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2011年6月12日 (日)

『孟子』(孟子)

孟子は紀元前372年に生まれ、孔子の孫である子思の門下で五経を修めている。
当時の中国は戦国時代で、実践的な戦略論が重視されたから、
孟子の説く理想論は世事に疎いと判断され、
没後は顧みられることもなく、秦の始皇帝の焚書坑儒の対象にさえならなかった。

唐代の文学者、思想家として知られる韓愈が、
『論語』や『中庸』と並び称したことから復権し、
明代に朱子が『集註』を著すことで儒学の祖として認知されている。

日本では吉田松陰が著した『講孟余話』が有名だが、
江戸時代初期にはすでに高く評価されている。

孟子の思想は性善説であり、
人民に生業を与えれば、本来の性行が発言されると説いている。

人の心の中には「ヨチヨチ歩きの幼児が井戸に転げ落ちそうになると、
誰もが駆け寄って助けようとする気持ち」がある。
何も報酬を得られなくとも、悪を憎み善を好むのが人間だという。

人間が一番重視するのは道義心であり、
必ず踏み歩くべき正道から外れたら、死ぬことさえ厭わないと繋げていく。

孟子の目から見た人間は、どこまでも清らかで純真だ。
封建社会を是認させる倫理として、支配層が普及に努めたのも納得できる。

孔子の野太さが、孟子によって洗練されることで、毒気が抜かれてしまっている。
千五百年の歴史の闇から、孟子を掘り出した朱子の慧眼は、
孔子と孟子を一括りにすることで、庶民の道徳観を形づくっていく。

孟子の本来の持ち味は、社会評論家としての資質である。
今から二千年以上前に、
商品税や通行税を廃止して、市場を活性化するよう提唱している。

「人はしてはならないことをしないという決意があって、初めて大事業を成すことができる」。
私たちが仕事に取り組む基本姿勢として、充分な説得力を持っている。
こうした視点は、まったく古くなっていない。

孟母三遷のエピソードで窺えるように、孟子は純粋培養された知識人である。
人間に対する祈るような信頼は理解できるが、
生身の人間の泥臭さは伝わらない。
間違ったことを口にしていないが、温もりが足りない気がする。

それだけに理想家肌の人には、孟子の言葉は深く染み渡る。
松下村塾を開き長州藩から維新の志士を輩出させた吉田松陰は、
萩の獄中に幽閉されていたときに一心不乱に『孟子』を読み、
自らの思想を鋭く純化させていった。

それだけの影響力が、『孟子』には秘められている。

私のような天の邪鬼は、孟子を斜から構えて読むから、人間論と社会論を切り分ける。
孟子が説くほど世の中にお人好しが多いとは思わないけれど、
一人ひとりの自律性に委ねたほうが経済は確かに活性化する。

その切り口だけ捉えても、『孟子』は読むだけの価値はある。

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