&エラーと、口にするのは簡単だけど、うまくいかないことが続くと流石に凹む。うまくいってるときは、チャレンジ精神が鈍る。この塩梅を覚えれば良いのだけど、歳月を重ねても馬齢の如し。諸先輩を眺めると、偉くなるほど頭が固くなる。

 滑ったり、転んだり、挫けたり、谷から谷へ渡ってるから丁度良いのかな。どこから捉えても、私は偉くなれそうもない。地べたから世界を見るから、本質らしきものを垣間見られる。地べたを這ってるから、誰の言葉も耳に素直に入ってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月21日 (月)

人と会わなきゃ

 紹介してくれる人がいて、大阪の会社の社長と初対面。差しで話す時間はなかったが、活力に溢れて行動力に優れてる。世界を相手に飛び回ってるが、明らかに成長性は高いので、課題はスタッフの充実かな。話を聞いているだけで、ヒントを示唆できそうな感じ。

 そうは言っても初対面で、それほど踏み込んだ話もできず、一度じっくり耳を傾けたいところ。起業して間もないらしいが、飛躍する可能性を秘めてるので、段階的にプロデュースしたくなる。相手の印象もあるから、これからどう転ぶかはわからない。

 その後に田町まで連れて行かれ、NPO法人の政策学校の事務局長と会う。政治家とは付き合いがないし、私の領域とは遠すぎると思ってたが、話を聞いてみると接点は多く、ビジネスに結びつく要素もあり、頂いた本を興味津々で読んでいる。

 初対面の人のスケジュールに、具体的に食い込めるかどうかは別として、強い刺激を受けたのは事実。自分の仕事の捉え方にも影響を受け、ダイレクトではないにしても、アウトプットも違ってくるだろう。初対面のチャンスは、やはり活かすのが基本。

 日曜日の電車の中は、やはり空気が華やいで、少しばかり足が重かったのは事実。それでも新宿へ到着するまで、人の魅力が色濃ければ、収穫も比例して大きくなる。それぞれが短い時間だったが、語り明かす機会を欲しいと思わせられ、心は躍ってる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月20日 (日)

六本木界隈

 今回の営業マンフォーラムは、六本木でやることになったので、交差点付近の寿司屋で昼飯。土地柄なのか外国人も多く、若い男女が談笑してる。聞き耳を立てたわけじゃないが、20代らしきグループは羽振りが良さそうで、ひと桁もふた桁も違うお金の話。

 そんなに儲かってるなら、近くにヒルズもあるし、ミッドタウンもできたばかり。場末の寿司屋ではしゃぐことはない。それとも見栄を張ってるだけで、本当のところは火の車。男2人が、1人の女を口説いてるところか。あまり格好の良い風景じゃない。

 そんな雑踏の雰囲気から遠く離れ、久し振りの人とも数人会えたし、営業マンフォーラムは私のテンションが高すぎた。交流会の時間を設けてるのだから、自由に個別に話し合えるようにすれば、違う話を聞けたかもと反省。行動を起こせば何かを学べる。

 このところ来月の講演の準備やら、いくつかのテーマに追われてるので、頭の切り替えが鈍ってたかも。私の勢いが強すぎたからなのか、他の人からの発言は控えめ。邪魔していたかな。考えるところは考えて、次回はさらに充実させよう。それっきゃない。

 気が張っていたのか、家に帰るとくたくた。この後も予定は続いてるから、無理せずに早めに休もう。今日参加してくれた人たちが何らかのヒントを得て、少しでもお役に立ったら嬉しいな。足りないところがあったら、気軽に声を掛けて。フォローしますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月19日 (土)

井の中の蛙

 このところTVを眺めてると、物騒な事件が頻発して、殺伐とした世相を反映してるみたい。簡単に人を殺すし、銃器は溢れ、覚醒剤は広がり、日本が日本でなくなってる。それぞれに事情も背景も異なるのだろうが、追い詰められてる人が増えていないか。

 端から見ていると、ちょっと自分の位置をずらせば、切り抜けられるように思うけど、本人にすれば切羽詰まって、たったひとつの解決策にしか至らない。あれこれ分析してみたところで、こうした社会を形づくってきたのは、紛れもなく私たち大人の責任。

 自分の子どもが可愛いからと、無菌室での純粋培養を試みて、傷つくことを覚えさせない。心も身体も肥満になるほど与え続け、植える苦しさも教えなければ、収穫する喜びも分かち合わない。大切に育んだつもりで、肝心要のところをスポイルしてないか。

 戦後に生まれた私たちの世代が、すでに恵まれた環境に置かれてた。それを疑うこともせずに、一目散に頂点を目指し、それなりに豊かな生活を満喫してる。しかしその一方で、狭い範囲でしかリアル社会を体験せず、想像力を涸らしてきたのも事実。

 私たちの世代が雛型を生み出し、次世代が加速してるような気もする。ひとつの価値観しか認めずに、勝者と敗者に切り分けていたら、どこかで爆発するのは当たり前。小さな穴から堰が崩れる。その現象が、今さらながらに私たちを驚かせてるだけかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月18日 (金)

電子出版など

 紹介してくれる人がいて、ペンネームで刊行した書籍を、電子出版としても公開。最初の2点が17日からお目見え、今月中に10点が登場し、来月までに完了の予定。どれほど売れるものかわからないけど、著者としては世の中と繋がっていたい。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-108972/
http://www.papy.co.jp/act/books/1-108971/

 良い機会と思ったので、著者名を本名に統一。先月から始まったリードモアからのコンテンツ配信も含め、私の仕事とわかるようにしたかった。このところ研修や講演の問い合わせも増えてるので、間違いなく周囲の動きが加速してる。電種出版もアクセルかも。

 webについては素人同然だが、お付き合いする人にはプロも多いから、いろいろと教わりながら可能性を模索したい。そうは言っても今回の電子出版も、私が現物に接するのは月曜日。デモを見せてもらって、初めて実感が湧いてくるのだろうな。

 従来のスタイルも大事だから、『郵政研究』の7月号で営業特集を任されたのも全力投球。同じ頃に新しい本も刊行する予定。できることは何でもやって、どこまでも成長したい。お話があれば常に前向き、チャレンジ精神を磨き続けるのが私の持ち味。

 風が背中を押してくれる。遠回りもしたけど、行くべき道が明らかになり、気持ちもスッキリしてる。正直に言って追われてるのだが、忙しいことが本当に嬉しい。仕事が増えるほど力が蓄えられ、表し方も上達するに違いない。本領を発揮するのはこれから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月17日 (木)

首が回らない

 借金で苦しんでるわけじゃなく、ここのところの妻の体調。歩くと背中に響くらしく、今日はお買い物など付き合って、太股の外側が痛いとのこと。膝も少し張ってる。幸いなことに私は丈夫で、夫婦のバランスが保たれてる。逆のことだって起こり得るからね。

 お互いが常に健康なら、それに越したことはないが、40代の後半に更年期に入り、数年前には交通事故、私が苦労を掛けたこともあり、妻は間歇的に苦しんでる。その傍らに寄り添うから、私の心にやさしさが芽生え、想像力も働くようになった。

 正直に言って、誰もが一つや二つ、心や身体に問題を抱えてる。人に話したところで、本当の痛みをわかってもらえないし、取り除いてもくれない。それでも話せる相手がいれば、いくらか気持ちが和らぐ。痛くない人は、せめて受けとめることで分かち合うこと。

 相手が痛がってるのに、自分も痛いと言うのは、大人げないように思う。どれだけ抱きしめられるのか、自分の痛みから相手の痛みを考えられるか、少しでも力になることを喜びと感じられるか。元気になったら二人で散歩、それが何よりも嬉しいじゃないか。

 一番身近な人を大切にしてると、皆が同じとわかってくる。一人ひとりが自分を後回しにして、誰かのために役立とうとすれば、お互いに心地良く暮らせる。ほんのちょっとだけ想像力を働かせ、自分が本当に喜べるようにしたほうが、嬉しさは増してくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月16日 (水)

不思議なご縁

 今まで何度もお会いして、繋がりそうで繋がらなかった研修会社から、いきなりのアポイント。初対面の相手と面談し、その場で6月の講演が決まる。場所は岡山、何かと縁がある街。これから長いお付き合いになりそうな気もして、気持ちが引き締まる。

 その後にお会いしたのが、歳の差なら20年、麗しい女性だが、この人との縁が、私にもよくわからない。ビジネスで結びつきそうもないし、何かの動きを仕掛けるわけでもなく、本当のことを言ってしまうと、血の繋がりもないのに娘のような感覚。

 同じ年頃の女性とお会いしても、そんな気にならないのに、どうしてなのか考えてみたら、彼女は私と会ってるときに笑顔を絶やさない。私の言葉を素直に受けとめ、自分の意見も率直に述べる。要するに、楽なんだね。時間が流れても疲れを感じない。

 それだけじゃなく、人として一所懸命に生きる姿勢が好き。でも煎じ詰めると、波長が合うのかも。半年に一度くらい会うインターバルも、お互いに負担にならなく丁度良い。人それぞれに縁は異なり、形も違うけれど、繋がる人とは繋がるような気もする。

 このところ私を取り巻く環境が変化して、新しいご縁が次々と生まれて、心躍るのも確かだけど、年月を重ねながら熟成する関係も楽しい。自分と繋がってる人を、もう一度見直して、大切にしないと。一人ひとりが私の財産なのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月15日 (火)

できる人は違う

 出掛けるときに、後ろ髪を引かれる気分。それというのもこの土日、妻が床から離れられない状態。微熱が続き、食欲もなく、頭と首と背中の痛みを訴える。さすったり、揉んだり、それくらいしかできず、病院嫌いなので強くは勧められない。

 それでも人と会うと、話に夢中になってしまう。信頼してる相手だとなおさら、そのうえ今日は初対面の人を紹介され、少し言葉を交わしただけで、賢い人とすぐにわかる。どこが賢いのか、答は簡単で、理解と反応がスピーディで的確、上手にまとめてくれる。

 これは、学校の勉強ができるというより、自分できちんと考える習慣が身についてるから。一つひとつの知恵が、どこからか借りてきたものでなく、行動をベースに養われてる。こうした人と話して嬉しいのは、その結果が着実に実現するのが目に見えるから。

 あっと言う間の4時間、私も随分と話したが、受け答えが流れるようで、たくさんのことを教わり、成果を導くのを期待できる。良いサイクルになるだろうと、確信できて別れるのは、私にとっても心地良い。少しはお役に立っただろうか、またお会いしたいな。

 帰宅すると妻の顔色が晴れやか、病院で点滴を打ってきた。金曜日に友人と六本木で遊んだとき、久し振りの人混みの中で風邪を移されたらしい。節々は痛むようだが、かなり軽減したとのこと。元気な人たちと会ったから、妻も快復してくれたと思ってる。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年5月14日 (月)

偉そうにしない

 変化が激しい時代ということで、新しい環境への順応を迫られながら、思い通りにいかない人たちは、私の周辺でも決して少なくない。とりわけ50代を迎えると、体力と共に気力が減退し、今までのやり方を切り換えるのが億劫。チャレンジなんて面倒臭い。

 自分のホンネを素直に認めれば、ルートもいろいろと探れるのだが、歳を重ねるほど理屈をこねたくなる。やらなきゃいけないことは、いつだって避けられないのに、何とかやらない言い訳を見つけては、難しい言葉で武装するから困っちゃう。

 正直に言ってしまえば、自分で自分を慰めてるだけ。時代の流れに応じられないと、過去の人として忘れられるのに、昔話を懐かしんでは、批判の舌鋒が鋭くなったら、危険信号が点滅し始める。そうなると議論を重ねても、消耗するだけのケースが多い。

 人の振り見てわが振り直せ、私だって同じ穴の狢かも。他人に厳しく、自分に甘く、気づいてないだけかも。とりわけ私は議論を闘わせるのが好きだから、正論と思い込んで詭弁を弄し、袋小路に迷い込みかねない。言葉を吐く前に、一度は反芻しなきゃ。

 五尺少しの痩せぎすで、世界と向かい合えないのだから、自分の背丈に応じて穴を掘れば良い。限られた場所でも、そこに確かさがあれば、言葉に力は宿ってくる。借り物の言葉をいくら集めても、人の心を揺るがせないと、何度でも自分に問い直さなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月13日 (日)

長い眼で見て

 6月の講演を打ち合わせるのに、主催する会社の創業者と会う。高度経済成長を実現した世代は、歳を重ねても逞しく懐が深く、言葉は慎ましくそして重い。組織を築き上げた思いを受けて、私がどれだけ語り尽くせるか、試されるような気もする。

 1時間ほどの面談だったのに、昨日の研修の疲れもあるのか、季節外れの暑さのせいなのか、ぐったりしてしまい帰宅、久し振りに昼寝を決め込む。目覚めると『郵政研究』7月号の営業特集の資料が届いてる。こちらも連載を休まざるを得ないだけの厚み。

 宿題が山盛りだけど、やるべきことが明らかなら、そこを絞り込めば良い。4月からコンテンツを配信してるリードモアの山口さんからメール、諸々の場面で良い風が吹いてるらしく、こうした嬉しい便りがあるから、もうひと踏ん張りする気にもなれる。

 その一方では、悩みを抱えたメール。自分の殻の中に閉じ籠もると、外側から手を差し延べられないし、内側から開こうとする気も失せてる。無駄になることでも気分を切り換え、外の空気を吸ったほうが良いのだけど、それを決めるも決めないも自分自身。

 私が浮いたり沈んだりしてるから、落ち込むときは落ち込むしかなくて、気づきの切っ掛けは自分の心の変化、それくらいのことはわかってる。私にできるのは見放さないこと、静かにゆっくりと声を掛け続ける。振り向いてもらうのに焦るのは禁物。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月12日 (土)

流石だね

 つい先日、地方自治体系列の公社で管理職者研修。日頃からお世話になってる人の推薦で、外部の講師を招くのは初めてとのこと。感謝する一方で緊張感が高まり、それでも所謂お偉いさんたちを前に、いつものように直球勝負。歯に衣着せたら、私じゃなくなる。

 かなり耳が痛くなる言葉で射抜かれてるのに、誰ひとり目を逸らさずに真剣に耳を傾けてる。姿勢を崩す人もいないし、メモを取る人がほとんど。1時間くらいの講義だったが、他の組織と比べて集中力は高い。やはり企業を指導する立場だからなのか。

 講義が終わった後の質問も的確、事務局長との面談で手応えを感じてくれたようで、そこでやっと安心する。推薦してくれた人の顔を潰さず、滞りなく役目を果たせた。ひとつでも気づきを与え、関わる人たちの可能性を引き出し、組織の強化へ繋がれば万々歳。

 小さな種を蒔いたけど、それが芽を出し伸びていき、花が開いて実を結ぶのか、それは後のお楽しみ。精一杯やったから、私としては悔いはない。建物を出た後に、初めて疲れを感じる。帰りにヒロタのシュークリーム、妻と食べるのが自分へのご褒美。

 相手が同年代でも、若い人でも、セミナーを受けてもらうと愛しくなる。どうにかして良くなってもらいたい。少しでも成長のお手伝いをしたい。この感覚は何なのだろう。受ける人の気持ちはわからないが、私の心的距離は一挙に縮まってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月11日 (金)

逃げ場、隠れ家

 熊本で「赤ちゃんポスト」の運用が始まり、賛否両論渦巻いてるようだが、虐待したり殺したりする前に、緊急避難の場所があるだけでも、随分と救いになるのでは。子育てに限ったことでなく、当事者でないひとは正論を振りかざし、当事者を追い詰めていく。

 私は聖人君子じゃないどころか、若い頃から喜怒哀楽が激しく、自分で自分を傷つけてきた。そんなときは妻に頼んで、黙って愚痴を聞いてもらった。様子のわからない会社のことなど、妻は言葉を挟まず傍らで座ってる。それで気持ちを切り換えられた。

 誰だって強いところだけでなく、弱いところも兼ね備えてる。順風のときばかりなら苦労しないけど、逆風が吹いても立ち止まっていられない。そんなときに身を潜める場所があれば、いつもの自分に戻りやり直せる。逃げる場所が必要なときもある。

 世の中、正義の人ばかり増えて、弱い人を責め続けるが、その立場はいつ逆転するかわからない。頑張りたくとも、頑張れない人もいる。頑張れない人はダメなんじゃなく、少し休めば元気になって皆の役に立つ人。頑張り方だって、人それぞれで良い。

 いつも満点を意識してると、そのうち螺旋が緩んできて、自分自身でもコントロールできない。溜まったガスを少しずつ抜いておかないと、どこかで必ず爆発してしまう。さまざまな場面で逃げ場や隠れ家があれば、一人ひとり充分に自分の力を尽くせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月10日 (木)

長閑なり

 暖かい日が続いて、初夏を迎えたような気分だが、暦の上では未だ春。いくつかの懸案事項も片付いて、明日から諸々と続くけど、束の間に訪れた何もない日。のんびりと近所を散歩して、急がない仕事を進めてる。気持ちがゆったりしてると空気も柔らかい。

 賢い人たちが準備を整えてくれて、今までなら出会えなかった人たちともコミュニケーションをとり、新しい可能性を切り開いてくれてるが、ひねもすのたりのたりしてると、人間ってそれほどは変わってないような気もする。紀元前も同じ太陽に照らされてた。

 この季節になると、田舎暮らしということもあるのだが、路地を曲がると孔子や老子に出会いそうな気がする。ソクラテスが普通に哲学を説いていたり、白昼夢に過ぎないのだが、人と人の営みは悠久の時間の流れの中で、本質的には同じじゃないのかな。

 観念を掘り下げるのは、或いは知的遊戯で、何も生み出さないのかも。でも、それが結構楽しいんだな。余計なことを考えるから人間で、種の存続だけに誕生したなら、寿命は30歳もあれば充分。自分を中心にしても、思考と行動のパターンは無限大。

 私ひとりの人生でも、子どもの頃は外国なんてお伽話の世界。それがいくつかの国を巡れたし、若い人たちには遠くない距離。昔の人は、山里に生まれたら、海を見ず死ぬのが当たり前。少し想像力を働かせれば、どれだけ恵まれているかよくわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月 9日 (水)

閑話休題

 歴史を遡るほど、限られた英雄の影響力が強く、名もなき庶民の実像は伝えられない。近代へ至ると英雄も群像になり、それぞれのテリトリーを明らかにする。今の時代は、個人が活躍できる環境が整い、その気になれば誰でも自由に存在をアピールできる。

 喜ばしいに違いないが、玉石混淆の事実は否めない。チャネルの数が増えるほど、選択する作業が煩わしい。判断基準が明らかとしても、キーワードなどで篩を掛けないと、情報量に押し流されてしまう。ツールを使いこなせない情報は漏れ落ちていく。

 そこで必要とされるのは、情報の整理統合と価値の選別。ひと昔前の出版社は、その役割を担っていたが、全体としては市場に判断を委ねる方向。特定の分野には水先案内人もいるが、たいていは刹那的なアジテーション。肝心要の価値基準はいつも揺らいでる。

 だからといって頑固一徹では眼が曇り、真実へたどり着くのは遠くなる。議論を重ねる機会も減っていて、短絡的で大雑把な結論を導きやすい環境だから、想像力を働かせようとしない。そのうえ妙な自信を持つ人が多く、根っこのところで自分を問い直さない。

 別に愚痴をこぼしてるわけでなく、事実を事実としてありのままに受けとめ、これからの戦略を練り直そうとしてるだけ。どこにどう斬り込めば影響力を及ぼして、少しでも多くの人に行動を起こさせられるのか。よほど腹を括らなければ一歩を踏み出せない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月 8日 (火)

航空公園

 所沢の税務署に用事があったので、近くの航空公園でお散歩。ここはアンツーカーで整備され、老若男女誰もがウォーキング。どれだけ歩いたかも表示され、都会的といえば都会的。私たち夫婦は、コースを外れるのが好きだから、あまり当てにならないけど。

 藤や躑躅は終わりかけてるが、花壇に植えられた花々は綺麗に咲いて、何よりも新緑が眩い季節。曇り空で時折風が吹き、脹ら脛が心地良く張ってくる。遠くには西武線、長閑な風景が広がる。連休が明けたのに、遠足の児童や老人たちで大賑わい。

 今日のお昼はマクドナルド、小さな犬のマスコットがお目当て。孫へのプレゼントかと思いきや、妻が欲しいとなれば、逆らうことなく何を選ぶかを考える。チーズバーガーと海老のバーガー、フライドポテトとシェイク、子どものおやつみたいだな。

 のんびりしてるようで、やはり電話やメールでの問い合わせ、進んでる案件もあるし、その辺りはきちんとやらなきゃ。自分で主宰するセミナーの原稿を書き、与えられてる課題を考え、掘り起こすところは掘り起こし、だからといってジタバタしない。

 過ごしやすい季節はすぐに終わり、これから長い梅雨、そして猛暑になるだろうが、元気なのが一番。私だけじゃなく、妻が笑顔でいれば、たいていのことは凌げる。自分の頭で考え、自分の足で歩ける。当たり前のようだけど、それが何よりも幸せ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 7日 (月)

炭酸煎餅

 有馬温泉土産の炭酸煎餅、とうとう最後の一袋。仄かな甘みで柔らかな口溶け、素朴で懐かしい味がする。食べるたびに金の湯を思い浮かべ、心も身体も癒される気分。煎茶でも、紅茶でも、珈琲でも良し、若い頃には美味しいと感じなかったかも。

 人間というのはおもしろいもので、季節ごとに楽しみが違ってくる。若い頃には野菜など鳥の餌、今では大地からの恵み、生命を与えられると喜んでる。どちらが良いということでなく、それぞれに感じ方が異なるから、素直に自然に受け入れたほうが賢明。

 歳を重ねることの良さは、それぞれの季節を経験し、否定せずに受け入れられること。雨が降ってもいつかはやんで、晴れていても曇ってきたり、それを知ってるから惑わされない。善い人にも邪な感情が潜み、悪い人にも純な心が宿ってる。

 爺の目で若い人を見ると、虚勢を張ったり、思い込んだり、本来の持ち味に気づけば、もっと良くなると思うこともある。だからといって押しつけたら、反発されるのも当たり前。相手の良さを認めて、同じ地平に立って、それからでないと何も始まらない。

 正直に言って失礼千万な人もいれば、言葉づかいを知らない人もいる。でも、そう教えてきたのは私たち、自分でなくとも同世代。私たちが恥ずべきことで、若い人を責めるのはお門違い。長い歳月で間違えたことを、一朝一夕に直せるわけもない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月 6日 (日)

惚れてたのかな

 学生時代は作家志望、誰の目にも組織に収まるタイプじゃなかったのに、45歳まで勤めてしまったのは、新入社員のときに出会った上司の影響。その人が辞めてから2ヶ月後、私も会社を辞めてた。師匠と巡り会ってなきゃ、随分と違う人生を歩んでいた。

 だからといって師匠の判断に、いつも納得してたわけじゃない。それどころか私への評価も、不満をストレートにぶつけ、真正面からやり合ったことのほうが多い。師匠は大酒呑みで私は下戸、師匠は粋な江戸っ子で私は野暮な田舎者、接点を見つけるのが大変。

 それでも私が師事したのは、筋を通して道理を尽くすスタイル。人から後ろ指をさされないように、いつも毅然として胸を張っていた。私としては到底受け入れられない言葉でも、信念を抱いて熱く語られると、従わざるを得ないと思ってしまう。

 器が大きくて、魅力的だったんだね。翻って自分に問い返すと、正直に言ってしまえば自信がない。論を重ねることはできても、空気だけで相手を酔わすなど、この先修行を続けても私には無理。少しでも近づきたい気持ちはあるが、日暮れて道は遠いのが実感。

 公平に捉えれば、師匠より凄い人物はたくさんいる。言ってたことが、常に正しいとも限らない。理詰めで勝負すれば、今の私なら勝てるかも。でも、実際に目の前に現れたら、瞬時に白旗を掲げるだろうな。あの雰囲気を醸し出すには何が必要かな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 5日 (土)

智光山の爺と婆

 天気が良かったので智光山公園へ、いくらGWでも、ここなら混まないと思ったが、到着するまでに時間も掛かり、駐車場も空いてる場所が少ない。新緑が眩しいから、誰も彼も誘われて。無料の公園なので、流石に幼子を連れたパパとママが多いみたい。

 それより多いのが爺と婆、自分たちのことは棚に上げ、高齢化社会を目の当たりにする。歩くペースもゆっくり、自然と私たち夫婦の歩みも遅くなる。いつもの倍近い時間を掛け、芝生の下の木陰に着いて、お握りを頬張る。キャベツと豚肉の炒め物も美味しい。

 ライラックはすでに終わったが、ハンカチの木も花開き、牡丹は今が盛り。大手鞠と小手鞠は寄り添うように咲いて、藤の花は芳しい香りを放つ。少し離れた場所では山藤も。暖かいからなのだろう例年より早く、花々が生き急いでるような感じ。

 お腹が膨れても、歩くとまた空く。帰りにたこ焼きを買って、ついでに柏餅。柏餅はおやつだけど、たこ焼きはすぐに平らげ、目蓋の皮が緩んでくる。一年の内で穏やかな過ごしやすい日は、数えるほどしかないのだから、漂うように楽しむのも悪くない。

 それでも大切なのは切り換え、爺と婆にも未来はある。明日のための準備を怠らず、どこかでシャキッとしなきゃ。知恵を墓場まで持ち込まず、きちんと次世代へ伝えるには、自分勝手に老け込まないこと。溢れ出るまま垂れ流すのでは実にもったいない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年5月 4日 (金)

GWだから

 世間はお休みで、仕事の連絡も途絶える。それならそうでやることはあるのだが、天の邪鬼だからなのか、月曜日まで随分と遠いような気がする。だからといって高速の渋滞情報など聞けば、出掛ける気になれないのも本当のところ。億劫になってくる。

 HPを手直したり、細かい作業をやりながら、どかっと腰が据わらない。先日ご馳走になった連載中の編集者から資料が送られるのはちょっと先だし、研修や講演の確認もそれぞれ連休明けになる。お尻に火がつかないから、ほんの少しのんびりモード。

 こうしたときって、ヤバイんだよね。軽い気持ちで始めたのに、いつの間にかのめり込み、時間がどんどん経っていく。インターネットで調べたりすると、どんどん深みにはまってく。それで新しいことを覚えたりするが、どう考えても効率的じゃない。

 まぁ、いいか。明日から螺旋を巻き直し、八面六臂で活躍すれば間に合う。焦れたところでGW、流れは止まってるんだもの。皆が疲れ果てた頃、私だけが元気でいてやる。そんなこと言ってるくせに、来週になったら遊びたいと悪巧み、日帰り温泉に寄ろうかな。

 この季節は心地良いのだが、3年前の交通事故以来、リハビリの毎日を思い出してしまう。爽やかな風が吹いてるのに、病院へ通ってトレーニング。あの頃のことを考えれば、肩と腰が痛まないだけでも有り難い。贅沢を言ってないで、さぁさ仕事に励みなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 3日 (木)

プログラム

 必要に迫られて、いくつかの研修プログラムを作成中。テーマが今までと違うので、試行錯誤を繰り返す。それでも、これが私の財産になるから、ちっとも苦にならないと言えば嘘。何をやるにしても、産みの苦しみが付きまとうのは仕方ないさ。

 ひとつのプログラムを仕上げると、研修の展開をイメージして、どれだけ役立つかドキドキ。先方しだいでカスタマイズするし、反応を確かめながら微調整することもあるし、要はどれだけ影響を及ぼせるのか、一人ひとりの心まで届けられるのか。

 形があってないようで、時間を経てからどうなってるか、追いかけられないケースも多く、自分のポジションを確かめられない。それでも成長する人を見るのが嬉しくて、たくましく育つのを喜びながら、自分ができる精一杯をやり尽くすのが醍醐味。

 テーマと関わりないところでも、人と会って語り合えば、いくつものヒントを示唆され、プログラムは豊かに膨らむ。私に受け入れる許容量があるうちは、経験を重ねるほど深化して洗練される。それができるだけ長く続くよう、自分を戒めるのも大事。

 研修でも講演でも、本番を迎えるときは、勝負が付いてる。そこへ至るまでに、どれだけ苦労するか。手を抜けば、それなりの反応しか戻らない。失敗が経験になるのは、一所懸命にやったときだけで、準備不足では悔いを残す。それはイヤだもんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 1日 (火)

