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2007年6月 7日 (木)

大宮へ

 妻が預かってきた香典返し、今日は親戚へ届けなきゃ。義理の姉は蓮沼、16号を一直線。久し振りの訪問になるが、長居する気になれない。途中で昼飯を食べたが、妻の食は細いまま。それから妻の実家へ。ここは生まれたばかりの赤ん坊が居るので、挨拶のみ。

 私の実家へ寄ったが、実を言うと両親は、娘と同じことを経験してる。生後一年の長男を、肺炎で失ってる。私が生まれる前のことだから、詳しくは聞いてないが、悲痛な心情は想像できる。父の口から、会社の帰り道、毎日念仏を唱えていたと初めて聞く。

 「心が言えるまでに半年か一年」、私の言葉を耳にしたとたん、母は五十年経った今でも、赤ん坊姿の兄を思い出すと応える。忘れることなんかできない。それが本当のところだろうな。両親が涙ぐんできて、退散するしかない。最後は義母を見舞わなきゃ。

 妻のことをわかってるのか、92歳の義母は体調は良好そうで、頬にも肉がついてきた。握る両手が力強くなってる。生命の灯火が盛んになってると、やはり嬉しくなる。我が儘なのかもしれないが、身内の健やかな日々を祈らざるを得ない。妻も少し微笑む。

 川越辺りで突然の雷雨、お役は果たしたから、あまり気にならない。娘から妻へのメールで、四十九日の場所と時刻。こうした決まり事は、故人と繋がりながら、遺族が日常へもどるための儀式。そこで肩を抱きながら、共に背中を震わせる。いつまでも続く。

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