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2007年12月31日 (月)

行く歳、来る歳

 どれだけ深い哀しみに包まれても、飯を食い、寝て、日々を重ねる。当たり前のように些事をこなし、人と交わり、今日を暮らしていく。だからといって、忘れたわけじゃない。心の裡で折り合いを付け、宝物のようにそっと仕舞い込み、自らの糧にする。

 良いこともたくさんあったし、成し遂げたことも少しはあるし、それでも今年は心塞がれる日々。悔やみようがない運命に、挫けそうになったのは確か。私より傷ついた人を守るため、虚勢を張りながら一年を閉じようとしてる。私にできるのは祈ることだけ。

 ゆっくりとだけど笑顔も戻ってきて、一歩を踏み出す意欲も湧いてきたようで、私も生まれてきた裸になり、改めて一つひとつを築きたい。どこで断ち切られたとしても、迷わないように腹を据え、自分にできることを捉え直し、着実に前へ進んでいきたい。

 この世の中で得たものは、この世にきちんと返して、それがどけだけできるか。時の流れに節目があるのは有り難い。心を切り換えて歩み始められる。土へ還るその日まで、遂げられなかった志を背負い、凛として生きる勇気を与えられる大晦日、除夜の鐘の響き。

 たくさんの人に声を掛けられ、支えられ、今年も生き延びてきたことに感謝。ひとりで闘えるほど強くないから、これからも皆さんに助けられ、励まされながら、どうにか道を極めたいと考える。今より少しでも成長し、胸を張れる自分にならなきゃ。

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2007年12月30日 (日)

酔い潰れる前に

 人生の楽しみを半分知らないと、諸先輩から言われ続けて半世紀を経たが、私は相変わらずお酒を飲めない。お付き合いでもビールかお銚子で一本が限度。これでも、ビールコップ半分で潰れてた若い頃より、はるかに強くなってるけれど、下戸はやっぱり下戸。

 それもあってか飲酒運転など、とてもじゃないが信じられない。お酒が強い人は過信するのだろうが、いつどこで人を傷つけ殺めても不思議じゃない。悲惨な事故を受けて改善されてるみたいだが、それでもお酒を飲んでハンドルを握る人はかなりいる。

 飲みに行くとわかってれば、車を置いて出掛けるだろうが、流れでお酒を勧められると、嫌いじゃないから断れないのかな。駐車場を長く借りたり、代行運転を頼んだり、それだけのお金があれば、もう少し飲みたいのかな。その時点で思考は正常じゃない。

 テレビなどで飲酒運転の検問の映像、いつも思うのは素面のときなら、礼儀正しい小市民なのに、本人が見ても自分じゃないと感じるだろう。事故を起こせば、加害者も被害者も地獄。とりわけ加害者は家族を巻き込み、その後も十字架を背負わせられる。

 人に迷惑を掛けなきゃ、浴びるほど飲んで、酔い潰れても構わない。だけど、そのときはわからなくなってるから、意識がハッキリしてるうち、事前に準備だけはしておきたい。楽しいままで素面に戻り、再び杯を傾けられるよう、大人の節度をわきまえたい。

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2007年12月29日 (土)

誰か故郷を思わざる

 歳末の帰省ラッシュ、日本列島が大移動。埼玉県で生まれて半世紀、県外で暮らしたことのない私には、羨ましいような気持ちのほうが強い。渋滞に巻き込まれ、長旅の疲れも如何ばかりか、当事者にすれば大変なのだろうが、それでも目指す故郷は懐かしい。

 私が生まれた大宮は、暮らしてる狭山より大きな街で、車でも一時間くらいしか離れてないから、故郷というにはピンと来ない。山もなければ川もなく、幼い頃に遊んだ野原には家が建ってる。目抜き通りを歩いても、見知らぬ店ばかりが並んでる。

 働くにも暮らすにも、便利なのは大都市圏。好む好まざるに関わらず、都市は人を引き寄せ飲み込んで巨大化する。だからといって都市だけでは、生活の機能は満たせない。お互いに補完して、それぞれが自立して、ようやく日本という国が成り立ってる。

 土を耕すのは大事、森を守るのも大事、そうであるなら役割を果たす人たちが生きられるように、皆で知恵を働かせることを求められてる。地方の個性が薄れ、一様に都市化するのは、はるかに楽に稼げるのが最大の理由。それで一番困るのは都市生活者。

 故郷の懐に抱かれ心を癒したいなら、故郷を守るために何ができるかを、一人ひとりが考えねばならない。経済原則だけで切り捨てたら、荒れ地ばかりが広がりかねない。私たちが本当に大切にしたい風景は、手を貸さなければ消えていくばかりじゃないか。

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2007年12月28日 (金)

そろそろ幕間

 いよいよ押し詰まり、いくつか打ち合わせを済ませたが、すべて来春の予定。組織そのものをどう革新し演出するか、リーダーはどう考え行動すべきか、不思議なことにテーマは重なってる。時流を読むだけでなく、足場を固める必要を自覚してるのか。

 テーマを具体的に落とし込み、伝えられる形にするのはこれからの作業だが、昼でも夜でも進められるから、年明けの連絡には充分に間に合う。人と会うのは仕事納め、後は穴蔵でコツコツ。歳を経るに従って、一年のスピードは加速する。本当にあっと言う間。

 いろいろなことが起こったけど、揺らいじゃいけないと身に染みた。無器用でも自分の道を歩んでれば、必ず声を掛けてくれる人がいる。一つひとつとていねいに向かい合えば、きちんと結果は積み重ねられ、次の扉を開く力が蓄えられる。当たり前だよね。

 初心に戻り試行錯誤を繰り返し、私の仕事は人を教え育てるのが大事と、改めて強く確信した一年だったかな。独り善がりで勢い込んでも空回り、サポートしてくれる人がいるから前へ進める。昔馴染みの人にも、新しく出会った人にも、心の底から感謝する。

