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2007年7月24日 (火)

朝に道を聞きては

 孔子が夕暮れまでの時間を欲したのは、真実を書き遺すか、口頭で弟子に伝えるか、どちらにしても自分で抱え込んだまま死にたくはなかった。真実というものがあるかどうか、孔子は求めて流離い続けたのだから、そう簡単に手に入れられないとわかってた。

 それでも道を極めようとしてれば、突然にすべての疑問が解けることがある。鬼神に頼らない孔子だから、それは天から降ってくるものでなく、誰かに授けられるものでなく、自分自身の足跡の先に光明のように注がれると、きちんと知ってたに違いない。

 そうは言っても孔子と違って凡俗だから、義には暗くて利益に明るい。目に見える結果を確かめられないと、次の一歩を躊躇ってしまう。本当はひたすら突き進んで、評価は他人に委ねれば良い。孔子は、慎ましく暮らして、失敗する人は少ないとも言ってる。

 久し振りに『論語』を捲ったが、やはり孔子は凄いやね。だけど金持ちになれないのも確か、孔子より頭が下がるのは、子路をはじめとする弟子たち。豊かに暮らせないとわかりながら、それでも生涯を捧げて師事。これだけの覚悟を、私は持てるだろうか。

 もっと謙虚にならなきゃ、一日に三度も反省できないけど、ときどきは自分自身を問い直し、人のために尽くしたかを考えよう。生まれたら死ぬのは、今も昔もまったく同じ。大事なのはその間に、どれだけ贅沢したかより、柩の蓋を閉じるとき満足できるか。

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