暑いんだね

 昨日からずっと書き物をしてたので、気晴らしにご近所を散歩。上着は脱いでいたのだけど、歩いてるうちに汗ばんで、初夏を迎えたような気分。閉じ籠もってると、季節に取り残されちゃう。用がなくとも外へ出て、日の光を浴びなきゃ。

 極楽蜻蛉の延長で、パソコンの前でもしばらく遊んでたら、先日私のコンテンツが欲しいと連絡があり、書籍化してないものを送ったのだが、すでに配信を開始していた。ちょっと値が張るような気もするが、その辺りは私の領分でないから様子を見よう。
https://www.readmore.jp/

 六本木サロンを運営する斎藤さんから電話もあり、今月の19日と26日、土曜日の午後を押さえてもらった。10〜20人のスペース。営業マンフォーラムと大人倶楽部で使う予定。定期的に利用できそうなので、会場探しの苦労が消えた思い。

 自分から積極的に動き始めると、人からも声を掛けられるようになる。忙しくなってきたけど、それを望んでいたのだから、喜ばなきゃいけないよね。何をやるにしても準備が大変で、力不足を思い知らされるけど、それが成長の糧になるんだものね。

 世間がGWのうちに、遅れてたところを取り戻そう。明ければ明けたで、アクションが起こりそうなので、ぼんやりともしていられない。強い力にぐいぐいと引っ張られ、そんなときもあるから楽しいんだ。さぁもうひと踏ん張り、仕事をやっておかなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月30日 (月)

大人倶楽部

 先日、島田倶楽部をやってみたが、テーマがないとわかりにくいし、オフ会にするなら酒や料理が必要。下戸の私にすれば、皆さんとお会いして話すのが目的だから、テーマを決めたほうが楽ということもあり、あれやこれやと考えたが、下手の考え休むに似たり。

 ビジネスの異業種交流会という手もあるが、それには参加者が多くなければ意味がない。名刺交換だけで満足してもらうには、それなりの出会いを演出しなきゃ。起業や経営のヒントになる話も、お土産として欲しいよね。即効性がないと物足りないだろうし。

 それならもう少し視野を広げ、一人ひとりが生きやすくなるために、何を考えてどう行動すれば良いか、私からメッセージを伝え、参加者が皆で話し合う会にしたらどうか。世代を超えた意見交換、それぞれがヒントを持ち寄り持ち帰る。ビジネスへ繋がるも良し。

 タイトルは大人倶楽部。大人としての自覚がある人、大人への成熟を目指す人、自分の足で立って歩きたい人、新しい人生を築こうとしてる人、個人という立場から、それぞれの居場所を求め、さらに活躍するベースになれば嬉しい。迷える人も寄っておいで。

 私を利用したい人、顔を見たいだけでも大歓迎。方向が定まっていれば、惹かれる人が絞り込まれる。そうすると話は具体化して、新しい展開も切り開ける。サロン風な雰囲気で、会を重ねるごとに成熟する。そんなイメージを描いてるが、どんなものだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月29日 (日)

うまくいく人

 お昼過ぎと夕方に相談の電話、それぞれ凄い人なので、私はそっと背中を押すだけ。裏付けのある人が、チャンスを目の前にしてたら、扉を開けるように勧めれば良い。覚悟を決めるときに、承認するのも私の役割。プラスの結果をもたらせれば私も嬉しい。

 うまくいく人に共通するのは、素直で謙虚な気持ちと感謝の心。ちょっとしたアドバイスにも、人の力を借りたことをわきまえる。自分ひとりの力だけでは、自分を活かしきれないと知ってる。それがわかってくると、人間関係の距離感も誤らないようになる。

 少しばかり才長けていても、周囲を見られない人と付き合うと、尽くしたところで骨折り損のくたびれ儲け。そこを見極められるかどうかが、本当のことを言うと人間観察の基本。私の場合は情に流され、理に働き、後から勉強することが多いような気がする。

 それでも歳月を経ると、馬齢でも学習効果が生まれ、いくらかは人を見る目も養われる。若い人が相手だと、無理のない範囲で付き合って、結果を云々しなくてもと思うときもある。たくさんの人にお世話になってるのだから、恩返しのつもりで動いたりもする。

 だからといって厚かましいと、心の芯のほうで拒否反応。人を利用するのは構わないが、それならそれで、可愛らしいところを見せてほしい。でも、実際は逆で、自立できる人ほど人の言葉を受け入れる。根っこで自信があるから、許容範囲が広いんだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月28日 (土)

バタン、キュー

 水曜日の朝は4時起床、品川7時の新幹線に乗るには、パスが走らない時刻に徒歩で狭山市まで。今日から3日間の国内ツアー、妻と2人で命の洗濯。最初は岡山の後楽園、随分と訪れてる街なのに初めての見学、ついでに岡山城まで観てきた。

 お昼はバスの中で祭り寿司、総勢16人のツアーだが、私たち以外は60歳を越えてる。これで採算が合うのかな。思ってるうちに倉敷の美観地区。散歩しながら煎餅を囓ったり、みたらし団子を頬張ったり、堀から吹く風が心地良く、歩いてるのが楽しい。

 宿泊は六甲ホテル、夜景がとても美しい。翌日は神戸の異人館巡り、明石大橋を渡り姫路城へ。ここでも歩け、歩け。ハイライトは宿泊する有馬温泉。若い頃に仕事絡みで訪れたときは、銀の湯しか入らなかったが、初めて金の湯を体験し、三名湯は伊達じゃない。

 最終日は京都の世界遺産ばかり、天龍寺から嵯峨野を散策し、清水の舞台から京の街を見下ろして、比叡山の根本中堂まで。修行僧の法話とやらを少し聞いたが、話も下手だし内容も陳腐、途中で抜け出して甘酒を飲んで、そちらのほうが身体には効いてくる。

 朝から晩までよく歩き、よく食べた3日間。自宅に戻れば、日付はすでに土曜日。メールをチェックしただけで、返信もせずに寝てしまった。これだけ遊んだら、しばらくは一所懸命に仕事。人からの相談にも応えなきゃ、バランスがとれないよね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月25日 (水)

打ち合わせ

 午後から打ち合わせが2件、最初は6月の講演、夕方に5月の研修。私の予定が詰まってるので、同じ日に重なってしまった。先方の状況や要望を聞くのは、私にとって勉強になるし、何より語る手応えを得るためのチャンス。有り難いことである。

 そこで感じたのは企業や組織が、本気で人を育てようとしてること。当たり前のようだけど、少し前まではそれほどでもなく、一人ひとりの自助努力に委ねてた。人が足りなくなれば募集し、人材派遣会社を利用するケースも増えていた。要は人の数が大事。

 ところがこのところ、人を育てないと組織の繁栄はないと、気づく企業が目立ってる。とりわけ経営幹部やマネージャー層。団塊の世代が現役を離れることもあるが、コアになる人材を検証し、次世代の人材を育てられるよう、教育に取り組み始めてる。

 どこもかしこも意欲的というわけではないが、こうした意識の差は時間を経るほど、ボディブローのように確実に効いてくる。とりわけ私のように熱く語る講師を求めるのは、企業や組織の温度が高まってるからで、それだけでも成長の兆しがあるということ。

 手前味噌になったが、私もたくさんのエナジーを頂いてる。それをまたフォーラムや交流会へ還元し、少しでも活力を湧かせる人が増えれば、世の中はおもしろくなる。勢いがあるときは全力投球、その積み重ねを財産にして、さらにさらに飛躍しよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月24日 (火)

生きていれば

 日曜日の朝日新聞の朝刊に、年間3万人を超す自殺者の8割が、誰にも相談せずに死んでいくと報じられてた。これは厚生労働省が遺族や自殺未遂者1,700人に調査した結果。自殺者のうち未遂歴がある人は1割、従来の欧米の研究では2〜5割の未遂歴がある。

 事故や事件で死ぬ人も多いのに、自ら命を断つ人が年間3万人を超えるのは、実に悲しく歯止めを掛けたい。そうした思いから行動を起こして、自殺ゼロキャンペーンを展開するのが、私のマイミクでもあるオキタリュウイチ氏。私もお役に立ちたいと考える。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=6210

 生きていくのは、一筋縄にいかなくて、五体満足に生まれ、平穏無事に暮らすのは、実のところ並大抵ではない。病気や災害、選択の失敗、信頼する人からの裏切り、躓きの石はあちらこちらに仕掛けられてる。私自身も、何度滑って、転んで、挫けたことか。

 時折メールや電話で相談されると、自分の力のなさを思い知らされ、適切なアドバイスを与えられたか、後になって迷うことも少なくない。圧倒的に不利な状況のとき、闘いながら切り抜けるしかないのだが、その闘いは絶対に攻撃を仕掛けることではない。

 あるがままの事実を受け入れて、自然体で対処すること。甘えられる人がいれば、身を委ねて甘えれば良い。大切なのは生きてること、今日一日を凌ぐこと。張り裂けそうな痛みに、正面から立ち向かえば潰される。堪え忍んでいれば、風が変わることもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

多士済々

 島田倶楽部ということで、中野区立商工会館の大会議室、その片隅で雑談会。参加してくださったのは、それぞれに個性豊かで魅力に溢れ、言葉に重みがある人ばかり。出版からセミナー、web、ビジネスと、話題は転がりながら深みを増していく。

 それぞれが専門的な経験に裏付けられながら、私にもわかるように話してくれるから、長い時間を話し合っていても興味津々。これから考えるヒントがたくさん、一つひとつ噛みしめていけば、新しい展開が生まれてくるかもしれない。私としては大喜び。

 ところで参加した人にすれば、少しばかり消化不良だったかも。テーマを設定してないから出口もなく、結論を導くようなこともない。話としてはおもしろかったが、だからどうなの。そこを創意工夫しなきゃ、同窓会の雰囲気で終わってしまう。

 この辺りが課題かな。たとえ30分間でも、基調講演くらいしたほうが良かったかな。島田の顔を観ただけで帰したら申し訳ない。次に繋がる切っ掛けを遺せなかったので、それは私の宿題として解決して、具体的に提示しなきゃケリはつかないよね。

 誰も来なくても仕方ないのに、集まってくださった人たちには感謝、それも凄い人たちばかり。mixiがなきゃ出会わなかったが、今になっては私にとってのキーパーソン。せっかくのご縁を大切にして、小さな芽を育てたい。皆さん、お知恵を貸してくださいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月22日 (日)

どっと疲れが

 久し振りの営業マンフォーラム、その前に会いたいという人がいて、午前中に新宿で待ち合わせ、2時間くらい話してた。初対面なのに、あれこれとアドバイス。一所懸命になってしまうのは私のクセ。お土産に和菓子をもらって、昼飯代わりに食べちゃった。

 年度初めなのか、冬眠が長かったのか、会場がわかりにくかったのか、フォーラムは出足が鈍く、7名で再スタート。でも少数精鋭の集まりで、いつもより皆が真剣。私もテキストを作成し、1時間をみっちり語り尽くす。気合いが伝わった感触が心地良い。

 その後のディスカッションも、それぞれが具体的なテーマを示して、私が真正面から受けとめる。人数が少ないだけに、密度の濃い時間を過ごし、交流会を予定してたのに、5時まで真剣モード。この辺りでかなりお疲れ、だからといって誘われたら断れない。

 4人で居酒屋へ、私はウーロン茶。しばし雑談が続いたけど、その後に具体的な相談。身を乗り出して考え、細かいところまで修正し、少しはプラスになるヒントを示唆できたかな。気づくと時計の針は9時を過ぎ、そう思ったとたんに足腰がふらついて。

 狭山市駅に着いたら終バス、最近は妻に電話しない。右肩が上がらないのに、駅まで私を送るから、迎えまではさせたくない。ほんのひととき、お茶を飲んでから、パソコンでメールをチェックしてたら真夜中。明日もあるから、今晩はおやすみなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

沖縄の黒砂糖

 郵便物を出さなきゃいけないので、散歩がてらに近くのスーパーへ。沖縄の黒砂糖を3袋、ついでにピスタチオ。妻とギリシアで遊んだとき、地中海の島々を巡ると、そこかしこで売ってた。今となれば、随分と昔のような気がする。暖かいから思い出したのかな。

 沖縄の黒砂糖は、売ってそうで売ってない。欠片になっていて、口に含んでると溶けていく。パソコンの前での作業が続くと、疲労回復になると信じてるが、よく考えるとサーカスの熊みたい。黒砂糖ひとつで芸をして、機嫌良く頑張れるのだから。

 お酒が飲めないからなのか、甘い物が大好物で、チョコレートでもお饅頭でも、食べ始めたら切りがない。それでも流石に黒砂糖は少しだけで満足、過ぎれば喉が渇くし、食欲も失せてしまう。私の祖父が缶から飴を取り出し、こっそり舐めてたのも覚えてる。

 片付けなきゃいけないことが諸々あって、面倒な作業を続けていたからなのか、このところ黒砂糖の消費量が増えていた。それもようやく目途が付き、本来の仕事へ戻れそう。今日と明日はたくさんの人と会える予定、苦あれば楽もあるからね。

 お天気も良くなって、風が吹いても南風。足腰も軽くなってる。どこまで行けるのやら、自分でもわからないけど、歩けるうちに歩いておこう。休みたくなくとも、立ち止まるときだってあるし、引き返すことだってあるかも。でも、疲れたら沖縄の黒砂糖。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月20日 (金)

辻説法のように

 昨夜は4月というのに氷雨、清話会のセミナーに登壇できたが、予定してたより出足は鈍かった。それでも参加した人は真剣、私の一言一句を聞き漏らさず、緊張感を保ちながら時が過ぎる。どれだけのことを伝えられたか、明日からの日々に何かを変えられるか。

 セミナーそのものは1時間半の講演、でもその後が長かった。担当者を交えて近くの喫茶店へ。熱心な参加者も同席し、しばらくの間は雑談。参加者が帰った後に、担当者と話し込む。正直に言ってその段階では、お互いに素顔を突き合わせていた。

 善し悪しは別として、次の約束がなきゃ、私は人へ入り込んでしまう。相手が熱心なら、なおさらで、いつの間にか10時過ぎ。帰宅すると真夜中、小腹が空いて、なぜか汁粉を食べたくなる。疲れてはいるのだが、妙に頭が冴えて、なかなか寝つけない。

 私が憧れるのは、道元のような修行僧。法然や親鸞、日蓮なども立派だが、道元は骨太で潔さが際立つ。真似すらできないのは承知してるから、せめて演壇に立つときは腹から声を絞り出し、魂を込めて語り尽くす。その思いがどれだけ届けられたのか。

 有り難いことに、こうした機会が舞い込むようになった。5月も6月も舞台は準備されてる。自分自身で創り出す場もあるし、精一杯に勤め上げる覚悟。それ以外にも、自分を掘り起こす作業を求められ、着実に一歩を踏み出す確かさを受けとめてる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月19日 (木)

声を出し続ける

 海の向こうで大学生が32人を射殺、あげくの果てに自殺したという。銃社会アメリカならではの事件と思ってたら、選挙戦の途中で長崎市長へテロ、犯人は緊急逮捕されたが、市長は手当ての甲斐なく出血多量で死亡。痛ましい事件が相次いでる。

 当たり前の話だが、民主主義は面倒臭い。自分の意見に賛同する人ばかりなら、話は簡単で心地良いのだが、必ず反対する人もいれば、筋違いで誤解する人までいる。その都度に説明を繰り返し、理解と共感を得るのがルール。問答無用を許しちゃいけない。

 しかし人はそれぞれ、同じ立場にいないから、誰もがいつでも議論を仕掛けられるわけでもない。土俵で相撲を取るには、そこまで進むことを求められる。世の中の競争ルールが公平じゃないこともあり、苛立ちを隠せない人がたくさんいるのも事実。

 それでも辛抱強く訴えて、世の中を少しずつでも変えていく。ときには自分が間違ってるかもしれないと、謙虚に反省することも大事。だって自分の理屈だけを押しつけてたら、声の大きい人の天下に従うしかなくて、いつ抹殺されるかわかったものじゃない。

 自分の声が届かなくとも、意見に耳を傾けてもらえずとも、創意工夫を凝らして繰り返し発言、どうすれば伝わるかに徹底的にこだわる。敵を減らし味方を増やすことが、自分の可能性を切り開く。今さらながらに再確認し、すべての暴力を否定したいと考えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月18日 (水)

それぞれの思惑

 久し振りに国司先生からお電話、要件は些細なことだけど、お互いに状況報告してると、知名度が高ければ高いで、いろいろなご苦労があるらしい。国司先生はご高齢だけど、その人脈は華やかで、今でも一流企業の会長や相談役を務めてる人もいる。

 松下村塾ではないが、自分自身の人生観や価値観、哲学を次世代へ伝えるために、国司先生は月に2回、那須から上京してる。ところがそこへ集まる人たちは、必ずしも先生に師事したいばかりではないらしい。先生の人脈を利用したい人もちらほら。

 それでも仁義を切って、先生に紹介を請うならわかるが、抜け駆けのように経営者を訪問。門前払いに合うばかりでなく、経営者から先生へ問い合わせ。寝耳に水で驚かされるのはお気の毒。他人の褌で勝負するなら、持ち主の顔を潰さない配慮は当たり前。

 国司先生が求めてるのは、ビジネスでも金銭でもなく、自らが歩いてきた証を伝え、関わる一人ひとりにヒントを示唆すること。手弁当でもやらなきゃいけないと、腹を括って人生と向かい合う。私が共に歩まないのは、お互いが築いた哲学の違いかな。

 国司先生には、私塾であると明らかにしたほうが、近寄る人の峻別ができると伝えたが、この手の話は随分と耳に飛び込む。人と人が付き合う距離感は微妙で、悪気がなくとも心証を害したり、虎の威を借る狐になって気づかなかったり。他山の石にしなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月17日 (火)

雨でも暖かくて

 小糠雨降る日本橋人形町、事業プランの提案を求められ、宿題を与えられた気分で甘酒横丁へ。平日ということもあり賑わいはないけど、江戸の下町の情緒が漂ってる。道行く人たちは傘に隠れてるが、町並みをぼんやり眺められるのがフリーの気楽さ。

 帰宅してメールを開けると、いくつかの案件が届いてる。すでに会社の定時は過ぎてるから、少し落ち着いてから返信しても間に合う。全体のバランスをとりながら、先方が納得できるように。一つひとつが自己責任、人に任せられないのがフリーのしんどさ。

 それでもここのところ、時間が動き出してる。貧すれば鈍すで、うまくいかないときは空回り。クリアすべき課題があるのは、とても有り難いこと。新しいチャレンジも大歓迎、すべてに成果を導けるとは思わないけど、やらなきゃ何にも繋がらないし。

 夕食は筍御飯、今の季節だけ味わえる。湯豆腐、茄子のしぎ焼きとお澄まし、お漬け物。最近はこの種の献立が嬉しい。たまには肉も良いけど、サッパリしてるほうが負担が掛からない。いつものように2時間ドラマを観て、さあさ、これからがシンキングタイム。

 どうすれば自分の言葉を伝えられるか、それはもちろん大事だけど、それ以上に重要なのは、先方にどのような影響を及ぼし、プラスの方向へ寄与できるか。正論を吐いたところで、受けとめてもらえなきゃ、自己満足で終わっちゃうからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

男とか女とか

 今どきの時代に、男女の優劣など問われると、何やら不思議な気分。私の目には、男は直線で描かれ、女は曲線で描かれ、お互いに足りないところを補い合う。同じ重さの鉄と綿がぶつかれば、鉄が綿を切り裂くけど、それは単純に性質が違うだけの話。

 言うまでもないことだが、性差の背景にあるのは生殖だが、社会生活の変化が大脳に影響を及ぼし、性行為はさまざまな組み合わせで果たされてる。そうなると性的パートナーの選択さえ、男女差でなく個人差が根拠。異性に惹かれる感性は原初的なもの。

 自分自身を振り返っても、妻との始まりは男と女だったが、一緒に同じ道を歩み続けることで、人と人の関係になったような気がする。台所に立つのは妻だが、それは私が無器用なせい。最近は肩の上がらない妻に代わって、私がフライパンを手にしたり。

 それでも脇で見ている妻がダメ出し、最後の仕上げは妻がやっている。食卓を揃えたり、食器を片付けたり、私の役割はお手伝い。共に暮らしているなら、どちらがやっても構わない。外出するときに私が荷物を持つのも、筋力は私のほうがあるからだけ。

 凄い男もいれば、ダメな男もいる。凄い女もいれば、ダメな女もいる。性についていうなら、つがいの相手を選ぶまで。パートナーが決まれば、男も女も人として付き合うのが自然。今の環境がそうなっているかは別問題、歴史的事実が正しいとは限らない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月15日 (日)

人との出会い

 初対面の人と出会う機会が増えてるが、どうも私の場合は遅咲きのようで、最初から意気投合するより、時間を掛けて熟成したほうが、うまくいくケースが多いみたい。そうは言っても確率の問題だから、スピーディに事が運ぶことだってある。

 そうした点でmixiは、私にとって有り難い存在。リアルでは初対面でも、それまでに日記へのコメントやメールなど、コミュニケーションをとれるから、ある程度はお互いの距離を縮められ、お会いした後のフォローまで。顔の輪郭ぐらいは伝え合えるのかな。

 私くらいの年代になると、賀状の交換だけという関係も多い。自分では同盟を結んだつもりでいても、相手を取り巻く環境が一変して、話が噛み合わなくなった経験も。親密な時代が長いほど、どこか裏切られたような気分。相手が悪いわけじゃないのに。

 mixiに日記を書いてると、毎日レポートを提出してるようで、読む人がそれぞれに受け取ってくれる。コメントを書いてくれなくとも、伝えた言葉が届けばそれだけで充分。足跡が残っていると、私は繋がってると安心する。具体的な話があれば会えば良い。

 実際に行動を起こすには、タイミングが必要不可欠だし、すべてを一気に進められないから、mixiという環境は私にとって最適。自分のペースに合わせながら、スケジュールもコントロール。嬉しい出会いの種を蒔きながら、それが実る日を楽しみに待てる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日 (土)

大忙しって!?

 朝一番で入間の丸広へ、折り返して川越の万世。TVドラマでハンバーグを食べるシーンを見て、無性に食べたくなっちゃった。久し振りだったので凄く美味しい。ここまで来たら足を伸ばそうと、義母を見舞うことに決めた。新しい施設に移ってから初訪問。

 今日は意識も鮮明で、妻の顔を見て喜んでくれた。手を握られて驚いたたのは、肉が付いて力強くなり、皺が目立たない。ベッドから半身を起こせるようになり、元の状態には戻らないだろうが、随分と元気になって嬉しい。やはり親子、妻の顔が綻んでる。

 狭山へ戻ると疲れたようで、日帰り温泉で骨休め。ゆっくりしたいとのご要望に応え、夕方までのんびりとくつろぐ。近所の天然温泉は極楽、こんな日が毎日続いたら、身体の芯までとろけちゃう。頭の中も空っぽ、ゆらりゆらりと雲が飛んでいく。

 そうは問屋が卸さなくて、帰宅すると来週の打ち合わせ、6月の講演依頼とその打ち合わせ、それ以外にもいくつか大事なメール。気分を切り換えたとたん、シャキッとさせてくれるから有り難い。コミュニティを立ち上げる約束もあり、これも急がなきゃ。

 ようやくメリハリがついてきて、エンジンも暖まってきた。空吹かしすることもなく、アクセルを踏むたびに力が伝わる。無駄に思えた動きの一つひとつが、小さな芽を伸ばしてきて、私の背中を押してくれる。遊んだら遊んだ分だけ頑張らなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

また、やっちゃった

 今日は名古屋の人と打ち合わせ、忙しい人だから、私が絡む予定になってる出版事業の基本をすり合わせたら、そこでお仕舞いにするつもりだった。ところが話が弾んで光陰矢の如し、気づいたら5時間30分、名古屋まで帰らなきゃいけないのに……。

 20代から沈思黙考し、全速力で動き、密度の濃い人生を送ってるから、背景が深くておもしろい。30代を迎えて、世のため、人のため、そして自分のために、事業を立ち上げる。エネルギッシュだから視野も広く、私としては出版への思いを確認したい。

 そうすると地金が表れ、純粋で少年のような魂が伝わって、本気でプロデュースする気になった。本を出したい人のお手伝いをする仕事だが、クオリティにも強い関心を持っていて、単に作れば良いとは思ってない。自分のライフワークとして腰を据えてる。

 自分を成長させた人や組織に恩義を感じ、続く人を育てたい熱意を抱いてる。その夢がすぐに実現できると判断せず、そこへ至るプロセスを地道に設計。決めた後の行動は大胆で、気っ風の良さも魅力のひとつかな。その結果として、人脈も多彩で興味深い。

 私も援護射撃、いくつかのアイデアを提起する。それを行動へ移すつもりだが、最近の出会いの中では、他にものめり込みたい人がいて、そこでの活動にも積極的に絡みたい。周囲が動き始めただけに、私自身の自己コントロールが極めて大事かな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月12日 (木)

爺の哲学

 人は誰でも完璧じゃないから、その気になれば批判するのは簡単だけど、口から吐いた言葉は元に戻らず、同じ強さで自分を斬りつける。そのくらいのことはわきまえ仕掛けないと、言葉が軽く宙に浮いてしまい、誰からも信頼されないことになる。

 そうは言っても自らを省みず、批判せざるを得ないこともある。それは相手が圧倒的に強く、放置したら押し流されてしまうとき。蟷螂の斧かもしれないが、倒されるにしても一太刀浴びせ、自らの思いを明らかにしておきたい。玉砕しても良いじゃないか。

 この辺りのバランスが、いささかおかしくなってる。弱い相手に全力でぶつかり、強い相手には沈黙を守る。挑まれたからといっても、相手と自分の力を測り、勝てる相手なら闘いを回避し、自分の味方になるよう諭すのが賢明な策。味方は多いほうが楽だもん。

 若い人は血気に逸って、自分の正義を貫こうとするが、私たち爺の目で見ると、調整できる余地がいくらでもある。握手できる相手と闘ってたら、自分で世界を狭くするだけ。だからといって意見も主張できないようじゃ、自分の居場所なんて見つけられない。

 志を高く掲げ、それでいて謙虚に素直に歩む。それが、歳月を重ねて私の腹に落ちた流儀。ものごとの本質に近づくには、われ以外皆わが師。孫娘から教えられても、有り難いと受けとめたほうが、間違いなく自分を成長させられる。でも、闘うときは闘うよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

美女とランチ

 半年ぶりの再会かな。池袋の静かなレストランで、食事中は雑談だったけど、珈琲が出る頃には近況報告。誰に対し何をどうやるのか、かなり具体的に絞り込まれてる。最後の詰めを誤らなければ、ビジネスとして離陸して成果を導くプロセス。たいしたもんだ。

 初対面は1年ほど前、夢を抱いてるのもわかるし、聡明なのも認めるけど、正直に言って観念の空回り。基本的に主婦だから、一番の関心事は子育て。意欲が旺盛なのは買えた。それから半年後、もしかしたらと思わせるほど、事業構想がまとまってきた。

 それからさらに半年、唸るところがいくつもあり、ビジネスとして関わりたい食指が動くほどに。逞しいな。会う度にキラキラ輝いてくる。これでビジネスが軌道に乗れば、もっと堂々と振る舞えるようになり、アイデンティティを確立できる。

 この人に限ったことではないが、できる女性が備えてるのがリアル感覚。そして素直に人の言葉を聞く姿勢。半年前に言ったことをきちんと採り入れ、プログラムを深め進化させてる。人の繋がり方を見ても、慎重だけどぶれないから信用できる。

 やはりお喋りに夢中になって3時間、私もたくさんの刺激を受ける。いつもよりは短めなので、苺のケーキを買って帰る。家には美女じゃないけど、長年連れ添った片割れが待ってる。二人で紅茶を飲みながら、TVのニュースのことなど語り合う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火)

遅々として進まず

 髪が伸びてきたので床屋へ、天然温泉の中だから、当たり前のように朝湯。やはり大きなお風呂は良い。およそ2時間、リラックスしてると、疲れがどんどん溶けていく。のんびりとお湯に浸かるには、絶好の曇り空ということもあって、いつの間にかお昼過ぎ。

