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2007年12月27日 (木)

見えないもの

 人は死後どうなるか、限りある生命だから、先人たちも繰り返し問い続けてきた。秦の始皇帝は不老長寿の薬を求め、日本でも若狭の八百比丘尼の伝説など。大乗仏教の輪廻思想を筆頭に、転生という教義を説く宗教も多い。臨死体験も数多く伝えられてる。

 今の自分の意識として、死んだことはないから、頭ごなしに否定できないけど、現世と来世を結びつけるのは人の願望。恵まれた環境に置かれた人は、来世も現世の延長で在りたいと願う。そうでない人は来世こそ、現世より幸せな人生を与えられたいと望む。

 人々が来世を信ずることで社会秩序は保たれ、一人ひとりが徳を積み矛盾の解消に役立てば、あながち悪いことではないけど、何を善として何を悪とするか、現実世界での具体的な基準は示せない。王政を倒す革命について、賛否は立場によって違うもの。

 どのような教えでも、共通するのは自殺の否定。現世が苦しいからと、自らの命を絶って来世を引き寄せれば、現世より苛酷な来世を迎えると戒める。自分が置かれた境遇で精一杯に生きる。人が幸せになれるよう献身的に尽くす。それ以外は求めてない。

 祖先を敬うにも、必要なのは祈りだけ。煌びやかな祭壇も、精緻な像も金品も、取り交わされるのは現世だけ。来世に及ぶものじゃない。見えない世界があるにしても、それに惑わされたら現世を誤る。今の自分にできることを、きちんと成し遂げるのが筋。

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