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2011年7月18日 (月)

『貧乏物語』(河上肇)

河上肇は、1879年に山口県の岩国市で生まれた。

東京帝国大学の学生のときに内村鑑三や木下尚江らの講演を聞いて感動し、
足尾鉱毒問題の講演と募金活動に接した際に、着ていた羽織とコートを脱いで寄付し、
下宿に戻って行李一杯の私物を送り届けた逸話が残っている。

毎日新聞に「奇特の士」として採り上げられたが、河上肇の人生を象徴するエピソード。
河上は常に人間の善意を信じ、自らの行動に対する批判に誠実に応え、
マルクス主義への傾倒を深めていく。河上は獄中生活を経験している。

1916年に大阪朝日新聞に連載された『貧乏物語』は、
知識人層を中心にセンセーショナルな注目を集めたが、
現実認識が甘いとの批判も強く河上を苦しめた。

個人雑誌『社会問題研究』を中心に新たな著作活動を展開しながら、
今までの著作を次々に絶版にしていく。

1929年に大山郁夫らと新労農党を結成したが除名処分を受け、
3年後に日本共産党に入党し『赤旗』の編集に関わる。
当時の日本共産党は非合法政党であり、河上は1933年に治安維持法違反で逮捕され、
転向を拒んだために5年間の懲役に服せねばならなかった。

出獄後は『自叙伝』を執筆する他は、政治活動や著作活動からの引退を余儀なくされ、
第二次世界大戦での敗戦によって再び脚光を浴びたときには、
すでに河上の命の灯火は消えかかっていた。
敗戦の翌年に肺炎を併発し、河上肇は帰らぬ人となっている。

『貧乏物語』は、
「肉体と知能と霊魂と、これら三のものを伸びるところまで伸ばさしていくため、
必要なだけの物資を得ていない者があれば、それらの者はすべてこれを貧乏人と称すべき」
と始まる。
人はパンのみで生きるのではないが、パンがなければ生きられない。

「煙草を用い酒を飲みなどすれば無論のこと、新聞を購読しても、郵便ひとつ出しても、
そのたびごとに肉体の健康を犠牲にしなければならないのが貧乏人であり、
いくら働いても貧乏は免れぬぞという[絶望的な貧乏人]なのである」

河上はこの問題を解決するのは、富裕階級のモラルに求めることと考えた。
「人間生活における一切の経営は、究極その道徳的生活の向上をおいて他に目的はない」
とするのが河上の結論だから、なるほど戦前の社会状況を踏まえれば甘いと言えば甘い。

しかし河上が説いている内容は、経済が発展した今だからこそ、私たちの胸に鋭く迫る。
私たちは何のために働き、企業の経営活動はどこで支持されているのか、
利潤追求を金科玉条のものとしている限り、日本全体を覆い尽くす喪失感は満たされない。
マルクス主義者になる以前の河上の言葉だからこそ、私たちに近しく語りかけてくる。

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