 ほんのちょっと作業を進め、ついつい夢を観ていた。途中はわからないけど、追われて塀を飛び降りなきゃ。大丈夫と思ったのに意外と高い。逡巡してる間に目が覚めて、ジャストタイミングで孫娘から電話。土曜日に幼稚園の入園式があったはず。

 今日から通い始め、いささか興奮してる様子。お勉強をしたけれど、うまく答えられなかった。それでもお友だちができて、不安ながらも一歩を踏み出す。これから毎日、いよいよ社会に慣れて、新しいことを覚える。笑い声を聞けるだけで、爺はほっとする。

 私も諸々とやらなきゃいけないのだが、さまざまな事情で思い通りに展開しない。HPも手直しを進めてるが、講演と研修はどう違うのか、伝え方を絞り込めず足踏みしてる。連絡が欲しい人もいるけど、こうしたときに限って梨のつぶて。いささか疲れたかな。

 そうは言っても元気を出さなきゃ、私の持ち味は活かされないから、大きく深呼吸して問題を整理。できることから地道に作業、それが後になって効いてくる。どのような展開になっても、対応できるようにしておかなきゃ、困るのは他の誰でもなく自分だから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 9日 (月)

人を選ぶには

 統一地方選ということで、私が暮らす狭山市でも埼玉県議選。ところが立候補者の顔もわからない。調べておかない自分の手落ちだが、広報も届いたのかどうか覚えてない。他の地区では無投票で当選が決まるケースも。国政と比べると盛り上がりに欠ける。

 これが知事選ともなれば、いささか雰囲気も違うし、市議選ならば身近なのに、そんなことを考えるのは当事者意識の欠如。棄権するよりマシと、散歩がてらに妻と投票所の小学校へ。取り敢えず権利は行使したが、スッキリしない気分は拭えない。

 正直に言って立候補者も少なく、日常との関わりも見えにくいから、スルーする人が増えるのもわかるような気がする。立候補者にすれば地盤を固めるのが先決、遠い将来を見据えて政治を語るのは後回し。選ぶ側が意識しなきゃ、現状は変わらないのに。

 よく考えてみると、これは政治に限ったことではない。判断に迷うときは、平気でスルーしてるけど、それは棄権するのと同じ。誰かがチャンスを掴んでる。スルーを繰り返してると、いつの間にかどこかへ流される。不平不満を呟いても、後の祭りになるだけ。

 それがイヤなら、自分がどうしたいかをハッキリさせ、何を選ぶかを決めなきゃならない。眼鏡にかなう人がいなくとも、一番近い人と繋がって、関わりの中で影響を及ぼせば良い。能書きを垂れるより、最初の一歩を踏み出す。何にでも当てはまる気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 8日 (日)

公園を歩いて

 桜のきれいな稲荷山公園を観てから、遠回りして智光山公園へ。私たち夫婦は、ここで散歩するのが好き。どうしてなのかを考えると、自然を採り入れながら手入れが行き届いてるから。他の公園は人工的なものが多かったり、自然なまま放置されてたり。

 智光山公園を散策すると、数カ所で年長の人たちが、熱心に作業する光景と出会う。除草したり、伐採したり、もちろん清掃もこまめ。犬を連れてる人もリードを手放さず、行き交うときには手元に引き寄せる。一人ひとりが市民の森として大切に扱ってる。

 半周を歩いたところでベンチに座り、妻が持参したお握りを頬張る。枝垂れ桜が目の前、日の光が柔らかく、お昼前なのに平らげてしまった。ゴミ箱はないから、卵の殻やらサランラップやら、当たり前のように持ち帰る。きれいな場所は、そう簡単に汚せない。

 近隣の街と比べて、狭山市民の品位が高いとは思えないから、やはり公園を管理する意識の違い。随分と昔にヨセミテ国立公園を訪れたとき、同じような印象を抱いた。ありのままの自然では、私には手強すぎる。人の手がやさしく加えられて丁度良い。

 こうした匙加減がわかってくるのが、歳を重ねてきた知恵に違いないが、翻って自分自身を問い直してみると、声高に正論を振りかざしてないか。皆にそれぞれ可能性が秘められ、素晴らしいところがたくさんあるのだから、それを素直に認めることが大事。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 7日 (土)

小僧寿し

 妻が友だちと昭和記念公園へ、少し遅いお花見みたい。お昼をどうしようかな、面倒なので近くの小僧寿し。久し振りだったけど、寿司は江戸時代のファーストフードと思い出す。ネタは冷凍で、さして旨くもないけど、ひとりで食べるなら充分かな。

 ぼやぼやしてたら、私も出かける時刻。新宿で電子出版の打ち合わせ。正直に言ってフィーは安いが、過去のコンテンツを埋めさせるより、新しい形で世に送り出したい。紹介してくれる人を信用してるので、細かいところはスルーして、ご縁を大切にしよう。

 初対面の人は実直そうだが、コンテンツ事業を手広く営む。さまざまな展開が予測され、それはそれでこれからの楽しみ。諸々と雑談を含めて3時間、それでも近頃では短いほう。自分自身の内側から溢れる言葉を、抑えきれないようなエナジーを感じる。

 帰宅すると、やはり妻は疲れていて、夕食は簡単に煮込み饂飩。それでも食卓を囲む相手がいると、一つひとつの素材の味がするから不思議。電車で座れても、肩胛骨が痛むらしく、TVを観ながらさすってると、そのときだけは凌げるみたい。痛むのだろうな。

 穏やかな時間も、加速する時間も、私にとってはどちらも大切。周囲の景色が移っていくようだが、私は大地に足をつけながら、振り回されないように、振り落とされないように、悔いの少ない決断を繰り返す。お呼びが掛かるうちが花、精一杯にやってみよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 6日 (金)

豚しゃぶ

 今晩は豚しゃぶ、40代の頃に先輩のコンサルタントが、ご馳走してくれると豚しゃぶが出てきたときには、牛じゃないのかと思ったりしたけど、近頃は豚のあっさりした甘みのほうが、身体にやさしいような気がしてる。もしかしたら、これも歳のせいなのかな。

 若い頃には小鳥じゃないと、箸も付けなかった葉物の野菜。それが今では美味しいんだよね。水菜に長葱、レタスまで、鍋の底まですくい取り、豆腐や湿地と一緒に頂く。全体に食の嗜好が軽くなってるみたいだが、相変わらず甘味は好物で、黒砂糖を舐めたり。

 芭蕉が説いた不易流行は、時代のことだけじゃなく、人の身体にも当てはまるのかな。変わるもの、変わらないもの、それは何に根ざしてるのだろう。ものの見方や考え方にしても、若い頃と比べたら随分と違う気もするが、その実どうなんだろう。

 自分では柔らか頭と思っていても、人と話したりすると、意外に頑固と気づかされたりする。懐は深くなってるはずだけど、ケチな了見が頭を擡げたり。格好悪いけど、人生は螺旋階段だから行きつ戻りつ、エスカレーターで頂上へ登るわけにいかないやね。

 それでいて凝り性だから、気になるとさあ大変、回り道とわかっていても、そこで作業が始まっちゃう。ストンと腹に落ちるまで、ディテールにこだわっちゃう。でも、これからたくさんの人と会えば、また変わっていくよね。成長するに決まってる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 5日 (木)

お疲れさま

 今日は新規事業の打ち合わせ、と言っても構想の段階で、これからどのような形になるのか、誰と誰がどう絡むのか、具体化されてないところが多い。その一方で期待が高く、どのようなスタンスが最適なのか、応える力があるかも含めて、私としては戸惑う。

 人生を賭するくらいの意気込みも伝わってくるし、評価されてるのも素直に嬉しい。コンセプトの方向もおもしろいし、実に魅力的な誘いなのだが、本気で関わるとなれば大仕事。スケジューリングも含めて捉え直し、裏付けが明らかでないと乗りにくい。

 そんなこともあってか、少し喋りすぎたかも。レジメを準備してくれたのに、その周辺をウロウロして、なかなか本題へ踏み込めなかったのは私のせい。友人をひとり紹介してくれたのだが、初対面のその人にすれば、煙に巻かれたような印象だったかな。

 いろいろと宿題を与えて別れたけど、私からもレポートを提出しなきゃいけないかも。小手先で対応できることじゃないので、腰を据えて考えないと失礼。相手の本気に真剣勝負、それが私の持ち味だから、そこのところはきちんと守っておかないと。

 今日も午後1時から6時間、私も随分と疲れたけど、同席した2人はクタクタに違いない。今までのことも整理して、話が前へ進むような形にして、それをヒントに考えてもらわないと、堂々巡りをさせてしまうかも。ちょっぴり気の毒だったと反省中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 4日 (水)

仰ぎ見れば空

 朝日新聞の記事で、自殺ゼロキャンペーンを展開しようとする人を紹介。徳島にいたときに、ヘブンズパスポートという企画で、全国15万人を巻き込んだ実績を持つ。ボランティアとはひと味違う発想に興味を抱き、連絡したら会ってくれるとのこと。

 柔らかな雨をすり抜けながら、渋谷駅からしばらく歩き、ビルの一室で二人きり。この人も私より二回り下の辰年、先月の初めにも同い年の若い人と会い、感性の鋭さに驚かされたばかり。ちょっと話を聞くだけのつもりが、気づいたら5時間経っていた。

 一つひとつの話が新鮮なのは、ものの見方考え方がポジティブ、そのうえ既存の枠組みに捕らわれてない。だからといって自由奔放なわけでなく、目の前の相手を必死に理解しようとする。実績を見ると煌びやか、20代の前半から海外からも高い評価を受ける。

 お互いの自己紹介や、これから何をやりたいか、どんな風に広げたいか。そんなことを話していただけなのに、仲間になったような感覚。具体的にどう走るかは、コミュニケーションを積み重ねてからだけど、私の心の中にはすでに深く食い込んでる。

 すでに日も暮れて、夜空には星もないが、渋谷まで歩いてると、疲れてるはずの足取りが軽い。凄い人って、たくさんいるな。背中を丸めてると気づかないが、胸を張って前へ進むと、あちらこちらで声を掛けられる。またひとつ、新しい可能性が開く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 3日 (火)

風に吹かれて

 所沢に用事があったので、航空公園に寄り道。桜の並木道を散策すると、日本人に生まれてきて良かったと思う。薄曇りなら穏やかに、晴れていれば鮮やかに、桜は私を包み込む。すでに葉桜も目立ち、刹那的だからこそ美しい。花は桜木、人は武士。

 そんなこと言ったって、実際にはしぶとく生きる。二枚腰、三枚腰が身上だから、よけいに潔さに憧れるのか。はらはらと風に舞う桜の花びらは、後を嗣げよと伝えてるみたい。でも、私が似てるのは、踏まれても根を生やす雑草、花は開かずとも実を結ぶ。

 春は一瞬に過ぎ、真夏の太陽に照りつけられ、黄金色に染まる秋を迎え、冬の寒風に吹かれて、それでも絶えることなく生命を燃やす。人の目には雑草にしか映らないが、一寸の虫が五分の魂を育むには必要不可欠。大切なのは、いつもそこに在り続けること。

 桜は桜の使命を果たし、華やかに里を染める。雑草は雑草の領分を守り、生命の営みを支える。どちらも自然の中で、持ち味を活かし、それぞれの天命に従う。桜は桜で在ることを疑わず、雑草は雑草で在ることを疑わない。人だけが疑心暗鬼に悩み迷う。

 すっきりと空へ向かい、一本に伸びていけば良い。自らの生命を燃やし尽くし、叶えられないことは次世代に託す。よけいなことを考えるから、袋小路を漂い出口を見いだせない。光在るうちに光の中を歩み、ひたすらに励めば、それで充分に役割を果たせる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 2日 (月)

日本人の宗教観

 日本人はどこが凄いのか、特質はいろいろあるが、その中でも一番に挙げられるのが、人の話をよく聞く姿勢。自己主張する前に、相手の立場を理解しようとする。七人の話を同時に聞いた聖徳太子の時代から、衆知を集めて和を説くのが日本人のスタイル。二元論で世界を捉えない。

 お正月に神社を詣で、クリスマスを楽しみ、葬式はお寺に頼む。日本人には何の不思議もないが、これは極めて稀な宗教観。仏教が伝来し国家鎮護の役割を担っても、八百万の神々を崇める姿勢を保つ。国家神道の時代に廃仏毀釈を唱えても、お寺を大切にする風潮は消えない。

 人によっても時代によっても異なるが、日本人にとっての宗教は、基本的に文化であって哲学ではない。その典型がキリスト教の伝来、西洋の技術と科学を学ぶために、信長は布教を受け入れたが、影響力の大きさに驚き、後になって家康が弾圧するが、南蛮寺などの発想は日本流。

 内村鑑三の『代表的日本人』には日蓮が描かれてる。異教徒であることよりも生き方に共感し、人物として認めるのが日本流。何を信じているかでなく、どう生きてるかを問うてる。こうした発想の原点には、常に人間を中心にした思考があり、厳しいまでの当事者意識が脈々と流れてる。

 神仏という言葉があるけど、日本人の宗教観は、人智を超えた存在は須く崇め奉る。自らが一歩退いて、謙虚に対応するのを、自然に身につけてる。一神教ではないが、無宗教というのとも違う。他人が信じる神を、自分が信じる神と、同じように敬う。私には、それが素晴らしいと思える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 1日 (日)

改めてスタート

 新しい年度に切り替わり、私も初心に戻る良い機会。このところ数多くの出会いがあって、共通するのは人を育てるテーマ。いつの間にか50代も半ばを迎え、次世代へ伝える役割を担ってるということなのか。できることをきちんとやらなきゃ、この世の中に私の居場所を見つけられない。

 そうは言っても、どのような人に育てるのか。老若男女、価値観は十人十色。私が理想とするのは、自分の頭で考え、自分の心で動ける人。主義主張や立場は違っても、お互いが自立していれば、話し合うことでより良い方向を見いだせる。ひとつの情報に接しても、正誤を自己責任で判断できる。

 私たちは、どこから来てどこへ向かおうとしてるのか。それを知るためには、歴史を紐解かねばならない。善し悪しは別として、私たちは日本の風土に育まれ、日本人の意識に影響を及ぼされてる。国際化が進むほど、日本人としてのアイデンティティを問われ、遺伝子が色濃く表される。

 情報技術の加速的な進歩と、規制緩和がもたらした環境の急激な変化で、私たちは不安に襲われているが、こうした時代こそ原点に立ち戻り、自分が何を成すべきか、何ができるのか、確かめることが大事。身の丈に合わせて暮らさないと、贅を尽くしても息苦しくなる

 だからといって日本を美化するつもりもないし、今の時代を一方的に批判するつもりもない。自然体で自分の持ち味を掘り下げれば、幸せへ至る最短路を示せないか。試行錯誤を繰り返しながら、最適な方法を追い求めていきたい。どちらにしても毎日が勉強、その姿勢は変わらない。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年3月31日 (土)

誰が教えるの

 政府の教育再生会議は学校再生分科会で、道徳を教科に格上げするように提言する方針を決めた。すでに道徳の時間は実施されてるが、熱心に指導されてないと現状認識。教科にすることでテキストが定まり、道徳心や規範意識の根底を伝えられるという発想。教科であれば評価も想定される。

 再生会議を担当する山谷首相補佐官は、道徳は心の在り方なので、評価できるかどうかは論議が必要と慎重。伊吹文部科学大臣も、中央教育審議会などでの検討が大事として、価値観や思いを評定するのが妥当かを問い直す。羮に懲りて膾を吹く、道徳教育の根幹が揺らいでいく。

 子どもに社会のルールを教えようとするなら、親が規範を示すのが一番。親が本を読んでれば、子どもは真似して本を開く。親が年長者を敬えば、子どももお年寄りを大切にする。親が横断歩道を利用せず道を横切れば、子どもは危ないと思わずに車にはねられる。当たり前のことじゃないか。

 道徳の時間で何を教えるのか、今どき二宮金次郎か、ワシントンと桜の木なのか。皆が仲良く、弱い人を助けましょう。そう教えられても、高齢者が病院から追い立てられるのを見て、教えられたことが正しいと素直に納得できるとは思わない。教科にしたところで、要領の良い子が高得点になるだけ。

 どのような人物像が日本人の理想なのか、そのアウトラインを示さないと、善し悪しを判断することもできない。それを最初に学ぶのは、子どもでなく大人たち。自らの生き方が、日本の理想に対して恥じないか。それよりも前に、理想的日本人像を掲げられるのか否か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月26日 (月)

近頃の若いのは

 厚生労働省の調査では、日本の自殺者は03年から3年連続で3万人を超えてる。イジメを苦にした小学生から、生活に疲れた高齢者まで、報道されるたびに悲しい思いに襲われるし、公的機関を中心にさまざまな形で自殺防止のキャンペーンも張られてるが、自殺者を振り向かせられないのが現実。

 そうした状況をわかったうえで、できることをやりたいと、30歳の青年が行動を起こした。渋谷で商品開発などを手掛けるコンサルタント会社経営のオキタリュウイチ氏。オキタ氏は女子高生を対象に「ヘブンズパスポート」という企画を仕掛け、15万冊を売り上げた実績を残してる。

 これは、善いことをするたびにシールを貼り、100枚集まると願い事が叶うとするもの。口コミで広まったわけだが、大上段にモラルを説くより実効性が高い。善いとわかっていても、やりなさいと言われたら、背を向けたくなるのが人情だから、オキタ氏は優れたプランナーとわかる。

 自殺の原因は人間関係での疎外や金銭問題、その解決方法を紹介したチラシを5万枚印刷して、30日の午前中から渋谷の街頭などで配布。それを読んだ人がコピーして手渡したり、新しいアイデアを寄せたり、内容を充実させて月に1度はチラシを配布し、草の根的にメッセージを伝えていく。

 大切なのは一歩を踏み出すことで、結果を恐れてはならない。大人たちが身を以て示すべきを、若い人が肩に力も入れず動き始める。大学生なども巻き込んで、すでに種は蒔かれている。冷ややかに見守らず、若い人の背中を追って、私たち大人もできることをやろう。まずは問い合わせることから。

info@posi-media.net

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月22日 (木)

全学連が座り込み

 60年安保闘争に参加した全学連の元闘士ら50人が、国民投票法案の廃案を訴え国会前で座り込み。杖を片手の人もいたというが、皆が70歳前後だから仕方ない。参加者のひとりは「運動を高揚させていけなかった過去に悔いがある」と語ったらしい。正直に言って、今さら何をと思ってしまう。

 私が高校生の頃に70年安保、東大安田講堂への放水や浅間山荘事件など、革命は時代の潮流のように見えた。その一方で三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺、熱にうなされるように社会と思想を問い続け、いかに生きねばならないかを真剣に考えていた。私の髪は肩まで伸びていた。

 ところが大学生になると、全共闘はいささか浮いた形になり、数年後輩になると本も読まない。革命を語った先輩たちは、いそいそとスーツに着替えて就職活動、大手企業の内定を得意げに報告する。状況が変わっても組織の一員の感覚は同じ、全体の繁栄のために個人の幸福は後回しにする

 そのパラダイムを捉え直さなきゃ、パフォーマンスは三文芝居。組織を継続させるためなら、大量解雇もやむを得ないという発想。日本の国際的地位を高めるには、自主憲法を制定するべきという思考。カテゴリーとしては一括り。自分たちがどう生きてきたか、総括するのが先じゃないのか。

 先輩に対し厳しいことを言うようだが、国会前で過去の栄光に酔う同窓会。改憲の動きが強まる時代と嘆いてるらしいが、そこへ導いてきたのはあなた方の世代。マルクスなのか行動科学なのかは違うにしても、欧米へのキャッチアップを唯一の方法として、自分の頭で考えてこなかったのは一緒。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年3月19日 (月)

贖罪の行方

 95年3月20日、地下鉄サリン事件で12人が死に、5,500人以上が被害を受ける。首謀者の松本智津夫被告は未だ獄中で生き延び、後遺症に苦しむ人が数多いことを考えると、理不尽さを拭いきれない。松本被告を教祖とするオウム真理教は、アーレフと改称しながら存続し、教義を守ろうとしてる。

 長らくアーレフの代表を務めてた上祐史浩氏が脱退を宣言し、松本被告と訣別した新団体の設立を準備してるが、それが社会的にどのような意味を帯び影響を及ぼすのか。サリン事件の被害者への賠償責任を負うというが、どれほどのことができるのか。まったく予測も立たない。

 上祐氏がオウム真理教設立以来の幹部であり、諸々の反社会的事件に手を染めていないにしても、行動を共にして承認してたのは紛れもない事実。上祐氏の言葉に説得され、殺人に赴いた信者がいるかもしれない。一連の事件の被害者に対して加害者の立場を、十字架として背負い続ける。

 その一方で葛藤を経た贖罪への意思を、素直に認めたいところもある。人は皆弱い生き物だから、悩んでいるときに強烈な個性に出会うと、誰だって押し流される可能性を秘めてる。蛸壺のような精神状態へ陥れば、常識的な判断が機能しなくなり、奈落の底へ転落していくのかもしれない。

 上祐氏が問われるのは、地下鉄サリン事件や松本サリン事件の被害者に、どのように向き合うのか。罵倒を浴びせられても、献花に赴くだけの気持ちがあるのか。正直に言って上祐氏の存在は、迷走する時代の象徴、ヒステリックで矮小な私たちの心象風景。他人事ではないような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月11日 (日)

伝える難しさ

 全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)は、加盟する番組制作会社88社を対象に、捏造問題を受けての緊急アンケートを実施。12問の自由記述式で62社が回答。『あるある〜』に孫請けとして関わった制作会社は、1本当たりの制作費は860万円で、10年間で半減したと明らかにしてる。

 制作費そのものが高いのか安いのか、私たち素人に判断できないが、バラエティ番組など無駄なお金を掛けすぎてるのは事実。ぽっと出の芸人がベンツを乗り回したり、需要があると言えばそれまでだけど、お金の感覚がちょっと普通じゃないような気がする。その辺りも考えるところじゃないの。

 それより問題なのは、結論が先にあること。とりわけテレビというメディアは、わかりやすさが身上だから、番組のエンディングには落としどころが必要になる。ドラマやバラエティでは計算できるが、報道や情報番組では不測の事態も予測できるのに、それじゃ番組が成り立たないのも本当のところ。

 そこで責任を回避するため、コメンティターなる役割が登場。テレビ局の意見じゃ問題を生じるが、個人の意見として伝えるならOK。クロシロをハッキリさせる人ほど、コメンティターとして人気がある。言ってしまえば視聴者が望む結論へ、どうしても導かなきゃならない構図。

 こうしたミスリードのパラダイムを、根本的に問い直さないと、視聴者が満足する結論が先に決められる。それが世論として定着すると、社会そのものがミスリードされる。悪循環を断ち切るのは、視聴者一人ひとりの意識。自ら好んで踊らされてることに気づかなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 7日 (水)

ホームレス

 大阪の淀川河川敷で、少年のグループがホームレスを襲撃。同じような事件が愛知県でもあった。一方で大阪市は世界陸上の準備のために、ホームレスを公園から退去させたのも少し前。そう言えば愛知県でも万博の際、ホームレスに退去を命じてる。国際交流の舞台では、臭いものに蓋をする。

 社会的弱者をターゲットに、狼藉を尽くすのはモラルの低下。自分の欲望を満たすためには、弱い者を標的にするのが手っ取り早い。そんな風潮がはびこってる。勝てば官軍、プロセスは問わない。大人の論理が蔓延し、子どもや若者の心が荒んでいく。そろそろ皆が気づかないと大変なことになる。

 そうは言ってもホームレスの言い分も、かなりワガママなものなのも事実。公的機関が宿舎も斡旋して、職業教育も受けさせようというのに、窮屈だからと拒むのは自由の履き違え。公園にしろ河川敷にしろ、ホームレスの私有地ではない。勝手に占拠するのは明らかにルール違反、迷惑する人もいる。

 それぞれの人生には、それぞれのドラマがある。なりたくてホームレスになったわけじゃない。そこまで追い込んだ世間にも、言いたいことは山ほどあるだろう。だけど人の世で生きていくには、渋々でも掟に従うのは鉄則。人里離れた山中でも、天衣無縫には生きられない。どこにでも柵はある。

 誰だって今のポジションに、心から納得してるわけじゃない。どこかで折り合いをつけて、今日の糧を得るために堪えてる。ホームレスが責められるのは、競争に負けたからでなく、社会的責任を負おうとしないから。皆が共有できる場所を不法に占拠するのは、誰であれ許されることじゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月 3日 (土)

独り善がりでしょ

 歌手の森進一氏が代表曲「おふくろさん」の歌詞に、新たな歌詞とメロディを加え、作詞者の川内康範氏が立腹。森氏は何度も謝罪に赴き、誠意を伝えたいとしてるが、私の目には独り善がりのパフォーマンスにしか映らない。川内氏の言い分に筋が通ってる。森氏は基本を忘れてる。

 コンサートの会場で、即興的に台詞を加えたくらいなら、それも演出と笑って済ませられるが、CDに収録したとなれば、明らかに著作権の侵害。どれだけ短い作品でも、原作者の了解なしに内容を変更するなど、傍若無人な振る舞い。印税を払うとか払わないとかの問題じゃない。

 森氏がやるべきことは、速やかなCDの回収。世間への謝罪と原作者への名誉回復。それが終わった後でなければ、訪問の前提は整えられない。頭を下げれば、改竄した歌詞を既成事実として、罷り通らせると思ってるなら、とんだ勘違い。世間の常識は、駄々をこねれば通るほど甘くない。

 川内氏は大人だから、歌わせないとしか要求してないが、権利侵害として法廷に持ち込んだら、明らかに森氏の歩は悪い。泥仕合と囃し立てるメディアも、自分が川内氏の立場になれば、もっと強烈に牙を剥くだろう。川内氏が他の歌手に歌わせたなら、森氏はそれを拒む手段も道義も持っていない。

 無理が通れば道理が引っ込む。その片棒をメディアが担ぐようじゃ、洒落にならないよ。川内氏を頑固に描くほど、森氏の行動を誠実と表すほど、茶番の本質が際立ってくる。作品を創る人は誰だって、命を削って形にしてる。それを小手先で弄ばれたら、憤懣やるかたないのは当たり前。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年3月 1日 (木)

悪魔の声だとか

 04年11月に大阪府茨木市で、乗用車を運転し5人を殺傷した被告に、大阪地裁の西田真基裁判長は無罪の判決。被告は悪魔の声と称する幻聴に命令されて反抗に及んでおり、統合失調症による心神喪失状態だったのが理由。被害者および遺族の耳には、裁判長の言葉が悪魔の声に聞こえただろう。

 被告は通行人を道連れに自殺を企て、運転席に乗り込んだ。その段階で殺意は明らか。そもそも人が人を殺すのに、正常な神経なわけがない。多かれ少なかれ狂気に取り憑かれ、人として絶対にやってはならない犯行に及ぶ。心神喪失状態が殺人の免罪符になる発想が怪しい。

 この論理を通すなら、オーム真理教の犯罪も、悪魔の囁きに耳を貸しただけ。地下鉄内でサリンを流すなど、正常な神経の人間にはできない。どのような状態であろうと、人が人を殺した事実に対し、厳粛に裁かれるのは社会の常識。たとえ被告が更生しても、奪われた命は二度と戻らない。

 5人も殺傷してるのに、検察の求刑は無期懲役。これも面妖な話である。まして無罪となれば、明日から大手を振って往来を歩ける。再び心神喪失状態に陥り、罪もない人の命が奪われたら、誰がどう責任を取れるのか。裁判長が自分の命を差し出しても、それで補えるわけもない。

 悪魔に命じられたなど、戯けた言い分が通るなら、この世の中に正義は存在しない。犯罪の被害者は運が悪かったとあきらめ、狂気に取り憑かれた人が、白昼堂々と獲物を狙う。それを司法が許すなら、身を守るために殺すしかないのか。あまりに巫山戯た判決に腹が立ってる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月24日 (土)

