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2011年7月 5日 (火)

『西郷南洲遺訓』(西郷隆盛)

「子孫のために美田を買わず」

大西郷は大転換の時代を駆け抜け、自らの義に殉じて散っていったが、
私利私欲のない生きざまは、今でも多くの人々に共感されている。

大久保利通と対立した征韓論の是非や、士族階級に基盤を据えた善し悪しは、
西郷を語るうえで些末なことに過ぎない。

西郷と同時代に生きた小栗上野介忠順は、
日米修好通商条約を批准するために、万延元年に渡米した幕臣である。
外国奉行としてロシアと折衝したり、海軍奉行として横須賀造船所を設立したり、
日本の近代化に大きな貢献を尽くしている。幕末の日本のキーパーソンである。

それだけ優秀な小栗でも、鳥羽伏見の戦に敗れた後は、
隠棲していた上州で新政府軍に捕らえられ、わずか39歳の生涯を斬に処せられ終えている。
江戸幕府が倒れなければ、小栗は間違いなく中興の立役者として伝えられていた。

そのように考えれば西郷が、負け戦を承知のうえで政府軍に刃向かい、
城山で自決したのも避けられない運命だったのである。

維新を共に闘った士族の生活が困窮し、出口のないところへ追い詰められていくのを、
西郷は他人事として見過ごせる人物ではなかった。

「生命も、名声も、官位も、金も要らぬという人間は、どうにも始末に困るものだ」

この西郷の言葉を、幼年期から盟友であった大久保は、
そっくりそのまま返したかったに違いない。
その後の日本の外交政策を追えば、大久保が人道的立場から侵略に反対していたのではなく、
経済を背景とした日本の国力が整っていないと判断していたとわかる。

本来なら大久保と西郷の意見の相違は、政治手法の中で調整されるべきものだった。
それがそうならなかったのは、明治の人の直情であると同時に、
頼られたら拒めない西郷の人柄に帰因する。

「窮鳥懐に入らずんば、猟師もこれを撃たず」

「事の大小に関わらず、正道を踏んで至誠を尽くせば、
そのときは遠回りに思えても、先に行けばかえって成功は早くなる」

「過失を改めるというのは、自分で過失を知りさえすれば、それで良いのだ。
その過失を棄てて、新しい一歩を踏み出せば良いのだ」

西郷の遺した言葉を読み返していると、西南戦争以外の選択肢もあったように感じられるが、
「かくなればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和心」
吉田松陰に通じる熱い思いを、分別盛りを越えた西郷は消せなかったのだろう。

理屈だけでは人は動かない。
その要諦を明らかに示すのが、西郷隆盛という人物である。

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