 しばらくは猪突猛進、予定をクリアして形にする。その中から次のテーマが生まれ、立ち止まったり悩んだり、でもベクトルは上へ向いてる。自分を信じて健康に留意すれば、間違いなく今より成長できる。風が吹き荒んでも、身体の芯が熱いから大丈夫。

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2007年12月27日 (木)

見えないもの

 人は死後どうなるか、限りある生命だから、先人たちも繰り返し問い続けてきた。秦の始皇帝は不老長寿の薬を求め、日本でも若狭の八百比丘尼の伝説など。大乗仏教の輪廻思想を筆頭に、転生という教義を説く宗教も多い。臨死体験も数多く伝えられてる。

 今の自分の意識として、死んだことはないから、頭ごなしに否定できないけど、現世と来世を結びつけるのは人の願望。恵まれた環境に置かれた人は、来世も現世の延長で在りたいと願う。そうでない人は来世こそ、現世より幸せな人生を与えられたいと望む。

 人々が来世を信ずることで社会秩序は保たれ、一人ひとりが徳を積み矛盾の解消に役立てば、あながち悪いことではないけど、何を善として何を悪とするか、現実世界での具体的な基準は示せない。王政を倒す革命について、賛否は立場によって違うもの。

 どのような教えでも、共通するのは自殺の否定。現世が苦しいからと、自らの命を絶って来世を引き寄せれば、現世より苛酷な来世を迎えると戒める。自分が置かれた境遇で精一杯に生きる。人が幸せになれるよう献身的に尽くす。それ以外は求めてない。

 祖先を敬うにも、必要なのは祈りだけ。煌びやかな祭壇も、精緻な像も金品も、取り交わされるのは現世だけ。来世に及ぶものじゃない。見えない世界があるにしても、それに惑わされたら現世を誤る。今の自分にできることを、きちんと成し遂げるのが筋。

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2007年12月26日 (水)

素直に喜ぶ

 福田総理が薬害肝炎訴訟の原告団代表と面会、一律救済の議員立法案を来月7日に国会へ提出予定。民主党の賛同を得て、年内に骨子をまとめるとのこと。いろいろと批判もあろうが、世論の声が政治を動かした。人を人として遇したことが率直に嬉しい。
http://www.asahi.com/politics/update/1225/TKY200712250325.html

 本当の目的が政権の維持だったとしても、国の責任を認めて被害者が救われるなら、政治と国民の接点が繋ぎ止められる。大事なのは自民党か民主党かでなく、政治が国民に目を向けること。官僚を全面否定するより、公僕として国民に役立たせること。

 その変化が、蟻の一穴でも構わない。弱い立場の人が、まっとうな意見を述べて、筋が通った結論へ至る。その積み重ねが、私たちの明日を変える。官尊民卑のバランスを崩し、システムを捉え直して、お役所の風通しが良くなるプロセス。そんなふうに考えたい。

 そうは言っても今回の急転は、ひとえに原告団の強い意思があったからこそ。最初の官邸からの提案を受けてたら、厚生労働省の責任は間違いなく有耶無耶にされた。声を出すこと、諦めないこと、その大切さを学んだ思い。国民主権を信じなきゃいけない。

 法令が制定されるまで予断を許さないが、一歩ずつでも暮らしやすい国へ近づかないと、日本の屋台骨が揺らいでくる。外国へ逃げるなら別だけど、この土地に骨を埋めようとするなら、自分の問題として関わり続け、政治に民意を反映させる意思を持続させる。

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2007年12月25日 (火)

お陰さまの発想

 草津温泉には18の共同浴場があり、誰でもいつでも無料で温泉を楽しめるが、備品を盗んだり、脱衣場で酒盛りしたり、浴場を汚したり、傍若無人の振る舞いが後を絶たないという。近隣の野沢温泉では13の共同浴場に鍵を掛け、深夜の利用を禁止してる。
http://www.asahi.com/life/update/1222/TKY200712220173.html

 温泉は大地からの恵みで、観光は大切な資源と考えてくれて、地元の人が好意で浴場を開放してる。維持するのに経費を費やし、清掃などは奉仕活動、たくさんの人に支えられ、気軽に湯浴みができるのに、どうして自分で自分の首を絞める愚か者がいるのか。

 昨今の世情を眺めてると氷山の一角、誰かがどこかで苦労してるから、恩恵にあずかってるという自覚がない。やってもらって当たり前、決められたことを守らなくとも、見つからなきゃ屁の河童。都合が悪い事態に陥っても、知らぬ顔の半兵衛でとぼけてる。

 あれこれ理屈を並べるより、私たち大人が自らを省みて、日々の行動を慎むのが最初の一歩。気に入らないことがあっても、人のせいにせず、自分ができる範囲で改善を働きかける。声を掛けて注意するのが最善だけど、下手すると問答無用で刺されるから厄介。

 自分の意見を主張するのは結構だが、前提となるのは人の言葉に耳を傾けること。自分を中心に地球は回ってない。隣近所があって世間は成り立ってる。当たり前のことを常識と呼ぶが、それを皆がわきまえる社会にしないと、遠くない将来に壊れちゃう。

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2007年12月24日 (月)

ひとり遊び

 私が子どもの頃は、味噌っかすで苛められっ子だったので、家の中で遊ぶことが多かった。古新聞にクレヨンで絵を描いても、無器用だったし、どうしても図書館から本を借り、空想に耽る時間が長くなった。物語の中では主人公、誰にも邪魔されない。

 運動は苦手だし、先生の指示に従うのも嫌いだったけど、当時は学校を休むなど許されなかった。本を読むのに比べたら、授業は同じことを繰り返して退屈。体育の時間は、できないことを無理強いされて恥を掻かされる。それでも放課後は少しだけ遊んだかな。

 鬼ごっこやら相撲やら、基本になるのはお金が掛からないもの。三角ベースではグラブとバット、それを持ってれば仲間に入れてくれるけど、足で稼いだ内野安打が精一杯。一日の小遣いは十円、親の目を盗んで駄菓子屋へ、下を真っ赤にしてすぐバレた。