12人の無罪

 鹿児島県議選での選挙違反事件で、被告人全員に無罪の判決。物的証拠は何もなく、自白調書だけが頼りの起訴で、それ自体が脅迫的な取り調べを窺わせ、犯罪の事実そのものが照明されないというのだから、無罪は妥当な判決だろうが、どうして起訴まで持ち込めたか不思議。それと同時に恐ろしい。

 容疑の内容が買収であり、それも多額でないから、元々が立件は難しく、捜査員が自白に頼る背景はわかる。それでも最初から犯罪があったと決めつけ、強圧的な態度で容疑者に臨むのは、官憲時代の名残としか思えない。どのようなプロセスで犯罪と断定したのか、その辺りは藪の中。

 この事件については、明らかに警察および検察の勇み足。しかし同じような事件で、贈収賄が疑われたとき、容疑者は間違いなく否認する。組織的かつ継続的なものなら、さまざまな証拠も集められるだろうが、そうでなければ口裏を合わせられる。疑わしきを罰せなければ、不正は正々堂々と罷り通る。

 選挙での買収は禁止され、誰もが間違ってると知ってる。しかし実際に、票は売買されてる。それを一つひとつ潰すには、警察および検察の力だけでは間に合わない。功を焦ると冤罪に繋がり、穏やかに運ぼうとすれば、ぬらりくらりと言い逃れられる。頼みの綱は一人ひとりの国民の意識。

 お金で買えるものと、買えないものの識別を、私たちがきちんとわきまえなければ、こうした不幸な事態は、これからも引き起こされるに違いない。警察と検察を横暴と批判するのは簡単だが、そう思い込ませる土壌があるのも事実。他人事と見過ごさず、自らに問い直すことが大事。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月22日 (木)

裸の王様

 関西テレビの社長が、自民党本部で開かれた通信・放送産業高度化小委員会で再発防止策を説明し、謝罪したそうな。委員の質問に、捏造に関わった人物らを刑事告発する可能性を検討すると答えた。かなり厳しく追及されたらしいが、どうして国会でなく自民党本部なのか。そこからすでに怪しい。

 確かに自民党は政権与党で、放送を管轄する総務大臣も自民党員。処分を軽減するなら効率的な選択かもしれないが、関西テレビが説明責任を負うのは、あくまでも国民であると忘れてならない。いかにメディアであろうと、自局で流した映像で幕は引けない。国会で答弁するのが筋じゃないか。

 そんな基本がわからないから、関係者の刑事告発など、恥の上塗りを平気で考える。やったのは誰であろうと、やらせたのは関西テレビの社長。どうしてそんな事態を引き起こしたのか、プロセスの検証に本気で取り組もうとしないから、問題解決策も自浄能力がない印象を与える。

 外部の専門家を企画編集の段階で監修させるというが、専門家を決定する基準をどこに置くのか、どの範囲まで関わらせるのか。実験を伴うロケ収録に社員を立ち会わせれば、辻褄合わせの放映は防ぎきれるのか。小手先の弁解でお茶を濁そうとしても、既得権の上に胡座を掻いた体質は問われる。

 視聴率を高めれば、スポンサー収入は増やせる。それは民間企業の経済原則。それを否定するつもりは毛頭ない。しかし視聴率を高めるためには、何をやっても許されるということじゃない。釈迦に説法に聞こえるが、その辺りを考えてから説明しなきゃ、国民の耳に言葉は届かない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月20日 (火)

人生論とか

 音楽CDやテープなどオーディオレコードの6年の生産額は、前年より4%減の3,515億円、8年連続の減少だが、98年には6,074億円あったから、当時と比べれば40%減。インターネットでの音楽配信が伸びてるので、音楽そのものへのニーズが薄くなってるとは断言できないが……。

 私が若い頃は演歌が全盛、フォークソングもそうだが、メロディと共に詞が重要視された。それがいつの頃なのか、メロディと双璧を成すのはリズムへと。肉体的な感覚へウエイトが移るに連れ、世の中が刹那的になったのは気のせいか。理路整然としたロジックは、煙たがられるコミュニケーション。

 インターネットを筆頭にして、人と人が直接触れ合わずとも、生活を営む環境が整えば、蛸壺文化が勢いを増していく。音楽は受動的に感覚を共有でき、飽きたらすぐに屑籠へ捨てられる。リアルとバーチャルが並立するというより、バーチャルがリアルを呑み込んでいく印象。

 今までツールと思い込んでたものが、実は私たちを支配してるかも。筋道立てられた言葉より、強烈なインパクトのほうが、はるかに人へ影響を及ぼす。汗水垂らす仕事は厭われ、知恵と才覚で一攫千金を狙い、虎視眈々と隙を窺う人が増える。そこに媚薬を嗅がせれば、踊りだすのも目に見えてる。

 人生論とか言えば、黴が生えてる感じだが、そろそろ一人ひとりが、真剣に考えても良いのじゃないか。いかに生きて、どう死んでいくのか。自分自身のことだから、自分で決めなきゃ後悔する。音楽は心を癒してくれるが、現実を変えてくれない。その辺りがわかってるのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年2月13日 (火)

東国原ツアー

 宮崎県の官製談合汚職事件で、宮崎地検は前知事の安藤被告を追起訴。他の被告は容疑を認めてるが安藤被告は否認、往生際が悪い印象を免れない。その一方で新知事の東国原氏は、就任以来休まず働いてる。メディアでへの露出も多く、その経済効果は1週間で165億円、PR効果も高い。

 宮崎県民は賢明な選択をしたと、つくづく思う。昨年の知事および県庁幹部の逮捕、年が明けても鳥インフルエンザ、東国原知事以外では、宮崎県のイメージは暗く澱んだものになっていた。政治手腕を問う声もあるが、逆境を切り換えて宮崎県にスポットライトを浴びせたのは優れた政治力。

 贅沢な知事公舎にしても、そこで暮らせば良いよ。そこを観光スポットにして、公務に支障を来さない範囲で、観光客が知事と話せたら最高。それができなくとも、長野県の田中前知事がやったように、人寄せパンダになっても構わないじゃないか。今だからこそ宮崎県にきれいなお金を落とせる。

 高千穂峡に日南海岸、温泉も豊富だし、宮崎県は癒される場所。地鶏と冷や汁、焼酎など、名産品も数え切れない。そこに付加価値としての東国原知事、組み合わせればバリエーションも豊富。東京へ出張しなくとも、メディアが取材に訪れる。宮崎県に舞台を移して、全国へ発信するのが肝心。

 私がブレインなら、進言するけどな。今が旬なんだから、形を整えておけば、持続的な経済効果を期待できる。リピーターが増えれば、東国原知事のオプションを外しても、宮崎県の魅力はきちんと伝わるよ。風が吹いてるときに仕掛けなきゃ、観光立県のテーマを実現できないよ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年2月 6日 (火)

物騒な世の中

 白昼の西麻布で車中の男を射殺、黒いヘルメットの二人組が逃走。まるで映画の1シーンのようだけど、月曜日の午前10時に発生した事件。被害者は暴力団組員で、裏社会の抗争なのかもしれない。ひと昔前はこの種の事件が多発し、巻き込まれて殺される市民もいた。

 犯罪が増えれば警察は忙しくなり、細かいところまで目が行き届かない。加えてモラルの低下、一般社会が乱れたら、取り締まる警察内部にも影響を及ぼす。全国で不祥事が続いてるのも事実。日本が安全な国と思ってるのは、すでに遠い神話の時代の幻影なのか。

 不法滞在の外国人にも、どのように対応するかを決めないと、犯罪の温床になりかねない。罪に相応しい罰を与えることも大事だが、そのまえに入国の手続きから、現実と照らし合わせ見直さないと。覚醒剤や銃器については問答無用、日本から一掃するくらいの決意が必要。

 犯罪を取り締まるのは警察の仕事だが、それは市民の委嘱を受けての前提。肝心要の市民がモラルを失い、善悪の分別がつかなけりゃ、どこから犯罪が生まれるかわからない。自分だけは許される。見つからなければ構わない。そんな感覚が強まれば、社会はどんどん緩んでいく。

 皆が笑顔で穏やかに暮らすこと、それが一番大事と思わなきゃ、世の中はどんどん住みにくくなる。他人を蹴落としても、自分だけが贅沢三昧できれば、痛痒を感じない人たちは、いつどこで刺されても不思議じゃないけど、巻き添えを食わされる善良な市民は堪ったもんじゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

お客さま社会

 文化審議会は伊吹文部科学大臣に「敬語の指針」を答申、従来の3分類を5分類に改め、実生活に即応する内容へ。私たちが子どもの頃は、人格のない物品に接頭語をつけるのは間違いと教えられたが、サービス業を中心に普通に遣われることから「美化語」なるものも生まれ、いささか違和感を覚える。

 言葉は時代と共に変化するので、新しい用法を組み入れるのは、それはそれと思う反面、敬語が生活の中に馴染んでないのに、どのような基準を持ち出しても、根づかないような気もする。本来の敬語は日本人の繊細な感性、お互いの立場を測りながら、人間関係を円滑にする。

 ところが現状では、敬語はお客さまへ向けられる言葉。尊敬とか謙譲という概念でなく、気持ち良くお金を支払って頂くために、社会でルール化されてるだけ。それが証拠に、学校の生徒は先生に、若者は年長者や老人に、敬語を遣うような習慣がない。先生と生徒の関係など逆転してる。

 言ってしまえば学校の先生は、知識や技術を生徒へ提供するサービス業。お金を払うのが国にしても保護者にしても、生徒は歴としたお客さまという認識。サービスの内容が悪ければ、代価に相応しくないとクレーム。年端のいかない子どもたちが、わかりもせずに権利を主張する。

 自分より長く生きてる人、自分に教えてくれる人に対し、自分の立場を謙虚に受けとめて、感謝するのが昔からの日本人。その感覚を取り戻さずに、敬語を今の時代に馴染ませようとしても、形骸化するだけでなく、本来の美しさまで損なわれる。心から湧き出た言葉にしなければ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 1日 (木)

微妙な問題

 法務大臣の諮問機関である法制審議会刑事法部会では、犯罪被害者や遺族が被害者参加人として刑事裁判に加わり、法廷で被告に直接質問できるなどの「被害者参加制度」の要綱案をまとめた。今国会での成立を目指すが、施行は9年の裁判員制度導入期前後の見込み。

 元々は被害者団体の署名運動から始まり、5年度に閣議決定した「犯罪被害者等基本計画」に明記され、世論の後押しも受けて早い段階での要綱案となった。確かに殺人や誘拐、性的犯罪など、被害者感情と量刑の不一致は、さまざまな事件で数多く指摘されてる。罪が軽すぎないかという声も囁かれる。

 しかし新しい裁判員制度の導入も絡めて、裁判そのものが心情に流されないか。殺人被害者の遺族なら、どのような事情があろうとも、加害者に死刑を求刑したいのは人情。強姦の被害者であれば、加害者を一生牢獄に閉じこめてほしい。その心情に添うことが、果たして社会正義に適うのか。

 正直に言って今の裁判制度には、さまざまな問題があると思う。量刑にしても死刑でなければ無期懲役だが、実際は最長で15年、再犯の確率が高いケースでも野放しにせざるを得ない。一方で犯罪者の増加に、刑務所が対応できない実情もある。この辺りの整合性を考えることが必要。

 それと同時に学校だけでなく、社会人も含めた教育を捉え直し、人として生きるモラルを確立しなければ、イタチごっこを繰り返すのも事実。一時的な処方箋としては厳罰化もやむを得ないが、抜本的な解決策にはならない。加害者の立場を必要以上に守る似非人道主義は問題外。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年1月31日 (水)

浜の真砂は尽きるとも

 架空の投資話で健康食品会社リッチランドの会長らを逮捕、全国1万人の会員から500億円を集めたというが、98年頃からの話というから継続的な詐欺行為。かなり巧みに装われてたから、たくさんの人が長年に渡り欺かれたのか。それにしても、この手の事件はいつになってもなくならない。

 沈没船を引き揚げるから、出資金が1年で2倍になると持ちかけ、振り込まれた金額に応じて、健康食品や化粧品を配送すれば、どこから見ても通信販売として成り立つ。文書化された証拠がなければ、詐欺罪として立件するのも難しいだろう。話だけ聞いてると、騙された人ものんびりしてる。

 この背景にあるのは、頑張った人が報われない社会。汗水垂らして働いても、儲け話に敏感な人たちが、一瞬にして稼いだ額に追いつかない。本当のところは別として、20代の社長たちのリッチな生活をTV映像で見せつけられ、ひと山当てたいと思うのも不思議じゃない。

 その背中を押すように、老後の不安は高まってくる。病気にもなれないし、年金だって信用できず、自分で何とかしようにも、働き口は見つからない。有利な配当を得られるなら、清水の舞台から飛び降りるつもりで、定期預金を解約する気持ちもわかる。老いてから野垂れ死にたくない。

 楽して稼げる風潮を煽ってるのは、政府もメディアも同じ穴の狢。自称起業家のフリーターが巷に溢れ、多重債務者も行き場を失い、経営者は安い労働力を漁ってる。真面目に働く普通の人が、穏やかに暮らせる世の中にしなければ、盗人の種はますます増殖する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月30日 (火)

荒んだ心

 内閣府の調査によると、DV被害者の約5割が、加害者である配偶者と別れた後も、付きまといや電話、メールなどに悩まされ、自立の妨げになってるという。昨年末には徳島県で、接近禁止命令を受けてた夫が、妻を捜し出し殺害する事件も起きてる。こうしたデータは氷山の一角。

 実際にこの調査でも、対象者の6割は裁判所へ保護申し立てをしてない。精度を知らない人もいたけど、相手の反応が恐いから、誰にも頼らず逃げようとする。子どもを抱えてれば、働きたくとも思うように働けず、経済的に切迫せざるを得ない。殴られて、蹴られて、そのうえ飢えさせられる。

 DVとは別にストーカーがある。自分の気持ちを伝えるのは自由だが、押しつけるとなれば犯罪。男と女は身体の構造が違う。男が軽く小突いたつもりでも、女が受ける衝撃は大きい。女性を尊重し、男性が傅くのは、合理的で公正なバランス。男は自らの暴力に自覚的であらねばならない。

 女性は心も身体も壊れやすいから、大切に扱わなきゃいけない。私たちはそう教えられて育った。ところが核家族、少子化になって、「ウチのボクちゃん」が増えてきた。ママにおねだりすれば、ワガママが通る。気に入らなきゃ暴れだし、欲しい物を手に入れながら、身体だけ大人になっていく。

 その本性を見破れなかったからと、どれだけ女性を責められるのか。DVが深刻化するのは、女性が改善しようと努力を重ね、子どもが産まれたら変わると期待し、ますます泥沼に沈んでいく。日本中の男たちを再教育しなければ、この国は暗闇を抜け出せない。そこまで思ってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月28日 (日)

バッシング

 先日、爆笑問題のTV番組で、芸能レポーターを免許制にする議論。遊びと言ったらそれまでだが、TVのワイドショーが普及させた覗き見主義、視聴者のニーズがあれば、何を電波に乗せても良いのかという話。持ちつ持たれつという意見もあったが、そんなのは公然としたヤラセじゃないか。

 芸能人のプライバシーを暴くのが許されるなら、それはしだいにエスカレートして、犯罪者にもプライバシーは認められず、そのうち一般人との境界線も消える。今のところ決めてるのはTV局や芸能レポーター。傍若無人が許されるのは、視聴者という錦の御旗があるから。

 視聴者が望む番組を提供する。同じ論理で『あるある〜』も制作された。視聴者が手軽にできる新しいダイエット情報を欲しがるから、納豆で痩せるという情報を提供しただけ。売れなくなった女優が誰と寝たのか、それを知りたくて本を買う人は、深く考えずに踊らされてしまう。

 お互いに納得ずくの三文芝居なのに、不正が発覚すると匿名のメール。TV局がやったことは許されないが、だからといって尻馬に乗り、叩かれてる相手をさらに叩くのは、如何なものだろうか。とりわけインターネットが普及してから、匿名で無茶を言う輩が増えてるような気がする。

 それだけ社会全体に不平不満が燻って、不祥事が発覚すればここぞとばかり、皆が一斉に爆発させるのだろうが、それじゃあまりに刹那的。批判をするなら実名で、相手からの反論も受けて立ち、お互いにすり合わせなきゃ、建設的な意見にならない。そう考えるのは、私だけなのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (9)

2007年1月27日 (土)

常識は変わる

 離婚後300日以内に産まれた子は、前夫の子とするのが民法772条だが、長勢法務大臣が見直しの必要を認める発言。ひと昔前なら、結婚したら添い遂げるのが常識。離婚したからとすぐに再婚しなかったから、それほど不都合を生じなかったというわけ。ところが昨今は事情が違う。

 子どもを産むのは、結婚した後というのも覆され、今は1/4ができちゃった婚。SEXがタブー視されなくなったこともあり、結婚という形式が社会的評価と結びつかなくなったこともあり、男と女は自由に繋がり、そしてあっさり別れる。善し悪しは別として、社会と個人は切り分けられてる。

 そうは言っても日本で暮らす限りは、日本の法令に従わざるを得ない。前夫の子として届け出て、今の夫と養子縁組するのが、最もスピーディな解決策だが、戸籍は汚れるし、子どもに対して説明できない。今の夫に対して強制認知を求める裁判もできるが、戸籍がないまま育ってる子も増えてる。

 さまざまな意見があるにしても、産まれてくる子どものことを考えたら、民法改正の必要性は理解できる。でも、その前にどうしても疑問は残る。離婚にしても、再婚にしても、簡単すぎやしないか。避妊せずにSEXすれば、妊娠する可能性があると、本当にわかっていらっしゃるのか。

 私のような古い人間には、男と女の関係は命のやり取り、覚悟がなければ踏み込めない。どうしてもうまくいかなければ別れるしかないが、それは自分の中のひとつの命を断たれる思い。そう簡単に回復できるものじゃない。別れてすぐに再婚する発想が、どうにも腑に落ちない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月25日 (木)

冤罪の恐ろしさ

 富山県で無実の男性が強姦罪で起訴され、およそ3年間の実刑を受けた後で、真犯人が登場した事件は、警察の杜撰な捜査が原因と明らかだが、他人事ではない恐怖を感じる。日本では起訴された事件のほとんどが有罪、裁判は量刑を決めるのが実情らしい。警察の取り調べが極めて重要。

 理屈を言ってしまえば、一つひとつの事件に対し、きめ細かな捜査が前提。だけどその一方で犯罪は頻発し、警察としては解決しなきゃならない。ある程度の見込みがつけば、容疑者を追い込んで、自白を導き出せば一件落着。現場は研究室じゃないから、勘と経験も大事な財産にせざるを得ない。

 裁判所は裁判所で、処理すべき案件が山積。警察に対する信頼が強いほど、基本的な起訴内容について疑わない。弁護側もその点は同じ。憎むべき犯罪を根絶し、犯人に相当の罰を与える。社会正義を貫く意志は、誰よりも強い人が集まってる。無実の人を陥れる気持ちなど微塵もない。

 冤罪を受けた人の立場になれば、無実が証明されて済む問題じゃない。まして強姦罪であれば、職場を追われ、人間関係も絶たれる。履歴も虚偽記載できなかったから、生きることさえ容易じゃなく、謝罪されても失ったものは戻らない。金銭的補償で贖えるほど軽くない。

 正直に言って悩ましい問題、人権を尊重するのが基本だけど、警察が相手にしてるのは、ひと癖もふた癖もある輩ばかり。言い逃れなのか正当な主張なのか、思い込んだら目も曇る。証拠をどれだけ公開できるのか、そうした問題も孕んでるから、そう簡単に解決できないように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月24日 (水)

どこか変だよ

 雪国のゴルフ場が、一番寒いこの季節に賑わってる。暖冬の影響でプレーできるからだが、一方でスキー場は雪乞いの儀式。昨年はまったく反対で、ゴルフ場は春になってもクローズ。世界中が異常気象で、自然には逆らえないから、なったらなったように対応するしかないのか。

 本当のことを言ってしまえば、原因は私たちの生活にあると、誰もが気づいてるけど、何せ世界中の人に関わること。自分ひとりがどうしようと、大勢に影響を及ぼさない。皆が同じように考えて、自分で自分の首を絞める。これは頻発する企業の不祥事や政界の金脈も同じ。

 新聞やTVを見ていても、同じような事件が続くと、いつの間にか感性が摩滅。何を信じて良いのやら、わからなくなったら目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤む。誰かが何とかしてくれるはずだから、自分は目の前のことを楽しんで、問題が解決されるのを待ってれば良い。

 確かに贅沢はできないし、暮らしにくくなったような気がする。それでも朝、昼、晩とご飯を食べられるし、屋根のある場所で雨風を凌げる。今までだって、どうにかなってきたのだから、これからだって何とかなるさ。ほとんどの人が流れに身を任せて、お気楽に漂ってる。

 でも、気づいたときは丸裸、そうなっても知らないよ。人が社会で生きる意味を、自然と共生しないとダメな理由を、そろそろ真面目に考えなきゃ。自分ひとりだけ良いポジションを取ろうとしても、大地が崩れたら一蓮托生で奈落の底。温かいからって、浮かれてる場合じゃないでしょ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月22日 (月)

納豆ダイエット

 フジテレビ系列の関西放送の人気番組で放映した納豆ダイエットが、数多くのデータを捏造して制作され効果がないと叩かれてる。納豆にイソフラボンが含まれてるのは周知の事実、ダイエット効果はいざ知らず、栄養価の高い健康食品なのは間違いない。食べたからって身体に害を及ぼさない。

 だからといって怪しげな情報を、公共の電波に乗せた見識は疑われる。提供する側はバラエティのつもりでも、受け取る側は大真面目な情報。だから翌日から全国で納豆が売り切れ、小売店もメーカーも目をシロクロ。今さらながらにYVの影響力の凄まじさを見せつけられる。

 でも、率直な印象としては氷山の一角、TV局が制作会社に依頼して、それがさらに下請けに回される。限られた予算の中で視聴率を取らなきゃ、次の仕事をもらえない立場なら、一番大事なのは視聴者の関心を引くこと。センセーショナルなテーマで、裏付けは二の次、三の次もわかるような気がする。

 申し訳ないけど、踊らされる視聴者も視聴者。どのような情報でも、必ず正しいとは限らない。それぞれを判断し取捨選択するのは個々人の責任。インターネットの書き込みでも、活字になった本でも、間違ってることはたくさんある。TVだって鵜呑みにするのは危険、そのくらいは学習してほしい。

 当たり前の話だけど、何をやるにしても、お湯を掛けて3分間で手に入るのは、それなりのものでしかないし、リスクが潜んでるかもしれない。誰かが言っていたからとか、何かに書いてあったとか、責任を転嫁しようとしても、自分の人生を他人は背負ってくれない。当たり前だよね。

| | コメント (0) | トラックバック (11)

2007年1月21日 (日)

大丈夫なの

 不二家の事件で次々と杜撰な管理が暴露されてるが、大阪のユニバーサルスタジオや東京ディズニーランドでも、期限切れの材料を使用してることが発覚、健康被害は出ていないとの発表だが、食べてしまった人は不快感が甦る。こんな状況じゃ、何を食べれば安心できるのか。

 私たち素人は、見た目だけでしか判断できない。それも今までの経験値だけ、生鮮食品にしても、上手にコーティングされたら、見破る自信などまったくない。生産地や原材料を明記するように義務づけられたのは、まだ記憶に新しいけど、それでスーパー店頭の文字情報はガラッと変わった。

 まして加工品となると、原材料がわかったところで、使われたときの状態など皆目見当が付かない。古いのか新しいのか、細菌が含まれてるかどうか、耳にしたことがあるメーカーが製造したなら、安全な品質管理がされていると信じてる。工場など調べずとも、暗黙の了解のはず。

 保健所などの公的機関もあるが、すべての食品工場をチェックするなど、現実問題としては不可能だから、どうしても後手に回ることになる。決められたルールを守るのが前提、それをやってなきゃ何が起こるかわからない。報道されてるのが氷山の一角なら、私たちに打つ手はない。

 だからといって自給自足の生活へ、戻れる人なんているわけがない。生産農家の人だって、魚も食べれば肉も食べ、加工品だって口にしてる。極めて基本的な信頼を保つには、経済原則だけで仕事を進めないこと。何をやって良いのか、何をやっちゃダメなのか、一人ひとりがもう一度問い直したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月20日 (土)

大人の都合

 伊吹文部科学大臣が、公立小中学校の完全週休2日制について、検討する考えを明らかにした。導入する際にもさまざまな疑問が発せられてたけど、子どもの自主性を育てたいという大義名分が通り、その実は教職員が世間並みに土日を休みたいといったところ。だから夏休みも減らなかった。

 子どもにしてみれば、土曜に登校と決まれば従うし、休日ならそれにも従う。素直な気持ちでルールを守ろうと考えてるから、自分の理屈を押しつけようとしない。そのように見えたとしたら、それは親の意見を代弁してるだけ。いつだって、教職員や保護者に振り回されてる。

 そもそも義務教育の目的とは何か、根っこのところを問い直さず、声の大きい人の意見に左右されるから、肝心要の日本の未来まで迷走する。小中学校は高校の予備校ではないし、知識の習得だけが学習ではない。偏差値の高い高校への進学を、唯一の目的にするのが間違ってる。

 中学校を卒業した段階で、社会人として生きられる基礎的な力を身につける。そのための知識であり技術であり、ものの見方考え方を求めれば、それ以上に学びたい人が高校なり専門学校なり、それぞれの判断で進めば良い。人との付き合い方や、常識やマナーを覚えるのが大切。

 社会人としての生活習慣を身につけるなら、夏休みも長すぎやしないか。児童の体力もあるから、学年が進むに連れて短くし、中学3年生なら1週間もあれば充分。そんな考え方もある。教育を改革するなら、そのくらい自由な発想で、子どもたちに次世代を担わせることに主眼を置かなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月14日 (日)

DVの果てに

 渋谷で起きたバラバラ殺人事件、かなり異常な現象だけど、その背景に潜むのは、この世代に共通する心象風景。引き金になったのがDVというのも、象徴的なように思えてしまう。男も女も想像力に欠けていて、自分本位に考える人が多いような気がする。穿った見方だろうか。

 夫から暴力を受け、外に愛人がいるとわかっても、妻が別れようとしなかったのは、人から結婚の失敗を非難されたくなかったから。豊かな生活に未練があったというより、どんな犠牲を支払ってでも、幸福な妻を演じて人から賞賛されたかった。その形を崩されるのだけは堪えられなかった。

 それを知ってか知らないでか、夫はさらに幼児性思考。DVは容認されることで、さらにエスカレートする。鉄間が抵抗できないとわかると、他の女性に色目をつかい、あげくの果てに離婚を切り出す。相手の人格を無視して、玩具と扱ってきたのだから、どうしても自業自得のように映ってしまう。

 経済的な繁栄を追い求め、物質的な豊かさが幸福と、勘違いしてる人が増えてる。でも、心に風が吹き抜ける淋しさは、人の温もりでしか癒せない。お互いの身体が冷えてたら、抱きしめてもさらに凍えるだけ。ひとりで生きる強さもなければ、無理心中も予測される結末。

 こうした猟奇的な展開は、私たち一人ひとりに、何が大切なのかを問い直させ、自分たちの暮らしを見つめ直させるものなのか。死んで花実が咲くものか、自分で自分の心を殺しても同じ。もっと素直になれたら、きっと楽になれて、悲惨な事件を招かなかっただろうに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月10日 (水)

他山の石なのか

 渋谷での惨殺事件、兄が妹を殺すだけでもおぞましいのに、さらに死体を切断するなど狂気の沙汰。どのような理由があったにしても、人がやるべきことじゃない。私たちの想像力が及ばないからか、闇の部分を突き止めようと、連日のように報道されてるが、正直に言って理解する必要はない。

 この男、警察の取り調べに対して、最初は犯行を否認して、逃れられないとなると被害者から詰られたと言い訳し、あげくの果てに母親への言葉づかいが許せなかったと、どこまでも自己保身、悪いのは殺された被害者で、行き過ぎたにしても自分は間違ってないかのように主張。

 当たり前の話だが、たとえ親兄弟でも、人が人を殺しちゃならない。男が女に手を挙げたら、どんな理由があろうとも、その時点で男が悪い。まして死体を損壊するなど、自分の感情をコントロールできず、野放しにできない存在と証明してる。思い通りにならないと八つ当たりするのは幼児以下。

 恐ろしいのは、こうした事件を耳にしても、麻痺するほど頻発してること。世界中を敵にしても、守るべきは身内なのに、夫を殺し、妻を殺し、父を殺し、母を殺し、娘を殺し、息子を殺し、それがどれほど罪深いことなのか、想像力が壊れてるとしか思えない。人は人がいなければ生きられない。

 お金儲けが上手なのも、学校の勉強ができるのも、それはそれで結構なことだけど、もっと大事なことがあると、本気で教えていかなきゃ、とんでもない事態を招きかねない。親が子に何を伝えるのか、私たちが次世代に何を語るのか、他人事じゃなく考えることが大事。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月 7日 (日)

和製検索サイト

 安倍総理が本部長を務める政府の知的財産戦略本部と経済産業省は、著作権法の年内改正を目指す方針を固め、現行では認められてない検索サーバーの国内設置を可能にするよう働きかける。日本で当たり前になってるグーグルやヤフーも、検索サーバーをアメリカに置いてるのが実情。

 確かに検索サイトへの情報提供くらいでは、著作権を侵害される恐れはないし、さまざまな分野でコンテンツが溢れてるから、それを絞り込めるだけ著作権者にはプラス。その先の無断転用や盗用とは別問題だから、コンテンツを提供する私の立場からも積極的に支持できる。

 問題は何をキーワードにして、情報収集のプログラムを組むのか。先行する検索サイトと同じなら、差別化できずに頓挫しかねない。日本語の奥行きを理解する事業者が、柔軟に対応してくれたらおもしろい。できることならSEO対策では、検索順位に影響を及ぼさないものが良い。

 日本国内に照準を合わせ、狭く深く絞り込めるサイトなら、リアルにも役立ちそうで、中小企業も含めた経済の活性も期待できる。こうした環境を整えるなら、その一方で著作権の保護も強化されねばならない。どんなに小さなコンテンツにも、それぞれにお金と時間と知恵が費やされてる。

 可能性を広げるだけでなく、きちんとルールを確立し、違反すれば罰則を与える。当たり前のことを当たり前にやることで、日本にインターネットが根づいていく。そのチェックは民間に委ねず、官民一体となって取り組まなきゃ、良質なコンテンツが姿を消さざるを得ない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月 1日 (月)

人を育てる決意

 2007年を迎えて、私のテーマは人を育てること。今まで培った知識と経験をすべて費やし、ない智恵を絞り尽くして、さまざまな場面で人に影響を及ぼしたいと願ってる。そのための準備も整って、後は舞台を待つだけの気持ち。どうすれば人は育つのか、皆が幸せへ迎えるのか。

 人が生きるには、経済原則が礎になる。より良く働く人が、より多く稼ぐのは、資本主義社会の鉄則だから、それを否定しようとは思わない。しかし、より良く働くとは、どのようなことなのか。より良く働いた人が、本当に報われるルールになってるのか。その辺りから考えていきたい。

 正直に言って今の社会では、基準が曖昧になってるだけでなく、すべてを自助努力に委ねる傾向が強まってる。確かに放っておいても、賢い人は働き方を覚えて、成果を導くに違いない。だけど大多数の人たちは、教えられて初めて気づく。小さなことでも、人生を切り換えるチャンスになる。

 公正な社会が実現すれば、力を発揮できると考える人は多い、しかし残念ながら、どこから見ても公正な社会を、私たち人間は経験していない。どこかしら歪んでいて、理不尽な現実を押しつけられ、それでも納得できる人生を送る人もいれば、毎日を嘆いて後悔する人もいる。

 世の中が間違ってるなら、正さなきゃならないが、それは批評することじゃない。一人ひとりが力を付け、影響力を及ぼし、自らの頭で考え、自らの足で動くことで、少しずつ世の中は変化する。どんな大きな組織でも、それを形づくるのは個々人、人を育てなければ何も動かない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月31日 (日)

18歳で成人!?

