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2007年9月30日 (日)

積み重ねる喜び

 たくさんの人を同時に振り向かせられずとも、一人ひとりと向かい合って心の底から納得してもらう。美女に囲まれ暮らさずとも、ひとりの人と歳月を重ねる。人にはそれぞれ価値観があるけど、私が好む生き方は時代遅れになってるのかな。

 成功か失敗か、勝つか負けるか、二進法の発想がトレンド。日本人は昔から、お互いの顔を立て、折り合いを付ける。ビジネスにしても、近江商人の三方良し、商人も客も世間も納得する落としどころを得て、初めて商いが成り立つ。金は天下を回っていた。

 情けは人のためならず、風が吹けば桶屋が儲かる、因果関係を諭した故事成句も多い。俄成金は卑しめられ、焼き討ちされても世間は知らぬ顔。喜捨しない分限者は、強突張りと蔑まれ身代を潰す。お上の政策とは別に、庶民は生きる知恵を身に付けていた。

 いつの頃なのか、皆が笛に踊らされるようになった。分別をわきまえず、身の程を知らず、浮かれる人ほど持て囃される。シッカリ土台を築き上げ、煉瓦を一つずつ積み重ねるより、絡繰り仕掛けで空中に虚像を映したほうが、木戸銭を稼げる世の中へ。

 それでも人は飯を食べ、糞をして寝る。雪が降れば寒いし、照りつければ暑い。生まれてから死ぬまで、誰もが道を歩き続ける。自分の人生を、他の人は背負ってくれない。旨い物を食べてる姿を見ても、自分の腹は膨れない。そこのところは同じだよね。

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2007年9月29日 (土)

ワーキングプア

 民間企業で働く人の平均給与は、9年連続減少で435万円。年収200万円以下の人は、42万人増えて1023万人、年収1000万円以上の人は、9万5千人増えて224万人。格差は間違いなく広がっているが、常勤者が減っているのも紛れもない現実。

 働きたくないのか、それとも仕事がないのか、世帯の働き手は一人なのか複数なのか、国税庁の調査ではそこまで捕捉できない。でも単純に考えて、働き盛りの人たちが収入を得られなければ、税制や社会保険の基盤も揺るぐし、市場での購買意欲も刺激できない。

 社会主義体制を受け入れられないのは、理念は兎も角として、歴史的に検証された実態では、一部特権階級に利権が集中し、一般庶民は決して幸せになっていないから。自由競争と称しても、同じような結果をもたらすなら、自分で自分の首を絞めることになる。

 それぞれの能力も違うし、努力の質や方法も異なるから、単純な平等が良いとは思わないけれど、皆が納得して幸せに暮らす常識的なラインはあるような気がする。ひと握りの億万長者を生み出すことが、日本という国にとって、どれほど意味があることなのか。

 一所懸命に働けば普通に暮らせる。そこを担保できなければ先進国じゃない。雇用形態、労働分配率、改めて問い直し、勤勉な日本を取り戻さなければ無法地帯。犯罪の発生率も減らない気がする。欧米を真似るだけが、日本人を幸せにすると思えない。

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2007年9月28日 (金)

郵政民営化

 讀賣新聞の社説に「郵政民営化」が採り上げられてた。去年の4月から今年の9月まで1年半、『郵政研究』という雑誌に連載し、特集記事も書かせてもらったので、それなりに思うところがある。小泉氏の執念が実るわけだが、それは本当に正しかったのか。

 郵便貯金と簡易保険については、民営化の趣旨を理解できるが、国民生活に最も密接に関わる郵便事業、採算ベースだけで判断したら、過疎地から郵便局が消えていく。全国一律に手紙や葉書を届けられる公益性を、私たちは失ってしまうかもしれない。

 宅配便業者にしても、過疎地については郵便局を頼ってる。経済原則以上に、地域のポータルとしての役割を、郵便局が背負ってる事実を、どれだけの人が知ってるのか。そうした地域に暮らす高齢者にとって、郵便局は外へ繋がる数少ない窓口。

 郵政族と称された政治家や、一部の高級官僚が、郵政事業を資金源として、私腹を肥やしてたのも事実だろうが、ここでも切り捨てられるのは、現場で働く郵便局員や、そこで暮らす一般庶民。人々に必要な場所が、いつまでも存続するのを願うばかり。

 経済を成長させるには、競争原理は必要不可欠。民営化によって加速されるのは間違いない。NTTが成功したように、郵便貯金や簡易保険は、ビッグビジネスへ成長する確率が高い。そこで郵便事業がどのように扱われるのか、企業組織の文化を問われる。

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2007年9月27日 (木)

木々に抱かれて

 打ち合わせの予定が流れて、仕事をすれば良いのだけど、久し振りに妻と智光山公園へ。曼珠沙華が咲き残ってるくらいで、紅葉には少しばかり早いし、人影もまばら、穏やかな空気だけが漂う。当たり前のように妻が傍らにいるけど、考えてみれば有り難いこと。

 華やかな世界も知らず、さしたる贅沢も覚えず、平凡な人生を歩んできたが、苦労だけは人並み以上。他の人に添い遂げていたら、もっと幸せになっていたかもしれないのに、文句一つ口にせず一緒に歩いてくれる。私の気ままを受け入れてくれる。

