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2011年7月10日 (日)

『茶の本』(岡倉天心)

日本に茶が伝わったのは天平時代らしいが、
長らく貴族階級の貴重な飲み物として扱われていた。

鎌倉時代に栄西が抹茶を広め、『喫茶養生記』を著すなどしたが、
それでも禅僧や支配階級の社交の場でしか飲まれなかった。

私たちが日頃から愛飲する煎茶は、江戸時代に石川丈山や隠元らが普及に努め、
永谷三之丞宗円が改良するまで待たねばならない。

私たちに馴染み深い日本茶には、歴史と文化が深く宿っている。
とりわけ鎌倉時代から後には陶磁器だけでなく、
絵画から建築まで幅広い分野に大きな影響を及ぼしている。
茶を楽しむ心は日本の精神風土であり、忘れかけている郷愁である。

『茶の本』を著した岡倉天心は7歳からヘボン塾で英語を学び、
12歳で東京外国語学校に入学し、そのまま後に東京帝国大学になる開成学校へ進んだ。
ここで哲学教授フェノロサと出会うのだが、天心はわずか17歳で文学士となる英才だった。

1886年に渡欧し、
翌年に帰国して東京芸術大学の前身になる東京美術学校の開設に奔走し初代学長に就任。
国立博物館の前身になる帝室博物館の美術部長も兼任する。
日本画団に大きな影響力を持つフェノロサの後ろ盾があったにせよ、
20代の天心の活躍は目覚ましいものがあり、快く思わなかった画壇の重鎮も多かった。

案の定、フェノロサの帰国後に天心は排斥されるが、
橋本雅邦や門下の横山大観、下村観山らと日本美術院を創立する。
『東洋の理想』『日本の目ざめ』『茶の本』を英文で刊行し、
ボストン美術館東洋部長にも任じられ、美術家としての国際的評価を不動のものにした。

『茶の本』の中で天心は、「茶道の要義は、不完全なものを崇拝する」ことにあると説く。
「人生という不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとする優しい企て」
「象牙色の磁器に盛られた琥珀色の液体の中に、その道に心得のある人は孔子の快き沈黙、
老子の奇警、釈迦牟尼の天上の香にさえ触れることができる」と絶賛する。

天心にとって茶道とは「美を見いださんがために美を隠す術であり、
顕すことをはばかるようなものを仄めかす術」だから、
「主客協力してこの折りに、この浮世の姿から無情の幸福をつくりだす神聖な儀式」
にまで高められる。人生の瞬間を切り取る緊張した精神を大切にした。

私のような無粋な人間でも、茶室に通され抹茶を前に置かれると、
心が内面へ向かうのを体感する。
天心ほどの境地には至らないが、自分の奥底に脈々と日本人の血が流れているとわかる。

たまの休日には禅寺まで足を運び、深山幽谷の環境で心を落ち着かせ、
静かに抹茶を喫むのも良いものである。

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