« 『永遠平和の為に』(カント) | トップページ | 『異邦人』(カミュ) »

2011年8月 3日 (水)

『学校と社会』(デューイ)

J・デューイは、1859年にアメリカのバーモント州バーリントンで生まれる。
バーモント大学、ジョンズ・ホプキンス大学に学び、
ミシガン大学、シカゴ大学で教鞭を執った。
プラグマティストの哲学者であり、教育者である。

プラグマティズムはW・ジェームズが提唱したアメリカを代表する哲学であり、
観念や思想を行為との関わりの中で位置付け、
有用な結果を導く観念が真理とすることから、実用哲学と訳されることもある。

ジェームズの主著『プロティスタンティズムと資本主義の倫理』を読めば、
現実を踏まえて向上させようとする意志が明らかに伝わってくる。

デューイはその思想をさらに発展させ、
観念は状況を変える道具であり、真偽よりも有効性が問われねばならないと説く。

その方法論は仮説から検証を経て行動へ移すものであり、
経験主義と見なされることもあるが、最初に目指す策定ではむしろ理想主義に近い。

学校そのものはプラトンの時代から存在したが、
教育現場の中心は教師であり、知識を伝えることがおもな役割であった。

こうした伝統的な手法を疑問視したデューイは、
シカゴ大学付属小学校を設立し、自らの理想を実践に移した。
このプロセスを踏まえて書かれたのが『学校と社会』であり、
日本を初めとして世界中の学校教育に強い影響を及ぼす。

「男の子たちにボタンを縫いつけたり、
着物を繕ったりする準備を与えるという見地から見るなら、
我々は狭い効率的な考え方に立つことになり、
それでは学校におけるこの種の作業に高い地位を与えるわけにはいかなくなるだろう」

「しかしながら、もし我々がこれを他のひとつの側面から見るならば、
この種の作業は子どもが歴史における人類の進歩の跡をたどる出発点となり、
同時にまた子どもはそこから、
使用される材料および必要とされる機械的原理に対する洞察をも得るに至ることを見いだす」

デューイの教育論が必ずしも正鵠を射ているとは思わないが、
子どもたちと真正面から向かい合って、本人の成長と社会への適応を願っていた。
子どもたちが自律的に行動を起こせるように、あらゆる場所で気づきのヒントを仕掛ける。

デューイが亡くなったのは1952年、それほど遠い昔ではない。
デューイの精神の根幹は、日本の学校教育にも受け継がれているはずなのだが、
実際の教育現場は偏差値を重視して荒れ果てている。
一人ひとりの子どもの可能性は、充分に引き出されていない。

教育という分野にこだわらず、人が人を育てる視点に立てば、
『学校と社会』は重要なマイルストーンである。

現実との距離を測りながら、どうしてできないのか、どうすればできるのか、
問題意識を鮮明にして読むことで、間違いなく得るものがある。

|

« 『永遠平和の為に』(カント) | トップページ | 『異邦人』(カミュ) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/99210/40311001

この記事へのトラックバック一覧です: 『学校と社会』(デューイ):

« 『永遠平和の為に』(カント) | トップページ | 『異邦人』(カミュ) »