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2011年6月11日 (土)

『老子』(老子)

老子がいつの時代に生きたのか、さまざまな説が流布されているが、
孔子を強く意識していたことは、全編を読めば間違いなく伝わってくる。

『老子』を読むといつでも、
ドフトエフスキーの『地下生活者の手記』と重ね合わせてしまうのは、
私だけなのだろうか。

孔子には旅人のイメージが強く漂っているが、
老子は書斎から一歩も動かない感がする。
その語り口はモノローグで、聞く人の反応を期待していない。

「大いなる道が衰えたときに仁義という考え方が興り、
知識や賢さが評価されるようになったときに大きな偽りも生まれ、
近しい親族がお互いに不和だから孝行息子が話題になり、
国家が乱れ治まらなくなってから忠臣の価値が高まってきた」と説く。

アイロニカルな視線は、王道を歩む人に背を向けている。

老子の中心思想は「無為自然」だが、
これはあるがままの状態の人間社会ではなく、
為政者による人民の支配を認めている。

人々の生活を侵犯しない君主を理想としているのは、
孔子と相通ずるところであり、
この時代の中国では論議するまでもない常識だったに違いない。

今の時代を生きる私たちが読むと、論理的に中途半端な印象を受け、
ノスタルジックな回帰願望かと疑うところもある。

水のような生き方を提唱するが、一歩間違えれば優柔不断の誹りを免れない。
人と争わずわが道を行くのが、老子の真骨頂かもしれない。

それでも老子に魅かれるのは、
私たちにまとわりついた虚飾を剥ぎ取り、
生まれたままの姿に戻して癒してくれるからである。

自分と他人は同じではないという当たり前のことを諭され、
身体の中に溜まったガスを抜いてくれるのが『老子』である。

闘う気持ちが盛んなときに読むと、どこか足止めされるようで苛立つが、
逆境に陥ったときは一言一句が心に染みる。

同じ文章が綴られているのに、状況しだいで表情が変化する。
それだけにさまざまな解釈が成り立ち、賛否両論が渦巻く。

老子によれば「道は広くて大きいから愚かに見える」ので、
小さなことにこだわっている人物には老子の価値はわからない。
荘子のような理解者が現れたことで、
老子の骨格は肉付けされ豊かに伝えられている。

老子は常に人間と自然を対比させている。
人間の本性を自然との融和に求めることで、
自然の延長線上の身体機能を持つ私たちに、強い説得力として迫ってくる。

『老子』を読むときは、寝転んで読むのが良い。
『老子』を介在として自分自身と向かい合えば、肩の力がスーッと抜けていき、
今まで気づかなかった新しい自分と出会える。

生きることが少しだけ楽になる。

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