« 『善の研究』(西田幾多郎) | トップページ | 『日本風景論』(志賀重昴) »

2011年7月13日 (水)

『蘇翁夢物語』(徳富蘇峰)

日本を代表するジャーナリストとして知られる徳富蘇峰は、
1863年に熊本県水俣市の豪農の家で生まれた。

結核に冒され夫の留守中に離縁される川島浪子をヒロインとして描いた『不如帰』は、
実弟の徳富蘆花が生み出した明治時代屈指のベストセラーである。

父の一敬も横井小楠の高弟で、幕末には肥後実学党の指導者となり、
明治には開明的思想家として活躍したから、
幼少期から政治と文化の環境の中で育まれ、ナショナリズムの色濃い思想を刷り込まれた。
蘇峰の土壌は終始一貫してフォークロアである。

父の勧めで熊本洋学校に進学した蘇峰は、
そこでキリスト教の盟約に参加し騒動を起こした。
結果として熊本洋学校は廃校に追い込まれ、居場所を失った蘇峰は上京し、
さらに京都へ移って同志社に入学する。

生涯の師と仰ぐ新島襄と出会えたが、
卒業を目の前にして学生運動に巻き込まれ同志社も退校させられる。
やむなく熊本へ戻り、19歳で大江義塾を開講する。

23歳のときに刊行した『将来の日本』が、論断で高い評価を得て蘇峰の運命を決定付ける。
1987年に民友社を設立し雑誌「国民の友」を創刊した3年後には、
ジャーナリストとしての地位を不動のものとする「国民新聞」を発行する。

「国民の友」は1万部を発行したが、当時の雑誌は1千部前後の発行部数が普通だったから、
蘇峰の掲げる国民主義がどれだけ知識人に支持されたか想像できる。
日清戦争後の三国干渉を契機に国権主義を強めた蘇峰は、
時代の波に後押しされ日本のオピニオンリーダーになる。

1942年に大日本言論報告会の会長に就任していることからも、
太平洋戦争下の国民意識に強い影響を及ぼした事実は覆せない。

戦後は公職追放の処分を受けるが、蘇峰の名声は揺るぐことなく、
1957年に94歳で大往生するまで言論界の重鎮と見なされていた。

『蘇翁夢物語』は交友録であると共に、蘇峰というフィルターを通した日本近代史である。
親交の深かった伊藤博文、山県有朋、井上馨を筆頭に、大隈重信や板垣退助にも触れ、
新島襄を語ることで、自らの青雲の志を確かめようとしている。

ジャーナリストらしく、それぞれの人物と一定の距離を保とうとしているが、
新島と蘇峰の生きるスタンスはあまりにも異なる。

蘇峰は常に時流の中枢から世界を捉え、
日本がたどる道を肯定的に認めたうえで、政局を担う主人公を好意的に描いている。

明治の時代を生きた人たちが共有した雰囲気を、
見事に描いている筆力は疑いもなく一級品である。

伝えたい内容を伝わるように伝えるには、
具体的でわかりやすい表現が必要と改めて痛感させられる。

|

« 『善の研究』(西田幾多郎) | トップページ | 『日本風景論』(志賀重昴) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/99210/40310818

この記事へのトラックバック一覧です: 『蘇翁夢物語』(徳富蘇峰):

» 結核の予防 結核の予防と結核の感染対策 [結核の予防 結核の予防と結核の感染対策]
結核について解説されたサイトです。 [続きを読む]

受信: 2011年7月16日 (土) 18時07分

« 『善の研究』(西田幾多郎) | トップページ | 『日本風景論』(志賀重昴) »