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2011年7月21日 (木)

『ソクラテスの弁明』(プラトン)

哲学という言葉にたじろぐ人でも、ソクラテスの名くらいは知っている。

しかしソクラテスは1冊の著作も遺していない。
直系の弟子と自負するプラトンが、ソクラテスが何を語ったのかを伝え、
問答法と呼ばれる真理へのプロセスを明らかにしている。

プラトンは紀元前427年に、アテネの名門に生まれている。
ソクラテスの処刑を契機に政界から離れ、アテネの近郊アカデミアに学園を開き、
ソクラテスの哲学を継承発展させたプラトン哲学を確立し、80年の人生をまっとうしている。

ソクラテスが青少年を腐敗させる人物として、
メレトスらアテネ市民の代表者3人から告発されたのは、紀元前399年のことである。
当時のアテネは全盛期の勢いはなく、スパルタの後塵を拝していた。

穏やかで保守的な空気が支配する中で、ソクラテスが真理を追究し対話を繰り返す姿は、
秩序を乱し権威を冒涜するものとして受けとめられた。

告発者の狙いは、ソクラテスを黙らせることである。
ソクラテスは名声は高くとも貧しい身であったから、
アテネを支配する者たちに屈すれば、命までは奪われなかったに違いない。

しかしソクラテスは毅然として信念を貫き、法廷の場で自らの哲学を主張した。

「私は、少なくとも自ら知らないことを知っていると思わないから、
(知らないことを知っているとする人たちより)
智恵のうえで少しばかり優っているように思われる」

「私に対する敵意がたくさんの人たちの間に起こっている真実は確かなことであり、
私が滅ぼされるようなことがあれば、私を滅ぼすものはこの敵意である」

「人はどんな立場にあっても、自らが最良と信じたものであれ、
指導者から位置付けられたものであれ、その立場は危険を冒しても固守すべきである。
逃げ出してしまう恥辱に比べたら、死ぬことさえ念頭に置いてはならない」

「たとえ幾度死の運命に脅かされても、私は決して行動を変えない」

メレトスらは、ソクラテスとの論戦に敗れ、法の正義を楯に断罪するしかなかった。
極刑を命じることで、アテネからの追放を受け入れたり、
級友の手引きで牢獄から脱出したり、命乞いする余地を残したのだが、
ソクラテスはそれらのすべてを悉くはねつけた。

ソクラテスにすれば現実との妥協は、哲学者としての致命傷に繋がる。
今まで築き上げた人生を否定して、長生きしたところで何ものも得られない。
自ら毒杯を仰いで命を絶つことが、永遠の命を手に入れる唯一の選択とわかっていた。

「もう来るべき時が来た。私は死ぬために、諸君は生き長らえるために。
もっとも我らのうち何れがいっそう良き運命に出逢うか。
それは神より他に誰も知る者はいない」

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