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2011年8月 4日 (木)

『異邦人』(カミュ)

「今日ママンが死んだ。それとも昨日か、僕は知らない」

虚無的な書き出しで始まる『異邦人』は、
主人公ムルソーが、灼熱の太陽のせいで殺人の罪を犯し、
母の葬式に煙草を吸い、コーヒーを飲み、泣かなかったことで裁かれる。
<不条理>というキーワードが、鮮烈な問題提起として心に響く。

アルベール・カミュは1913年、
当時フランスの植民地だったアルジェリアで生まれる。
翌年に父が死に、カミュは兄と共に母に育てられる。

貧しい生活だったが、カミュは才能を認められ、
教師の尽力によりリセに進学し、そこでJ・グルニエと出会う。

グルニエは『孤島』などで知られる作家で、
博学な知識を踏まえた会議主義的な作風であり、初期のカミュに大きな影響を及ぼした。
17歳で喀血し、医師から死を宣告されるほど重い結核を患ったカミュは、
その4年後に最初の結婚の相手に逃げられている。

溢れるほどの知性と、苛酷な環境の中で、カミュは当然のように反政府活動に身を投じ、
40年にアルジェリアから追放される。
「パリ・ソワール」紙に就職するが、ドイツとの戦争が激化し、
パリが占領される動乱期を迎え、カミュは各地を転々とせざるを得なくなる。

こうした環境の中、『異邦人』や『シーシュポスの神話』を執筆し、
43年から「コンパ」紙の編集長として、レジスタンス運動に参加する。
サルトルからも高く評価され、戯曲『カリギュラ』や『誤解』も好評を博し、
この頃が最も華やかな時代であった。

その後に懐疑主義的色彩を濃くしたカミュは、
『ペスト』『反抗的人間』などの作品により、
サルトルとの思想的立場の違いを明らかにして、思想界、文学界で孤立していく。

その心象風景は『転落』『追放と王国』などに表現され、
1960年、突然の交通事故で生涯を閉じた。

『異邦人』には、カミュの孤独な魂が、凝縮されて宿っている。
ムルソーは自らの行動を論理的に総括できず、自らの心を理不尽に断罪されていく。
肉体という壁に隔てられ、お互いの心を歪めながら受けとめるストーリーに、
恐れおののいたのは30年以上昔の話だ。

M・マストロヤーニの主演で映画化された作品を観た後、
新潮文庫を何度も読み返し、私は文学の世界に足を踏み入れた。
ムルソーは紛れもなく私の投影であり、
私もまた誰からも理解されないと思い込み、ひたすら活字の世界へ逃げ込もうとしていた。

今読み返しても『異邦人』が突きつけた乾いた世界は、
うち捨てられた個人のやりきれなさが伝わってきて、
その場に立ち尽くしてしまう。
やさしい無関心になど抱かれたくない。

モノローグという表現形式も、自らの心の奥深く誘い、私は一時期カミュにのめり込んだ。
それぞれの作品の不調和が、さらに人間の不可解さを表しているように思われた。

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