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2007年9月22日 (土)

知性の暴力

 善人なおもて往生す、まして悪人をや。親鸞の『歎異抄』で有名な悪人正機説。悪人はなぜ、御仏に救われるのか。自らの罪を認めて、その業の深さに恐れおののき、すべてを御仏に委ねるから。人の醜さ、心の汚れと真正面から向かい合うから。

 性的欲求を満たすために押し入って、若い母親を強姦致死、幼い乳飲み子を惨殺、そこは動かせない事実。自らの罪を認めて、受け入れなければ、魂は永遠に救われない。言うまでもなく山口県光市の母子暴行殺人事件の最終審。被告は迷走し、闇の檻にいる。

 藁にも縋りたい被告の心情を弄び、被害者遺族の心を切り刻み、ついには警察当局の取り調べに異議を差し挟み、死刑廃止の主張を貫き通そうとする弁護団。荒唐無稽の作り話を捏造してまで、彼らが狙っているのは自らの正義を強引に認めさせること。

 人は人を裁けない。罪を憎んで人を憎まず。あらゆる人に更生の機会を与える。死刑廃止論は、頭ごなしに否定できない。だからといって事実をねじ曲げ、被告から改悛の可能性を奪い、自分の身を安全な場所に置き、デマゴギーを吹聴するのは許されない。

 メディアに顔を晒すことを恥とも思わない鉄面皮、彼らは地獄の業火に炙られても自らの罪に気づかないのか。法令の条文を解釈する頭脳は持ち合わせていても、人の心の痛みを察せられない輩が法廷に立つ。それでは誰も悔い改められない。被告も彼らの餌食。

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