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2011年6月25日 (土)

『五輪書』(宮本武蔵)

吉川英治が描いた小説『宮本武蔵』は、何度も映像化されたこともあり、
私たちに宮本武蔵のイメージを焼き付けた。

恋人のお通を振り切り、宿敵である佐々木小次郎を巌流島で打ち破り、
剣聖として孤高の生涯を送ったように思われる。
宮本武蔵は痛快である。

しかし実際の武蔵は時代の波に翻弄され、天分を充分に活かしきれず、
肥後熊本の細川藩に招かれたのは57歳の秋だった。

藩主の忠利が他界してからは、
わずかな門人たちに兵法を指南しながら、禅の修行を重ねるしかない。
武蔵が遺した水墨画は見事だが、裏を返せば詩歌や書画に心を慰めるときが長く、
剣を手にして指導する機会に恵まれなかった。

武蔵が生まれたのは1584年だから、織田信長が明智光秀に討たれた2年後である。
関ヶ原の戦いのときは16歳、
21歳で吉岡一門を破ったときは、すでに世の中は武芸者を必要としなかった。

当時から名高い武蔵だったが、彼が望む立場で迎える大名はなく、
日本全土を漂白しながら、自らの天分を持て余したまま働き盛りを終えている。

『五輪書』が編まれたのは1645年、同じ年の春には武蔵は病で逝っている。
60回以上立ち会って負けたことがないと豪語するが、
それはすべて30歳までの過ぎ去った昔話であり、
島原の乱で足を負傷した身では、再び勝てる保証はなかった。

それ以前に1対1の果たし合いが、どれほどの武士に求められていたのか。
竹刀で争う道場稽古で面目を保てれば充分であり、
戦乱の世が訪れるなど誰も考えていないのに、
武蔵は卑怯なまでに勝つことにこだわり、勝ち続けてきた自分を正当化しようとした。

それでも『五輪書』を読むと、生身で闘い続けた武蔵の血と汗が匂ってきて、
人と向かい合うときにどのように覚悟すれば良いのか、私たちに強い決断を迫ってくる。
実際に闘ってきた人の言葉だがら、それぞれのシチュエーションに説得力がある。

「どのような構えであろうと、構えようと思わずに、斬ろうと念じなければならない。
どう構えるかは状況で決まり、勝つためにどうすべきかで決まる」

こうした状況は、今の世の中でも充分に通用する。

兵法書としての『五輪書』は活かすところが少ないけれど、
人間関係の書として捉え直したとき、驚くほど納得できるところが随所に見られる。
人と関わる仕事をするなら、『五輪書』は目を通しておきたい基本書だ。

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