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2011年6月18日 (土)

『三国志演義』(羅貫中)

蜀の劉備玄徳と義兄弟である張飛、関羽を中心に、
魏の曹操や呉の孫権など数多くの英傑が登場し、
中国を代表する歴史絵巻を繰り広げる。

TVドラマや映画からコミックまで、さまざまな形で紹介されているから、
『水滸伝』と並んで、日本人には馴染み深い物語である。

明の羅貫中が作者とされているが、前後数百年に渡って民衆の手が加えられ、
人物の奥行きが深まり、大胆な展開が際立っていった。
最も覇権に近い曹操ではなく、どこか線が細い劉備を主人公に据えたのも、
中国人の理想を映し出していたからに違いない。

桃園で劉備、関羽、張飛の三人が天下を志したときから、
この物語に一貫して流れるのは「仁義」というテーマである。
単に敵を打ち破るだけでなく、常に正しく勝つことを求められる。
曹操のリアリズムは、劉備のロマンティズムを凌げない。

劉備が諸葛亮孔明を軍師として招くのに、
三顧の礼を以て迎えた逸話はあまりにも有名だ。

日本でも石田三成が島左近を家老にするために、
領国の半分を差し出して懇願している。
石高ではなく三成の熱意に打たれ、智将・島左近は関ヶ原の露と消えている。

時代や国が異なっても、一流と呼ばれる人の心は、思いの強さでしか動かない。
それは情報化社会の現代にも、変わらず通用する基本原則だ。
劉備の志に応え、孔明は幾度も蜀を危地から救い出し、
死んでから後も敵軍を欺いて、名将として今も伝えられている。

『三国志』がおもしろいのは、こうした劉備や孔明の倫理観が、
次世代の劉禅に裏切られるところにもある。

趙雲に一命を助けられた劉禅は、劉備と孔明の没後に酒池肉林に溺れ、
ついには蜀を破滅へと導く。
親の苦労を知らない御曹司が、身につけた宝を自ら放棄する。

史実を下敷きにしていることもあるが、
『三国志』は単純な勧善懲悪として繰り広げられず、
読む人が歯がゆくなる場面も少なくない。

その一方で孔明は魔術師的色彩で描かれ、活劇的要素も充分に盛り込まれている。
劉備と孫権の連合軍が曹操の大軍を破る赤壁の戦いや、
孔明が戦死する五丈が原の戦いなど、クライマックスもきちんと準備されている。

『三国志』を読むたびに、中国の歴史に培われた人々の叡智が、
一筋縄では理解できない複雑なものとわかってくる。

毛沢東を中心に共産主義革命を成功させても、
教条主義に陥らずグローバルな国家戦略へシフトできるのも、
思考回路が多層的に組み立てられているからだ。

私たち日本人にとっても、『三国志』は懐かしい原風景である。

人が生きるときに何を胸に抱くのか、
志が果たされずとも生きる姿勢そのものが、幾星霜を堪え忍び私たちの心を震わせる。
それぞれの登場人物に、自分を重ね合わせるのも一興だ。

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