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2011年6月30日 (木)

『耳嚢』(根岸鎮衛)

耳嚢』を著した根岸鎮衛は、江戸幕府の旗本である。
元々は甲州の徳川綱豊に仕えていた根岸家だが、
綱豊が5代将軍綱吉の養子になり家宣と改めたときに、共に江戸へ移り御家人になっている。
鎮衛は同じ御家人の安生家から、22歳で養子に迎えられている。

150俵扶持の御勘定として出仕した鎮衛は、47歳で佐渡奉行に任じられ、
その後は御勘定奉行を経て、江戸南町奉行にまで昇進している。
79歳で退任したときには千石の待遇を受けていたから、
鎮衛がどれだけ立派に働いたか容易に想像できる。

記録によれば日光東照宮や京都二条城の普請、関東および東海道の川普請、
浅間噴火後の復興などに功績をあげたという。
こうした激務の傍らで、鎮衛は『耳嚢』を書き溜めた。
豪放磊落な人柄は行間から滲み出ているが、読みやすくわかりやすい随筆である。

基本的には鎮衛が耳にした話を聞き書きにしているので、奇談や胡散臭い内容も少なくない。
奉行という立場からなのか、さまざまな階層のエピソードを、鎮衛は懐深く拾い集めている。
登場する人物がすべて実名なのも、一つひとつが真実であることを物語っている。

神田駿河台で梅を大切に育てていた山中平吉が、医者が見放すほどの大病を患ったとき、
夢枕で梅が処方箋を説き、目が覚めると身代わりに枯れていたという。
こうした不思議な現象を通して、江戸の庶民は木々が生きていると実感した。

主人の用事で大金を手にした中間が、それを着服して遁走しようと邪心を起こすが、
自分を信頼する主人を推し量り思いとどまる。
しかし一度でも裏切ろうとした自分を許せず、ありのままを主人に告げて暇乞いを願う。
それを聞いた主人は正直な気持ちに打たれ、長い間その中間を重用したという。

それぞれの心の動きを察すれば、人間関係の奥深さが伝わってくる。

『耳嚢』を貫くのは、江戸時代を生きた人たちの倫理観である。
人知れず善行を積み重ていれば、いつかは必ず報われると信じている。
たとえ本人が気づかずとも、どこかで誰かに助けられるのは、
過去の陰徳がもたらしたものである。情けは人のためならず。

今の時代の常識と照らし合わせ、荒唐無稽と断ち切るのは簡単だが、
与えられた環境の中で精一杯に生きる先人の知恵を見過ごしたら、
『耳嚢』という書物の価値は失われる。

箒草を細かく切って味噌で和え、毎日食べれば視力が衰えない話を読んで、
科学的真実を求めるのは愚かということだ。
自らの身体を慈しむ気持ちを、きちんと受けとめればそれで良い。

思わずニヤリとする話や、眉に唾をつけたくなる話を読み重ね、
気がつくと私たちが忘れていた感性を思い出す。

読み終わった後に穏やかな心情になるのは、
そこに日本人が本来持っているアイデンティティが潜んでいるからだ。
さまざまな思いが脳裏を駆け巡る。

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