 成人の年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正法案が、年明けから法務省で検討されると報じられてる。来年の通常国会で国民投票法案が成立した場合に、そこから3年以内の成立を目指すというから、若い世代を国民投票に取り込もうという意図は明らか。でも、及ぼす影響はかなり大きい。

 成人を20歳と決めたのは1896年の旧民法、江戸時代には15歳で元服だから、20歳で成人という発想は欧米に倣っただけで、具体的な根拠があるわけじゃない。本当に大人と呼ばれるのも、個人や環境で異なるから、義務教育を終えた時点で成人と考えても差し支えない。

 そうは言っても100年以上、成人は20歳と思い込んで、諸々の法令やルールは、それを前提としてるから、いきなり18歳と言われても戸惑うのは事実。成人になれば権利だけでなく、義務も生まれてくる。酒や煙草は解禁になるが、国民年金を納めたり、自らの行為に責任を負わされたり……。

 一方で犯罪の内容と罰則が不均衡な少年法に対しても、メスを入れざるを得なくなる。犯罪を引き起こせば実名を報道され、裁判で極刑を言い渡されることもある。犯罪被害者の立場から見れば、15歳を成人としても良いくらい。戦後の貧しい少年たちとは事情が違ってきてる。

 身体の発育では15歳で立派に成人、心の育ち方では30歳でも大人になれない。人それぞれに捉え方は異なるだろうが、議論するに値するテーマと考える。日本人としての責任と権利を、どこから認めるのが妥当なのか、当事者も含めて活発に意見を交換すれば、新しい地平を切り開けるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年12月30日 (土)

年々歳々

 御用納めも終わり、世の中はお休みモード。今年も静かに暮れようとしてる。いろいろなことが起こり、それぞれに大騒ぎしたけれど、喉元過ぎれば熱さを忘れるお国柄。当事者にとっては解決してない問題も、世間の関心は日々に薄れ、遠い昔に起こったような錯覚。

 昨年の暮れには時代の寵児と持て囃された堀江氏や村上氏が、一年も経たずに被告席に座らされ、郵政民営化法案に反対して離党した国会議員が、信任を得てから復党するのもお粗末な構図。イラク戦争を支持されたブッシュ政権は、中間選挙で大惨敗して方向転換。こうして見ると一年は長い。

 その一方で親子間の殺人や、学校内でのイジメ、飲酒運転などは相変わらず。オレオレ詐欺も巧妙な手口になって、被害は後を絶たない状況が続く。官製談合で相次ぐ知事の辞職、各省庁での不祥事も頻発し、上から下までモラルハザード。同じことが昨年も囁かれていたような気がする。

 誰もが感じてるだろうが、日本という国とそこで暮らす人と、間違いなくたがが緩んでる。一人ひとりの足が宙に浮いて、流されるままに漂ってる。他人のことなどお構いなし、自分が生きるのに精一杯と、正当化してるうちに傍若無人が当たり前になり、弱者へのいたわりなど思い至らない。

 座って半畳、寝て一畳。人が暮らすのに必要なものは、それほど多くないことに、そろそろ気づかなければ、日本人の持ち味は失われかねない。慎ましく生きて、恥を知ってた先人たちから、私たちは何を学ばねばならないのか。ときには自分自身と向かい合い、問い直したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月26日 (火)

壊された窓

 25日の未明にJR西日本の車両基地で、スプレー場の塗料による落書きが発見され、この車両の運転を取り止めるなどの影響。商店街のシャッターや公共施設、果ては名所旧跡や神社仏閣まで、恥知らずの痕跡は日本全国に遺され、こうしたニュースを聞いても鈍感になっている。

 でも、これは日本人にとって由々しき大事件。公共のものと自分のものと、いつから区別がつかなくなったのか。芸術家を気取ってるとしたら噴飯物。画家は自腹でキャンパスや絵の具を買う。公共の領分を侵してまで、表現活動を展開しない。車輌をキャンパスにしたいなら、最初に車輌を買い求めろ。

 二人の旅の思い出だとか、史跡に傷つける輩は、心を育てられない愚か者。自分たちが去った後に、彫り込まれた名を見つけて、微笑ましいなんて思うもんか。美観を損ねられた口惜しさに、その名を睨んで怨むだけ。自分が不幸になる種を、わざわざ遠くまで出かけて蒔いている。

 こうした行為を悪戯の延長として、見過ごすから恥が蔓延する。公共に迷惑を及ぼしたら、徹底的に問い詰めて、責任を負わせなきゃならない。落書きの犯人には、それを消させるだけでなく、きっちり損害を賠償させるべき。そうしなきゃ愚か者が増え、ますます世間が暮らしにくくなる。

 公共施設や文化的建造物、自然遺産など、国のものでもなければ、名義上の所有者のものでもなく、日本に暮らす一人ひとりの共有財産。それを傷つける者は許さず、次世代へ伝えていきたい。壊すのは一瞬だけど、創りあげる歳月は金銭で贖えず、二度と取り戻せないとわきまえたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月24日 (日)

メリークリスマス

 アメリカでは90年代から、ウォルマートが率先して、「メリークリスマス」でなく、「ハッピーホリデー」と唱えようと奨励。これはキリスト教以外の宗教に配慮する発想。キリスト教信者の中には反発する人もいて、この季節になると論争が繰り返されてきたという。

 ところが今年はウォルマートが、「メリークリスマス」も認めますと宣言。表面上は穏やかになったけど、シカゴでキリスト生誕の映画上映を、公共施設で認めるかどうか揉めた。シアトルの空港ではクリスマスツリーが飾られてたが、他の宗教信者が異なる飾りの展示を求めた。

 こうした話を耳にすると、クリスマスはキリストの生誕を祝う祭りと、今さらながら不思議な感覚になるのは、宗教を個人の心の問題として違和感を覚えない日本人だから。諸外国では宗教を巡っての戦争は珍しくないし、異教徒に対する迫害に罪悪感は少ない。

 宗教に対する基本姿勢として、私は日本人が一番正しいと考える。神のために人が在るのでなく、人のために神が創られたと思うから。人の傲りを省みさせ、他への尊重を促す意味では、宗教は私たちに必要。でも、他を責めて、自らの価値だけを認めるようなら、宗教なんて要らない。

 お寺の坊さんまで、「メリークリスマス」と笑顔で応え、お互いが元気に生きてることを喜び合う。少しばかりのドンチャン騒ぎも、愉快に過ごせるなら良いじゃないか。日本人の大らかさ、柔軟性に自信を持って、国際社会の中で振る舞うことが、平和に貢献する姿勢と考える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月21日 (木)

ひとつの時代

 12月20日、青島幸男氏が骨髄異形成症候群で逝去。74歳だったという。多彩な才能を惜しみなく花開かせ、放送作家、俳優、直木賞受賞作家、映画監督、参議院議員、東京都知事として活躍し、その名を知らない人はいない。いつまでも生きてるような気がしたので、俄には信じられない。

 順風満帆の人生のようだが、スタートは早稲田大学在学中に結核に冒され、就職を断念し療養中に漫才の台本を書き、NHKのコンクールで採用されたこと。民放の「おとなの漫画」や「シャボン玉ホリデー」で、画面に登場するシナリオライターとして注目を集めた。

 クレージーキャッツのヒット曲を手掛けた作詞家としても成功し、「意地悪ばあさん」の主演でお茶の間にすっかり浸透した。義理と人情を重んじ、気っ風の良い江戸っ子気質は、そのまま庶民の味方としてのイメージを定着させ、畑違いの参院選でも見事にトップ当選を果たす。

 テレビの時代の申し子として活躍したが、組織の論理には最後まで馴染めず、東京都知事に当選したけれど、オール野党の都議会では持ち味を発揮できなかった。都知事を退任してからタレント活動を再開したが、積極的に登場しようとする勢いは失われ、静かに舞台を去った印象。

 個性が輝く時代は終わったのか、それとも新しい個性へ引き継がれていくのか、怒濤のように人生を駆け抜けた姿は、私たちの世代にはあまりに眩しい。青島氏が蒔いた種を一つひとつ実らせ、人が人として生きられる温かい世の中を創るのが、故人への何よりの餞ではなかろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月18日 (月)

インターネット

 インターネットの大手プロパイダの中枢で、3年半ほど活躍した人と話す機会があり、驚かされたのは想像してるより、インターネットを使ってる人が少ないこと。今年2月のデータでは、7千万人以上の利用者がいて、世帯普及率も6割に届こうとしてる。人口としては充分である。

 ところが実態では都市部に集中し、利用する範囲も偏りがあり、TVや新聞などのメディアには及ばないらしい。確かに言われてみると、さまざまな情報を発信しても、届く範囲が狭いという印象。中高年層の利用が増えてることも、インターネットの普及が加速化される印象を受けるのか。

 SNSのミクシィにも参加してるが、ユーザーが800万人を越えたのも遠い話。利用者の実感からすれば、やはり上限千人のミニコミュニティ。私のページを頻繁に覗いてくれるのも、300人くらいに見てるから、とてもじゃないがミリオンペースで声は届かない。小さな島がたくさんある感じ。

 それでもインターネットをベースに、稼いでる個人も組織も存在するのは事実。これから先の話になると、既存のメディアと複合して、さらに注目されるように考える。そのときに重要視されるのは、リアルの裏付けではなかろうか。バーチャルとして独立してたら、限界があるように思う。

 インターネットが普及し始めてから、やっと10年というところだから、新たな展開は間違いなく起こる。匿名性という要素は影が薄れていき、信頼に足るコンテンツだけが生き残る。そうならなければインターネットそのものが、善男善女から淘汰されるような気がしてる。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年12月16日 (土)

年賀状の季節

 来年の民営化を前に、郵政公社として最後の年賀状受付が始まった。『郵政研究』という雑誌に、連載させてもらってる私にも、いろいろと思うところがある。ここ数年の郵政民営化の流れで、一番大事なところが問われてない。それは郵便局が、国民にとって大切な存在であること。

 今さらながらに考えるけど、郵政民営化の背景には、莫大な運用資金を巡る利権と、それに伴う政官癒着があった。それはそれで改善されるべきであり、ひと握りの既得権者に貪らせてはいけない。でもよく考えてみると、それって大多数の国民と、郵便局で働く人とは関係ない話。

 銀行も証券会社もない離島や僻地でも、郵便局は地元と密接に関わって、そこに暮らす人たちのライフラインとなってきた。日本全国どこへでも郵便物が届けられるだけでなく、郵便貯金や簡易保険は安心な生活を支えてきた。その事実は、決して過小評価してはいけない。

 一連の不祥事と乱脈な運営が原因で、社会保険庁の民営化が論じられてるが、ここでも忘れてならないのは、年金や健康保険が果たしてる役割。病気や高齢で働けなくなったとき、誰にも頼らず暮らしていけるよう、皆が生活費を切り詰めて掛け金を支払ってる。明日のために、今日をガマンする。

 日本人は勤勉な国民と呼ばれるが、それはこうしたシステムが整備されてるから。真面目に一所懸命に働いていれば、日本全国どこに住もうと、裏切られないから頑張れる。その根っこのところを無視したら、一時的な経済成長を得られても、手痛いしっぺ返しを食らわされる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月15日 (金)

そのまんま知事

 宮崎県の現職知事が辞職したのを受け。タレントのそのまんま東氏が立候補を表明。すでに共産党県委員長の津島忠勝氏が党公認で立候補。自民党は元経済産業省課長の持永哲志氏を推薦候補として絞り込み、民主党も独自候補の擁立を視野に入れて動いてる。明らかに混戦になりそう。

 安藤前知事の辞職の理由が汚職に絡んでるばかりでなく、県の高級官僚も関わっており、行政のトップクラスが逮捕されているだけに、保守王国といえども選挙結果に予断を許さない。そのまんま知事の誕生も、決して笑い話とは思えない。私はそれも、一石を投じる効果はあると考えてる。

 単なるタレント候補なら、お騒がせなだけ。でも東氏は政治を志して早稲田大学に再入学し、平穏な暮らしを求める妻と離縁し、本気で日本の政治を変えようとしてる。政治手法も行政の常識も知らないだろうけど、それだけに庶民の視点でメスを入れられるのじゃないか。

 お笑いタレントとして悪ふざけしたり、ゴシップ記事をすっぱ抜かれたり、タケシ軍団のリーダーとして、警察のお世話になったこともある。そうした履歴を踏まえて、なおかつ政治を志す気持ちに、私が宮崎県民なら、一票を投じたい気もあるが、本当に決めるのは政策を聞いてから。

 所属事務所との契約を打ち切り、芸能人の応援を頼まず、背水の陣で闘う東氏が、宮崎県知事に最適かどうかは別として、候補者の一人として真剣に向かい合ってほしい。たとえうまくいかないところが出ても、そのプロセスで明らかになることは、宮崎県民にとってマイナスではないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月11日 (月)

自立する時代

 しばらく休んでいたけど、師走になったこともあって、世間はやはり騒がしい。政治や経済の大きな流れを見てると、ますます個人の自立を求められ、横並びの繁栄を望めそうもない。格差社会の問題点を指摘されながら、格差を助長する傾向は強まってる。富国強兵という言葉が現実味を帯びてくる。

 格差の基準になるのは経済原則、富を集めた人は優遇され、そうでない人は排除される。そのプロセスでルール違反していても、罰則は軽微で財産を没収されたりしない。ほとぼりが冷めたら、蓄積した富をベースにして、何度でも勝負を仕掛けられる。富がなければチャレンジもできない。

 明らかにアメリカを模した社会へ移行してるのだけど、日本人の大半が選挙で支持してるのなら、それも仕方がないのだろう。皆が自分は成功者になり、豊かな老後を過ごせると信じ、ジャパニーズ・ドリームの実現へ清き一票を投じてる。穏やかに暮らすより、勝利を目指して闘いたい。

 それならそれで腹を決めること。泣き言を口に出しても、誰も手を差し延べてくれない。今までの成功法則が、これからも通用するとは限らない。昨日の延長線上に明日を描けなければ、アドバンテージと思っていたものが足枷になることも。優秀な大学を卒業しても、それで人生は保証されない。

 これは企業や組織も同じ。過去の実績に胡座を掻いてると、根元から崩れ去る危機が訪れる。富裕層だからといって、ウカウカ油断してたら、尻の毛まで抜かれかねない。皆が皆で闘い合って、血を流した果てに、本当に幸せは見えるのだろうか。私たちは、それを望んでいるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月30日 (木)

しばし休憩

 個人的な事情だが、しばらくブログを休ませてもらう。公私共に慌ただしく、整理する時間が必要なため。ひと息ついたら再開するので、幕間と思ってください。それでは、ちょっとだけ、おやすみなさい。皆さんとまた会うのを楽しみにしてます。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2006年11月26日 (日)

紙離れ!? 活字離れ!?

 自動車専門誌を発行するネコ・パブリッシングは、今月27日から発行する雑誌の全ページを、インターネットからダウンロードさせ、販売価格を2割引に設定する。印刷やコピーはできないということだけど、紙の雑誌にしたって人に貸すことはできる。確かに選択肢としては新しい。

 この背景にあるのは出版業界の不振。昨年の雑誌発行部数は41億5千万部で、全盛時の97年から8年連続の減少、10億部が読まれなくなってる計算。ネコ・パブリッシングもご多分に漏れず、主力雑誌の『ティーポ』は15万部から10万部へ。読む人にすれば、紙は嵩張るし重いのかな。

 確かに50代の私でも、インターネットから情報を集めることは多いし、当たり前のようにメールを利用してるから、新しい読者層を取り込めて、従来の雑誌からの切り替えは少なそう。減っているとしても、40億部以上の紙の雑誌が売れてるのだから、すべてが不要になるわけでもない。

 この試みが成功すれば、電子出版も身近になって、やがては紙の出版の回復にも繋がる。本のことばかり着目されるけど、広告のチラシだって説明書きだって、パンフレットだって、皆が当たり前に活字と接してるのが日本人。わからないことを理解する手段として、文字を読むのは必要不可欠。

 近視眼的に紙からインターネットへ移行すると考えず、さまざまな選択肢が増えることで、紙に対する需要も伸びるのではないか。そのときに重要なのがコンテンツ。売れたデータを後追いするだけじゃ読者から見放される。何を読ませたいのか、企画の芯を掘り下げなきゃ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年11月23日 (木)

捨てるなよ

や猫はいとも簡単に遺棄される。保健所で処分されるのは忍びないという理由、引き取り手も殺到して、目出度し目出度しの印象だけど、ちょっと待ってよ。件の野良犬は命拾いしたけど、日本全国至る所に溢れてる野良犬や野良猫は、最初から野性で生まれたわけじゃない。

 映像で流れた野良犬は、毛並みが良いから飼いたい人も現れたが、これがヨボヨボの老犬だったら、取材陣も訪れなかったし、救われたとしても保健所へ連れて行かれ処分。ハッキリ言っちゃえば殺されてた。ペットを飼うときも同じで、見た目で気に入った犬や猫を買う。

 それが飼い続けると情も移り、この犬、この猫じゃなきゃダメという気持ちに。それなのに引越など人間の都合で、犬や猫はいとも簡単に遺棄される。保健所で処分されるのは忍びないという理由??^?т???????????B

?????????B

???^????????^?тR???????????B

?????????B

R???????????B

?????????B

R???????????B

?????????B

R???????????B

?????????B

R???????????B

?????????B

R???????????B

?????????B

R???????????B

?????????B

R??????

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年11月21日 (火)

汗を掻かなきゃ

 投資家から事業資金を募り、IP電話の利用料から配当すると謳いながら、その実は集めた資金を配当に充てたと疑われてる近未来通信が、東京本社を閉鎖して、仙台の東北支店も閉鎖、関西支店は留守番電話の応答だけと報じられてる。北海道支店はどうなってるのやら。

 ビジネスモデルを現実に落とし込めなかったのか、それとも最初から取り込み詐欺を狙ってたのか、現状では判断できないが、財務状況を明らかにしない企業へ、投資した側にも問題はあるような気がする。お金がお金を生んでくれたら、そりゃ楽だけど、常にリスクは付きまとう。

 資金が有り余ってるなら、紙の段階で先行投資し、一か八かに賭けるのも選択肢。普通の人には信じられない話でも、夢が現実に化けたケースは数多い。夢のまま消えてしまうほうが圧倒的に多いけど。スポンサーになるつもりなら、最初からお金を捨てるつもりじゃなきゃ。

 配当を考えるなら、利幅が大きいほどリスクも高いのは常識。堅実にやりたくても、大手で安定した企業には入り込む余地がない。それならやめときゃ良いのに、一攫千金が頭から離れないんだよね。自分に顔が見えない企業はバーチャル、リアルに捉えたら怪我をする。

 私などお金がないから、働いただけしか稼げないと、儲け話には耳を貸さない。どんな仕事でも同じだけど、知恵を絞って汗を流し、それでも思ったほどの収入は得られない。食べられたら充分と、足りるを知るのが普通の人。普通の人は、やっぱり普通に暮らさなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年11月12日 (日)

生命の実感

 爆笑問題のバラエティ番組で、高木美保が義務教育に農業の時間を採り入れるように提案。賛成、反対それぞれに意見を交わすのだが、反対意見は説得力がなく、今の子どもたちに一番欠けてるのは、生命に対する実感のように思った。下手をすると野菜や果物だって、工場で製造すると考えちゃう。

 核家族化が進んでるから、同居する親族の死を経験する子は減ってる。マンションに暮らしていればペットも飼えないから、犬や猫が死ぬのも当事者としては体験しない。常に死は映像の向こう側にあるから、通夜や葬儀に参列しても悲しみを共有できない。これが都市に暮らす現実。

 それでも生きるには困らず、極端なケースでは部屋から一歩も出ず、インターネットとディリバリーで暮らしていける。そうなると他者とのコミュニケーションも、自分の意識の中で想像力を膨らませ、都合の良い方向へ解釈する傾向が強まる。想定外の反応に驚くほど弱い。

 そのように考えると種を蒔き、苗を植え、日々の天気にやきもきしながら、育てたり枯らしたり、生命を育てる経験は尊い。苦労するからこそ収穫の喜びも大きい。体験学習でなく、年間の授業に組み込むのが味噌。虫や農薬についても学ぶから、胡瓜一本の大切さが身に染みる。

 本当のことを言えば、子どもたちより先に大人たち。店頭に並ぶまでがブラックボックスなのに、想像力が働かなくなった人に、魚がどこで捕れ、米がどのように実るのか、言葉でなく身体で理解してほしい。土を触り、水に馴染み、生命の中で活かされることを知れば、ものの値打ちがわかってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 6日 (月)

働かなきゃ

 愛知県で77歳の老人が、住居侵入と窃盗未遂の現行犯で逮捕。先月、出所したばかりで、人生の大半を刑務所で過ごし、生計を立てる術が他になかったと供述。身から出た錆と言えばそれまでだが、これからこうした犯罪が増えそうな予感。一歩間違えれば、私たちだって他人事じゃない。

 平均寿命は延びる一方で、雇用は流動化してるから、昔取った杵柄で食べられる人は減っていく。自分の経験を活かせりゃ万々歳だけど、そうでなくとも働かなきゃ、老いはますます加速され、生き甲斐だって見いだせない。40代を超えたら、人生を捉え直す時代。

 自分の心を白紙に戻し、いろいろな選択肢を考える。そのときに重要なのは、時代の流れに惑わされず、本当にやりたいこと、やれることから絞り込むこと。たとえば起業するにも、自分が何を必要としてるかを最優先、収入は結果と腹を据えなきゃ長続きしない。

 田舎暮らしに憧れるのも良いが、土を耕すのが好きか嫌いか、地域に根づく覚悟があるのか、問い直さなきゃ失敗の確率は高い。さまざまな背景から農業は、これから成長する産業と考えるが、中途半端に取り組んでもうまくいかない。新しい人生を切り開く意欲があるかどうか。

 善し悪しは別として、50代、60代では隠居を許されない。70代の現役も当たり前になる。40代でエナジーが涸れ尽きて、余生を夢見てるようじゃダメ。誰のためでもなく、自分のために、働き続けることが大事。まずは私自身に言い聞かせなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月29日 (日)

食べれば太る

 内閣府が発表した世論調査によると、自分を肥満と感じる人は43%、運動不足と感じる人は68%、どちらも91年の調査以来再考の数値。03年に厚生労働省が調査した肥満の割合は成人男子27%、成人女子21%だから、調査年度にズレはあるものの、実態より太ってると思う人が多いということ。

 だからダイエットの情報には、老若男女を問わず飛びつく。危険な素材を含むサプリメントを服用して、死亡に至ったケースなど記憶に新しい。最近は内臓脂肪なども取り沙汰されて、猫も杓子も太りすぎを気にしてる。食べたら太る。でも、食欲にブレーキはかけられない。

 食べるものがなかった時代には、肥満は富裕の象徴だった。太った女性は豊穣をイメージされ、引く手あまたで嫁に迎えられた。太りたくても太れない人がほとんど、私のように痩せてると貧相で、見た目も悪いと思われてた。それが飽食の時代、食べるのに困らない。

 本当のことを言うと太っていようと、痩せていようと、本人が暮らすのに窮屈でなければ気にすることはない。動き回るのに苦しければ、運動量を増やすとか、カロリー計算するとか、改善する必要はあるけれど、たいていの人は今のままで充分。元気で明るいほうが魅力的。

 食欲の秋、美味しい物は山ほどあるから、楽しく食べれば良いじゃないか。食べた分だけ身体を動かして、消費してれば健康を保てる。自分らしい生活が一番、情報に惑わされず、ありのままの自分を好きになれば、周囲も好意的なまなざしを向ける。それで良いじゃないか。

| | コメント (0) | トラックバック (12)

2006年10月22日 (日)

国際反戦デー

 21日は国際反戦デー、と言っても1966年に当時の総評の呼びかけで、ベトナム戦争に反対するために始まったもの。高校生の頃は黒いヘルメットをかぶって、浦和の玉蔵院周辺をジグザグのデモ行進。深くわかっていたわけじゃないが、大国が戦争で民衆を殺すのに反発してた。

 それも遠い昔の記憶として、忘れかけていたけれど、東京の浅草周辺をご老人たちがデモ行進。東京大空襲と原爆被爆者というが、遺族も含まれてるので、全員が還暦を越えてるわけじゃない。国に対する損害賠償と謝罪を求める訴訟のデモストレーション。

