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2011年6月15日 (水)

『韓非子』(韓非子)

韓非子は紀元前3世紀に、韓の諸公子として生まれた。

傍系であるうえに言葉が不自由だったことから、
性悪説を唱え礼による統治を説いた荀子に学び、
その後に法を統治の根幹とする商鞅に学び、
韓の国王に献策を繰り返したが採り上げられなかった。

韓非子の文章に着目したのは、皮肉なことに敵国である秦の始皇帝だった。
当時はまだ中国全土を統一していなかったが、
韓非子を得るために韓に攻め入り、使者としての派遣を要請した。
このとき荀子の同門の李斯が、すでに秦王に使えていたのが、韓非子の悲劇だった。

李斯は保身のために讒言し、韓非子を獄中に繋ぎ服毒死させる。
その後に韓非子の思想を実践し、秦が全土を統一した頃には宰相に栄達した。
始皇帝の継承に策略を労したが、二世皇帝の無軌道を非難して刑死する。
最期のところで李斯は、思想家として行動したに違いない。

韓非子の人間観の原型は、荀子の性悪説に基づいているから、
基本的に冷徹で容赦がない。

人間は自分の利益を追い求めて生きているから、
恩愛や情実に頼ろうとする考え方は甘いと断言する。
愛情に馴れてしまい、威勢に屈服するのが人間と、シニカルに指摘する。

「群臣が各々の意見を述べたら、君主はその意見に見合った仕事を与え、
それぞれに応じた実績を要請する。
実績が充分であり、内容が意見通りであれば賞し、そうでなければ罰する。
仕事に対する意見と実績が相応しないことは許されない」。

これが信賞必罰の出典となっているが、前提になっているのは群臣の意見である。
指示命令に従った行為は、最初から信賞必罰の対象になっていないのだ。
言われてやるのは仕事のうちに入らないから、意見を束ねる法が重要視される。

「法とは、人の罪過を押しとどめて私情をなくさせるものであり、
厳しい刑罰は法令を遂行して下々を懲らすものである。
権威は君主の外に立てられず、制令は君主とは別に出されない」と韓非子は説く。

「越王が武勇を好んだので、その民は死を軽んじる風潮が生まれ、
楚の霊王が細い腰の美人を好んだら、国中の女性が痩せようと飢えてしまった」と皮肉るが、
君主はそのくらい影響力を及ぼしたいと願っている。

韓非子は現実の場で揉まれていなかったので、頭の中で築きあげた観念に溺れる傾向は強い。
人間の弱さを認めようとせず、法を徹底することで理想に近づけると、
頑なに信じているのは否めない。

しかし正論を正論として主張して、一歩も譲らないその姿勢には、
間違いなく私たちが学ばねばならないものがある。

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