 お金持ちの子もいたけど、クラスで一人か二人だったから、贅沢な玩具を見せびらかしても浮いてしまい、序列を決めるのは腕力や運動能力。ガキ大将は乱暴だったけど、それなりに全体を見渡していた。そうしたヤツに媚びてまで、遊びたくない私は臍曲がり。

 苛められた原因は、三歳の頃に左肘を複雑骨折し、筋力がなくて逆上がりもできなかったから。それでいて勉強はできたから、生意気だったんだろうね。でも、今から考えると、他の子にとっては苛めも遊び、執拗なこともなく、いつもは放っておいてくれた。

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2007年12月23日 (日)

柚子湯ぽかぽか

 一年で最も夜の長い日、昔から小豆粥や南瓜を食べると、これから寒さが厳しくなっても、風邪を引かないと伝えられてる。それ以上にポピュラーなのが柚子湯、冬至と湯治を掛けて、柚子は融通が利くようにと願いを込めて、江戸時代からの風習らしい。

 先日、寸又峡へ遊んだ帰りに、道の駅で求めた柚子があって、この冬は随分と柚子湯に入ってる。肌が滑らかになって、何より保温効果が高いので、暖房を入れずに深夜を過ごせる。温泉とはまた別の趣、先人の知恵に舌を巻きながら、くつろがせてもらう。

 いろいろなことがあったにしても、家に帰るとほっとひと息。同じ塒でも、旅先とはちと違う。家族の温かさか、馴染んだ空気か、どんなに狭くとも、辺鄙でも、家がやっぱり一番。この感覚が失われたら、流離うばかりの根無し草、人と人の共通言語が消える。

 座って半畳、寝て一畳。欲を掻かなきゃ、生きるのに必要なものは、さほど多くない。すでにたくさんの宝物を手に入れ、食べるに不自由してないのに、さらに身を飾ることもない。足りるを知って慈しめば、毎日は自然と輝いてくる。心の芯が癒される。

 冬至を過ぎると、昼が少しずつ長くなっていく。目に見えなくとも、確実に春の準備。北風が吹き荒んでも、土の中で芽生える仕掛けが始まり、舞台が整えば花は咲き乱れる。焦らず、慌てず、ゆっくりで良いんだよ。柚子湯に浸かって、充分に温まってから。

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2007年12月22日 (土)

霊感商法って

 神奈川県警の現職警視が、霊感商法に関わってたと報道。取り調べの段階で神世界への信仰を明らかにしてるから、意図的な詐欺罪として立件するのは難しいような気がする。祈祷料や御札代など、通常の商取引の常識は適用されず、相互の合意が前提。
http://www.asahi.com/national/update/1221/TKY200712210215.html

 芸術作品にどれだけの値を付けるか。一枚の絵が一億円と聞いて法外と思う人は、最初から寄りつこうとしない。欲しいと思う気持ちが強ければ、家屋敷を売り払ってもお金を工面する。一時間で描いた絵が一億円しても、誰も怪しまず、詐欺と疑われない。

 ニューヨークのマンハッタンを、オランダの西インド会社が、硝子細工など24ドル相当のガラクタと、ネイティブアメリカンと契約書を交わし、占有したのは有名な話。その後にイングランドに占拠され、ネィティブアメリカンの権利を主張する人はいなくなる。

 どのような物品でも、素材の集積でないのは当たり前。技術に対しては特許などで権利が保護され、付加価値の相場が決まってくるケースは多い。しかし精神的な付加価値は、受け取る人によって天と地ほどの開きがある。第三者はそこに口を挟めない。

 それだけに物品やサービスを買う側にも、責任と自覚を求められる。目に見えないものにいくら払うか、形として残らないものにどれだけの金銭を費やすか、明らかに騙してるのでなきゃ、お互いの合意に基づく結論。相場は常にシーズとニーズのマッチング。

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2007年12月21日 (金)

官尊民卑の復権

 朝日新聞の世論調査で、福田内閣の支持率が31%へ急落、不支持率は48%。年金問題や薬害肝炎問題への対応、独立行政法人への優柔不断、透けて見えるのは官僚主導政治への逆行。福田総理が守ろうとしてるのは、国民でなく既存のシステムと明らかに。
http://www.asahi.com/politics/update/1220/TKY200712200359.html

 薬害肝炎訴訟の原告が求めてるのは、金銭的補償より理解と共感に基づくサポート。国が判断を誤ったことにより、病魔に苦しむ仲間がたくさんいる。その一人ひとりに目を向け、できる限りのことをしてほしい。人としての思いを、人として受けとめてほしい。

 年金問題にしても、作業の遅れを責めてるのじゃなく、事実を明らかにして責任を問い、国民に納得できる形を示してほしいだけ。社会保険庁を責めながら、誰も問い詰めようとしない政府は、なし崩しに現状のシステムを追認し、逃げてるようにしか見えない。

 一つひとつの判断に接すると、長い物には巻かれ、臭い物には蓋をする姿勢。現状を改革する意欲は伝わってこないから、昔の自民党に先祖返りした印象。派閥の領袖が活躍し、小泉、安倍時代に頭角を現した若手は沈黙し、これでは国民の支持を得られない。

 象徴的なのが桝添厚生労働大臣、秋には気負った姿勢まで国民は期待したが、このところは言い訳に終始して、すっかり飼い慣らされたように映る。自民党政権を維持したいなら、視線の先に国民を置かなきゃ、時代の流れに取り残されると、わからないかな。

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2007年12月20日 (木)

恋人たちの刻印

 関西の信貴生駒スカイラインに、鐘の鳴る展望台という場所があるそうだが、恋人たちが永遠の愛を誓い、次々と南京錠を取り付けて、その重みで一部が倒壊する恐れが出てきたという。こうした話は全国にあり、日本人のモラルを端的に表してる。
http://www.asahi.com/life/update/1219/OSK200712190057.html