 確かに現行の遺族補償は、旧軍人と軍属およびその遺族に限られる。戦地でない地域を襲ったアメリカ軍の行為が、限りなくテロに近いということもあるが、基本的には大日本帝国憲法の発想がそのまま引き継がれてる。すべての戦争被害者に差別なき補償を求めるのは頷ける。

 そうは言っても戦後60年を経て、どのように補償すべきなのか。日本人だけでなく、近隣諸国の人たちも、癒せない傷を負ってる。具体策など考えつかないが、私たちが忘れてならないのは、無数の犠牲者を礎にして、日本の平和が築かれてる事実。一度の過ちは、そう簡単に贖えない。

 正直に言って戦争を知らない私たちの世代は、語り継ぐべきリアリティを持っていないけれど、それでも戦争によって苦しむのは民衆であり、それがどれだけ苛酷で悲惨なことなのか、聞きかじりでも伝えていかなきゃならない。人が人を殺さずに済む幸せを手放してはならない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年10月21日 (土)

なぜ禁止しないの

 厚生労働省は「健康日本21」の計画で、喫煙率の減少を目標設定する方針。これに対して日本たばこ産業は、個人の嗜好に行政が数値を示して介入するのは、共生に繋がると反論してる。私のような喫煙者にすれば、すでに強権発動で片隅に追いやられてる印象が強い。

 今は民営化されてるが、日本で煙草は専売公社が独占し、今もその流れは変わっていない。税率が高いのも承知してるが、若い頃から吸い慣れた煙草を、どうして今さら止めなきゃいけないのか、まったく理由がわからない。日本政府のお墨付きで、成人に許された嗜好品だったじゃないか。

 受動喫煙とか健康被害とか、研究成果が発表されるけど、覆されるものも少なくない。本当にそれほど迷惑で、社会に害悪を撒き散らすものなら、どうして日本たばこ産業を潰して、喫煙者を逮捕しないのか。公共機関の喫煙スペースをなくすのも、掃除が面倒なだけじゃないのか。

 煙草の匂いが嫌いなら、酔っ払いの嘔吐は好きなのか。動物性の強い香料は、人に迷惑をかけないのか。お互いに好き嫌いはあるのだから、それぞれがマナーを守り、棲み分けできるようにするのが社会の知恵。飛行機だって、列車だって、全面禁煙は暴挙以外の何ものでもない愚策。

 そんなに煙草を攻撃したいなら、日本から一掃すれば良い。私たちの世代のように、政府が煙草を勧めた人たちには、きちんと詫びて賠償金を支払う。それなりの筋を通してケジメをつけなきゃ、とてもじゃないが煙草を止められない。正義の仮面を被って、ふざけるんじゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年10月13日 (金)

日本シリーズ

 プロ野球パ・リーグのプレーオフで、勝率首位の日本ハムファイターズが優勝。25年振りのリーグ優勝というから、昨年のロッテに続いて、どのチームからも目が離せないということになる。札幌に本拠地を移して3年、地元の期待に応えての快挙。北海道の人たちも喜んでるだろう。

 セ・リーグは一足早く、中日ドラゴンズが制した。阪神タイガースも最後まで善戦したが、一歩及ばずの結果。それでも地力のあるところを見せつけ、チームとして生まれ変わった印象が強い。かつての覇者である巨人は2年連続で精彩を欠き、プロ野球の地図は大きく塗り替えられてる。

 来年は引き続き交流戦、セ・リーグもプレーオフ導入。どのチームにもチャンスは芽生えるが、今までと同じ発想で、巨人戦中心のTV中継では、プロ野球人気は盛り返しそうもない。地域と密接に結びつき、球場へ足を運んでもらうのが、最初にやらなきゃならない作業。

 プロ野球にしても、六大学野球にしても、都市対抗野球にしても、全盛時はお祭りだった。贔屓のチームが勝てば嬉しいけど、それ以上に荒々しく闘う戦死の姿に、勝っても負けても酔いしれてた。それがいつの頃からか、プロ野球は組織論で語られるようになる。

 私は巨人ファンだけど、今の巨人には魅力がない。どの選手の顔も、野球をやってる喜びが伝わらない。プレッシャーを一身に背負い、ノルマをこなすようにプレーする。あまりお行儀が良すぎると、日常世界とどこが違うのか、わからなくなるのだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年10月11日 (水)

プロの仕事師

 妻と二人で黒部まで遊びに行ってきたが、観光バスの運転手が凄かった。最初に驚かされたのは、基本となる運転。高速道路を走るとき、低速車を抜きながら、決して無理はせず、安全かつ迅速に目的地へ急ぐ。当たり前のようだけど、これができる運転手は少ない。

 お陰で目的地には、常に予定時刻より早く到着し、観光のポイントや注意点を、さり気なく添乗員にアドバイス。添乗員も若いけど、一生懸命さが伝わってくる人だったので、そのまま運転手の知恵と披露する。その空気感が、私たち旅行客を癒してくれる。サービスの本質をわきまえてる。

 要するに、運転するだけが、仕事と考えてない。ツアー客を楽しませ、添乗員をサポートし、楽しい思い出を演出するのが、自分の仕事と心得てる。それでいて出しゃばらず、黒子としての役割を自覚する。それが細かいところに表れて、この運転手は徒者じゃないと思わせる。

 圧巻だったのは、最後に高速道を走ってるとき、普通の運転手なら、乗客を上田駅まで送り届ければ、誰からも文句を言われない。それを姥捨付近の夜景が見事と説明し、車内のライトを消して、皆が楽しめるようにショーアップ。再び点灯したときは、全員が拍手。

 長野県の千曲観光の佐々木さんという運転手、長野県が大好きなことも、観光客を本当に大切にしてることも、びんびんと伝わってくる。それでいて最後の挨拶では、会社をよろしくとしか話さず、潔くて気持ち良い。こういう仕事師が、まだまだたくさんいるんだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 7日 (土)

正直といえば……

 日本スケート連盟の背任横領事件で、容疑者の久永元会長は「自由になる金が欲しかった。甘い汁を吸いたかった」と、動機を述べてると報じられたが、名誉欲や金銭欲に捕らわれると、晩節を汚す典型だよね。地方自治体の裏金作りも、ホンネでは共通するところ。

 って言うか、善し悪しを別にしたら、今の時代を動かす原動力。偉い人と敬われたい、楽して贅沢に暮らしたい、できるかできないかは別として、憧れてる人は少なくない。早い話、TVドラマの水戸黄門になりたくて、印籠になるのが現金だと信じて疑わない。

 座って半畳、寝て一畳。聞いてもわかんない人が多いよね。人が暮らすのに、そんなにたくさんのものは要らないという意味だけど、使いもしないスペースを欲しがって、悪巧みする輩が後を絶たない。人を騙して、ルールを破って、それでも金を掴んだヤツが勝ち。

 でも、私だって少しばかり稼いでた頃は、贅沢の真似事をやったりして、人のことを言えた義理じゃないかも。法令には違反しなかったけど、入ってくるお金を拒む気もなかった。同じ立場に置かれたら、清廉潔白だったと言い切れない。五十歩百歩と言われても……。

 だからこそ私たちは、自分に問い直さなきゃ。何のため一所懸命に頑張ってるのか。お金だけが目的じゃ、淋しすぎるじゃないか。自分がやったことで、人を不幸にするより、少しでも幸せな人を増やせたら、嬉しいと思わないか。人の振り見て、わが振り直せ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 5日 (木)

千両役者だね

 兵庫国体の高校野球は、甲子園の再来で、またもや早稲田実業鵜が駒大苫小牧に勝利。斎藤投手と田中投手が先発完投、1対0の僅差による好ゲーム。いつもの年なら国体まで高校野球を追わないのに、両校が決勝戦まで駒を進めるなど流石だね。どちらにもたくさんのファンができた。

 準決勝の試合で勝利を確信してから、早実の斎藤投手が青いハンカチを取り出し、汗を拭うパフォーマンスに賛否両論。確かに昔の高校生なら、あんなことはやらなかったけど、それは大人の言いつけを守っていただけ。高校生くらいになれば、自分がどう見られてるかわかってるさ。

 それが絵になるんだから、素直に認めなきゃ。斎藤投手にしても、田中投手にしても、大学野球やプロ野球で活躍できるかは未知数。今がピークなのか、それとも先なのか、本人たちだってわからない。それなら自分の力で得たポジションを、最大限に活かすのは賢明な選択。

 人には流れがあり、いつでも実力を発揮できる環境に置かれるとは限らないし、今の力が永遠に保たれるという保証もない。チャンスの波が来たとき、ためらわずに乗れるか、それとも理屈をつけて見送るか、たとえ失敗しても、果敢に攻めた経験は必ず財産になる。

 最下位の楽天に指名され、名将野村監督との出会いを喜ぶ田中投手も、自分が歩く道に曇りはなく潔い。堂々と青いハンカチを意識する斎藤投手も素晴らしい。近頃の若い奴らは、太くてたくましい。大人たちの狭い了見に影響されず、真っ直ぐ大きく育ってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年9月29日 (金)

水が澱むと腐る

 テレビ朝日のプロデューサーが、制作会社を操り架空請求。1億5千万円の申告漏れだとか。これ以外にも別の制作会社から、外注費を装って3億円を捻出させ、とどのつまりは懲戒免職になったが、酒池肉林の乱痴気騒ぎを繰り返し、儲かったのは水商売や風俗営業だけ。

 本人にすれば、どこかで勘違いして、職権として許されると思い込んでた。好きな酒を浴びるほど飲んで、きれいなネエちゃんを侍らせて、この世の天国がいつまでも続くと信じて疑わなかった。それが今じゃ病気療養中、そのうえ退職金さえ失って、家族の中では針のムシロ。

 愚かと言えばそれまでだが、想像できない大金が当たり前のように流れ、それを消費者1人当たりに換算すると、驚くほどの金額は価格に転嫁されない。たとえば日本中の人から1円を恵んでもらえば、総計は1億3千万円近くになる。システムを確立さえすれば、お金は湯水のように涌いてくる。

 TV局の笑いが止まらない裏では、それだけのお金を提供してる人がいる。民間放送ではスポンサーだけど、広告費を削って中小の取引先が成り立つように、お金の使い方を再考したほうが……、と思わせるケースもある。公共放送では国民から取り立てる年貢が重すぎる。

 その一方で私たちも、余暇の使い方を考えなきゃ。心も身体もへとへとだから、TV桟敷で寝転んでビールを飲みたい気持ちもわかるけど、たまには外へ出て土と親しむとか、久し振りに本と親しんでみるとか。水を澱ませているのは、私たちが飼い慣らされた羊だからという一面もある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月28日 (木)

普通の感覚って

 韓国の市民団体がソウル市内で、アメリカ産牛肉の輸入再開についてアンケート。その結果、消費者の92%が韓国産の牛肉を選んだ。理由は美味しいから、国産だから、品質を信用できるから。お隣の国、それも極めて狭い地域の話だが、考えさせられることが多い。

 別に牛肉に限ったことではないが、自国で生産されたものが一番安心。それが当たり前と思うんだけど、日本ではちょっと違ってるような気がする。本場から空輸された食材を有り難がったりするけど、ドラえもんのどこでもドアを使ったわけじゃない。密封された空間で何時間も寝かされてる。

 国内だって遠けりゃ、トラックで運ぶしかない。肉だって魚だって野菜だって、鮮度も味も落ちていく。色々工夫したって、採れたての旨さには敵わないと皆が知ってる。高級食材なら飛行機も使えるけど、毎日食卓に上るような食材なら、外国のものは船で運ばれる。放っておけば腐ってしまう。

 そうならないようにするには、薬品やら防腐剤やらで処理するけど、美味しさまで保証できるわけでなし、安全基準だって絶対視できない。そんなふうに追ってけば、できるだけ日本の食材を食べたいよね。日本の土壌が農薬に汚染されてるとか、それじゃ外国の土壌は汚染されてないのか。

 日本の土に問題があるなら、日本人が解決すれば良いし、そこで暮らしてるんだから、やろうと思えばできる。何よりも日本で生まれた私たちは、子どもや孫も日本で暮らす人のほうが多い。今だけじゃなく先のことも考えたら、韓国の人のほうがはるかにマトモなような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月27日 (水)

新聞の片隅に

 安倍内閣が発足した同じ日、入間市豊岡でひとりの男性が飛び降り自殺。私と妻がよく買い物に行く丸広百貨店の近く。世代の近い団塊の世代ということもあり、ついつい詳細を読んで驚いた。私たちが若い頃にミリオンヒットした『太陽がくれた季節』を唄った「青い三角定規」のメンバー。

 59歳の男の名は高田真理、11日に入間市下藤沢の交差点で、酒気帯びでバイクを運転中に、自転車に乗った女性と人身事故。女性は頭蓋骨折など1ヶ月の重傷で、高田さんは現行犯逮捕されたが、処分保留のまま釈放されてた。「青い三角定規」は、33年振りに再結成、活動する予定だった。

 「青い三角定規」が解散した後に、高田さんは居酒屋を経営してたらしいが、新聞に報じられてたのは無職。華やかなスポットライトを浴びて、それなりのお金を手にしたのだろうが、紆余曲折を経て、再結成には期するところがあったような気がする。それを軽い気持ちで飲酒運転……。

 端から見ると、命まで絶つことはないと思うが、本人にすれば引き起こしたことの重大さ、影響を及ぼす数々のマイナス、昔の仲間に顔を合わすこともできないと思い詰め、逃げるようにマンションから身を投げたに違いない。それでも、やっぱり弱すぎる。そこで踏ん張らなきゃ。

 確かに高田さんが「青い三角定規」のメンバーでなければ、入間で起きた酒気帯びの人身事故が、全国に報じられることはなかっただろう。でも、それだけ注目される人なら、自らの過ちを反省し、飲酒運転の怖さを訴えることもできた。苦しくとも、生きることが大事じゃないか。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2006年9月25日 (月)

酒に溺れるな

 NTVの船越アナが、系列TV局の女性アナに、セクハラを行ったと、降格、降板の処分。宴席の場というから、酒の勢いで理性が働かなかった。周りの人たちも、なぜ制止しなかったのか。よほど目に余ったので表沙汰にされたが、こうした構図は氷山の一角ではないのか。

 酔ったうえでの乱暴狼藉、不埒な行為など、日本人は多すぎる。つい先日も電車内での痴漢行為に、酔って覚えてないとの弁明の先生。相変わらず続く飲酒運転も含め、酒を飲む人が自らを律しなければ、悪いのは酒ということになってしまう。世の中の左党にとっては大迷惑。

 根底にあるのは本人の意識の問題だが、酒席での言動は無礼講と、甘やかす世間の風潮も問い直さなきゃ。若い頃に教えて、自分の酒量の限界や、どのような酔い方をするのかを、本人にわきまえさせるのが基本。それを放っておいて、問題になったとたん槍玉に挙げるのも、如何なもか。

 私は下戸だが、それでも営業職なので、若い頃は飲まされる機会が多かった。当時の先輩たちは、酒飲みの心得から、箸の上げ下ろしまで、酔った頭にとことん刷り込んだ。酒席で暴れ出す若者がいると、必ず先輩が摘み出し説教。ルール違反をとことんたしなめた。

 お酒が好きなら、浴びるほど飲んでも構わない。でも、それを言い訳にして、傍若無人に振る舞うのは、何よりもお酒に対して失礼。それ以上に、穏やかにお酒をたしなみ、マイカーを預けて帰宅する人たちに、ケンカを売ってるのと同じ。少しは考えてくれなくちゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月19日 (火)

どうして話せないの

 さいたま市北区で54歳の男性が、わが子を意志で殴り殺し、首吊り自殺。私が生まれた街で、私と同い年の男が、「申し訳ない」と書き遺し苦渋の決断。親が子を殺し、子が親を殺し、それが日常茶飯事。とりわけ親が子を殺すのは、育てたプロセスの全否定。

 私もひとり娘の親だから、コミュニケーションの難しさはわかってる。良かれと思ってやったことでも、娘には伝わらず、心の傷になってることもある。そのときは軽い気持ちで放った言葉が、娘に突き刺さり、後で悔やんだこともある。私の目には、30歳を迎え二児の母となった娘は危なっかしい。

 高度経済成長の影響を受け、若い人たちは生まれたときから満たされてる。必要なものは欲しいという前に準備され、手厚く保護され成人してる。それだけに打たれ弱く、硝子のように繊細。いきなり怒鳴りつければ萎縮して、自分の殻の中に閉じ籠もるだけ。私たちがそうさせてしまった。

 それでも時間を掛けて語りかけ、話す言葉に耳を傾ければ、少しずつだけど成熟していく。これは私の娘だけでなく、さまざまな場面で出会う若い人たちに共通し、自分の頭で考え、自分の足で歩くようになると、大きな可能性を花開かせていく。あきらめなければ、いくらでも何とかなる。

 あえて死者に鞭打てば、殺すくらいなら親子の縁を切り、冷たい世間に放り出せ。子どもがどう育とうと、親としては責任を免れない。忸怩たる思いを胸に抱き、悔やみながら日々を過ごし、それでも子どもに未来を託すのが親の務め。無理心中は楽になる逃げ道。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月18日 (月)

ペットは家族か玩具か

 飼い主から犬や猫を引き取り殺処分するのに、従来の無料から有料へ切り換える自治体が増えてるという。今年も10増えて現在は53の自治体が有料、全体の半数を超える。野良犬などの捕獲も含め、そのうち9割以上、全国で年間36万匹が殺されてる。山などへの放棄も後を絶たない。

 一方では食事や住環境だけでなく、あらゆる場面で人と同じサービスが提供され、ペットをわが子のように愛する人も増えてる。共に暮らすことで、癒されてる人がいるのは事実。生まれてから死ぬまで面倒を見て、飼うマナーも近隣に迷惑を及ぼさない。そうした人たちも決して少なくない。

 どちらにしても忘れてならないのは、生命の宿る人とは異なるもの。人の社会で共生するなら、そこに悪い影響を及ぼさないようにして、飼い主が最後まで責任を持つのがルール。飼い主にとっては家族でも、それを苦手とする人もいれば、アレルギーなどの症状を起こす人もいる。

 まして遊び気分で飼って、気紛れで捨てるなど、生命に対する冒涜であり、決して許されない行為。犬や猫に限らず生き物を飼うには、関わり続ける覚悟を求められる。目に見えないことでも、現実に起こってることはたくさんある。捨てた生き物は、保護を失い死ぬしかない。

 人が生きるだけでも大変なのに、ペットを飼うのは他の生命を抱え込むこと。それが自分にできるのか、問い直すことが必要不可欠。代金さえ支払えば、お店はペットを売ってくれるが、それから後はすべて飼い主の責任。犬や猫を嫌う人もいる世の中で、最後の最後まで庇いきれるか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月17日 (日)

羮に懲りて膾を吹く

 兵庫県では男女6歳以上の混浴を禁止する条例があるそうだが、公営浴場の家族風呂も混浴として禁止するように指導。兵庫県によれば家族であるかどうかは自己申告であり、その判断を合理的に下せない以上、風紀を保てない施設は求められないとの見解。お役人根性丸出し。

 たとえ夫婦でなくとも、男と女が裸で風呂にはいるくらいで、何かが起こるわけじゃない。県下には風俗店も数多く営業して、そこでは怪しい行為を繰り返してるのは、誰もが知ってるどころか県が許可してる。ラブホテルにしても、建ってるだけで教育に悪いと言えば悪い。

 インターネットにアクセスすれば、未成年でもアダルトサイトを閲覧できる時代に、仲の良い男女が別料金を払い、一緒に風呂を楽しむくらいで目くじらを立てる必要があるのか。本物の家族なら微笑ましい風景。幼子を夫婦が世話して、どこが風紀を乱すのか。

 そんなところで重箱の隅を突くより、教育の現場でやることがあるだろう。社会秩序を乱す者を取り締まるのが先だろう。家族風呂を楽しむような人は穏健な市民、県の命令に反してまで自己主張しないかもしれないが、そこでお役人風を吹かすことに何の意味がある。

 確かに全国で公務員の不祥事が相次ぎ、神経質になってるのはよくわかる。モラルを見直したいとの良心が、小さな芽を摘みたかったのかもしれない。だけどやっぱり順番がおかしいし、家族風呂を禁止する説得力に欠ける。権力を行使するなら、もう少しバランス感覚を磨いてからにしてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月15日 (金)

モラル・ハザード

 月刊紙『高校生新聞』が、全国6千人の高校生にアンケートした結果、ほぼ半数が友人同士の飲酒や電車内の携帯電話を、悪いと考えてないとわかった。編集部では、教師や親など身近な大人の影響が大きく、手本となる大人が減ってることが原因と分析してる。

 未成熟で自分勝手な大人が目立つのは確かだが、私が子どもの頃だって、電車内で煙草を吸ってたり酒を飲んでたり、無軌道な大人は少なくなかった。それに比べたら、友人の家に集まっての酒盛りや電車内の化粧のほうが、他人に迷惑を掛けないのかもしれない。

 携帯電話については、近くに心臓を患ってる人がいたら、傷害に近いことになるけれど、それを確かめようがなければ、気楽に友人と話すだけの感覚だから、罪悪感がないのだろう。いつの時代でも皆の冷ややかな視線がなければ、それはモラルの許容範囲と認知されてしまう。

 まして競争社会で、新しい商品やサービスを売り込む側は、メリットを強調してデメリットを小さく表記する。お金を支払って手に入れた側は、メリットだけを享受しようとするから、どうしてもバランス感覚を失う。客観的な立場から公正に判断する環境がない。

 若い人たちに、真面目に努力すれば報われると説いても、そうでない成功者たちをクローズアップして、その基準を収入の多寡だけに求めれば、説得力がないのは当たり前。大人の価値観の写し絵が子どもたちの価値観。何が大事かを大人たちが問い直さなきゃ、この先一歩も前へ進まない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月10日 (日)

切れる原因なんて

 文部科学省は来年度の概算要求に1億5千万円を盛り込み、切れる子の原因を探るために定点観測を実施する方針。食事や生活習慣、家庭環境など追跡するそうだが、調べなくったってわかってることはたくさんある。民間や学界の研究成果もあるのに、どうしてそうしたものを活かさないのか。

 普通に考えて第一の原因は、ガマンしなくて済む世の中になったこと。欲しいモノはすぐに与えられて、ひと昔前なら家族と共有してた電話まで、今では小学生が携帯を持つ時代。夜中に喉が渇いてもコンビニは24時間開いていて、世帯の収入はダブルインカムだから、たいていのことはお金で解決。

 それに加えて先生や親を軽く見てる。これは大人たちの問題。教育現場の荒廃や制度の不備もあるけど、それ以上に歳を重ねても成熟してない人が多すぎる。飲酒運転やわいせつ行為、ちょっと考えれば子どもにもわかる不祥事を起こし、毅然とした態度をとれない大人を、子どもは見透かしてる。

 食事についても言及されるだろうが、バランスが悪いのは皆が知ってる。ファーストフードや加工食品、たまに食べるなら良いのだが、主客逆転した食卓で餌を補給されるだけ。自然の食材を用いて、母親が手作りして、一家団欒の風景が、いつの間にか忘れられてないか。

 男も女も働く時代なら、社会で子どもを育てる工夫も必要。権利ばかりを主張せず、他人に世話してもらったら感謝して、無償の奉仕でお互いに補い合わねば、問題を解決できるわけがない。いつの時代にも親たちは、子どもを中心に生活を設計し、次世代に希望を託してきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 9日 (土)

老け込んじゃいられない

 厚生労働省が公表した人口動態統計によると、05年度に40歳以上の母親が出産したのは約2万人。これは1958年以来47年振りとのこと。35歳以上になると17万4千人で、前年より4千人以上増えてる。少子化と言われてるけど、ライフスタイルが変わってきたのかもしれない。

 私は23歳で結婚し、24歳でひとり娘が誕生。娘も23歳で結婚し、25歳で長女を産んでるから、私は40代でお爺ちゃんになってる。ひと昔前なら少し早いくらいだが、周囲を見回すと私と同年代のお爺ちゃんはあまりいない。それどころか孫と同い年の娘がいる人も……。

 女性の社会進出が当たり前になったせいか、初対面の人と会って驚かされることも多い。皆が若くて美しい。20代後半かと思ったら、10年読み違えるなど日常茶飯事。肌の色艶も良いのは、栄養状態ばかりでなく、スキンケアの知識も技術も向上したからだろう。

 年寄りは年寄りで、元気に活躍する人が多い。今日名刺交換した人も、70代半ばと聞いたが、現役バリバリで、隠居生活などまったく考えてない。確かに個人差はあるけど、全般的に若返ってるような気がする。善し悪しは別として、皆が長寿社会にシフトしてるような現象。

 それだけに自分の身を慈しんで、健康に気を配っていけば、私もまだまだ活躍できそう。大事なのは自分を年寄りと思わないこと。若い人との間に一線を引いたら、心が身体を引っ張って老け込む。いつまでも自らをチャレンジャーと位置付け、先を見据えて生きることが肝要。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年9月 8日 (金)

ちゃんとしろよ

 厚生労働省が来年度から「養育費相談・支援センター」をスタートさせる。離婚したシングルマザーで、養育費を受け取ってる人は2割に満たなく、母子家庭の厳しい経済状況の要因ということから、弁護士や専門の相談員を登用して、個別の問題解決を図るのが目的。

 結婚したら死ぬまで添い遂げるのが理想だけど、男と女の間には深くて暗い河も流れてる。DVや借金など、結婚生活を継続できないケースもあり、幸せになれないのなら別れたほうが正解。03年度の調査では、全国の母子家庭は122万5千世帯、その80%が離婚によるもの。

 母子家庭の平均年収は212万円、養育費について取り決めをしてる人は34%いるが、実際に受け取れる人は18%。取り決めてない人は、相手に支払う能力や意思がない理由が48%。相手と関わりたくない理由が21%、交渉がまとまらない理由が10%。簡単に言えば、男が逃げている。

 明石家さんま師匠が大竹しのぶさんと離婚したのは周知の事実だが、それでもさんま師匠に悪評が断たず、別れた家族とも交流できるのは、やるべきことをきちんとやってるから。男と女が別れたら、男は自分が悪者になって、言いたいことを口に出さず、責任をまっとうするのが当たり前。

 自分の子どもが居るなら、たとえ別れていたって、血反吐を吐いて働けよ。自分の身を切り刻まれても、女房子どもを食わすのが、いつの時代にも変わらぬ男の甲斐性。三行半を突きつけられたからと、責任がご破算になるわけじゃない。一度は好きになった女と愛しいわが子を、男なら泣かせるな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月 7日 (木)

NHKの受信料

 NHKの受信料の支払拒否、保留件数は、7月末で115万件。ピーク時の昨年11月末、128万件に比べると減ってるが、ほとぼりが冷めた頃に不祥事が発覚し、在日米軍基地や大手企業、ホテルなどで受信料を支払ってない実態も明らかになり、こうした傾向はしばらく続きそう。

 これに対して総務省では、NHK経営院開会核を推し進める一方で、受信料の値下げや支払いの義務化を含んだ法案を、来年1月に始まる通常国会に提出する予定。チャンネルの削減に対しては、NHK側は難色を示してる。今まで通りの組織で、受信料だけ欲しいのだろ。

 そもそも無茶なのは、TVの受信機を購入した段階で、NHKとの受信料支払契約が成立するという発想。NHKは受信料を放送の対価でなく、国民の知る権利を守る公的課金と位置付けてる。NHKの放送を見ようと見まいと、国民の義務としてNHKを支えねばならないという理屈。

 それなら放送内容はもとより経営活動まで、国民の審判を仰ぐのが筋。国会議員や裁判官だって、定期的に国民の信任を受けてる。一方的に受信料を徴収し、何をやってるか知らさないどころか、やりたい放題の限りを尽くし、国民が納得すると思うほうが笑止千万。ふざけるのもたいがいにしろ。

 おまけにインターネットやモバイルなど、情報発信は急速に拡大してる。有料の放送はターゲットを絞り込み、営業努力を積み重ねてる。役員が黒塗りの送迎車を使ってるうちは、NHKの言い分に耳を傾ける人はいない。もう少し謙虚な姿勢で、自らを省みることだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月 6日 (水)

何を目指してるのか

 利息制限法の上限金利を一本化し、グレーゾーンの撤廃を実現するために、議員立法の「貸金業規制法」を内閣提出法案の「貸金業法」に変え、金利引き下げに留めず、業界の再編までを視野に置く狙いとか。ところがこの法案、現状を容認するザル法にしか思えない。

