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2011年7月11日 (月)

『武士道』(新渡戸稲造)

樋口一葉にその座を奪われたが、少し前までの5千円札の肖像に描かれ、
誰にでも知られる存在になったのが新渡戸稲造である。

南部藩士の三男として盛岡に生まれ、札幌農学校でキリスト教の洗礼を受け、
東京帝国大学を中退し私費でアメリカに渡り、後にドイツへ移った。

ドイツのハレ大学を卒業し、アメリカのジョンズ・ポキンス大学からも名誉学位を贈られ、
フィラデルフィアでエルキントン嬢と結婚した新渡戸は、
この頃から国際人としての素養を養っていた。一方で着々と農学者としての地歩を築いた。

アメリカで『日米交通史』を刊行した後に帰国した新渡戸は、
札幌農学校の教授に任じられ、『農業本論』の執筆に取り組む。
過労による神経衰弱で退官し、伊香保での療養生活を余儀なくされたが、
1899年に日本最初の農学博士になっている。

新渡戸は東京女子大学の初代学長を務めるなど教育者としても評価されたが、
1919年から7年間を国際連盟事務局次長として務め、
29年には太平洋問題調査会理事長に就任し、国際平和に貢献したことで知られている。
「太平洋の架け橋」になることが新渡戸の願いだった。

『武士道』は、新渡戸が温暖なカリフォルニアに渡り、専念して書き下ろされた著作である。
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」
「それは今なおわれわれの間における力と美との活ける対象である」と語り始めたとき、
新渡戸は日本人の価値観を国際社会で正しく評価させたい情熱に溢れていた。

新渡戸は武士道のバックボーンを禅に求め、
「運命に託すという平静なる感覚、不可避に対する静かな服従、
危険災禍に直面してのストイックな沈着、生を賤しみ死を親しむ心、
仏教は武士道に対してこれらを寄与した」とまとめる。

「武士道が自己に吸収したる本質的な原理は少数かつ単純であった。
少数かつ単純ではあったが、
わが国民歴史上最も不安定な時代における最も不安な日々においてさえ、
安固たる処世訓を供給するには充分であった」と、
明治維新を精神的に支えたのが武士道と見抜く。

「武士道は、一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかもしれない。
しかし、その力は地上から滅びないであろう。
その武勇および文徳の教訓は、体系としては毀れるかもしれない。
しかし、その光明その栄光はこれらの廃墟を越えて長く活くるであろう」

こう結ばれると、私たち日本人の血流と向かい合わざるを得ない。

『武士道』が上質な日本文化論に仕上がっているのは、
新渡戸の心に誠実な合理精神が宿っていたからである。

もう一度読み返して、自らのアイデンティティを掘り起こしたい。

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