 ウォーキングの途上に四阿に立ち寄れば、カッターナイフで男女の名が彫られてる。歴史的建造物にも容赦なく、修復するのに莫大な費用が掛かると考えず、舞い上がった気持ちを吐き散らす。自分のものでなく、公共の財産という発想が、湧いてこないのか。

 今の若い人たちだけでなく、私たちが若い頃から、こうした愚か者たちは後を絶たない。最近では商店街のシャッターを、ペイントで汚していながら、パフォーマンスと嘯く輩まで。もっとも旅の恥は掻き捨て、見ぬもの清しなど、昔から変わってないのかも。

 幼稚園じゃないのだから、やって良いこと、悪いこと、分別付けてくれなきゃ。二度と訪れない土地だって、これから訪れる人もいるし、そこに暮らす人たちもいる。刻まれた見知らぬ男女の刻印を目にして、微笑ましいと思うわけがないことくらいわかるだろう。

 浮かれ気分で頭に乗って、傍に迷惑を及ぼさないこと。ほんの僅かな悪戯心が、日本人のモラルを壊していく。自分だけじゃないと言い訳せず、自分だけはきちんとすれば、愚か者たちは居場所を失う。恋心から遠く離れたから言ってるわけじゃない。

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2007年12月19日 (水)

洟垂れ小僧

 2005年の国勢調査による平均寿命、男は79歳、女は87歳、事故や病気で若く死ぬ人もいるから、巷には元気な老人が溢れてることになる。私も歳月を重ねたつもりでいたが、尻の青い駆け出しと証明されたような気分。ひと働きもふた働きもしなきゃ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071217it13.htm

 年を取ると体力は衰え、現役を退くのが当たり前。だけどそれって、ひと昔前のイメージを引きずってるんじゃないか。個人差はあるだろうから、一律には捉えられないけど、70代や80代でもバリバリ働ける人はいるのに、舞台がないから活躍できない。

 若い人と同じ基準でなく、新しい舞台を準備しても良い。たとえば東海道新幹線の横を、ローカル線が走ってるようなもの。必要に応じて、お互いが活かし合えば、扶養に関わる経費も削減できる。本当に働けない人を手厚くサポート、そのほうが大事じゃないか。

 定年を迎えても、現役時代と同じ基準しかないから、無理も生じるし、不平不満も溜まる。ゴルフでいえばシニアツアー、少し視点をずらすだけで、働き盛りを延ばしたほうが、若い人の負担も軽くなり、将来の楽しみも増えていく。頭の中を柔らかくしたい。

 身体が辛くなったら仕方ないが、年齢で線引きして隠居せざるを得ないのは、本人にとっても望むところではない。だからといって若い人と同じスピードでは、息が切れて長続きしないのも明らか。この辺りを考えるのも、これからの課題のような気がする。

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2007年12月18日 (火)

やっぱりね

 佐世保の銃撃事件、最初は無差別な乱射かと思われたが、どうやら自己中心的な無理心中。射殺された女性は、横恋慕されてたのかも。親友だから死んでくれ、道連れにされた人もいる。未熟な心の犠牲になった背景には、無責任な親の溺愛が明らか。
http://www.asahi.com/national/update/1217/SEB200712170006.html

 働きもせずに、父親の退職金を食い潰す息子を、親はどうして放置したか。今に始まったことでなく、不始末をすればすぐに尻を拭いてやり、飯を食わせて気づかって、本人はすっかり勘違い。もっとも強く諭して、息子に殺された親もいるから厄介。

 爺婆も含めて、今の世の親たちには他人事じゃない。欲しいと言われ余裕があると、不相応なものでも買い与えてしまう。どうしても必要なら、親の管理下に置いて、子に貸しておくという発想がない。親子でも財布は別というケジメをつけようとしない。

 何をやるのも自由だが、自分で引き起こした責任を、きっちり背負えるのが社会人。親が子の借金を肩代わりするなら、無利子でも親が新しい債権者になり、子に払いきらせるのが本当の愛情。駄々をこねて通るなら、それが一番楽と知恵を付けてしまう。

 幼い頃から甘やかし、途中で手の平を返しても逆効果。できること、できないことを切り分け、ヨソがどうであれ、無理なことはガマンさせる。泣きじゃくろうと、拗ねようと、親を嫌いと反発されようと、ダメなものはダメと押し切ることができるか。

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2007年12月17日 (月)

形は変わっても

 父に来年の日記を届けるのに大宮へ。毎年、博文館の大型当用日記と決まってるが、幼い頃から一日も欠かさないという。私が贈るようになってからでも30年くらい。父は囲碁に書道を嗜み、今でもよく歩いてるから、脳が活性化していつまでも丈夫なのかな。

 父に寄り添い母も元気、穏やかな日々を二人で過ごしてる。医者に通っていても、無理に節制しないで、心のままに暮らしてるのが良いのかな。義母を訪れると、身体の艶も良くなっていて、丁度おやつの時刻だったが、自分でペロリと平らげ驚かされた。

 大正の時代に生まれ、環境が激変する中で、精一杯に生き抜いて現役を退く。この人たちがいたから、今の私たちがいると、改めて思い知らされる。歴史に名を刻まない普通の人たちが、最も尊い役割を果たしてる。一つひとつの命が、次の世代へ受け継がれる。

 どのような立場に身を置くかより、どのように周囲から見られるか、そこを大事にしたい気になってる。人と人の関わり方は違ってくるし、果たすべき務めは求められるもので決まる。自分に恥じないように生きてれば、きちんと辻褄が合ってくるんじゃないか。

 歳月を経るごとに、人は否応なく老いていく。どこまでも突き進もうとしても、どこかで必ず終止符を打つ。自分でスタートを決められなかったように、自分でゴールを決められないのが人生。だからこそ一日一生、今日に感謝して、心静かに明日を迎える。

