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2011年6月29日 (水)

『北越雪譜』(鈴木牧之)

雪深い越後だからこそ温かな文化が育まれることを、
私たちに教えてくれたのが鈴木牧之が著した『北越雪譜』である。
清らかな雪が、心の中で舞う思いがする。

鈴木牧之は1770年に越後国塩沢で、
質屋と縮布と商いを営む鈴木恒右衛門の長子として生まれている。

上杉家が会津に転封されたのを機に帰農した家柄だから、
牧之が文筆を志す文化的環境は整っていた。
幼い頃から四書素読を習い、江戸の絵師から手ほどきを受けたこともある。

江戸へ行商に出かけるようになると、生来の文化的思考はますます強まったが、
牧之は仕事第一の本義を崩さず、その結果、身代はますます大きくなり、
52歳のときには郡代、代官から町年寄格を仰せつけられるまでに至っている。
押しも押されもしない地方の名士である。

脇目も振らずに働いていただけでなく、江戸の書家、沢田東紅に入門したり、
山東京伝や岡田玉山らの文化人と交遊している。
自選の俳諧集『秋月庵発句集』を初めとして、
『秋山記行』『上毛草津霊泉入湯記』『北海雪見行脚集』などの著作も遺している。

このような半生の中で、牧之の心には
「郷土の雪と人々の暮らしを描いて世に知らしめたい」という思いが熟していった。

単に書き遺すだけでなく、伝えたい思いが強いことから、
江戸の版元や文化人を巻き込もうと奔走し、
『北越雪譜』が刊行されたのは1837年、牧之が67歳のときであり、
余命はわずか5年しか残されていなかった。

最初の構想と異なり、「春の部」しか送り出せなかったが、
それでも『北越雪譜』の内容は濃い。
雪国の年中行事や名所旧跡に触れ、芭蕉の足跡や名僧の略伝を語るだけでなく、
鮭の養殖など産業の提唱にまで及び、さながら『雪国百科全書』の趣がある。

「雪が一尺以下の深さなら、辺り一面は銀世界となり、
雪の舞い降りるさまを見て花にたとえたり、玉と比べたり、
賞翫するのが和漢古今の通例だが、これは雪浅き国の楽しみにすぎない。

わが越後のように、年々歳々幾丈もの深い雪を見るところでは、
何が楽しいと言えるのだろうか。
雪のためにどれだけ力を尽くし、財貨を費やし、艱難辛苦するのか、
これから述べることから想像してほしい」

牧之はこう語りかける。

越後の人は、半年を雪に埋もれて暮らす。
短い夏に五穀を納め、昼も暗夜のように燈火を灯す。
鳥も獣も去った冬には、人と熊だけが朝夕を共にする。

雪国を厭わしく思っているだけでなく、そこで生きる命のたくましさに目を注ぎ、
雪国の全体像を正確に伝えようとするのが、牧之の真骨頂である。

大地に根ざして暮らすとはどのようなことなのか、
行間から滲み出てくる一冊である。

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