 威勢は良いのに弱虫だから、神さまが支え棒を授けてくれたのかな。たまに旅行したり、孫と遊んだり、この先に待っているのもささやかな楽しみ。穏やかな日々を重ねながら、老いていければ幸せなのに、私は波風立つ世界から離れずに、闘い続けようとしてる。

 曲がりくねった道を歩み、池の畔で小休止、薔薇園を抜け再び森の中へ。木々のそよぎが心地良い。しばらく閉じ籠もっていたので外気の爽やかさが肌に染みる。いくらか汗ばむのは夏の名残か。吹き渡る風にも、重ねた季節の記憶が刻まれてる。

 田舎者なのだからなのか、木々に囲まれた道を歩くと、ほっとするような気分。小一時間ばかりの散策で、仕事をやろうと思うから不思議。妻と繋がってることで、その先のたくさんの人たちと、安心して繋がれるような気もする。恵まれているんだろうね。

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2007年9月26日 (水)

秋の風に吹かれて

 朝夕はめっきり涼しくなり、陽射しも柔らかくなってる。このところ書き仕事に追われて、なかなか机の前を離れられないが、近くを散歩するときなど、季節の移ろいを肌で感じる。秋の日は釣瓶落とし、夕闇が迫るのもあっと言う間。食欲も湧いてきた。

 秋に生まれたからだろうか、この季節は心が落ち着き、気力が満ちてくる。人と会うのが楽しくなり、学ぶ意欲が旺盛になる。ひとつ歳を重ねるごとに、ほんの少しだけ成長して、改めて道が遠いと痛感し、それでも次の一歩を踏み出せる季節。

 書く仕事は手作業なので、自分の思いを形にしたくとも、遅々として進まない。苛立ちを抑えながら、これだけは伝えたいと、読む人の想像力に働きかける。改めて読み直すと、何のことやらわからない。それまでの作業を捨て去り、心を新たに向かい直す。

 こうした蓄積が力になってると信じたいが、伝わる人もいれば、伝わらない人もいるのは事実。一所懸命にやってるのは、自分を勇気づけるため。紡いだ言葉がどれだけ通じるかは、問うた後でなければわからない。借り物の言葉では誤魔化したくない。

 もう少しで宿題は半分終わる。別の宿題を片付けた後で、残りの宿題に取り組むから、終わる頃には冬の気配かな。頭を悩ませ、神経を研ぎ澄まし、それが成果に結びつけば良いのだけど、結果を恐れずにチャレンジして、絞り尽くした後に違う風景が開ける。

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2007年9月25日 (火)

共に生きる

 TVを眺めていたら、軽井沢で熊や猿の被害。私が訪れるような見慣れた風景に、野生の月の輪熊が出没してる。農作物を食い荒らしても、法の規制があるから地元の人は手を出せない。脅かして山へ戻そうとするが、熊や猿も学習して効き目は薄くなってる。

 熊や猿にしてみれば、エリアを侵したのは人が先だし、元々エリアという概念もない。周囲に食べるものがなくなれば、餌を求めて移動する。人が作った物なのか、自然が恵んでくれたのか、それを判断することもない。容易に手に入ればそれを口にする。

 加速させたのは、観光客などのエゴ。見た目が可愛いというだけで、後先も考えずに餌を与える。生き物と付き合うには、死に際まで立ち会うのが基本。通りすがりに触れ合うべきじゃない。飼えなくなったペットを、山中へ放棄するなど言語道断。

 スポーツフィッシングなどと抜かして、日本中の湖にブラックバスを放った輩もいる。生態系が崩れて、人の生活にも影響を及ぼしてるのに、後は野となれ山となれ。自分を中心に世の中が回ってると、思い込んでる人が多すぎないか。犬や猫が嫌いな人もいる。

 共生という言葉の響きは美しいが、前提になるのは厳しいルールを守ること。どのようなルールにするべきか、現状を踏まえて捉え直すことが必要。その前に、お互いが心地良く暮らすには、何をすれば良いか、何をしてはいけないか、きちんと考えなきゃ。

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2007年9月24日 (月)

政治家の常識

 自民党の新総裁は、予定通りに福田康夫氏。街頭演説など総裁選のパフォーマンス、自民党員と国会議員にしか選挙権はないのだから、一般大衆へは新総裁承認のアピール。そんなことをしても、自民党総裁であり内閣総理大臣が起こした辞任劇の事実は消えない。

 新総裁が最初にやるべきことは、所信表明でもなく、まして国会運営でもない。衆議院を解散し、安倍内閣の辞任を承認できるか、安倍総裁を選んだ自民党を許せるか、国民の信を問うこと。それぞれの代議士が、どこまで説明できるか、それを国民が納得するか。

 国会が空転してることもあり、さまざまな法案が山積してるのはわかってる。しかし、どれだけ国民生活に重要な法案でも、いや、重要な法案であればなおさら、根本的な理解を得てからでなければ通してはならない。そのくらい安倍総理の辞任は常識を逸脱。