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2007年12月16日 (日)

ちょっと疲れたかな

 今年最後の営業マンフォーラム、会場の予定が立たないし、年明けから少し忙しくなるので、リアルの活動はしばらく休止。皆さんのご意見を聞きながら、再開するかどうかを決める。土曜の午後はゆっくりできると思ったが、ちょっと違ったような気もする。

 営業マンを元気にするなら、手弁当でも構わないと考えてたが、全体のプログラムや日程も含め、捉え直しの必要に迫られてるのも事実。コンセプトが中途半端だったかな、力不足も否めないし、無理に続けるとストレスになるから、自然体で構えたほうが良い。

 それでも2年間、随分と勉強になったし、勇気と元気をたくさんもらった。参加した人の声がヒントになって、仕事に役だったところもある。何よりもリアルに出会えたことに感謝。こうした財産を次のステップにどう活かすかは、これからの私の課題かな。

 営業というテーマは、私にとって本業だから、ビジネスとして腹を据えないと、次の展開を切り開けない。でも、あまりのめり込み過ぎると、独り善がりになりかねない。その辺りのバランス感覚も問われるよね。まぁ、焦ってやることじゃないから、のんびりと。

 昼間は温かく感じたけど、夜になって風が冷んや、頭を切り換えるにも良い季節。諸々の戦略を練り直し、誰をどう巻き込むかを考えないと、自分が目指す場所へ進めない。自分が本気で楽しまないと、人を楽しませるなんてできない。休むときは休むこと。

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2007年12月15日 (土)

忠臣蔵だとか

 元禄15年12月14日、本所松坂町の吉良邸に、赤穂の四十七士が討ち入った。日本人なら誰でも知ってるストーリー、歌舞伎や浄瑠璃だけじゃなく、映画やドラマで繰り返し伝えられてる。さまざまな解釈も成り立って、吉良上野介は地元では名君だったらしい。

 幕府の不当な裁定への批判、義士の臥薪嘗胆、忠義と潔さなど、物語を貫くテーマに、日本人は長く理解と共感を示した。今の時代には古臭いところもあるけど、元禄どころか明治、大正、昭和と、大石内蔵助は理想のリーダーのひとり。皆から慕われてた。

 最大の要因は、組織が目的を果たすプロセス。危機に瀕して人心が離れ、新たな目的を掲げひとつにまとめ、艱難辛苦を乗り越え到達する。その間に諸々のドラマがあり、それぞれに説得力がある。栄達で報われないところも、清々しさを与えるのだろう。

 ところが組織と個人の関わり方が大きく変化し、骨を埋める土壌を耕さなくなってから、忠臣蔵は遠い世界の物語のように思われてきた。組織は組織の論理で動き、個人は個人の都合で生きる。お互いに乖離することで、不利益を被っているとは考えない。

 忠臣蔵を成立させたのは、そこに暮らす人と風土の一体感。改めて組織を捉え直し、関わる人を幸せにしてるかを問い直す。その感性が鋭ければ、組織は個人を巻き込み活性化する。個人は組織を活用して成長する。忠臣蔵のおもしろさも復権するかな。

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2007年12月14日 (金)

背筋を伸ばして

 年明けの企業内研修の打ち合わせで、そぼ降る雨の中を渋谷へ急ぐ。お昼時だけど面倒なので、蕎麦屋へ飛び込み鴨南饂飩。期待してなかったのに、これが頗る旨い。鴨の脂は最適、葱が甘くて、汁も残さず平らげた。冷えた身体の芯が温められて嬉しい。

 先方の人事部長や課長と話してると、ついつい熱が入ってきて、やはり私は真剣勝負の場が好き。このところ舞い込む仕事も増えてきて、種を蒔いてる甲斐があるのかも。目の前の課題を一つひとつこなし、いつの間にか歳月が流れるのが一番良い。

 今年はいろいろあったけど、シフトを来年に切り換えて、準備を進めることに集中。世の中の動きを眺めながら、自分にできることを絞り込んで、質を高めていかなきゃ。営業研修が本流だけど、それ以外の仕事もあるし、新しい可能性を切り開けるかも。

 一年は長いから、予測通りにはならない。それがまた楽しいし、経験という財産になる。目の玉が黒いうちは生きてる。どう転がろうと心配ない。自分に歩く気があれば、お天道さまは付いてくる。わくわくする日が続いてるから、何が起きても大丈夫(だろう)。

 来る人拒まず、去る人追わず。自分の寸法に合わせ、ひたむきに磨き続ければ良い。わかろうとする人にはわかるし、わかろうとしない人にはわからない。要は自分自身に恥じるところがあるかないか。胸を張って正々堂々と、道の真ん中を歩くだけ。

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2007年12月13日 (木)

偽りの歳

 京都の清水寺の貫主が、毎年世相を表す漢字を一文字、墨痕鮮やかに揮毫するが、今年選ばれたのは「偽」に決まり、誰もがなるほどと納得するだろう。食品関係は枚挙に暇もないが、年金は年末まで新たな偽りが明らかになり、政党党首の辞任劇も前代未聞。
http://www.asahi.com/life/update/1212/OSK200712120062.html

 逆から捉えれば、今年は「真実」の一年。今まで隠されてた事実が明るみに出て、改めて検証を迫られてる。偽りとわかって捨てられるものばかりではないから、どのように切り換えるか、再び築き直すか、それぞれに決断して、当事者として関わるしかない。

 法令に違反したり、約束を守らなかったり、ルールを破った制裁は受けねばならないが、ルールそのものも適正かどうか問い直し、社会的なコンセンサスを得るのも大事。皆が納得できる緩やかな規範で、揉め事が起きないのが理想だけど、それほど簡単じゃない。

 同じ風景を見ているつもりでも、立つ位置によって目に映るものはまったく違う。ましてそこから何を読み取るか、一人ひとりが産まれ育った環境や価値観に影響され、同床異夢という現実も少なからず実在する。お互いがお互いをどれだけ理解できるか。

