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2011年6月16日 (木)

『史記列伝』(司馬遷)

司馬遷は紀元前145年に、夏陽県の竜門で生まれた。

司馬氏は周の史官として代々仕えていたが、春秋時代の初めには洛陽を去り、
一族の中には秦の将軍となった司馬錯や、趙の剣術師範となった司馬凱など、
武術と兵法に優れた人物が輩出している。

司馬遷の父の司馬談は漢の太史公であり、天文と暦法をおもな職務としていたが、
自らの知識と思想を注ぎ込み、歴史書を著すことを夢に描いていた。
父の遺志を受け継ぎ司馬遷が『史記』を書き出したのは、
没後しばらくした42歳の頃と伝えられている。

それから5年後、親友である李陵将軍が敵に拘留され、
司馬遷は彼を必死に弁護することで、武帝の逆鱗に触れて投獄される。
そこに待っていたのは去勢の刑罰であり、
3年後に大赦で出獄してから、武帝の側近の宦官として生きるしかなかった。

40代半ばで男性機能を奪われても、日常生活に支障を来さないと考えるのは違う。
実際に性交渉を持つか否かでなく、可能性を最初から断ち切られることで、
司馬遷は人間としての尊厳を保てなくなった。
『史記』を著すことだけが、唯一の生きる術となる。

『史記列伝』に登場するのが覇王や英傑ばかりではなく、
刺客や遊侠の徒にまで光を当てているのは、司馬遷の波瀾万丈の人生と無縁ではない。
地の底で蠢く人たちを主役として描き出すことで、
自らの不条理に折り合いをつけ、人間存在の本質に迫ろうとしている。

その一方で周の蘇秦の言葉として、
「士たる者が頭を下げて書物の読み方を学んだところで、
名誉を獲得しなければ、知識が多いことなど何の役に立つものか」と、
現実の重さを痛いほど噛みしめている。

別のところでは「知ることが難しいのではない。
いかに知っていることに身を処するのか、それが難しい」と述べている。
知識の光と闇が、司馬遷の魂で交錯する。

『史記列伝』は70篇で構成されているが、
伝聞という形を借りて広い視野で歴史を捉える。
具体的な根拠に乏しいものも多く、政治家や学者の業績を時系列で追うわけでもない。

司馬遷の想像力の世界に、私たちが誘われている要素もあり、
史実よりは文学に近い表現である。

とりわけ『史記列伝』は特定の個人を選び、エピソードを伝えると共に、
司馬遷が論評を加えるスタイルだから、
それぞれのドラマが鮮明に映し出され、強い説得力で私たちに迫ってくる。
長い列伝の最後が「貨殖列伝」なのも、私にとっては示唆的である。

司馬遷が『史記列伝』で遺そうとしたのは、
実証的な史実ではなく、人間の真実に違いない。

数多くの逸話や箴言が後世に大きな影響を及ぼし、
さまざまな場面で当たり前のように引用されているのは、
司馬遷の世界が私たちの脳裏に刷り込まれているからだ。

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