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2011年6月20日 (月)

『往生要集』(源信)

私たち日本人は、死ねば地獄に堕ちると考えている。
血の池や針の山、賽の河原で石を積む情景は、
私たちの脳裏に鮮やかに焼き付けられている。

誰も死んだことがないのに、見てきたように地獄のイメージを語るが、
そこに大きな影響を及ぼしたのが『往生要集』である。

源信は、942年に大和国葛城郡当麻村で生まれる。
9歳で比叡山に入り、慈慧大師に師事して13歳で得度受戒する。
37歳から著述活動を始め、44歳で『往生要集』を著している。

念仏による極楽往生を説き、生涯をかけて仏教の布教に努めた。

「願わくは衆生と共に彼の国に生まれん。願わくは諸々の衆生と共に安楽国に往生せん」と、
源信は常に人々と同じ地平に生きようとしていたが、
ひたすらに哲理を求めていた従来の仏教界から捉えれば、
こうした姿勢は実に画期的なものだった。

『往生要集』は、鮮烈な八大地獄の描写から説かれる。
「これでもか」と閉口するくらい、さまざな苦悶が私たちを襲う。
行き場のない絶望から、どうにかして逃れたいと願う。

これが「厭離穢土、欣求浄土」と呼ばれるもので、
無理のない形で人々に、極楽を求める気持ちを植え付けていく。
プレゼンテーションの手法としても、説得力のある文章構成である。

一転して極楽浄土は、瑠璃が地に満ちて金の縄で境界線が示されている。
五百億の七宝で宮殿や楼閣が建てられ、諸々の天人が常に音楽を奏でている。
池の畔には栴檀が香り、紫金の葉、白銀の枝、珊瑚の花で彩られている。
仏の広大無辺な慈悲に包まれて癒される。

わかりやすく具体的な風景を想像させることで、源信は着実に民衆の心を掴んだ。
これまでの高僧が成し得なかったことを、時代に先駆けて見事に表現した。
摂関政治華やかな背景を考えると、どれだけ凄いことなのかよくわかる。

やがて法然が浄土宗を開き、親鸞が浄土真宗を開き、
極楽浄土は仮想現実として根づいたが、
その原風景を耕したのは紛れもなく源信である。

それどころか宗旨宗派を問わず、今でも厭離穢土・欣求浄土の基本発想が、
人々を入信に導く回路として用いられている。

地獄にしても極楽にしても、現世の延長線上に位置付けられているから、
私たちは思わず納得してしまい、日々の行いに襟を正し身を慎む。

そのような計算が源信にあったわけでなく、
人々共に極楽往生したい強い気持ちが表現として結実したのだろう。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるというが、
他力本願を成就するにはストイックに生き、慢心を戒めねばならない。

誰かに運ばれるように往生できるわけでなく、
必死に念仏三昧に耽ることで可能性が開かれていく。

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