 大切なのは自分と人は違うとわきまえ、重なり合うところに目を向けること。すべてを同じにしようとするから、無理が生まれ不平不満が残る。私にとっての真実は、あなたにとって偽りかも。そこで切り捨てたら、誰とも握手できずに置き去りにされる。

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2007年12月12日 (水)

師走なんだね

 10日はさいたま市で研修機関と情報交換、氷川神社の大湯祭もあり、駅周辺は気忙しく小走りに急ぐ人たち。11日は市ヶ谷へ行ったけど、街路樹の葉は落ちて風に吹かれてた。ちょっと油断してるうちに、世間は歳の瀬を迎え、最後のひと踏ん張りに一所懸命。

 すぐに仕事と繋がらなくとも、種を蒔いておかなきゃ芽生えないから、私もせっせと汗を流してるけど、手応えがあるようなないような、決定力に欠けてるのかな。それでも昨年の今頃に比べたら、輪郭が浮かび上がってきた気分。何をやるべきかは迷わない。

 帰りがけにヒロタのシュークリーム、パッケージがクリスマス仕様。ケーキよりも妻が喜ぶので、ついつい選んでしまう。午後4時なのに夕暮れ、西武線の車窓をぼんやり眺めてると、薄墨色に街が染まっていく。淋しいと感じるか、穏やかに癒されるか。

 今年は喪に服してるので、歳末気分に背を向けてるのも事実。やるべきことをコツコツと進め、いつのまにか日常の流れに戻っていたら、一番良いのにと願ってるところがある。それでも皆の足取りが速いから、私もどこか落ち着かず、身を持て余してるかも。

 自宅に戻って紅茶を飲むと、昼間の喧噪から解き放たれる。しばらく訪れない街だと、風景が一変して驚かされたりするが、自分のテリトリーなら安心、いつもの空気が静かに漂う。穴蔵に籠もる習性なのか、沈思黙考が好きなのかも。人と会うのも好きだけど。

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2007年12月11日 (火)

親が悪い

 目黒区の医師宅で五歳の幼児がライフルを誤射、二歳の弟の右胸を貫通し死亡させた。父親が銃の手入れをしてる途中で、幼児二人を部屋に残して離れた。わが子に対する目配り、銃の危険に対する認識、ちょっと考えればわかりそうなものなのに、甘すぎる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071210ic03.htm

 銃の本来の目的は殺傷、それを忘れていなきゃ、弾丸を装填したままで、放置しないのは基本中の基本。人は壊れ物で、まして幼児とわきまえれば、近くで銃の手入れなどできないのが常識。自分のライフルを、自分で磨いてたでは済まされない。

 五歳といえば私の孫娘と同じだから、聞き分けられるようで実はわかってない。父親が触ってる物に興味を示すだろうし、遊び心に引き金に手を掛けた。その結果、弟を殺したのは自分と知る。成長しても消えない心の傷を、父親は深く抉って刻みつけた。

 親が子を育てるのは、人生を懸けた格闘。良かれと思ってやっても、子から反発を招くのは日常茶飯事。そのたびに自らを問い直して、革新し続けなきゃ親は務まらない。どれだけやっても不充分、それでもわが子が元気に成長し、笑ってくれたら報われる。

 どれだけ貧しくとも、力及ばずとも、親になるには覚悟を求められる。とことん自分の身を削り、世間からの責めを一身に受け、真意がわが子に伝わらなくとも、一人で巣立ち生きられるように全力を尽くす。それでいて子の個性を尊重し、私物化しちゃいけない。

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2007年12月10日 (月)

透明性の問題

 独立行政法人の常勤役員は、4割が国家公務員の天下り。これ以外にも社団法人やら公益法人やら、かなりの数の役人が要職に就いてる。抜本的解決はキャリア制度の廃止、現場からの叩き上げに道を開かなきゃ、国民生活に必要な組織まで存続を問われる。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071208it14.htm

 それぞれの組織に必要なのは、何をやってるかの具体的な説明。国民に話せない内容なら、どんな大事なことでも認められない。そのうえで収支関係を明らかにして、税金の使途を納得させること。人件費についてもお手盛りでなく、コンセンサスを得なきゃ。

 一所懸命に頑張ってるのは、どの世界の住人も同じ。それが社会に適応し、価値を生み出してるか。経済原則だけじゃなく、遠い未来を見据えて、国民生活に還元することなら、税金を注ぎ込むのも理解できる。評価するのは国民、だからこそ説得力を求められる。

 私たちに必要不可欠なのは、真偽を見分ける判断力。知名度が高いとか、名家の出身だとか、一流大学を出てるとか、外面に捕らわれずに言葉そのものを受けとめる。自分が置かれた立場を踏まえ、誰に託すれば未来が開かれるか。民主主義の根本に立ち戻ること。

 日々の生活が大変になり、弱い人が苦しめられ、一方では贅沢三昧に暮らす人がいる。それを怪しむのがバランス感覚。悪平等でなく、原因と結果をわかりやすくすれば、皆が納得して自らの人生をまっとうする。大切なことなら、きちんと説明するのが基本。

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2007年12月 9日 (日)

試行錯誤かな

 私が幼い頃は、電話機はどこの家庭にもあるわけじゃなく、火急の用件のときは隣近所から呼び出し。それぞれの家庭に引かれても茶の間が指定席、思春期の頃には友だちと電話するにも、家族に気兼ねしながら早々と切ってた。あくまでも緊急連絡用のツール。

 当時の若い人たちは、自分専用の電話など夢物語。ところが今では小学生まで携帯、いつでも自由にコミュニケーションを取れる。そうなると不思議なもので、通話するよりメールが便利、電車の中では皆が小さな画面に見入り、必死に指先を動かしてる。

