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2007年6月30日 (土)

職業倫理って

 酷いもんだ。山口県光市での母子殺害事件、最高裁から差し戻され、広島高裁で争われてるが、弁護団の荒唐無稽な茶番劇。七年間の審議を経て、本人自筆の書簡や証人など、明らかに積み重ねてきた事実を全否定。被告人の心の中まで捏造しようと企てる。

 何が狙いなのか。メディアに露出することで、ビジネスチャンスを広げたいのか。死刑廃止のキャンペーンなら逆効果、死者を侮辱して、遺族の心を逆撫でして、お伽話の世界を装っても、天網恢々疎にして漏らさず、真実は被告人の心から消えない。

 何が何でも彼を死刑台へ送りたいわけではないが、延命のためなら形振り構わず、幼い無垢な魂を演じる被告人が、痛ましく哀れにさえ思う。弁護団に教えられた筋書き通り、必死に道化を演じるほど、人々の心は彼から遠く離れていくのに気づかない。

 それより卑劣なのは弁護団。彼らにとって被告人さえ道具。優秀な大学を卒業し、難しい司法試験に合格し、世間から信頼されるべき立場なのに、恥じることなく独善的な主張を貫こうとする。弁護士の資格を有してれば、法廷での与太話まで許されるのか。

 どのような罪を犯しても、被告人は法廷で裁かれる権利を持ち、弁護人は被告人の立場で争える。しかしそれは、鷺を烏と言いくるめることでなく、あくまでも事実に対する解釈。司法に対する信頼を揺るがしたら、私たちは安心して暮らせなくなる。

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2007年6月29日 (金)

人としての器

 豪放磊落、清濁併せ呑む。ひと昔前の経営者は、在るべき姿を追い求めた。山岡荘八氏の『徳川家康』がベストセラーになり、中国古典を紐解くのは一流の経営者の常識だった。これは高度経済成長期だからでなく、明治時代の経営者でも同じこと。

 日本の資本主義を形づくった第一の功労者、澁澤栄一翁には『論語と算盤』という著書もある。マックスウェーバーの『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を挙げるまでもなく、企業を経営するのは人の道を極めるのと近しいものだった。

 今どきの世の中では、目端の利くのが大事で、お金の匂いを嗅ぎ取るのに優秀な人が持て囃される。古典に対する素養など、誰も問題にしてない。人がやってない分野に、最初に踏み込めば成功者。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い浮かべる風景。

 チャンスを活かすのは当たり前だが、それから頂上まで登るにはサポートが必要。それを忘れて自分の手柄ばかり吹聴し、共に歩く人たちに分け前を与えない。天網恢々疎にして漏らさず、人と人の世の中でいつまでも栄華を保てないでしょ。そんな気がする。

 古臭いかもしれないけど、人としての器について、少しは考えたほうが良いような。時代を取り巻く環境がどれだけ変わっても、人と人が仕事を創り社会を営み、基本のところは同じじゃないか。自分には、どれだけ多くの人を受け入れる器があるのか。

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2007年6月28日 (木)

ルール違反

 社会保険庁は言うに及ばず、ミートホープやグッドウィル、何をやってんだか。国民の怒りの矛先が向かうのは当たり前、でも、私たちはどうして怒るのか。年金については、一人ひとりが当事者だけど、それ以外は直接関わってなくとも腹を立てる。

 確かに法令に違反して、人を欺いてるわけだけど、私たちだってそれほど清廉潔白じゃない。ハンドルを握れば速度オーバー、駐車違反、見つからない程度のルール違反は日常茶飯事。大事と小事の境界線は引きにくい。メディアのバッシングで尻馬に乗るのか。

 ルールそのものが適正なのか、現状に適応してるのか、異論を求めれば噴出するに違いない。ソクラテスは悪法も法と説き、自ら毒の杯を仰いだが、私などは自主的に切り分けてしまう。赤信号でも車を目視しなければ、渡ってしまうことだってある。

 でも、それってやっぱりいけないよね。自分の身体能力を過信して、事故に遭うのは自業自得だけど、車を運転する人に迷惑を掛ける。ルールが間違ってるなら、改めるのが先だよね。どうのこうの言っても、ルールを決める人たちを選んだのは私たち。

 不祥事に対して怒るのは結構だけど、自分自身の責任についても少しは考えたい。自分の意見が通らなくとも、皆で決めたことなら従わなきゃ。それで納得できないなら、本気で取り組むしかない。観客席で野次を飛ばしているうちは、ゲームに参加できないし。

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2007年6月27日 (水)

宗教心について

 宗教は人民の阿片、若い頃の私にはマルクスの言葉が重かった。死後の世界など、誰も見てないのに信じない。人は死ねば、それっきり。合理的に考えればそうなるのだが、一方では道元や親鸞に心惹かれて、仏教の入門書など読み漁ってた。

 今でも基本的には無宗教、実家は日蓮宗の檀家で、だからといって仏教徒ではない。正月には神社に初詣、仏壇には線香を供えて手を合わせ、教会を訪れても頭を垂れる。私が死んだら、どこかのお寺に葬られて、お経を上げてもらえるのだろうが……。

 死んだ後のことはわからないが、人智を越える存在はあるように思う。それは自然なのか、それとも仏神なのか、少なくとも今を生きる私にとって、傲らないように戒める存在。受け入れない現実が起こっても、それを受け入れて生きるように諭す存在。

 天の邪鬼なのだろうか、どれだけ立派な教義でも、押しつけられると反発する。学生運動華やかなりし頃も、皆がマルクス、エンゲルスと唱えると、クロポトキンやバクーニンの説に耳を傾けた。そうした点では日本の仏教の高僧は、穏やかにやさしく語りかける。

