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2011年6月19日 (日)

『菜根譚』(洪自誠)

洪自誠は明代の人で、還初道人と号したと伝えられているが、
詳しい生涯の軌跡は遺されていない。

儒教、道教、仏教をそれぞれに修め、神仙の思想にも造詣が深く、
山林に隠遁して暮らしたという。
『仙仏奇踪』を編纂した後に、『菜根譚』を著した。

菜根とは、固くて筋が多い野菜の根である。
貧しくとも手に入れられ、よく噛めば滋養に富んでいる。
華やかさには欠けるが、ものごとの本質を捉えている。

自然の懐にひとり抱かれながら人間社会を鋭く観察し、
いかに生きるべきかの処世訓を身につける。

「穢れた大地は多くの作物を生み、澄みきった水には魚が棲まない」という言葉は、
この書物の内容を端的に表している。
俗世間と距離を置いているからといって、人は人の臭気を感じずに生きていけない。
不純物をすべて取り除いたら、自らの存在さえ危うくなる。

「卑しい立場に身を置くと、高位に昇ることの危うさが見える。
暗い場所に慣れると、明るい場所が隠れようのないことがよくわかる」、
洪自誠は必ずしも恵まれた境遇になかったと偲ばれる。
地べたに這いつくばりながら、苦渋の涙を飲み込んでいた。

それでも「一生懸命苦労している中に心の喜びがある」と、
自らを励ましながら弛まず修行を積み重ね、
「望みを遂げた得意の絶頂に失意の悲しみが襲う」と、
厳しく慢心を戒め続けていたに違いない。

時計の振り子のように揺れる心象風景が、今の時代の私たちに共感を誘う。

「逆境にあるときは、
周囲を取り巻くすべてのことが鍼や薬石となって節操や行動を磨くのだが、
本人はそれを知らない。

順境にあるときは、
目の前にあるすべてのことが刃や矛となって肉を溶かし骨を削っているのだが、
本人はそれを知らない」……。

こうした言葉が50の坂を越えると、私のような迂闊者にも身に染みてくる。
人間万事塞翁馬である。

変化が激しい時代に戸惑う私たちに、16世紀末に生きた洪自誠は
「世の中は仕掛けの中に、また仕掛けが隠されている。
思わぬ異変の後に、また異変が起こる。
わずかな知恵や技巧など何の頼りにもならない」と、語りかけている。
いつの時代にも、歳月は人を待ってくれない。

人におだてられたら木に登り、少しけなされたら項垂れる。
軽佻浮薄な私にしてみれば、『菜根譚』は人生の達人が説き明かす虎の巻である。
わかりやすい表現で軽く読ませてくれるから、落ち込んだ気持ちがいつの間にか晴れてくる。
天狗の鼻をさらに伸ばしていると、ポキリと折られるから要注意!

おもしろくて、ためになる読み物は、そうそうザラにあるものではない。

庶民に愛された『菜根譚』には、やはりそれなりの理由がある。
読んでいると中国の街の片隅で、知恵を授かっているような不思議な気分に襲われる。

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