 メールは文書を入力するから、途中で腰を折られないけど、お互いのコンセンサスも確認できない。一方通行の送受信が繰り返されても、当事者以外に指摘する人もない。カラオケと同じで、熱唱してるのは自分だけ、聞いてる人は上の空になりかねない。

 意志を伝えることはできても、受けとめられないのが昨今の風潮かな。筋が通らなくとも、辻褄が合わなくとも、それぞれに理屈を組み立て、アピールするのは上手になった。でも、キャッチボールにならないと、人間関係を築けないのは、今も昔も変わらない。

 どこかが進化すると、どこかが退化する。それが求められないものなら、必ず揺り戻しが起こるのも人の知恵。顔を合わせて話し、最後に握手して別れる。シンプルなプロセスが、これからは間違いなく重視される。バーチャルだけではリアルを呑み込めない。

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2007年12月 8日 (土)

ほいさっさ

 6、7日と静岡県の寸又峡温泉へ。私が中学生の頃に、金嬉老事件があって、借金返済を迫る暴力団員二人を清水のクラブで射殺、逃げ込んで籠城したのが寸又峡温泉。この事件は在日韓国人差別などの背景があり、当時はさまざまな角度から報道された。

 厚木から東名に乗り静岡で降り、カーナビの指示通りに運転したけど、行けども行けども山の中、お店どころか人家もない。温泉街で遅い昼飯、車を停めてウォーキング、吊り橋を渡り急な階段を昇り、息が切れそうになりながらも天気は快晴、空気がうまい。

 当日は温泉が出た感謝祭ということで、宿泊客にも熊鍋やら猪鍋やら鹿鍋やら大盤振る舞い、夕食を終えていたので甘酒をご馳走になり、赤石から来たという太鼓の妙技に聞き惚れた。温泉は柔らかな美人湯。露天に浸かってると時の流れを忘れてしまう。

 翌日は金谷を目指し別ルート、道も広いし立ち寄る場所もあり、のんびりほんわかドライブ。焼津に足を伸ばして海鮮丼、大トロに雲丹にイクラに手長海老、やはり贅沢は妻と一緒にするもの。富士川の道の駅でコーヒーを飲みながら、霊峰と紅葉を楽しむ。

 帰り道の渋滞で携帯電話が鳴って、ちょっと大きな仕事が飛び込んできた。歳の瀬を前にして勢いを付けてくれる。私と妻の旅は、いつでも弥次喜多道中。二人でいるから、些細なことでも嬉しい。なかなか遠出はできないけど、無理して時間をつくらなきゃ。

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2007年12月 6日 (木)

皆、大変なんだ

 ビジネス書の著者として活躍してた人から電話、旧知の出版社に新しい企画の件で相談したら、担当してた編集者は定年退職。面識のない編集者から内容に触れる前に、どのくらい買い上げられるか打診されたという。かなりご立腹のようで、愚痴を聞かされた。

 いろいろな背景があるけど、日本型経営の構図が崩れ、組織と個人の関わり方が違ってるから、売れ筋のテーマが変わってるのは事実。自費出版が盛んになり、それが書店にも流れてるので、数多くの出版社で、著者にリスク負担を求める傾向も強まってる。

 出版というメディアは、新聞やテレビなどのマスメディアに比べて、狭いところを掘り下げていく。私が出版社に勤めてた頃で、年間の書籍刊行は7万点、1日に200冊の新刊が出されてた。ロングセラーもたくさんあるから、新刊が店頭に残る確率は極めて低い。

 プログやらメルマガやら情報も溢れてるし、知名度の高い著者や話題になった本でなきゃ、なかなかお金を払って買う気になれないのかも。私にしても他人事じゃないが、目的は本にすることじゃなく、思いを伝えることだから、必ずしも本の形にこだわらない。

 先日刊行した8冊の営業テキストも、新しい形で伝えるためのひとつの試み。時代の流れに添いながら、言葉を発し続けるのが大事と思ってる。売れたら嬉しいけど、それだけが財産じゃない。道が閉ざされたら迂回路を探し、ひたすら前へ進むことしか考えない。

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2007年12月 5日 (水)

みたらし団子

 池袋で平松先生と会う。出版社に勤めてた頃に、著者と編集者として出会ってから15年、コンサルタントとしては大先輩。豪華な中華料理をご馳走になり、お互いの近況を語り合うと、中小企業診断士の資格を更新してないとのこと。いささか驚かされた。

 経営診断するにも指導するにも、資格の有無が必要になるケースは少なく、問題は本質をどれだけ見極めてるか。それはよくわかるのだが、せっかく取得した資格を返すこともないと思ったが、平松先生はもっと奥を見てるようで、かなりスタンスを切り換えてる。

 研修についても距離を置き、短期の研修は引き受けず、ひとつの企業とじっくり付き合う。よろず悩み事相談所と笑ってたが、胆が据わってるように見える。これからいろいろと仕掛けようとしてる私は、さながら駆け出しのような気分に襲われたのも事実。

 それでも共通するテーマは多く、語り合うとお互いにヒントを示唆される。どうすれば効果的な研修を実施できるか、考えねばならない宿題も持ち帰る。ときには先輩の話に耳を傾け、自分自身の足場を固めるのも大事。このタイミングで会えて良かったかな。

 帰り道に追分け団子、妻と二人で食べるのが楽しみ。お腹は一杯だったけど、このくらいのおやつが落ち着く。私は私の道を歩き、一つひとつ行動を起こし、思いを形にしていきたい。どこまで行けるかわからないけど、未だ道の途上で先は長い。

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2007年12月 4日 (火)

聖徳太子

 日本人の凄さは、神と仏を共に尊ぶこと。そう言われてもピンと来ないし、民主主義国家では信教の自由は保障されてる。しかしそれは、つい最近のこと。ヨーロッパの歴史は、宗教戦争の側面もあり、異教徒は徹底的に弾圧され、今も尻尾を引きずってる。