 安倍さんに同情的な声も聞こえるし、人柄の良さも伝わってくるけれど、一国の総理が国会の開催中に職を辞して、国民の審判を仰がずに通り過ぎるとしたら、それこそ政治屋の手前味噌。民主党を筆頭に野党議員は、筋を通さない自民党を後付で認めるのか。

 政局とかいうレベルの話じゃない。来年の夏頃という話もあるらしいけれど、それは永田町だけで通じる政治家の理屈。政権を途中で放り出した時点で、国民の声を聞こうと思わないのか。頭をすげ替えれば、それで事態を収拾できるのか。私には理解できない。

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2007年9月23日 (日)

彼岸に思う

 赤い花なら曼珠沙華、彼岸花として知られている。隣町の巾着田が自生地として有名なので、この季節に何度も訪れているが、高麗川の清流を背景に、一面に咲き乱れる姿は流石に見事。曼珠沙華には、天上の花という説もあるらしい。

 春のお彼岸には牡丹餅、秋のお彼岸にはお萩、幼い頃はそれで済んでいたが、祖父母が逝き、妹が逝き、親しい友が逝き、そして孫までが逝くと、西方浄土を身近に思わざるを得ない。此岸と彼岸は結ばれているのに、逝った人たちは二度と再び戻ってこない。

 夏の終わりに、妻と娘と孫と巾着田に遊んだが、水車小屋の近くに大輪の蓮の花。和義はお釈迦様の胸に抱かれて、可愛がられているのだろうか。思わず涙ぐみそうになる。和義の幸せを祈るには、線香を手向け、手を合わせることくらいしかできない。

 まだ百日を少し過ぎただけなのに、遠い昔のような気もする。和義が、いきなり抱きついてきそうにも思う。私でさえこうなのだから、妻や娘や孫の心には、埋められない大きな穴が開いている。決して忘れられないが、歳月だけが傷を癒してくれるのだろう。

 いつも笑っている子だった。私に懐いてくれた。抱き上げると涎を垂らすのだが、それが今では堪らなく愛おしい。娘の香織と孫の愛を幸せにすることが、和義の遺志と信じてる。何かをしてやるのでなく、ただ見守って、いつでも抱きしめてあげる。

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2007年9月22日 (土)

知性の暴力

 善人なおもて往生す、まして悪人をや。親鸞の『歎異抄』で有名な悪人正機説。悪人はなぜ、御仏に救われるのか。自らの罪を認めて、その業の深さに恐れおののき、すべてを御仏に委ねるから。人の醜さ、心の汚れと真正面から向かい合うから。

 性的欲求を満たすために押し入って、若い母親を強姦致死、幼い乳飲み子を惨殺、そこは動かせない事実。自らの罪を認めて、受け入れなければ、魂は永遠に救われない。言うまでもなく山口県光市の母子暴行殺人事件の最終審。被告は迷走し、闇の檻にいる。

 藁にも縋りたい被告の心情を弄び、被害者遺族の心を切り刻み、ついには警察当局の取り調べに異議を差し挟み、死刑廃止の主張を貫き通そうとする弁護団。荒唐無稽の作り話を捏造してまで、彼らが狙っているのは自らの正義を強引に認めさせること。

 人は人を裁けない。罪を憎んで人を憎まず。あらゆる人に更生の機会を与える。死刑廃止論は、頭ごなしに否定できない。だからといって事実をねじ曲げ、被告から改悛の可能性を奪い、自分の身を安全な場所に置き、デマゴギーを吹聴するのは許されない。

 メディアに顔を晒すことを恥とも思わない鉄面皮、彼らは地獄の業火に炙られても自らの罪に気づかないのか。法令の条文を解釈する頭脳は持ち合わせていても、人の心の痛みを察せられない輩が法廷に立つ。それでは誰も悔い改められない。被告も彼らの餌食。

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2007年9月21日 (金)

世間は狭い

 仕事の打ち合わせで、初対面の人と会ったら、共通の知人がいてビックリ。話を進めていくうちに、依頼先の企業の顧問が、親しくさせて頂いているコンサルタントのようなので、またビックリ。ご縁って、繋がるようにできてるものなのか。

 しばらく会わない人から、久し振りにご連絡を頂いたり、疎遠になってる人から、アプローチを受けたり、そんなケースも増えている。消えたと思ってた話が、再び甦ることもある。いつどこで何が起こっても、不思議じゃないのが人生なのかな。

 それだけに油断大敵、誰にも見られていないはずなのに、周囲に筒抜けなのは日常茶飯事。だから私は、隠し事をしない。アリバイ工作ができるほど、器用じゃないと自分でわかってる。格好付けたところで、見たままだから、今さら二枚目も気取れない。

 風が吹くまま歩いても、種を蒔き続けていれば、いつかどこかで芽生えて、うまくすりゃ花が咲き、実を結ぶ。一日を精一杯に生きてると、何とか形になるような気もする。もっと欲張らなきゃいけないのかもしれないが、あんまり欲張らなくとも良いのかな。

 人と会って嬉しくなると、それだけで満たされる。私を必要としてくれる人がいて、声を掛けてくれて、幸せだよね。それで食べていけりゃ、それ以上に望むことはない。それよりも自分のテーマを掘り下げ、世の中の役に立つよう一所懸命になりたいな。

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2007年9月20日 (木)

