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2011年7月17日 (日)

『明治大正史 世相篇』(柳田国男)

日本民俗学の創始者として知られる柳田国男は、
1875年に兵庫県神崎郡に生まれている。

父は儒学者、兄弟たちは医者、歌人、言語学者、日本画家として成功しているから、
文化的な環境の中で生まれ育ったとわかる。12歳で上京し、森鴎外宅に出入りしていた。

東京帝国大学を卒業後、農商務省農政課へ進んだのが、柳田が民俗学へ傾く契機になった。
農商務省長官の秘書として宮崎県椎葉村を訪れ、山里に暮らす人々との触れ合いの中で、
伝統的な狩猟の実態を聞き書きしたのが『後狩詞記』である。

1910年に刊行された『遠野物語』は、最も知られている柳田の著作である。
土地の古老が語る昔話は、幻想的で哀愁を帯びている。
河童伝説に象徴される自然と人の交わりは、
普遍的な日本の農村の生活スタイルを表現し、読む人の心を懐かしさに誘う。

官僚と学者の二足の草鞋を上手に履きこなしながら、
柳田はそれぞれの道を順風満帆に歩んできたが、
19年には官を辞し、翌年には朝日新聞客員に迎えられ、精力的に著作活動を展開する。

『明治大正史 世相篇』『海南小記』『都市と農村』などが刊行され、
柳田の仕事が民俗学の方向へ絞り込まれ、国際的な評価もしだいに高まる。

33年には民俗学の研究を目的とした木曜会を組織し、戦後に民俗学研究所へ受け継がれる。
35年に発足した民間伝承の会は、戦後に日本民俗学会と改称されている。
柳田の足跡に沿って、日本の民俗学が形づくられてきたと理解できる。

1930年に執筆された『明治大正史 世相篇』は、柳田が民俗学を見据えた56歳に、
「現代生活の横断面、すなわち毎日の我々の眼前に出ては消える事実のみによって、
立派に歴史は書ける」という信念を形にしたものである。
新聞記事の中に、明治大正の60年を捉える。

おもなテーマは衣食住であり、都市と地方に働く人々である。
村々の庭先に花々が植えられる風景から、柳田は農村の平和と発展を鋭く嗅ぎ分け、
「花を自在に庭の内に植えても良いと考えた人の心の変化」に、
平凡な庶民が何を一番大切にしているかを見抜く。

「町に寂しい日を暮らす人たちに、何の断りもなく田舎は進んだ。
それが東京化ではなかったものの、少なくとも心の故郷は荒れたのである。
それを知らずに、帰去来の辞は口ずさまれたのである」と、心象風景を描く。

日本がしだいに軍国主義へ傾斜して、アジアへの侵略を着実に進めていく中で、
庶民は当たり前の日常生活を暮らしている。
私たちの身体の芯には、間違いなく日本人の血が流れている。

そうした事実が、淡々とした文章で伝えられ、
私たちは自らのアイデンティティを考えざるを得ない。

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