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2011年8月 5日 (金)

『変身』(カフカ)

グレーゴル・ザムザは、ある朝目覚めたら、巨大な虫になっている。
それにも関わらず、彼はいつものように朝の支度をしようとするが、
虫にはどうすることもできない。

この特異なシチュエーションが、すでに私たちの日常に対する鋭い問題提起になっている。
私たちの誰もが、いつどこでグレーゴル・ザムザの境遇に置かれるかもしれない。

フランツ・カフカは1883年に、チェコのプラハで生まれる。
ドイツのユダヤ系商人の息子として生まれた血筋が、彼の生涯に大きな影響を及ぼしている。
プラハ大学で法律を学び、労働者災害保険局に22年間勤めたが、彼はこの仕事を嫌っていた。

私生活でも決して幸福ではなく、同じ女性と二度も婚約したが、結婚に至らず破局を迎える。
1917年に結核を患ったのを契機に職を辞して文筆生活に入ったが、
愛する女性との同棲生活も束の間、
結核が重くなり1924年にキールリングのサナトリウムで死去する。

作家として活動した期間は短く、
13年に小品集『観察』を刊行し、15年に『変身』、19年に『流刑地にて』、
24年に『断食芸人』などがおもな作品である。
代表作として広く知られる『審判』『城』『アメリカ』は、すべて遺稿として刊行される。

カフカのテーマは一貫して、理不尽な運命に翻弄される個人である。
そこに描かれた世界は、カフカの没後に台頭するナチズムによって、
悲劇的な人生をたどらされる同胞ユダヤ人の運命を予言しているかのようだ。
その色彩は、果てしなく重く暗く深い。

虫の姿になったザムザは、誰よりも愛する家族からも邪慳に扱われる。
父母が嘆き悲しんでいたのは、
彼自身であるよりも、彼によって支えられていた生活の崩壊である。
唯一人献身的に看病してくれた妹も、
彼が下宿人を驚かせたことに怒りの牙を剥き出しにする。

その翌朝にザムザは死に、家族たちの重荷は取り除かれる。
嬉々としてピクニックへ出かける情景は、透明で爽やかに描かれている。
ザムザという存在が、最初からなかったように、家族は日常生活を取り戻し、
貧しくも穏やかな生活を営むと想像できる。

ザムザにとって、解決のない物語である。
悲しみも癒されず、怒りもぶつけられず、ザムザは淋しく死んでいく。
虫になった彼には、闘うことすら許されない。

カフカの生涯は、居場所を求めてさすらいながら、
どこにも自分の場所を探し出せず、居心地の悪さを感じ続け、
次々と困難な状況が訪れたに違いない。

世界が敵として対峙したとき、個人に何ができるのだろうか。
不透明な空気の中で、独白を繰り返すしかないのか。

社会の機能が高度に発展し、個人をすくい取れなくなれば、
そこに闇が生じるのは今も変わらない。
『変身』に描かれた情景は、決してお伽話ではない。

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