自分を苛めない

 このところ若い人からのメールで、気になってしまうのは、頑張っている人、精一杯にやってる人が、自分で自分を追い込んでいること。日本人には謙譲の美徳というのがあって、それが人間関係を円滑にするのだが、過度になるとちょっと考えもの。

 優秀な人は、自分が優秀なことを知ってるし、目標も高いからなのか、常に足りないところに目を向ける。ハタから見れば充分にできてるのに、パーフェクトを目指すから窮屈になる。少しくらいの傷や汚れはあったほうが、味が出るとは思えないみたい。

 どんなに頑張ったところで、森羅万象を知り尽くせるものじゃない。どれだけ注意しても、間違えるときは間違える。向上心は大切だけれど、いつも緊張してたら息が詰まる。ときには自分を甘やかして、新鮮な空気を大きく深呼吸。気分を入れ替えなきゃ。

 私の場合は、そんなことばっかりやっていて、なかなか仕事が捗らないので、それはそれで問題だけど、足して二で割ると丁度良いのかな。自分に何ができるのか、きちんと捉え直して、等身大の自分を認めてあげると、随分と楽になるよ。

 足りないところはどうするのかって、周囲の人の力を上手に借りて、助けてもらえば良いじゃない。その代わりに自分にできることで、周囲に役立てばイーブンの関係。ひとりで抱え込まないで、泣きたいときは泣けば良い。胸ならいつでも貸してやるよ。

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2007年9月19日 (水)

熱闘8時間

 渋谷で人と会って近くの喫茶店へ、話し込むつもりだったので、静かな場所を選んだけど、気がつけば飯も食べないで8時間、携帯へのメールに気づかなければ、そのまま夜を徹しそうな勢い。ビジネスの打ち合わせでもないのに、私も私なら相手も相手。

 話していたのは20歳近く年下の女性、頭の回転は頗る速く、若い頃から全力疾走で生きてる。細い身体を張って、心を研ぎ澄まし、周囲に役立つように一所懸命。好きなことをやってるのだから、頑張ってるわけじゃないと言うけど、とても真似できない。

 私に比べりゃ若いから、気力と体力で乗り切ってるが、やはり窮屈な印象を受ける。自分の夢を追いかけてるし、毎日が忙しいこともあり、いくら時間があっても足りないのだろうが、私が勧めたのはバカになること、頭の中を空っぽにする一日を過ごすこと。

 この人に限ったことじゃないけど、精一杯にやり切ってる人ほど自分を甘やかさない。目指すレベルが高いから、少しでも気を抜く自分を許さない。無理をしてる自覚は薄いけど、それじゃ長丁場を乗り切れない。頑張ってる自分を認めてあげなきゃ。

 人生は短いけれど、一瞬で終わるものでもない。歳を重ねれば若いときのようにもいかない。適度に休んで、適度に楽しんで、そうしなければ追い詰められる。能力が高く、可能性に富んでる人は、社会に必要とされてるのだから、上手に自分を癒さなきゃ。

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2007年9月18日 (火)

爺さんになっても

 総務省の調べでは、日本で65歳以上の人口は2744万人、総人口の21.5%。80歳以上の人口は713万人、15歳から64歳までの生産年齢人口に対し、3人で1人の老人を支える計算。学校へ通う人を差し引くと、働き盛りの負担はさらに重くなる。

 もうすぐ55歳を迎える身としては、相互扶助も大切だけど、それ以上に重要なのは働ける環境。身体を動かせる限りは、自分で食い扶持を稼ぎたいのがホンネじゃないか。単に雇用機会を増やすだけでなく、年齢を問わずに働ける場をいかに創るか。

 経験も大事だけど、それが今の時代に活かせるものなのか、高齢者の自己検証はもっと大事。若いとか年寄りとか、そこに基準を置く発想を切り換えなきゃ。長幼の序なんか忘れてもらって結構。お互いにイーブンの立場で、ガチンコ勝負を挑めば良い。

 年齢だけじゃなく、身体が弱い人も含めて、働きたくとも働けない人には、元気で頑張れる人が手を差し延べるのは当たり前。制度の改善も必要だけど、その前に私たち一人ひとりが、目の前で倒れている人を助け起こす気があるかどうか。そこが問われてる。

 実際に65歳以上で働いてる人は510万人、5人に1人は現役ということ。一定の年齢を越えたらリタイアという図式じゃなく、死ぬまで働けたら幸せと思えるように、私たちが環境を革新しなきゃいけないよね。いつまでも働けるように頭の中を柔らかく。

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2007年9月17日 (月)

wizliとか

 初対面の人に勧められて、wizliというSNSに登録した。ビジネスに特化したというフレーズに惹かれて、無料という手軽さもあって、取り敢えず始めて、あまり効果がなければ抜けよう。そのくらいの軽い気持ち。なるべく手間が掛からないように設定。

 ビジネスSNSは、前に参加したこともあるけど、途中から有料へ切り替わるという話になって、その段階で抜けている。明らかな成果があれば別だけど、そうじゃないのにお金を払う気はない。何しろこちとら貧乏人、自慢じゃないがよけいな銭はない。

