« 『三酔人経綸問答』(中江兆民) | トップページ | 『茶の本』(岡倉天心) »

2011年7月 9日 (土)

『代表的日本人』(内村鑑三)

「少年よ、大志を抱け」

札幌農学校(現在の北海道大学)を創設したクラーク博士の言葉だが、
博士が在任したのは僅か一年間で、
二期生として入学した内村鑑三は、直接博士の指導を受けていない。

それでも博士の遺した「イエスを信ずる者の契約」に署名し、翌年には洗礼を受けた内村は、
やはりクラーク博士の薫陶を受けた弟子ということになる。新渡戸稲造とは同期である。

1981年に札幌農学校を卒業し、翌年から農務省水産課に勤めたが、
84年には渡米して知的障害児施設の看護人として働いた後に、
クラーク博士の母校でもあるアマースト大学に入学した。
シーリー総長の影響も受け、この時期に内村の土台が形づくられていった。

帰国後の内村を一躍有名にしたのが、第一高等中学校の教育勅語奉読式での不敬事件である。
内村は硬骨のキリスト者として知られ、いくつかの学校の教員を務めながら執筆活動を展開し、
97年には『萬朝報』の英文欄主筆として迎えられる。

キリスト教者の立場から社会、文明を批評し、
足尾銅山鉱毒事件では田中正造を支持し、非戦論を唱えて萬朝報を退社する。

内村鑑三の69年の生涯は、日本人としての自覚を強く持ちながら、
そのうえでキリスト者として善く生きるために、何をなすべきかという使命感で貫かれている。
幾度もカルチャーショックに襲われ、心理的葛藤に苦しみながら、
内村はついに内村の良心を裏切らなかった。

1894年に英文で発表された『代表的日本人』は、
日本人キリスト者としての内村の根底に関わる書物である。

西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、二宮尊徳、日蓮、
時代背景も活躍した分野も異なる五人を通して、
内村は日本人のアイデンティティを掘り起こし、国際社会の中で正統に位置付けようとする。
とりわけ日蓮は、内村にとって異教徒である。

内村が日蓮に共感したのは、あらゆる試練を覚悟して一途に心理を追い求める高潔さである。
西郷を描くにも、宮中の宴から退出するときに下駄がないので裸足で帰ろうとし、
門番に見咎められても釈明できず、岩倉具視が通りかかるまで雨中に忽然と佇んでいたと描く。
西郷の偉業を讃えるのではなく、朴訥で自然な人柄から日本人像を探る。

江戸時代中期の名君として高名な上杉鷹山も、実践的農層指導者として評価される二宮尊徳も、
近江聖人と称される中江藤樹も、業績を伝えるのではなく日本人の典型として紹介し、
謙虚で忍耐強く、目的へ向かって強い精神力を持ち、誰に対しても誠実なのが日本人と訴える。
そうした日本人だからこそ、敬虔なキリスト者になる。

内村にとって『代表的日本人』は、『余は如何にして基督教徒となりし乎』と並んで、
必然的に生み出された内的産物である。その意味するところは重く深い。

|

« 『三酔人経綸問答』(中江兆民) | トップページ | 『茶の本』(岡倉天心) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/99210/40310789

この記事へのトラックバック一覧です: 『代表的日本人』(内村鑑三):

« 『三酔人経綸問答』(中江兆民) | トップページ | 『茶の本』(岡倉天心) »