 たとえば利息制限法の上限を超える場合、任意であると契約書に明記するようになるが、そこで合意して融資を受けたら、後から返還要求はできない。喉から手が出るほど金が欲しい人は、任意であろうとなかろうと、貸金業者の申し出を受け入れざるを得ない。むしろ改悪のシステム。

 そのうえ貸金業者に便宜を図り、少額で短期の利用者に対しては、従来通りの高金利を認める特例を認める。施行後8年間も猶予があり、さらに期限を迎えたときには再検討。言ってしまえば新規顧客に対しては、今までまったく同じやり方で差し支えないと、国がお墨付きを与える。

 それでいて融資額を年収の1/3を超えると融資は禁止され、多重債務者は闇金へ流れるしか道を選べない。善意で受けとめれば、消費者金融を利用したら最後、地獄へ行くしかないと教えてるのか。少なくとも借金苦に喘いでる人たちには、何の救いにもならない法案のような気がする。

 大手貸金業者の経営を圧迫し、TVCMなど流せないほどの影響を与えねば、法案を成立させても意味はない。気軽にキャッシングできると、勘違いしてる人たちの目を覚まさせ、業界全体を衰退させることが必要。議員さんたちは、さぞや多くの献金を受けてるのかと疑いたくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2006年9月 5日 (火)

日本の常識を疑え

 9月4日午前10時から東京地裁で、26回を予定されている堀江貴文被告の初公判。マネーライフ社買収の際の偽計取引と風説の流布、連結決算での53億円の粉飾による有価証券報告書の虚偽記載、これが争点となる起訴事実だが、堀江氏は全面的に無罪を主張してる。

 正直に言うと事実関係は藪の中だけど、代表取締役の役職にいる以上、知らなかったでは済まされない。たとえ宮内氏や他の幹部と対等の関係で、蚊帳の外に置かれていたとしても、責任を引き受けるのが組織の掟。少なくとも株価操作の錬金術は、堀江氏も充分に承知してたはず。

 問題なのは株の売買で利益を得ることで、メディアへの露出を増やし、アドバルーンを掲げ、一躍時代の寵児に躍り出たこと。金さえ掴めば何でもできると、若い世代を中心に幻想を撒き散らした。確かに資金があれば株を取得して、その比率が高まれば経営への発言権も生じる。

 しかしどのような事業でも、お金だけでは動いてない。創業者の思い、働く一人ひとりの知恵と汗、取引先を初めとした関わる人たちが培った歴史、そうしたものすべてが門外漢の思惑で削除される。たとえ合法的でも、日本の産業に及ぼす影響はマイナスじゃないか。

 規制緩和が進み国際化が促されるほど、企業価値は共通言語としての金銭に換算され、投資効果も含めた株価へと反映される。スキルやノウハウや哲学を持たなくとも、お金さえ払えば株を購入できる。値上がった段階で売り抜ければ、企業は何の恩恵も受けず、目端の利く人だけが儲けられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 2日 (土)

人を殺すのは簡単か

 稚内やら周南やら、相変わらず物騒な事件が起きてる。たとえ怒鳴り散らしても、血相を変えても、話し合えば理解できるところもあろうに、問答無用で生命を奪う風潮が後を絶たない。そりゃ人間なんて殺すのは簡単、非力な女性や幼児なら刃物さえ必要としない。

 殺した後にどのような世界が展開するのか、想像力はまったく働かないのだろうか。逮捕されてから改悛の情を表しても、一度奪われた生命は二度と戻らない。自分の気持ちを抑えられずに、社会との関わりを考えられずに、スイッチを切るぐらいの手軽さで暴走する。

 これは報道されてるような事件だけが、特殊なものでないように思われる。飽きてしまったペットを平気で捨てる人、遠くの山奥まで電化製品を廃棄しに行く人、隣近所の迷惑を省みず深夜まで騒ぐ人、自分だけの理屈でルールを無視する人、皆同じ穴のムジナじゃないか。

 自分さえ良ければ、他人がどうなっても構わない。それを突き詰めていくと、自分に邪魔なものや不要なものは、削除しても心が痛むどころか、合理的な判断を下したような気さえする。私利私欲に走る人が崇められ、人を騙しても儲けた人が、偉いと賞賛される世の中。

 何が大切なことなのか、本気で問い直さないと、ますます殺伐になってくるような気がする。人が人であることの尊厳を忘れたら、弱肉強食の獣の世界と変わらない。弱い人への慈しみを無視したら、私たちは歴史から何を学んできたのか、先人の血と汗と涙が報われない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

驚異の黒米パワー

 秩父で黒米を栽培し、さまざまな製品を研究してる経営者と会う。最近話題の黒米だが、抗酸化作用の高いアントシアニン、コレステロールを減らすナイアシン、諸々のビタミン、亜鉛、鉄、マグネシウムと、サプリメント以上に優れた栄養素を含んでる。それくらいは知っていた。

 ところが、そんなもんじゃない。エキスを精製し化粧品にすると、シミやニキビもなくなるし、身体から発する匂いも消える。それどころか実験段階だが、発毛効果もあるらしく、実際に経営者の頭にはその成果が……。黒米愛用者は健康で長生きしてる人が多いらしい。

 話を聞いていると、どうやら水も影響するらしく、数多い秩父の源流の中でも、アルカリ性の高い源流水を使用。こだわる人は徹底的にこだわる。経営者の前歴を聞くと、名古屋で菓子店を経営し、数億円を商ってたが、10年以上前に黒米と出会い、秩父へ移り住んだ。

 私の一番の関心事は、近頃では日本の食と自然との共生。そんなことを考えてると、こうした出会いに恵まれるからおもしろい。美味しく食べて健康になるだけでなく、美しくも馴れるなら、願ったり叶ったりというとこか。農業がトレンドになるとは、この辺りの視点かもしれない。

 仕事がら考えてしまうのは、ビジネスとして成長する可能性。踏み出す一歩に抵抗感がなく、日本人ならすぐに納得できるコンセプト。少しくらい高い価格設定でも、充分に市場ニーズを見込め、それほどのトレーニングを要しなくとも売りやすい。もしかしたら狙い目かも。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年8月18日 (金)

だから舐められる

 北海道根室沖でのロシア軍による日本人漁船乗組員殺傷事件に伴い、根室市はロシア領樺太諸島への人道支援およびビザなし交流の中止を要請してたが、外務省は領土返還に寄与する事業として継続を決定。世界のどこを探しても、自国民を殺されて、その相手の国に金や物資を贈る国はない。

 ビザなし交流の前提は、双方が国境線を意識しながらも、行き来することでお互いにプラスになるから。領海に踏み込んだのを理由に、ゴムボートからいきなり銃撃され、あげくの果てに命まで奪われたら、その前提は根本から崩れる。地元民の怒りを官僚は感じられないのか。

 まして人道支援など、笑わせるんじゃない。それを日本では昔から、盗人に追い銭と言ってる。人を殺しても経済支援を打ち切られないなら、これからも勝手な理屈をつけて人を殺される。暴力に対して暴力で迫ってはいけないが、ヘラヘラとお追従笑いを浮かべてもダメ。

 これは、日本の国内法も同じ。ルールを破った際の罰則が甘すぎる。人を殺してもひとりなら死刑にならない。無期の判決でも15年というところ。模範囚ならさらに短い期間で釈放。人の制止を振り切り花火で遊んでも、夜中まで花見見物と騒いでも、逮捕されないから頭に乗ってくる。

 すべて根っこは一緒。既得権を守るためなら一所懸命に研究するが、真面目に働く庶民を守る気がないから、あいまいな状態を継続し決断を下さない。国民の意思を反映したうえで、日本の国の意思を内外に示さなければ、これから先もずっと無法者たちに舐められる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月17日 (木)

暴力でしか解決できないのか

 北海道の根室沖で操業中の漁船が、ロシア国境警備隊に銃撃されて、1人が死亡し、3人が拿捕された。ロシア側の発表では無灯火で密漁してる不審船に対し、警告を発したところ逃げたので威嚇射撃。船には銃撃による損傷はないと主張。死んだ人は運が悪かったと言いたいのだろう。

 現場がどちらの領海にしても、相手は民間の丸腰の漁船。実弾を発砲する必要があるのか。重厚を人へ向けたら、殺意があると思われて当たり前。ロシアは自国の利益を守るために、日本人を射殺した事実は消えない。人を殺してまで得ようとする利益は、ロシアにとってどれほどのものなのか。

 一方では自民党の加藤代議士の実家に、放火して割腹自殺を図った右翼団体の幹部。小泉首相の靖国神社参拝に対して、加藤代議士が異論を唱えたのが背景と報じられてるが、自らの意見を主張したいなら言葉を発すれば良い。どうして家を焼かなきゃいけないのか。腹を切れば済むのか。

 人はさまざまな欲望があり、それが成長への原動力になってる。しかし組織でも個人でも、欲望が常に果たされるとは限らない。声を涸らして叫んでも、伝わらないことはいくらでもある。どうしてわからないのか、地団駄踏む思いは、誰もがさまざまに経験してるに違いない。

 だからといって問題解決の手段に暴力を用いたら、その時点で人間は人間でなくなる。獣が殺傷能力や破壊能力を持つ道具を手にしたら、問答無用で生命や財産は簡単に消えていく。甘いかもしれないが私たちは人間、対話する知恵も力も身につけてきたと考えたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月16日 (水)

靖国神社って何!?

 8月15日に小泉首相が靖国神社を参拝、予測通り中国と韓国からは抗議声明。日付は違っても、この数年繰り返された展開。靖国神社は桜がきれいなので、千鳥ヶ淵を訪れる際に、何度か足を踏み入れたことはあるが、戦没者を慰霊するための神社と考えてた。

 あまり世間が騒ぐので、ちょっと調べたら、元々は明治維新の官軍兵士の鎮魂が目的。明治2年に東京招魂社として創設され、2年後に靖国神社へ改称し、別格官弊社となり、戦前は陸軍省と海軍省の共同管理。246万以上の英霊が祀られてるが、圧倒的に多いのが第二次世界大戦の213万4千柱。

 ここで疑問なのが、神に対する定義。出雲大社に大国主命が祀られてるように、神話の登場人物が御神体なら違和感を覚えないが、戦没者=神というのはどうなのだろうか。慰霊碑ではいけないのか。吉田松陰や坂本龍馬は戦没者と呼べるのだろうか。

 中国や韓国が異論を唱えるのも、ムリヤリ日本軍に招集した中国人や韓国人を、遺族の許諾も求めず祀ってるのだから、その辺りにも根深い問題が潜んでる。合祀問題で取り沙汰されるA級戦犯も、皆が戦没者というわけでないので、かなり恣意的な印象を受ける。

 要するに靖国神社は象徴の実体化であり、さまざまな捉え方が可能になる。それだけに感情論が先行しがちになるのだが、あくまでも靖国神社は一宗教法人。必要なのは日本という国が、第二次世界大戦を総括したうえで、その犠牲になった人の魂を鎮める公的施設を創ることじゃなかろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (6)

2006年8月13日 (日)

帰省ラッシュ

 いよいよお盆休み、日本列島は民族大移動。空港も駅も道路も混雑を極め、皆が故郷を目指して急いでる。全国各地で夏祭りもたけなわ、どうのこうの言っても風物詩。生まれ育った土地は、どんな思いをしても帰りたいほど大切。私もお盆のうちに、片道1時間の里帰りで、墓参りしなきゃ。

 それこそ半世紀も前なら、働く場所は都会にしかなく、集団就職や出稼ぎなど、泣き泣き故郷を後にしたけど、インターネットが普及して、交通アクセスも整備して、それでも東京や大阪でなきゃ仕事はできないのだろうか。そろそろ発想を切り換える時期を迎えてるのかもしれない。

 日本人は元々、人生は仮の宿と考える節があるけど、働くために暮らす都会はなおさら異境。どこか長逗留してる気分で、旅の恥は掻き捨てになってるかと怪しんでる。生まれ育った土地なら、絶対にできない破廉恥や無軌道も、いつか離れるつもりの旅先なら平気でやっちゃう。

 倫理を説くより、生まれ育った土地に腰を落ち着け、そこで暮らしたほうが、日本人は日本人として生きられるのではなかろうか。インフラが整備してなきゃ推し進めりゃ良いし、産業がなけりゃ創り出せば良い。そうしたことができる環境は、そろそろ準備されてるのでは?

 盆暮れごとの帰省ラッシュを起こすのは、しがらみなどもあるだろうけど、やはり帰りたいからなんだ。だったら、ずっとそこに居られるように、皆で知恵を寄せ合えば、解決の糸口が見つかるかもしれない。そんなことができたら、一人ひとりの可能性もぐっと広がりそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月11日 (金)

夏の温泉は暑い

 家の近くの日帰り温泉には、千円床屋が入ってるので、髪を切るために朝から温泉へ。開店してすぐに行ったつもりが、わずか5分遅れただけで1時間待ち。そりゃそうだよね。何しろ普通の床屋なら、4千円近くかかるのだから。ヘアデザインに凝ってるわけでもなし。

 こうした床屋が増えてくると、町中の床屋は大変だろう。実際に店を閉じる話もチラホラ、手に職を持っても、なかなか世間を渡れない時代。短期的に見れば利用者には有り難いが、長期的にはどうなのだろうか。技術をプライスダウンしていけば、床屋になりたがる人は減っていく。

 そんなことを考えながら髪を整え、湯船へと向かう。手足を伸ばすと、極楽、極楽。充分に温まってから髪を洗い、サウナで蒸されて、水風呂で身体を引き締める。露天風呂を楽しんでると、やたらに喉が渇く。湯の温度はぬるめだが、やはり夏なのか空気がすでに暑い。

 いつもは2時間は入ったり出たり、しかし今日は1時間半くらいで頭がぼんやり。バスタオルでいくら身体を拭いても、汗が湧き出て止まらない。お昼にラーメンを食べたら、さらに汗、汗、汗……。身体中の老廃物が流れ出た気分。夏の温泉も乙なもの。気分爽快リフレッシュ。

 このところ出かけて帰ると、シャワーで頭の天辺から爪先まで、それはそれで気持ち良いのだが、日本人はやはり湯船に浸かり、のんびり浮いてるのが一番。髪もサッパリしたし、これから仕事に集中。ない知恵を絞り出せそうな予感。さぁさ、頑張るぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2006年8月 4日 (金)

好きなの、嫌いなの?

 ボクシングそのものは嫌いじゃないが、亀田三兄弟とやらはトレーナー役の父親も含めて、傲慢不遜な態度で苦々しく思ってた。世界戦ということでTBSを観たら、視聴率稼ぎの特番で1時間半も繋いで、リングは午後9時というから、それだけでお粗末。それでも視聴率は40%を超えた。

 私は観てないので、試合内容についてはコメントできないが、結果としては僅差の判定でWBA世界チャンピオン。万雷の拍手が鳴りやまないところだが、実際にはブーイングの嵐。ヤフーのネット投票では、22万人のうち僅か3%が亀田選手の勝利を支持したという。

 スカッと勝てなかったかもしれないが、日本人が世界王座に就いたのだから、ファンとしては喜ぶのが普通なのに。まして判定に日本人は加わってないし、それほどボクシングに詳しいファンが多いとも思えない。八百長と指摘する根拠もないのに、尻馬に乗って騒いでるだけ。

 亀田一家のように礼儀を何も知らずとも、人を食ったような発言を繰り返しても、勝ち続ければ支持されるのが当世風と観ていたが、どうやら少し違うような気がしてきた。大言壮語を吐くからには、圧倒的強さを示さなきゃ認めないというなら、それもいささか勝手な理屈。

 ファンと称する人たちもそうだが、誰が見たって社会人としてのマナーを身につけてないガキを、持て囃してヒーローに祭り上げたメディアは、今度はバッシングの急先鋒。他人事のように、前途多難を報じるのは、いささか無責任じゃありませんか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年7月30日 (日)

繋がりたい気持ち

 韓国に拠点を置く新興宗教集団の教祖が、本国だけでなく日本でも、信徒に対して性的暴行を加え、被害者は100人を超えるという。本国での犯罪で国際指名手配を受けたが、現在も潜伏中。日本での信者は2,000人以上。有名大学へ通う学生が多いらしい。

 韓国と聞けば、すぐに思い出すのが統一協会。集団結婚やら霊感商法で世間を騒がせたから、名前くらい覚えてる人もいるだろう。有名大学の学生が入信したのは、麻原彰晃が率いるオーム真理教。傍目から見れば何の不足もない若者たちが、こうした宗教組織へ寄り添っていく。

 競争に勝ち抜いてきた孤独感もあるだろうし、情緒的に満たされない飢餓感もあるだろうし、どこかで何かに縋りたい気持ち、わからなくはない。淋しいのかな。心を預けてしまえば楽になるし、心を預けた以上は身体くらい、差し出すのはわけがない。

 人はひとりで生きていけないから、いつも誰かと繋がりたいと願う。さまざまなコミュニケーションを経て、友情が芽生えたり、恋愛へ発展したり、個と個が結びついていく。精神的に強い背景を求めれば、宗教へ入信したり、政治組織に参加して、その中に溶け込もうとする。

 それぞれが、不思議ではない人間の営み。どのように生きても自由だが、自分を大切に思うなら、もう少し強い心を鍛えなきゃ。こうした事件が起こる背景の一因には、私たち大人が信頼されてないということもある。対岸の火事と思わずに、接する人たちと真剣に向かい合おう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月24日 (月)

野球は夢を与えるか

 山本圭一さんの淫行容疑に端を発し、揺れ動いた欽ちゃん球団も、ファンの熱い声援を受けて存続が決まった。これで選手たちも胸を撫で下ろし、試合を楽しみにしてた人たちもほっとしてるだろう。これで一件落着かと思えば、こうしたときには必ず外野席から野次が飛ぶ。

 世間を騒がせ、少年たちの夢を壊した社会的責任を、どのようにとるのかというメディアの声。たかが草野球の球団ひとつが、潰れようが潰れまいが、余計なお世話というもの。周囲で騒ぎ立て、煽ったのはメディアじゃないのか。こういうのをマッチポンプと呼んでる。

 それに少年の夢だって、いつの時代の話をしてるんだ。今どきの小学生だって、野球選手が立派な人なんて思ってない。野球が上手で運が良けりゃ、プロの選手になって大金を稼げる。小さい頃から野球に明け暮れた人たちが、知識も常識も薄いことくらいわかってる。

 自分の能力が野球にあれば、高収入を得られる職業の選択肢として、野球を挙げるだけ。それと野球を観る意識は明らかに違う。数あるエンターテーメントの中のひとつのチャンネルとして、野球を観戦してるに過ぎないから、サッカーのほうがおもしろければサッカーを観る。

 まして草野球なら、好きか嫌いで決まる世界。野球が好きだけど、それで飯を食えなきゃ、他のことで飯を食いながら、それでも野球がしたい。素人演劇、素人楽団、そんなものはいくらでもある。何か問題が起きたときだけ、正義の仮面をかぶって、安全な場所から攻撃するんじゃないよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月22日 (土)

世襲は是か非か

 ここのところハマッてるのが、日テレ金曜日20時からの、爆笑問題のバラエティ番組。今夜は二世議員を認めるなというテーマ。二世議員が大挙出演してたから、結果は最初からわかってたが、そのやり取りはおもしろかった。国会議員に限らず、世襲は思ってるより多い。

 落語や歌舞伎の世界も世襲だが、生まれたときから環境に馴染み、芸を磨ける利点がある一方で、閉ざされた世界になりがちで、新しい才能は受け入れられない。言われてみると落語が衰退し、漫才やコントに人気が集まるのも、この辺りに一因があるのかもしれない。

 だけど落語家には、誰にでもなれる。ひと昔前の名人と呼ばれた人たちは、必ずしも親の跡を継いだわけじゃない。そこで思い当たるのが、既得権を得てること。林家正蔵など親の七光りだけで、ろくな芸もできずに札びらを切ってるのは有名な話。貧乏で芸を磨いたことなど金輪際ない。

 これが政治家ともなると、話は深刻で、世情に疎いまま先生になり、当選回数が多いので要職を務める。金に苦労したことなどないから、役人の給料を高いとも考えられず、庶民の生活の苦しさも想像できない。そうした人たちが、日本のルールを決めてるというわけ。

 会社にしても、同族経営を前面に出すと、優秀な社員が去っていく。ひと昔前に比べると、日本人は既得権を無前提に承認しなくなってる。この傾向はこれからますます強まるに違いない。世襲が良いか悪いかを問う前に、公正な競争を実現できるかどうかを検証すること。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月20日 (木)

誰が勘違いさせてるのか

 極楽とんぼの山本さんが、函館で女子高校生と淫らな振る舞い。それが発覚して吉本興業から解雇され、出演予定のTV番組は中止を決定。それだけじゃなく所属する野球倶楽部まで、主宰者の萩本欽一さんは解散を宣言。萩本さんの潔さは立派だが、山本さんは氷山の一角のような気がする。

 TVのバラエティ番組を観てると、お笑い芸人たちが当たり前のように、素人の女性とコンパしてると自慢話。酒を飲んで酔わせれば、その後にどのような展開が待ってるのか、大人の男と女なら想像できる。17歳の女子高生になれば、ホテルへ付いていくことの意味も理解できるだろう。

 男と女が肌を合わせるには、お互いにそれなりの覚悟が必要。一生を添い遂げる気持ちがなければ、男は女を誘わないし、女も応じることなどない。それが私たちの世代の常識。そうした感覚を古臭いと思うなら、何があっても泣き言など吐かない。自らの責任ですべてを負えば良い。

 ちょっと有名だったり、小金を溜めてたり、近寄っておこぼれにあずかろうとすれば、相手が勘違いするのは仕方ない。少し余計にお金を渡せば、何でも思い通りになると、世間の常識から隔離されていく。芸人と一般人の境界線を、最初に無視したのはどちらなのか。

 ファンと称する人たちも、芸人を画面の中に閉じこめておかない。擬似的な恋愛関係を楽しみ、遊んでるのはお互いさま。まして酒が絡んだら、酔って支離滅裂、後は野となれ山となれ。舞台の上で尻を見せるのが許されるなら、どこで何をやろうがお咎めなしと思ってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月17日 (月)

自然と共生できるのか

 今日は「海の日」だとか。海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の発展を願う趣旨ということだけど、なーに90年代の半ばに国民の休日を増やそうと、こじつけて発足したものだから、7月の第3月曜日などとわけのわからない祝日になってる。それでも自然との共生を考える切っ掛けになる。

 そんなことを思いながらTVを眺めてると、今年も各地で野生の猿が暴れてるらしい。画面に映し出されたのは軽井沢だが、日光でも大暴れしてるのは有名だし、春先には屋久島の様子が報じられる。自然保護の条例のために、ほとんどの土地では猿を駆除するわけにもいかない。

 猿が里へ下りて来るには、さまざまな要因があるのだろうが、人間の自然への働きかけが無計画なのも、見落としてはならない理由のひとつ。山に餌があるうちは、猿もテリトリーを越えない。どこかで誰かが境界線を踏み越え、猿を里へと追いやったのは事実。

 日本の生態系が崩れてきたのは、今に始まったことでなく、ブラックバスなど日本へ持ち込んだのは手前勝手な利己主義者。スポーツフィッシングなどと権利意識を声高に主張するが、それなら個体管理も含めて責任を持つのが筋というもの。釣った魚も食べないのは、仁義に外れた行い。

 ペットに飽きたから野に捨て、山に捨て、旅行の浮かれ気分で餌付けして、いったい自分がどれだけ偉いと思ってるのか。生命を弄んだら、自然に逆襲されるのは当たり前。人間は自然を征服したわけでなく、自然界の中で活かされてる。謙虚に事実を見つめ直さなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

開き直るしかない

 エースの上原を投入しながら、一時は逆転したけど、さらに逆転され、とうとう巨人が9連敗。開幕ダッシュが夢幻のよう。昨年に比べても、弱い巨人の印象を受ける。負け続けてるんだから、確かに弱いんだろう。今の巨人では、どことやっても勝てる気がしない。

 これは、私たちの仕事でも同じ。うまくいかないときは、何をやってもうまくいかない。実績を積み重ねた営業マンでも、売上を稼げないときは、とことん稼げない。その原因は明らかで、動く前から結果を予測して、失敗しないようにブレーキを掛ける。勢いがないから突破できない。

 常に闘いは、今の力で闘うしかない。足りないところがわかっても、付け焼き刃で補えば、身についてないからポロを出す。本を読んで覚えた知識を、こなれるまえに遣おうとするから、生兵法でケガをする。学んだことが力になるには、種を蒔いてから実が熟すまでの時間が必要だ。

 結果を恐れないのでなく、結果を考えないこと。勝つとも負けるとも一切予測せず、やるべきことをやるためには、開き直るしかない。自分自身を見つめ直し、今の自分にはこれしか力がないと思い切って、それを最大限に発揮することだけを考える。ダメならダメで仕方ない。

 人の力の差なんて、それほど極端にあるわけじゃない。しかし持てる力を存分に活用してる人と、わずかしか活用してない人の差は生まれる。いつも足りないところばかりに目を向け、謙虚に反省してるだけでは、最前線で闘い抜けない。頭でっかちになったら、足がすくんで動けない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月13日 (木)

何を言ってるのやら

 朝日新聞によると北九州市の指定暴力団が、市の教育委員会に対して、暴力団追放ビデオを中学校や高校で上映すると、子息が苛められる恐れがあり人権侵害になると、中止するように申し入れていたという。ちなみにビデオはドラマ仕立てで、制作したのは福岡県警とのこと。

 今までに自分たちは、ガキの頃から世間に迷惑を掛け、泣き寝入りしてる被害者たちもたくさんいるだろう。面白半分の恐喝だとしても、脅された人の心は一生傷つく。覚醒剤や麻薬、売春など、暴力団が絡んだ社会悪は根絶せず、それをきちんと知らせて伝えるのは大事なこと。

 わが子が可愛いなら足を洗って、正業に就くのが筋だろう。苛められるのがイヤなら、今までの被害者たち一人ひとりに、土下座して詫びて回るが良い。任侠映画ではあるまいし、一般社会と隔絶し、渡世の道を歩んでいるわけじゃない。自らが撒き散らした害毒をわきまえることだ。

 こうした意見に対して、開き直る覚悟があるから、暴力団に籍を置いてるなら、基本的に家庭を営むのが間違い。妻子はすでに泣いてる。誰が見ても本末転倒な振る舞いに、教育委員会や警察はどう対処するのだろうか。わけしり顔で上映を中止したら、裏で繋がってると思われても仕方ない。

 盗人にも三分の理があり、暴力団員も人の子。それはわかったうえで、誰もが自分の人生を、自分自身で背負わねばならない。やり直すことはいつでもできるが、そのためには過去を捨てなきゃ。自分は他人を苛めても良いが、わが子が苛められては困るとは、あまりに虫の良い話。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年7月11日 (火)

曇ったり、曇ったり

 梅雨なんだから仕方ないのだが、ここのところ晴れ間が見えない。西日本が豪雨に見舞われてることを考えたら、さして強い雨も降らずに曇り空が続いてるのは、恵まれてると考えなきゃいけないのだけど……。出かけるときも傘を差さないだけで、随分と凌ぎやすいのだが……。

 交通事故に遭ってから、この季節になると腰や肩が疼き、疲れやすくなるのも事実。暑ければ暑いで大変なのもわかってるが、カラッと晴れてくれたほうが少しは楽になる。そのせいでもないのだが、もうひとつ仕事に乗れない。原稿を書こうとしても、パソコンと睨めっこが続く。

 ここのところ研修や講演が続いたから、忙しくしてると天気も気にならないが、少し時間ができても出かけられず、だからといって仕事にも集中できず、少し疲れてるのかな。いつ降り出すかわからない空を眺めてると、ぼんやりと時間だけが過ぎていく。

 そうは言っても予定は入ってきて、今週も仕事は続いていく。いろいろと準備も進めなければいけないし、やることはいくらでもあるのだが、今ひとつピリッと来ない。その場に出ると何とかなるが、自由にされると空気が萎む。螺旋を巻き直さなきゃダメじゃん。

 頭をスッキリさせ、気を引き締め、心を入れ替えなきゃ、この夏を乗り切れない。まだまだ発展途上なんだから、隠居の爺さんのような台詞を吐かないで、熱く燃えなきゃね。曇り空の向こうには、お日さまが笑ってるんだから、それを忘れなければ大丈夫。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 9日 (日)

堕落バッジって、おい

 今年は坂口安吾の生誕100年だそうで、東京の世田谷文学館で、坂口安吾をモデルにした文豪Tシャツを売り出すという。1着4,410円が高いのか、安いのか、わからないが、先着300名には堕落バッジのおまけつき。安吾の代表作『堕落論』をもじってるのは言うまでもない。

 織田作之助と並んで無頼派のシンボル、安吾は私の好きな作家のひとり。彼の描く女性像は儚く、それでいて図太い。男どもが意気地をなくしても、女たちはたくましく生き延びる。行き場のない人生で、安吾にとって女神たちは生きるための座標であり、拠り所だったに違いない。

 それにしても堕落バッジとは、恐れ入谷の鬼子母神。草葉の陰で安吾も苦笑い。誰が買うと思ってるのだろうか。買った人が『白痴』や『青鬼の褌を洗う女』を読むのか。文学に親しんでもらおうと、形振り構わない気持ちはわかるけれど、ちょっとばかし方向がずれているのでは?