 もうひとつ考えたのが、リアルでお会いしているか、明らかにビジネスで繋がっているか、そこに絞り込む試み。mixiでは、お会いしていないけど繋がっていたい人も多いし、ビジネスの話ばかりしたくないし、大胆に切り換える気持ちはない。

 mixiは居心地は良いのだけど、それが仕事へ結びつくというものじゃない。ひとつには営業マンフォーラムの参加者が減ってきて、mixiで働きかけるのが違うような気もしてる。中途半端になるよりビジネスはビジネスと割り切り、移したほうが良いのかも。

 リアルにお会いしてる人、ビジネスで繋がっている人で、wizliに興味がある人はご招待します。自分に何ができるのか、そのチャレンジと位置付けたい。正直に言っちゃえば、3ヶ月後に私が抜けてる可能性もある。やってみなきゃ、わからないものね。

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2007年9月16日 (日)

留守の間に

 名古屋での企業内研修、2日間みっちり。疲れたけど充実感。現場の営業マンとのセッションは、やはり楽しいし、伝えたいことが伝わると嬉しい。研修に参加した人たちが、少しでも現場で活かせるように、私も真剣勝負だからおもしろい。

 その間に安倍総理の辞任、青天の霹靂、前代未聞、心身共に疲れてるなら、国会答弁中に倒れるくらいのパフォーマンスを見せてほしかった。国民不在の辞任会見にもビックリ。自分の夢のために日本を巻き込んだだけ。お坊ちゃんと言われても仕方ない。

 挙党態勢で推した総理の敵前逃亡に、選んだ自民党の責任は頬被り。福田さんが総裁になるみたいだけど、一連の事態に対して国民の信を問うのが最優先。国会を空転させた事実も含めて、国民はなお自民党に政権を託すのか。解散総選挙が筋じゃないか。

 政治の空白なんて言えた義理じゃない。どうして安倍総理を選んだのか、自民党員は選挙民に説明する義務がある。そのうえで国会へ送られるなら、正々堂々と与党を主張できる。新しい総理大臣を決めたら、安倍辞任劇の幕を引けると思わないこと。

 ちゃんとしようよ。自分たちの国なんだからさ。権力闘争なんてやってる場合じゃないでしょ。政治のことは任せておいて、それぞれが本業に打ち込めるよう、問題を整理しなきゃ。このまま総裁選の勢いで、何もなかったことにはできないんだから。

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2007年9月12日 (水)

人生の途上にて

 9月も中旬、虫の音に秋の気配、暑さも峠を越えたよう。今日も朝から書き仕事、ゴールまでの距離が遠いこともあって、ときおり妙に苛立ってくる。内へ内へと向かう意識が、押さえつけられるような圧迫感。いつものことだけど、持て余してしまう。

 しばらくぼんやりしてると、先々のことを考えたりして。気負っていても若くない。いつまで働けるやら、それより生きられるのやら、自分で決められることじゃない。杖をついて妻と寄り添い、黄昏れた風景を歩く姿を想像できない。もうすぐなのに。

 人の一生は長いのか、短いのか。それぞれに思うところはあるけれど、大事なのは後悔しないこと。だからといって悔やまない人生なんて、どこを探しても見つけられない。それならば今の自分を、ありのままに受けとめて、悔いが少ないように生き直す。

 もう随分と生きているのに、さほどのことを成し遂げてない。これからどれだけのことをできるのか、自分の思いだけでは世の中に通じない。支えてくれる人、助けてくれる人がいて、初めて自分の持ち味が活かされる。運もあれば、タイミングもある。

 坂本龍馬じゃないけど、志半ばで溝の中で倒れるにしても、前のめりになって死にたい。自分が自分であると、最期までわかっていたい。それだって、思い通りになるか、ならないか。やれるだけのことをやり切って、天に委ねるしかないのだろうな。

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2007年9月11日 (火)

名古屋へ行くよ

 今週の木曜と金曜は、名古屋の企業で社内研修。朝からの予定なので、水曜の夜から名古屋。その日は空けているから、名古屋近辺の人で、会いたい人がいたら連絡してね。泊まるのは名鉄グランドホテル。翌日は懇親会やら終日ギッシリ詰まってる。

 名古屋は営業マンの頃、ターニングポイントになった街。懐かしい人もいるけど、研修の前に訪れるのも憚れる。本当のことを言うと、プライベートでゆっくりしたい。足を延ばせば下呂に高山、志摩半島に三河湾、素晴らしいところばかりなんだよね。

 その前に進めたい仕事もあって、ここのところ根を詰めてた。少しお疲れ気味なので、朝から近くの日帰り温泉へ。雨が降ってたけど、そんなの関係ねぇ、オッパッピー。久し振りにサウナにも入って、身体中の悪いものを流し去る。少しはきれいになったかな。

 今、書き進めてるのは、営業マンを対象としたテキスト。研修会社から発行するので書店には並ばないが、読む研修というテーマもあって、具体的でわかりやすい実践版。かなりのものができそうと手応えを感じてる。これが終わると営業リーダー向け。

 私自身のマイルストーン、そんな予感がしている。1冊40ページくらいで、4冊でひとつのシリーズ。薄いけれど8冊を2ヶ月で仕上げるからハード。でも、ここをベースにすると、営業を拠点に幅広く展開できる。チャンスを与えてもらったことに深く感謝。

