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2011年6月17日 (金)

『戦国策』(劉向)

劉向は紀元前79年に前漢で生まれ、高祖の傍系の血筋である。
若い頃から才覚を現したが、神仙方術に造詣が深いことから錬金術を進言し、
その失敗が宣王の怒りに触れて投獄される。
しかし一族の働きかけにより赦され、当時を代表する学者として重用されたという。

宣王に極めて近い立場にいたことから書庫の蔵書と自由に接し、
『国策』『国事』『修書』など題した竹簡を発見したことが
『戦国策』を編纂する契機となった。

劉向はこの他にも前賢先哲の逸話を記録した『説苑』、
堯・舜の時代より戦国末までの模範や戒めとするに足る
婦女の逸話を列叙した『古列女伝』を遺している。

『戦国策』では、やがて中国を統一する秦を中心に、周辺の諸国が合従連衡を繰り返し、
それぞれの思惑を胸に秘めながら、さまざまな駆け引きを巡らしている。

食客を数多く抱えた孟嘗君など、日本人に馴染み深い人物も登場し、
故事として語り継がれている逸話も少なくない。

「国が滅びたのは、賢人がいなかったからではない。
賢人を用いる器量のある人がいなかったのである」とは、
宰相の司空馬の言葉に耳を傾けず、武安君将軍を処刑した趙王に向けられたものだが、
今どきの経営者でも平然と聞き流すのは、フレキシビリティに欠けた人である。

大国の秦に対して、国の半分を割譲する講和案は、簡単に受け入れられるものではない。
自らが趙王の立場であれば、宰相や将軍を敗北主義と詰ったかもしれない。
当事者であるからこそ、状況を冷静に判断する力が薄れていく。

秦が韓を攻めた際に、楚の景翠将軍が秦に加勢しようと出兵した。
このとき周王は家臣の献策を重用し、将軍に謁見して語りかけた。

「あなたは官位、官職共に、楚の最高位におられます。
勝利を得てもそれ以上に進むことはなく、万が一に負ければ殺されます。
秦に加勢するより、傍観するのが賢明です」

これは秦の軍隊を疲れさせ、景翠将軍が無傷で睨みを利かせることで、
秦も韓も牽制すると考えた深謀遠慮である。
実際に両国は景翠将軍を恐れ、城や宝物を贈ることになる。

助言を感謝された周王は、領国の安全を手に入れた。
強いからと、無闇に戦わないほうが良い。

こうした逸話は実践に基づいているから、整合性に乏しい面もあるが、
私たちの現実に置き換えられるところが多い。
一貫して流れるのはバランス感覚の重要性であり、
猪突猛進を戒めた言葉がちりばめられている。

勝ちすぎず、攻めすぎず、治めすぎないことを説いている。

人間ドラマに満ち溢れた『戦国策』は、思想というより文学に近い。
泥臭い権謀術数の裏に、時代を真剣に生きた人間が見えてくる。

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