 こうした話を小耳に挟むと、改めて出版とは何なのか、考えさせられてしまう。文学として価値が高いと諭しても、読者はそう簡単に増えないだろうし、それ以前に食指を動かす版元は現れない。目の前に現金の匂いを嗅がなければ、企画を立てない出版社が増えている。

 志では飯が食えないと、耳にタコができるほど聞いている。しかし志がなければ、出版はアドバンテージをとれるのか。安吾の生誕100年なら、安吾の本を前面に打ち出し、読まれるようにするのが筋なのに、小手先に走らなければならない現実が哀しすぎる。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 8日 (土)

お金を儲けちゃ……

 TVのバラエティ番組で爆笑問題が、堀江さんと村上さんを採り上げて、株式市場でインチキしたら無期懲役にすべきと、相変わらず極端なテーマで議論を闘わせてた。このくらい過激に揺さぶると、ものごとの本質や発言の背景が見えてきて、実におもしろい。

 賛成派は基本的にマネーゲームを否定。お金はあくまで行為で生ずる価値の代価、お金がお金を生むことで生産的な価値は生まれないとの論旨。濡れ手で粟の欲望は、品性としても卑しいと指摘。しかし実際に貧富の差がある社会の中で、モラルだけを説いてもなかなか伝わらない。

 これに対して反対派は、生産性が低下する社会では、お金がお金を生むシステムを活かさねば、経済成長は実現できないという立場。堀江さんや村上さんの成功が、株式市場への参加を促し、経済を活性化させたと指摘。しかしその背景には、表ばかりでなく裏もある。

 正直に言って一般大衆が、株式市場でどれだけ儲けているのか。成功してるのはひと握りで、ほとんどの人は餌食になってるような気がする。一攫千金を夢見ても、ほとんどが空くじで終わる。それだけで済めば良いが、欲が欲を生み借金漬けになる人もいる。

 お金を儲けちゃいけないと思わないし、株でも商品相場でも、やりたい人は勝手にやれば良い。うまくいけば大儲け、それも嘘じゃないだろう。でも、儲けるまでの道のりは遠く、全戦全勝の結果は誰も保証してくれない。巨万の富か破滅の道か、博打を打つだけの覚悟はあるのか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年7月 6日 (木)

楽しみがひとつ減った

 巨人がまた負けて、自力優勝の可能性が消えたという。親の代からのファンだが、今シーズンはこれで終わりかな。4月のスタートダッシュが素晴らしかっただけに、狐か狸に化かされた気分だけど、やはり冷静に考えると、指導者より組織づくりの問題のような気がする。

 堀内監督が批判されたのは、チーム内で若手を育てず、他チームのスター選手を金で引っ張ってきたこと。一世を風靡したスターでも、絶頂期を過ぎれば故障も増え、力も衰えていくから、期待通りの活躍を望めない。それを原監督は大胆な若手起用で、目覚ましい結果をもたらした。

 しかし若手は若手、すぐに壁にぶち当たる。その解決策として選んだのは、他チームのベテランを引き抜いて、当座を凌ごうという狙い。スケールが違っても、昨年までと同じ方法論。生え抜きの選手も起用されず、原監督の頑固な一面が悪いほうに出てる。

 巨人に入団した選手を巨人で育て、一流に仕上げていくのが基本なのに、外部からの流入が増えるほど、モチベーションは落ちていく。おまけに投手陣は見直されず、ハートの弱い選手ばかりなのは、教育方針に致命的な欠陥があるかと疑ってしまう。本当に彼らは力がないのか。

 やることなすことチグハグで、エラーで勝てる試合を落としたりしてるから、TVの視聴率が10%を切るのも当たり前。たとえ勝てなくとも希望が見えれば、ファンは応援するのだが、辻褄合わせをしてるとしか思えなければ、やはり気持ちが離れていく。何とかならないのかい、渡辺さん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 4日 (火)

それぞれの決断

 サッカーの中田英寿選手が、現役を引退するという。まだ29歳、身体が動かなくなる年齢ではないが、スポーツ選手の引き際は本人でなければわからないところがある。どの段階で決断するのか、人それぞれの人生観にもよるから、他人が口出しできることではない。

 私の好みから言えば、三浦知良選手のように、ボロボロになるまで現役にしがみつくほうが、自分の人生と重ね合わせやすい。泥まみれになって朽ち果て、倒れるように闘いを終わらせるのが美しいと感じる。余力を残して舞台を去らないでほしい。そう思うのは未熟な私の感傷か。

 しかし一方では中田選手の潔さに、拍手を贈りたい気持ちもある。日本のサッカーを世界レベルに押し上げ、強豪ひしめくヨーロッパでも通用すると実証し、ワールドカップをリアルなものとして位置付けたのは、中田選手の功績が大きいと衆目の一致するところ。

 それだけに余人には想像できない苦悩もあり、伝えきれないもどかしさもあり、ひとつの限界を迎えていたのかもしれない。違うフィールドでの可能性を発見し、チャレンジ精神に火がついたのかもしれない。私たちは彼の決断を受け入れて、これからを見守るしか術がない。

 僅か10余年の間に、ひとつの分野で世界のトップレベルまで昇り詰めた人が、どのような展開で人生を描くのか。私の枠組みでは捉えきれないところがあり、教えてもらうことが多そうな気がして、少しばかり胸が高鳴るのも事実。時代は確実に移り変わっているのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月30日 (金)

偉いと思ってるんだ

 TVを観ていたら爆笑問題が出ていて、「天下りの時給を500円にする」というテーマで、現役の東大生や国会議員がケンケンガクガク。よくあるバラエティ番組のひとつだが、おもしろいと思ったのは官僚出身者は、自分たちの給料は働きに比べて安すぎると考えていること。

 公務員に与えられた特権、たとえば法外に安い家賃やら、法外に高い退職金などを突きつけられると、さすがに口を噤んでいたが、国家のために働いてるのだから、そのくらいは当然と顔に書いてある。それどころか天下りを批判することで、優秀な東大生が官僚を目指さなくなると批判。

 バカを言っちゃいけない。東大卒主導の行政が、借金大国日本をもたらしてる。優秀な官僚なら、攻めて帳尻を合わせろよ。同期で事務次官が誕生したら、他の同期は退官するなど、見栄と高慢に基づく慣例。民間なら同期が社長になっても、口惜しい思いをしながら現職に留まる。

 たかが記憶力競争に勝ったくらいで、学生の頃から自分たちを、特別に優秀な存在と思い上がってる。コンピュータと競争したら負けるクセに、単語をたくさん知ってれば人の上に立てると勘違い。その連鎖が私利私欲を正当化し、日本の財務諸表を悪化させてるのに気づかない。

 言ってしまえば純粋培養、今どき東大に入学したくらいで、死ぬまでの人生を保証されるなど、おへそでお茶を沸かしちゃう。官僚が民間より高い給料をとっても、ツケを国民に回さずに、財務を黒字にするなら文句は言わないよ。それだけの才覚があるのかな。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

いやんなっちゃう

 仕事がらなのか、私にアプローチする人は多く、時間が許す限り会うようにしてるのだが、歯に衣着せない発言に恐れをなしたのか、いきなり交信が途絶えるケースは少なくない。私は誰に対しても本気なので、表面を取り繕った言葉でも額面通りに受けとめる。私が未熟なんだよね。

 メールでも一方的な問い合わせや、いきなりの質問などに、面食らわされることがある。ていねいに応えるべきなのか、仕事に関わることだからと断るのか、これでも結構悩むのだけど、時間をかけて質問に答えても、お礼のメールさえ届かなかったりする。言葉がキツイと反発されたり……。

 自分のことが大事なのは皆同じだけど、それなら他人も同じように考えてると、どうして気づいてくれないのかな。人の知恵や時間は無料と勘違い、引きずり回したあげくの果てに、電源を切るくらいの手軽さで屑籠に捨てる。そんな人ばかりじゃないのだが、少し続くとゲッソリしてくる。

 人を見る目がないのかな。忙しい時間を割いて、仕事が遅れるのも承知の上で、一所懸命になっても無駄なのかな。甘い汁をたっぷりかけて、お世辞を言ってほしいなら、私を選ぶのはメガネ違い。本を読まなくとも、ホームページにアクセスしてくれたら、そのくらいわかりそうなもの。

 それでもきっと、私は懲りないんだよね。初対面の人と会い、お互いにメリットを生む関係を築くのは、それはそれで醍醐味。お互いが大人なら、相違点をきちっと確かめて、重なり合うところで握手するのも難しくない。大人の恰好のお子ちゃまと会うからダメなんだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月24日 (土)

ヒートダウン

 ワールドカップで盛り上がったサッカーも、予選リーグで敗退して、ジーコ監督は解任されて、オシム氏の就任が確実視されてるらしい。私はJリーグのTV中継をたまに観るくらいで、CMに出ている選手くらいしか知らないが、潮が引くような雰囲気は確実に伝わってくる。

 子どもの頃にメキシコオリンピックで、日本が銅メダルを取ったときに、中心となって活躍していたのが釜本選手と杉山選手。釜本選手は大阪のヤンマーに所属し、杉山選手は浦和の日本通運だったので、それだけの理由で杉山選手を応援していたのを覚えている。

 それから長らくサッカーは、実業団主体のマイナーなスポーツ。それからJリーグが発足して、すぐにドーバーの悲劇。その頃からサッカー熱は高まっていき、日韓共催ワールドカップでベスト16、海外チームで活躍する選手も増えていき、日本も世界のレベルに追いついたように錯覚。

 でも、南米やヨーロッパのナショナルチームを見せられると、やはり歴史が違うのだと格の違いを思い知らされた。ワールドカップの常連になっただけで立派、世界の強豪と渡り合うためには、幾世代かを経なければ、そのレベルまで達しないのだろう。

 他のスポーツでもそうだが、熱しやすく冷めやすいのが日本人。今までも体操が、水泳が、バレーが、ジャンプが、梯子を外されている。スポーツ音痴の私だけど、熱狂的に応援しなくて良いから、サッカーを好きな人たちは好きなままでいてほしいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

働けということか

 ナイターを観てたら、誰でも捕れるようなフライを落とし、巨人がまたまた負けた。サッカーを観てたら、再三のチャンスも活かせず、キーパーのファインセーブの甲斐もなく、予想通りのドロー。残されるのは優勝候補のブラジル戦だけ。全米ゴルフも、お目当ての選手は予選落ち。

 要するにTVなど観てないで、一所懸命に働けということか。去年は確かに今頃から、野球中継を観なくなって、随分とたくさん仕事をこなした。今年もやらなきゃならないことが増えてきたので、集中できる環境を整えてもらったということか。でも、強い巨人が観たいよな。

 世の中の流れが変わり、従来の枠組みに捕らわれちゃいけないと、一方ではよくわかってるのに、お茶の間レベルでは、相変わらず2時間ドラマが好きだし、お笑い番組もよく観るし、スポーツ中継も嫌いじゃない。この辺りが私の脇の甘さか、思い切れないところか。

 しかし実際に追い詰められると、さまざまな知恵が湧いてくるのも事実。やるしかないとわかってくれば、痛いはずの腰や肩がシャンとして、眠気も吹っ飛んでいく。修行が足りないんだよね。いつでも平常心で力を発揮できなきゃ、50を過ぎた大人とは呼ばれないかも。

 若い人に偉そうに講釈を垂れるなら、言葉に見合うだけの毎日を過ごせ。これは私を戒める言葉。忘れないようにしなきゃ、ついつい置き去りにしちゃうんだよな。これから闘いの場が増えていくのだから、そろそろ本腰を入れて気を引き締めよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

勝ち組、負け組

 サラリーマンだった頃は、周りが皆サラリーマンだったせいか、会社に勤めてお給料をもらうのが、普通の生活と思ってた。独立してから経営者と会う機会は増えたが、ほとんどが私より年長者で、同年代より若い人とは、現場の担当者と接することが多かった。

 それが近頃では、若い人と名刺交換すると、代表取締役の肩書が目に飛び込んでくる。20代後半から30代半ば頃で、会社を起こしてる人が急激に増えているような気がする。そんなに儲かってる様子は見えないし、前職は一流企業に勤めていたりする。わざわざ茨の道を歩くこともないのに。

 話を聞いてると、共通するのは人生に勝ち残りたいという思い。確かに同年代で巨額の富を掴んだ人は、さまざまな形で紹介されてるから、夢を見るのはわかるような気がする。一人ひとりはそれぞれに才覚を持ち、努力してる。それでも私は、勘違いしてるという印象を拭えない。

 事業分野が明確で、成功願望が強い人でも、具体的に何をしたいのかが伝わってこない。まして大多数の人は、ひたすらお金が欲しいだけ。手段についてはよく調べているが、それを選ぶ根拠は入金の確率が高いという一点だけ。学部も専攻も無視して、偏差値の高い大学を狙うのと同じ。

 終身雇用や年功序列の制度が崩れ、競争を煽られている背景もあるが、自分の人生や仕事を楽しもうとする感覚がない。お伽話に騙されて、使い捨てられてからでは、エナジーを燃え起こすのは大変なのに、後付でしかないお金だけしか見えず、不眠不休で尽くす姿は哀れでさえある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月13日 (火)

負けちゃった

 昨夜は前代未聞、小関が三塁ベースを踏み忘れ、せっかくの李のホームランが幻に。対ロッテ戦6連敗、ここのところも6連敗。あんなチョンボをされたら、上原だって気が抜けて、大きいのを打たれちゃうよ。反撃するったって、気勢が上がらない。

 今夜は今夜でblogの更新を放ったらかし、日本中が注目のワールドカップ。勝ったと思ってたのに、最後の最後で続けて2ゴールを決められ、逆転だってさ。私はサッカーをあまり観ないので、詳しいことはわからないけど、後半にチャンスはいっぱいあったような気がして。

 応援してる私は当事者じゃないから、観てるときはカッカしてるけど、終わってしまうと意外に冷静になれる。やはり負けるときには、負けるように流れてる。ポイントは確かにあるし、技術的な問題もあるのだろうが、そういうことよりも気持ちが前に出てないと、チャンスをつかめない。

 スポーツなど瞬間の連続だから、理屈をこねても間に合わない。勢いが大事だが、そのときに迷いなく突き進むのか、心の奥底でためらうのか。やるだけのことはやっていても、最後は前へ進む気持ちの強さ。やはり難しいものである。一瞬でも怯んだら、今までの努力はすべて水の泡。

 省みて自分のことを考えると、よくもまぁ続けられている。ウジウジ、クヨクヨ、気持ちを後に引きずりながら、それでも立て直せるのは、周囲に温かく見守られているから。自分ひとりで闘ってるつもりでも、孤立無援じゃ闘えないと、選ばれた人たちの闘いに教えられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月11日 (日)

卒業した大学では

 私は1975年に、立教大学の文学部を卒業したのだが、そこの経営、経済、社会の各学部789人へのアンケートで、卒業後に起業したい学生は27%、尊敬するのは、松下幸之助氏、孫正義氏、ビルゲイツ氏、堀江貴文氏、本田宗一郎氏の順。ちなみに堀江氏は55人が選んでいる。

 今ではわからないが、私が在学していた頃は、中小企業の社長の子女が多く、卒業したら親の会社に入り、行く行くは後を嗣ぐというケース。そうした傾向もあるのかもしれないが、200人くらいが起業を目指しているのは、一般的な若者の傾向と捉えられるのだろうか。

 会社を設立することは、決して悪いことではないし、社会に役立つ志があるのなら、むしろ頼もしいと言えるのかもしれない。しかしアンケートの結果だけ見ると、単に楽してお金が欲しいだけのような気もする。うまい話が転がり込んできたらと、一攫千金を夢見ているのだろうか。

 願わくば、人を騙してでも、自分だけが勝ち残りたいなど、考えないでほしい。お金がすべてと、思わないでほしい。正当な努力の結果としてなら、どんなに高い報酬を得ても構わないが、濡れ手に粟を望んでいたら、ろくなことにはならない。それを、どれだけわかってるのか。

 杞憂といえばそれまでだが、変化の激しい時代だけに、どうしても危なっかしく思えてしまう。立教大学は、良くもなく悪くもなく、極めて普通の大学という印象を受けているし、何よりも自分の出身した大学なので、あらぬことを考えてしまうのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

NEETって何だろ?

 爆笑問題のバラエティで、ニートに関するトークをやっていた。プログラムそのものは、少しだけ真面目だが、いかにもの風体の現役ニートと自称する若者を招き入れ、経済的余裕に胡座を掻き、成人しても親の脛を囓る愚か者として演出してた。視聴者にすれば、困ったもんだでシャンシャン。

 しかし後から調べてみると、問題の根は意外と深く、ニートの定義もあいまい。15歳から34歳までの非労働力人口のうち、学籍があっても実態を伴わない人、未婚で家事・通学をしていない人、既婚で家事をしていない人を指し、日本では64万人いるらしい。

 そうなると引き籠もりや不登校、家庭内虐待、病気療養、さまざまなケースを想定できる。臑齧りも含めて共通するのは、根源にあるのは親の問題ということ。団塊の世代から私たちくらいまで、親が親として子どもと向き合わないツケが、今頃になって支払いを迫られている。

 この中には起業家と称して、一攫千金を狙う若者も多い。大人たちは眉をひそめるが、お金だけがすべての親の生き方を見て、手段を選ばず金を掴めば勝ちと学んできた。今さらモラルを説いてみても、聞く耳を持つはずがない。SEXはお金で売買できると、教えてきたのは大人たち。

 定職に就かない若い人は、やりたい仕事が見つからないと言い、大人たちは怪しからんと反応するけど、大人たちが仕事を楽しんでいなければ、子どもがやりたくないのは当たり前。自分がどんな種を蒔いてきたのか、そのことを自覚しなければ、問題解決などできるわきゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 6日 (火)

お金の儲け方

 ここ数日、村上ファンド関連の報道が相次ぎ、まさに袋叩きの状態。インサイダー取引については、ルール違反なのだから、批判されるのは当たり前だが、世間というよりメディアの視線は手の平を返したよう。ほんの少し前まで、時代を切り開く風雲児のように扱っていた。

 お金を掴んだ人は、事業に成功した人だから、世間から尊敬される。そんな単純な図式が、どうやら通用しなくなってきた。どのように儲けるか、何の結果で得たお金なのか。これからますます厳しく問われる。本人の履歴や見識が認知されなければ、社会から排除される傾向が強まっている。

 この境界線は、取引後のフォローに関わっているのではないか。村上氏にしても、株式の取引に専念し、阪神の経営参画に意欲を示さなければ、ここまでのバッシングはなかったと思う。お金は持っているかもしれないが、鉄道会社を経営するだけの能力や資質を疑われた。

 そこで気になるのが、起業を目指している若い世代。年功序列や終身雇用の制度が崩れているのだから、独立独歩で成功を夢見る人が増えるのは当然の成り行き。資産も持たず、経験や知識も浅ければ、一攫千金の確率が高い事業に目を向け、隙間を狙いながら確率を計算する。

 こうした傾向を、世間は許容するのかしないのか。堀江氏が否定され、村上氏が否定され、ジャパニーズ・ドリームの可能性は残されているのか。地べたを這い回ってきた私には、雲の上野世界のようにも思われるが、これからの時代の流れを占うには重要な試金石である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 4日 (日)

古代への思いを寄せて

 知人から頂いた黒米餅を焼くと、香ばしい匂いと弾力のある食感。普通のお餅と比べて、はるかに粘りがあると、食べることには素人の私にさえわかる。黒米の原産地は中国、歴代の皇帝は薬膳として珍重してきたらしく、滋養強壮に効果があると伝えられてきた。

 実際に黒米は、抗酸化作用が高いと有名なアントシアニンが多く含まれ、血液中のコレステロールを減らすナイアシンや、ビタミンB1、B2、E、そして鉄、亜鉛、マグネシウム、カルシウムと、まるで健康食品のような成分。身体に良くて美味しいのだから、もっと食べられても良いのに。

 ところが黒米は、栽培するのに手間が掛かるらしく、大規模農法には向いてないらしい。それほど知られてないから、生産農家にしてみれば、白米のほうがはるかに割が良い。損得勘定を抜きにした少数の農家だけが、細々と栽培してるのが現状ということ。そう簡単に手には入らない。

 それが食べやすい餅になって、煩わしい調理の手間も省ければ、こんなに有り難いことはない。餡入りの和菓子ほどではないが、噛めば甘みが口に広がり、小腹が空いたときなど最適なおやつ。ちょっと調べてみるだけで、大変なものを頂戴したと実感する。

 私はあまり深く考えず、人からものをもらってしまう。先日も新潟の知人から、山独活とコゴミを頂戴し、自然の恵みが豊かなのに驚いたばかり。美味しくて身体に良いものを、知ってる人は知っていて、歳を重ねても若々しく活躍してる。少しは見習わなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 3日 (土)

5連敗そして3連勝

 私は父親譲りの巨人ファン、巨人・大鵬・玉子焼きの世代でもあり、長嶋と王は永遠のヒーロー。黄金期のエースだった堀内前監督も好きだった。しかし去年までの巨人は、他チームの主軸打者を次々と招き入れながら、大味な野球ですっかりファンを失望させた。

 ところが原監督が復帰して、開幕ダッシュでTVの前に引き戻される。無名の若手を起用して、彼らが大活躍したのも、新しい魅力に映ったのかもしれない。しかし交流戦に入る頃には、ベテラン陣に故障が相次ぎ、若手は息切れし始めて、阪神に首位の座を引き渡す不調。

 それでも昨年と違うのは、明らかに諦めが悪くなった。結果的に負けた試合でも、最後まで粘る姿勢が伝わってくる。口惜しい気持ちを遺しても、一方では仕方ないと吹っ切れる。いくつか腑に落ちないところもあるが、それは私が監督ではないのだから、言ってみても始まらない。

 3連勝の始まりは、4点差の逆転勝利。昨日も今日も逆転。先攻しても追いつかれると、そのまま負けていた昨年と比べると、最後まで期待感を抱かせるのは、采配以前に監督と選手に信頼関係が築かれているからか。原監督の人柄が偲ばれるような印象を受ける。

 やはり組織は、水面下での努力しだい。どれだけ優れた資質を備えた人材を集めても、求心力がなければ実力を発揮できない。求心力は自然に生まれるものでなく、掲げて育み演出しなければ、一人ひとりのモチベーションを刺激しない。今年の巨人は、新たな関心を引き出してくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月29日 (月)

移り変わる風景を眺め

 用事があって久々に狭山から大宮へ。車を運転しながら、視界に入る風景を見ていると、こんな田舎でも数ヶ月で変化している。大宮で23年、狭山で30年を暮らしているのだが、30年間、当たり前のように開いていた饂飩屋が、閉店したのか取り壊し作業が始まっている。

 しばらく走ると大宮で30年以上も前からやっている別の饂飩屋が、川越の外れに新しい店を出している。どちらも安くて地元では評判だが、私はどちらも入ったことがないので、盛衰の理由はわからないが、店は流行っていても後継者がいなければ、閉じざるを得ないこともある。

 車を走らせている16号国道にしても、随分前に首都高へ至る道と繋がり、大宮の市街を通らずに岩槻へ抜けられるようにもなった。古いカーナビだと道がない場所を走り、そのたびに繁盛する店も変わっていく。郊外店の行く末は、気を抜けない要因が多すぎる。

 私が生まれ育った場所は、歩いて行けるほどの距離に、名機ゼロ戦を製造していた工場があった。戦後は自動車や農機具を生産し、市内では誰もが知る企業だった。それが今ではショッピングセンターに衣替え。付近の道路も瞬く間に変わり、私が通った中学校もモダンになっている。

 車を運転しているから、じっくり観察しているわけではないが、それでも風景はさまざまなことを語りかけてくれる。景気は上向きになったと伝えられているが、伝わってくるのは活気どころか苦しい悲鳴。庶民レベルで豊かさが戻るのは、まだまだ先のような気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月27日 (土)

雨の日は頭を空っぽに

 私は大学の文学部を卒業し、長いこと出版社に勤めてから、独立して本を書いたり、セミナーで教えたりしているが、その中心に据えられていたのは、いつも本だったような気がする。学生時代に5千冊の本を読み、会社で本を売ったり作ったり、独立してから20冊以上を書いている。

 でも、本にもいろいろあって、私が最初に読んだのはA・カミュの『異邦人』、要するに小説だ。最初に長い文章を書いたのも、高校生時代に同人誌に発表した習作。言ってしまえば自己表現の手段として、私の中で文章は位置付けられていた。その尻尾を今でも引きずっているのかもしれない。

 窓の外の雨を眺めながら、ぼんやりと考えていると、今までの方法論をすべてぶち壊し、まったく新しい角度から問題を提起して、解決できるような気がしている。読んだ人が納得し、内側から変わるような、画期的な文章を綴れるような予感がする。

 正直に言って、その形は定かに見えない。単なるスキルやノウハウでなく、私の体験から得た成功法則でもなく、誰にとっても役立つ勝利の鉄則が、朧気ながら姿を現している。その輪郭が鮮明になるのは、もう少し時間を経て、熟した果実が落ちるのだろう。慌てたところで、成果を得られない。

 一つひとつの仕事と誠実に向かい合いながら、そのときが訪れるのを待つしかない。私の内部で集中力が高まり、爆発する時期を早めるには、たくさんの人と会い、刺激を受けて、触発される他はない。もう少し、もう少しで手が届く。雨音が静かに語りかけてくれる。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月25日 (木)

ロングテールかな

 梅田望夫さんの『ウェブ進化論』を読んで、その後に雑誌の原稿を書いてると、ロングテールという言葉が、頭の中でグルグル駆け巡る。確かに私が書いた本は、それほど売れているわけでなく、少なくとも恐竜の首にはなっていない。雑誌にしてもメジャーと呼ぶほどでもない。

 原稿を書いてお金になるのは、支払ってくれる人がいるからで、それは読者でなく出版社だから、儲かると予測してのこと。しかし実際に市場へ出してみると、思うように売れない本がほとんど。おまけに自費出版の本も、ゴーストライターの本も、装いは同じに店頭に並んでいる。

 本という商品が厄介なのは、機能や効用どころか品質にも基準はなく、提供する側は誰もが自分を一番と思い込んでいる。一方で読む側にも確かな判断基準はなく、皆の評判や店頭での目立ち方を頼りに買っている。ベストセラーになれば、それだけで読者層を急激に広げる。

 そうなると本を売ろうとすれば、最初に自分で買い上げたり、TVや新聞のマスコミを上手に使ったり、形振り構わずベストセラーにランクインさせるのが、最も効果的な方法と誰にもわかってくる。金持ちが本を書いて、それなりの資金を注ぎ込めば、読者は簡単に付いてきてくれる。

 逆立ちしてもお金のない身としては、ロングテールに甘んじるしかないのかな。それでも本質を極めれば、理解と共感を得られると信じて、売れないのは自分の力不足と割り切らなければ、書く仕事は続けられない。今のところ私も、修行を重ねれば成果を導けると考えている。