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2007年9月10日 (月)

罪の意識

 自民党の衆議院議員の宮路和明氏、二重計上が発覚したとのことだが、社会保険庁などの官公庁、NHKなどの大企業を引き合いに出して、ミスはどこにでもあり、それらに比べれば微々たるものと発言。正直に言って、宮路氏が誰なのか印象は薄い。

 他人がやっているから、自分がやっても許される。確かに今の時代風潮。論理を飛躍させれば、人の物を盗んだって、殺す人もいるのだから、それに比べたら小さなこと。山奥にクーラーや冷蔵庫を放棄する心理とも似ている。悪いのはボクだけじゃないやい。

 どうして恥ずかしいと思わないか。天網恢々疎にして漏らさず。日本人は誰の目に触れずとも、自分の心に恥ずべきことをしない。白日の下に晒されたら、嗤われることを何よりも恐れる。開き直ることはなく、潔く自分の身を処するのが日本人。

 公のために尽くすと自ら名乗り挙げ、公金や寄付金を預かる立場なら、素直に頭を下げるのが最初にやるべきこと。こうした人を選んでしまった鹿児島の人たちが、誰よりも恥ずかしいと肩身の狭い思い。そうした人たちに対しても、申し訳ないと思わないんだ。

 私たちにも他山の石、わが身を振り返らなきゃ。このくらいならと、感性を麻痺させていないか。罪の意識は倫理的なブレーキ、社会の混乱の防波堤。自分を大切にするのと、甘やかすのは、根本的に違うこと。その辺りから問い直さなきゃいけないのかな。

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2007年9月 9日 (日)

同盟国か属国か

 秋の臨時国会での焦点はテロ特措法の延長。自民党は国際的な使命を果たすのに必要と主張するが、民主党の国連決議に基づかない自衛隊の派遣を認めないとするほうが、筋が通っているような気がする。アメリカに従うことが、必ずしも正しいとは言い切れない。

 日本は戦争に負けて、連合軍に支配されたわけだが、実質はアメリカ軍で、他の国は進駐していない。全国に米軍基地が置かれ、日米安全保障条約で正当化され、それ以来日本はアメリカの核の傘の下に守られていることになっている。誰から日本を守るのか。

 冷戦状況のときなら、共産主義の防波堤。でも、そのときだって米軍基地がなければ、日本はソ連や中国の攻撃対象にはならない。まして今の時代、ロシアや中国が日本を攻めないのは、米軍基地の有無に関わらないのでは。すべてアメリカの国益のためだけ。

 アメリカにすれば日本が経済的成長を遂げたのも、あらゆる面でアメリカが支援したから。恩返しを求めるのは当然の権利。アメリカの戦争に人的、経済的に支援できるように育ててきた。今の世界を支配しているのはアメリカ、それに従うのが国際貢献。

 やはり無理な論法、イラクにしても、アメリカの論理は破綻している。開戦時に真っ先に支持したのが小泉政権。その延長線上にあるのがテロ特措法、実際に給油された艦船はイラクや中近東へ。自衛隊派遣が必要なら、国連決議の手続きを踏むのが道理。

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2007年9月 8日 (土)

二天一流

 『五輪書』を著した宮本武蔵は、天下の剣聖として名高い。戦国の末期に生まれ、数多くの果たし合いに勝ち続け、名を知られるようになったが、大名になる夢は果たせず、細川家の食客として晩年を過ごす。宮本武蔵の生涯は本望だったのか。

 吉川英治氏の小説が読まれ、ストイックで純情な求道者のイメージが定着してるけど、『五輪書』を読むとかなりしたたか、勝つためには手段を選ばず、目的のために細心の注意を払う。経営者が愛読する理由もわかるような気がする。勝つための指南書。

 斬り結ぶのが侍なら、宮本武蔵を無視できない。しかし泰平の世に必要なのは、剣によって相手を倒すことではない。このジレンマが宮本武蔵を苦しめた。剣の道は武士にさえ求められない。敬して遠ざけられ、書画をたしなむ日々に命の炎を燃やす。

 宮本武蔵が『五輪書』を書き遺したのも、人に読ませるためでなく、自らの人生の軌跡を刻み込みたかったから。武蔵だけの真実が行間に滲み出て、四百年の時代を経て私たちの心に伝わる。世の流れに関わらず、信じるわが道を極める他に道はない。

 どう生きるか、歩き始める前なら道は無限に広がっているが、歩き進むに連れて少しずつ狭くなる。五十年も生きると、他の道を選ぶのが恐くなる。そのときに大胆に切り換えられるか、伊能忠敬のような人生もある。先人の教えをどう読むかはそれぞれ。

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2007年9月 7日 (金)

橋下さん頑張れ

 テレビでお馴染みの橋下弁護士、軽すぎて二枚目で、あまり好きじゃなかったけど、山口県光市で起きた母子強姦殺害事件の弁護団のうち4人から、懲戒処分請求を煽り業務を妨害されたと提訴された。橋下氏は会見を開いて全面的に争うと明言。