 日本でも信長の比叡山焼き討ち、江戸時代にはキリシタン弾圧、明治時代は廃仏毀釈、特定の宗教が権力の攻撃対象になったことはある。それでも日本人の心には、すべてを受け入れる土壌が耕されてた。その源泉は6世紀に仏教が伝来してしばらく経ってから。

 加持祈祷を持ち出すまでもなく、古来の宗教の目的は国家鎮護。唯一の神に身を委ねることで、国の行く末を誤らないように願う。国王などの後ろ盾によって、宗教の指導者は政治の指導者に優るとも劣らない地位を築く。その典型がローマ法皇かな。

 ところが日本では聖徳太子が、誰よりも積極的に仏教を広めながら、日本古来からの神々も同じように尊重した。十七条の憲法や随への書簡など、今の時代にも通じる先見性を表すが、とりわけ仏教に対する姿勢は、日本人の宗教観を決定づけたように考える。

 聖徳太子の実在に疑問を投げかける人もいるが、大事なのは私たちの祖先が柔軟性に富み、あらゆる可能性を肯定的に受け入れてた事実。私たちの遺伝子には、その文化が脈々と流れてる。その誇りを抱いて、どこかの誰かを真似ないで、日本人らしく生きたい。

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2007年12月 3日 (月)

素朴な疑問

 防衛省の守屋前事務次官と宮崎氏の癒着は、細かいところまでわかってきたようだが、素直に考えると素朴な疑問が残る。今までの国会で自民党は、防衛関係の資料を軍事機密として伏せてたが、どの兵器をいくらで買うかを決めたのは実は民間商社じゃないか。
http://www.asahi.com/national/update/1201/TKY200712010279.html

 業務に携わる段階で守秘義務契約は交わしてたにしても、内部では調査が進められ資料を作成し、会議の場では多数の人へ情報が伝えられる。どこまで軍事機密を保てるか、それぞれによほどの利権を与えないと、口に戸を立てられないと勘繰ってしまう。

 ちょっと考えればわかりそうなのに、それでも商社が介在してるのは、長年の慣習ということもある。引き継がれた段階でそうなってたら、深く考えずに踏襲してしまう。防衛省ばかりでなく、私たちの身近にも、いくらでも転がってる話だから恐ろしい。

 私たちが当たり前と考えてることの多くは、誰かに教えられて素直に受け入れたから。それが本当に正しいかどうか、合理的に判断できるかどうか、改めて検証する必要がある。教えられたことが正しくとも、間違っていても、自分の腹に落とすのが大事。

 防衛省は27万人の職員がいるそうだが、そのほとんどが判断機能を停止させてる。上からの命令を絶対視すれば、誰も事務次官への批判を口にしない。それは、防衛省だけに限った話なのか、一人ひとりが胸に手を当てれば、おのずと結論を導ける

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2007年12月 2日 (日)

景気の不透明感

 朝日新聞が全国主要100社に景気に対するアンケート。定期的に実施してるようで、前回調査は6月とか。そのとき16社が答えた足踏み状態は倍増の32社、まったくなかった緩やかに下降が5社、緩やかな回復が続いてると見方が多数派らしいのだが……。
http://www.asahi.com/business/update/1201/TKY200712010254.html  

 懸念材料のトップは、サブプライムの影響によるアメリカ経済の先行き。対米輸出が鈍化することで、国内の設備投資や生産の減速を招き、悪循環へ陥りかねないという声も。金融市場にも関わりがあるし、やはりアメリカがクシャミすると日本は風邪を引くのか。  

 その一方でアメリカに代わって中国などが台頭すれば、国際経済の活力は失われないと楽観視する人も。大手になれば世界が市場になるけど、それぞれに相手は違うし事情も異なる。私たちが関心を持つのは、それが庶民の生活にどう影響を及ぼすのか。

 経営者は時代の流れを読み、次の一手を誤らないように考える。大手企業の方針を中小企業は注視して、具体的な戦術へ落とし込むから、風が吹けば桶屋が儲かったりする。どこでどう繋がっていくか、他人事として扱えない背景があるのも事実。

 それでも自分の足下を確かめ、見えるものを信じて、着実に歩を進めていくのが大事。自分にどれだけの力があり、何ができるか。コアになるところを自覚して、状況に対応するフレキシビリティを養う。立ち止まったら闘えないのは、個人も組織も同じ。

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2007年12月 1日 (土)

垣間見た秋

 訪問先が浜松町のオフィスへ移転したので、モノルールの逆の出口とだけ聞いて、初めての場所へ迷い込んだ。JR浜松町の駅から芝離宮公園が見える。ここは、老中大久保忠朝が拝領した屋敷内に造成した庭園。後に紀州徳川家や有栖川宮家の邸宅になる。

 小糠雨に曇ってたけど、銀杏の黄色や楓の紅が鮮やかで、しばし見とれてしまった。少し歩けば竹芝桟橋、高層のビルに登れば東京湾を一望し、振り返れば東京タワー。風もなく穏やかな日だったので、風景の中に溶け込んでいく感覚。こうした時間が好き。

 仕事柄もあるけど、都内を歩く機会は多い。忙しければ地下鉄を乗り継ぎ、ビルの谷間を急ぐが、少し余裕があると、そこかしこに歴史の佇まい。築地から日本橋を抜け、浅草まで歩いたことも。路地裏に迷い込むと、小さな祠に出会ったりするのも嬉しい。

 どこの土地を訪れても、それぞれに歳月の重みを感じるが、東京は意外と狭い地域に、さまざまな仕掛けが準備されてる。若い頃は通り過ぎてしまったが、ゆっくり歩くと味わい深く、一つひとつに人の思いが宿ってるようで、いつまで経っても飽きない。

 仕事の合間に楽しみを見つけながら、少しだけのんびりできるようになったのも、50の坂を越えたからかも。ほっとする感覚を持てると、仕事に対しても前向きになれる。生きてるのは、やっぱり素晴らしい。些細なことの一つひとつが愛おしい。

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