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2007年6月27日 (水)

宗教心について

 宗教は人民の阿片、若い頃の私にはマルクスの言葉が重かった。死後の世界など、誰も見てないのに信じない。人は死ねば、それっきり。合理的に考えればそうなるのだが、一方では道元や親鸞に心惹かれて、仏教の入門書など読み漁ってた。

 今でも基本的には無宗教、実家は日蓮宗の檀家で、だからといって仏教徒ではない。正月には神社に初詣、仏壇には線香を供えて手を合わせ、教会を訪れても頭を垂れる。私が死んだら、どこかのお寺に葬られて、お経を上げてもらえるのだろうが……。

 死んだ後のことはわからないが、人智を越える存在はあるように思う。それは自然なのか、それとも仏神なのか、少なくとも今を生きる私にとって、傲らないように戒める存在。受け入れない現実が起こっても、それを受け入れて生きるように諭す存在。

 天の邪鬼なのだろうか、どれだけ立派な教義でも、押しつけられると反発する。学生運動華やかなりし頃も、皆がマルクス、エンゲルスと唱えると、クロポトキンやバクーニンの説に耳を傾けた。そうした点では日本の仏教の高僧は、穏やかにやさしく語りかける。

 人がどう生きるべきか、指針を求めるときにも、仏典は文学に似てわかりやすい。それは日本人としての生活様式が、私の肌に馴染んでいるからなのか。輪廻転生はなくとも、人生の穢れを少なくして、周囲の笑顔に仕える道を歩みたい。

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