 死刑廃止論者か何かは知らないが、あの事件の弁護団は鷺を烏と言いくるめる手法。お母さんのように甘えたくて、抱きしめたら死んでしまった。今までは自分の罪を認めていた被告に、荒唐無稽の陳述を誘導し、被害者だけでなく法廷を侮辱した。

 明らかな有罪を無罪にすれば、有能な弁護士と呼ばれるのか。誰が見ても売名のパフォーマンス。憤りを感じた人は多いけど、どうすれば抗議できるかわからない。橋下氏はその背中を押しただけ。弁護士に対し、誰でも懲戒請求できるなんて、知らなかった。

 業務に支障を来したと言うが、事実をねじ曲げてまで死刑を免れようとする論法は、社会に対する挑発に映る。世の中に害を及ぼす人たちを排除しようとするのは、健全な市民の自発的な行動。自業自得と思えないのは、世間一般の常識と乖離してるから。

 被告を弁護するのは構わないが、目的は被告の主張を守るため。途中からしゃしゃり出て、今まで確認されたことを覆し、耳障りな暴論で法廷を混乱させるのは、自分を大きく見せたい卑しい品性。自分自身に問い直すことが、橋下氏を提訴するより先だろう。

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2007年9月 6日 (木)

正義の鉄拳

 横浜で、電車内で悪ふざけしていた高校生を、私服に着替えた警官が注意して、それが行き過ぎて平手打ち。酒を飲んでいた。千葉では万引きを問い詰めて、スーパーの店長が男を殴り殺す。何れも逮捕されてるが、どれだけ罪の意識があるのか疑問。

 やって良いこと、悪いことの区別は、難しい議論をしなくとも明らかにある。電車内で騒いじゃいけないし、店頭に並んでいる品物を盗んじゃいけない。だからといって正しければ、何をやっても許されるのかといえば、それはちょっと違うんじゃないか。

 世の中の流れは勧善懲悪、わかりやすいほど袋叩き。罪を憎んで人を憎まずなんて、もはや死語になりかけてる。だけど盗人にも三分の理、どれだけ明白な罪でも、面倒でも手続きを踏んで、公正に裁くのが社会の掟。その結果に誰もが納得するわけじゃない。

 それでも再び意見を主張し、議論を闘わせ、決まったことには従う。抜け道もあるし、詭弁が通ることもあるし、ルールそのものが間違っていることもあるし、苛立つことが多いのは事実。だからといって正義の鉄拳を振るったら、その段階で自分の負け。

 古臭いかもしれないが、自分の立場を鮮明にする。言葉が足りずに認められなきゃ、力不足と出直すしかない。人の陰に隠れて石は投げない。自分で責任を負えないことには関わらない。皆が初心に戻れば、世の中はもう少しわかりやすくなるような気がする

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2007年9月 5日 (水)

茶番劇みたい

 社会保険庁と地方自治体が、年金を3億4千万円着服。警察に届け出ない分もあって、氷山の一角らしいから、白昼堂々の詐欺。桝添厚生労働大臣は、横領した自治体職員の処分の詳細などの調査を増田総務大臣に要請。なかなかやるもんじゃないか。

 そんな風に思ってたら、厚生労働省を退官した辻氏と、前の社会保険庁長官の村瀬氏が、厚生労働省の顧問に就任したという。村瀬氏は社会保険庁の最高顧問にも就任。刀折れ矢尽きて国民の前で責任を取ったと思ったら、しぶとく甘い汁を吸える立場に復職。

 政府の行政改革推進本部から要請されていた独立行政法人の整理合理化計画案も、省庁からの提案では廃止も民営化もゼロ。一部手直しは認めるが、天下りの受け皿は手放さない。増税を検討するほど財政が逼迫してるなら、スリムにするのが国民の常識。

 筋を通さなくしてるのは国務大臣、人事権を握っているなら、厚生労働省のような人事をまかり通さないこと。やっぱり自民党じゃダメなんだ。役人の言うがままに従っちゃうんだ。正直な感想。蜥蜴の尻尾切りみたいに大臣が辞めたって、本質は変わらない。

 税金は年貢じゃなくて、国民からの預り金。働いただけの報酬を得るのに文句はないが、政治家と官僚が山賊みたいに、奪った金を山分けするのは時代錯誤。いつまでも改めないと、そのうち暴動が起こるかも。手前味噌の法令では、国民を納得させられない。

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2007年9月 4日 (火)

30年前の扇風機

 近頃テレビを眺めていると、企業のお詫びCMが目立つ。PL法もあるので一概には言えないが、企業は製造責任をどこまで負えば良いのか、疑問を抱くケースも少なくない。30年前の扇風機に不具合が生じたとか、どれだけの人が今も使ってるのだろうか。

 買ったときには新品ピカピカでも、使っていけば劣化する。それは公的にも認られめるから、10万円以上の製品には減価償却を適用される。資産の価値は使用と共に目減りする。少し高めの扇風機にしても、30年も使えば元は取れたと思ってしまう。

 皆が皆、裕福ではないのはわかっているし、私もお金を持っているほうじゃない。わが家にも使いこなした道具がたくさん。妻が嫁入り道具に持ってきた箪笥や鏡台も健在。それでもダメになったらあきらめて買い換える。永遠に使えるものなんてありゃしない。

