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2011年6月28日 (火)

『蘭学事始』(杉田玄白)

杉田玄白は前野良沢と共に、『解体新書』を翻訳したことで知られている。

幕末に一挙に西洋文化が流入した時代背景があり、
日本で最初の実証的解剖書『蔵志』を著した山脇東洋の影響を受けたこともあるが、
前人未踏の領域へ踏み込んだことは間違いない。

『蘭学事始』は玄白が83歳の老境に著し、門下の大槻玄沢に校注を託していたが、
江戸時代には写本しか出回らず、明治時代になって福沢諭吉が発掘している。
新しい文化と出会ったとき、先人がどのように奮闘努力したか、克明に記されている。

「近頃、蘭学ということが普及し、志を立てた人は熱心に学ぶが、
そうでない人はみだりにこれを誇張して、(中略)
名声を高め利益を得るために流布している」

半世紀前に数人の協力者と共に、海のものとも山のものともつかない西洋文化と格闘し、
成果をあげてきた玄白翁にとって、浅薄な蘭学の流行は不本意だったに違いない。

「長き春の一日に明らかにできず、日が暮れるまで考え詰め、
お互いの顔を睨み合いながら、わずか数行の文章を一行も理解できない」まま、
さまざまなツテを使って文献を手に入れ、通詞たちから身振り手振りで言葉を教わり、
玄白翁らは楔を打ち込んできた。

どれだけ苦労しても報われない作業が急激に展開するのは、
小塚原の刑場で50代の女性の死刑囚が解剖されるのを実際に見てからである。

『解体新書』の原本である『ターヘル・アナトミア』の図譜が正確なことに驚き、
一つひとつの言葉が何を指しているのか理解できるようになった。
頭で考えるだけでは、次の一歩を踏み出せなかったのである。

「応神天皇のときに百済の王仁が漢字を伝えてから、
代々の天皇が学生を異国へ派遣し、数千年を経た今になって漢字が定着した。
そのように考えれば初めて提唱する蘭学が、にわかに成就する道理はない」と、
必死の覚悟が門を開いたのは言うまでもない。

「一滴の油を広い池に落とせば、散って広い池全体を満たし」
その結果「一匹の犬が真実を吠えれば、数多くの犬が虚偽を吠える」ことになる。
玄白翁が天寿をまっとうする直前に、
自らの言葉を遺したかった気持ちは、痛いほどよくわかる。

『蘭学事始』には日本人の素晴らしさと、追随する発想が両方読みとれる。
残念なことに歴史のフィルターを通さなければ、
オリジナルとコピーの峻別がつかないのは、今も昔も本質的に変わらない。
欧米の文化を紹介するだけで、知識人を装う人々は後を絶たない。

杉田玄白を先駆者と持ち上げて、
『蘭学事始』には苦労話が書かれていると思うのは、あまりに軽い読み方である。
一番大切なのは玄白らの意志であり、真実を追い求める心の動きである。
結果を伴わなかったとしても、彼らは生涯を信じる道に懸けた。

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