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2011年8月 2日 (火)

『永遠平和の為に』(カント)

『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』など、
近代西洋哲学を完成された巨人カントは、
1724年にドイツのケーニヒスベルク(現在はロシア領)で生まれ、
同地の大学で教鞭を執りながら数多くの著作を刊行し、
1804年に老衰で大往生している。

ニュートンが万有引力の法則を発見するなど、自然科学の急速な発展を背景にして、
哲学もまた科学的な色彩を濃くしていった。
観念世界の思考実験から、現実社会での検証を経て、
哲学が提言としての役割を果たすうえで、カントが遺した業績は大きな意味を持つ。

『永遠平和の為に』が刊行されたのは1795年、
すでに主著を世に送り出したカントが71歳のときである。

ドイツでは86年にフリードリヒ大王が死去し、
フランスでは89年に大革命が起こっている。
時代が急激に変化するシグナルが送られている。

「常備軍は、常に武器を取って立ち得る用意ができているから、
他国をして常に戦争の危機を感じさせ、このようにして無際限兵備の優秀を競うようにさせる」

カントは武力による威嚇を踏まえた交渉を認めない。
武力の増大が恐怖を募らせ、お互いを疑心暗鬼にさせると知っている。
軍と軍の衝突は、そのまま命の奪い合いになる。

「国家としての諸民族は、それぞれが一個人の如きもの。
すなわちその自然状態に於いては、互いに並存しているだけで、
すでに互いに害を加え合う如きものと考えられてよい。
だから彼らはそれぞれの自己の安全のために、そこに於いて彼らの権利が保障され得る如き、
公民的体制に類似した体制に入ることを、他に対して要求することができ、
また要求すべきなのである」

この思想が現実に落とし込まれ、国際連盟から国際連合へ発展していく。
理念としての不充分を内包していたとしても、
私たちの現実はそれさえも乗り越えられていない。

「自然の機械的過程の中には、人類の意志に反してもなお、
彼らの不和を通じて和合を将来せしめようとする合目的性が、明瞭に現れている」

カントの言葉は、人間に対する希望である。
それぞれの立場、利害を超えて、共生するための提言を、さまざまな形で繰り返し述べている。
コスモポリタン(世界市民)の夢を語っている。

政治とは無縁なところから発せられた理性だからこそ、
私たちは公平かつ客観的に真意を捉えて、現実の諸問題を解決していかねばならない。
そうした意味で『永遠平和の為に』は、今なお私たちの座標軸である。
古臭いと言い切れないのは、平和の構造が変わっていないからだ。

200年以上を経ても輝きを失わないのは、カントの偉大さなのか、
それとも人間の愚かさなのか、考えさせられる。
言葉は圧政に潰されるが、圧政は有限で、言葉は無限だ。
言葉が生きているうちは、私たちは次のステージへ進んでいない。

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