 一番ガタが来てるのは自分自身、55年も経ったら仕方ないよね。だからといって製造元に、クレームを付けるわけにいかない。何しろ向こうは85年、言われたところで責任を負えない。こちらにしても無茶な使い方をしてきたし、手入れも良くはなかったし。

 企業の競争力を懸念するなら、責任範囲を明らかにするのも大事じゃないかな。不正や手抜きは許せないけど、技術力の限界もあるだろうし。専門家には別の意見もあるだろうが、素人目には行き過ぎのように映る。消耗戦のようで明日の展開が見えない。

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2007年9月 3日 (月)

9月がスタート

 今月と来月で、薄いテキストだけど8冊を仕上げる。研修もすでに5日間が埋まって、今週中にさらに増える予定。急に忙しくなったけど、どこまでやれるかチャレンジ。頭の中は朝から晩まで営業のことばかり。やるからには影響を及ぼす成果を目指す。

 営業の仕事はコミュニケーションが基本なので、基本を踏まえて力を蓄えれば、どんな仕事にも応用できる。アナログからデジタルまで扱う範囲も広いが、人と人が関わって仕事の価値を生み出すのは同じ。小手先の手法では、人の心までは動かせない。

 インターネットで情報を発信するだけでも、マンパワーで攻勢を掛けるだけでも、思い通りの結果をもたらさない。その事実が経営者にもようやくわかってきたみたい。人は教えなければ育たない。精神論だけでも技術論だけでも片翼飛行。

 知識を与えるだけでも、経験を伝えるだけでも、営業現場ではピンと来ない。心構えを説いても、自分の問題と気づかなきゃ、良い話を聞いたでオシマイ。何を教えるかも大事だけど、どう教えるかに苦労する。独り善がりじゃ意味ないもんね。

 そのプロセスで私自身も成長できるのだから、心から喜ばなきゃいけないね。引き続きの仕事もあるし、問い合わせもあるし、どう整理してクオリティを高めるか。試されるような気もする。それでも自分自身が選んだ道、力尽きるまで走り抜けなきゃ。

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2007年9月 2日 (日)

もう辞めたら

 農林水産省は、安倍内閣の鬼門なのか。松岡氏、赤城氏と、不透明な資金の流れを追求され、有耶無耶のまま幕引き。人心一新と意気込んでみたものの、新任の遠藤大臣が代表を務める団体で不正受給。その組織から自民党山形県支部に献金。またかよ。

 明るみに出たら、お金を返せば済むという問題じゃない。遠藤大臣は当事者じゃないので、大臣を辞任しないと公言してるが、それなら団体の代表はなぜ辞めるのか。自分の置かれた状況がわかっているのか。潔く身を処さないと、内閣そのものが瓦解する。

 自民党ではこの夏、各議員の修正申告が相次いだ。世間の批判に晒された泥縄の印象も受けるが、それでも改めてやり直す意志を表すなら、政界の浄化に繋がると期待した。その後に出てきたのが玉村氏の五重伝票、紛れもなく計画的犯罪とわかる。

 どれだけ優秀な人材だとしても、過去に実績を積み重ねたとしても、国民の目を掠めて私腹を肥やす人を、国会へ送り込んではならないと、普通の常識を備えている人なら考える。自民党は高学歴の夜盗の群れなのか、自分らがつくった法律を楯に居直るのか。

 臨時国会を開く前から、傷つき汚れた内閣を誰が信任できるか。美しい国は安倍総理のファンタジー、現実に裏打ちされなきゃ単なる妄想。早急に衆議院を解散し、自民党が政権を委嘱されたなら、安倍さん以外の人を首相に任命するのが筋じゃないか。

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2007年9月 1日 (土)

関東大震災

 1923年のことだから、祖父母から聞いたり、本を読んだり、本当のところはわからない。現地にはいなかったけど、阪神淡路大震災のほうが、はるかに鮮明に記憶に刻み込まれてる。当時は東京で暮らしてた祖父母によると、さながら地獄絵図が繰り広げられる。

 浅草に十二階という建物があって、東京の人にとっては大阪の通天閣に近いシンボル。それが燃え尽きたのが衝撃。他にも丸ノ内のビルディングや数多くの官公庁が焼失し、死者、行方不明者は10万人以上、避難者も200万人近くの天変地異とのこと。

 朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマで、数多くの在日朝鮮人、韓国人が虐殺された。ラジオ放送もない時代だけに、パニック状態の大衆が、風評に突き動かされて鬼になる。大杉栄、伊藤野枝の夫婦が憲兵隊の甘粕大佐に殺されたのも、この混乱に乗じて。

 自然災害の脅威だけに思いを馳せず、戦前の闇をシッカリと胸に刻み込む。東京の復興は東京市長、後藤新平らによって成されたけど、失われたままのものも決して少なくない。私たちは平和に暮らしてるけど、100年前の日本はそういうわけにいかなかった。

 太平洋戦争も含めて、たくさんの先人たちが犠牲になり、そして骨身惜しまず努力して、今の私たちの生活がある。素直に感謝して手を合わせたい。それに報いるためには、私たち一人ひとりが尊重され、お互いに助け合い、穏やかに生きられる日本にすること。

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