 人がどう生きるべきか、指針を求めるときにも、仏典は文学に似てわかりやすい。それは日本人としての生活様式が、私の肌に馴染んでいるからなのか。輪廻転生はなくとも、人生の穢れを少なくして、周囲の笑顔に仕える道を歩みたい。

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2007年6月26日 (火)

モラルの根拠

 欧米や中近東では、絶対神への信仰が篤く、聖典に記された規範が、多くの人の心に宿ってるが、日本人は神仏混淆で、特定の教典がスタンダードになってるわけじゃない。だからといって宗教心が薄いということでなく、歴史的にも謙譲の美徳を備えてる。

 それでも自らの人生を、神との契約とは位置付けてない。気にするのは世間の目、自分の言動がどう受けとめられてるか、人の噂や評判に耳を傾け、後ろ指を指されないようにする。江戸時代の石門心学や三方良しの発想が綿々と受け継がれてる。

 こうした社会が成り立つには、個人と社会の結びつきがわかりやすくなきゃ。社会といっても地域であったり、職場であったり、個人が日常生活を営むうえで、具体的に関わってくる空間を踏まえた意識。そこでの規範がルールとして自覚されるのが普通。

 ところが移動距離が長くなり、価値観も多様化してくると、お互いを裸眼で捕捉できない。小さなグループが乱立し、それぞれが独自にルールを定めれば、全体的な整合性は取れない。ましてグループの利益を全体より優先させれば、百家争鳴は当たり前。

 お互いに気持ち良く暮らすために、モラルを必要としてるなら、接点がない人の迷惑など考えずとも、それなりに毎日を楽しく過ごせるというわけ。それが自分で自分の首を絞め、世間を狭くすると気づくには、お互いが繋がってることを、どこかで見つけないと。

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2007年6月25日 (月)

コンプライアンス

 法令遵守と社会的要請への適応。企業の社会的責任を問われる時代に、改めて突きつけられてるみたいだが、モラルハザードとも密接に関わって、実のところ悩ましくも根が深いテーマ。第三者の目で見れば当たり前のことが、当事者同士ではそうとも限らない。

 組織を運営するには権限を委嘱して、特定の個人に決断を任せるのが通例。あくまで業務を推進するための機能だが、パワーバランスが偏ってくると、コミュニケーションにも影響を及ぼす。社会的要請を背景に正論を主張しても、力が伴わないと通用しない。

 悪いとわかっていて、手を染める確信犯は少なくて、置かれた組織の環境や風土で、結果としてコンプライアンスに違反する。世間一般の常識より、自らを利する選択肢を優先し、無理矢理にでも許容範囲内と思い込む。それくらいのことなら誰でもやってる。

 法令に違反してるなら公的制裁を受けるが、そうでなくとも社会的要請に応えてなければ、市場から淘汰される確率は極めて高くなる。でも、それは明らかにされた場合で、水面下で推移するケースも多く、法令そのものが不備なことも。バレなきゃ良いってか。

 率直に言ってしまうと、事実は露呈する時代を迎えてる。自らの行動スタイルが適正か否か、検証しておかないと、とんでもないことに。さまざまな事例を他山の石にするだけでなく、第三者からのチェックを受けるのが、これからもうまくいく転ばぬ先の杖。

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2007年6月24日 (日)

大事なもの

 朝も早よから相模原へ、娘と孫のために一日を空けてる。そんなことは口に出さないが、今の私と妻にできる精一杯。最初に買い与えたパトカーの玩具、お気に入りだったクガーの縫いぐるみ、霊前に供えて線香を手向ける。和義の魂が微笑んでくれてる。

 朝食は済んでたようなので、上溝公園へ出掛けて、孫はポニーに乗るとご機嫌。噴水の辺りや遊技場へ誘ったが、小動物園の近辺が良いみたい。動きたいように動かせ、爺と婆は引き回される。風車をねだられたが、本人はアニメの主人公が使う魔法の杖の気分。

 妻のお手製の稲荷を頬張り、アスパラや胡瓜のお新香など、昨晩から準備してたみたい。娘も孫もあれ以来、近所のスーパーより遠くへは出掛けてない。外の空気を吸えば気持ちも晴れる。妻の思いは娘へ伝わり、孫は大好きなお婆ちゃんとの時間を楽しむ。

 少し飽きてきたので、次は淵野辺公園へ。ここは私の出番だが、娘と遊んだ頃と違って、孫を追うのに足腰が付いていかず、それでも危なくないように、常に手の届く範囲で待ち構える。夕食はファミレスで、その後もお絵描きやらひらがなの練習。

 孫が納得すると、時計の針は午後8時、へとへとに疲れたけど、同じ道を穏やかな心で走るのは、久し振りのような気がする。それも娘と孫の笑顔のお陰。本当に癒されるまでは、随分と歳月が必要だろうし、無理なのかもしれないが、今はただ側にいてあげたい。

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2007年6月23日 (土)

目的と目標

 個人でも組織でも、目的を果たすために目標を設定する。基本的には不可分なのだが、往々にしてずれてしまうのは、目的のイメージが曖昧だから。企業なら利潤の追求、公的機関なら公共の福祉、その程度の煮詰め方でも目標を設定できる。

 とりわけ日本では明治時代から、欧米のキャッチアップで成功できたこともあり、目的に対する意識は薄い。既存の価値観を理解し選択し、具体的な目標へ落とし込めば、それなりの成果を導いてきた。グローバリゼーションもその延長線上での認知。

 あらかじめルールが決められ、ゴールを設定されると、日本人は頑張りやすいのかも。勉強するのも好きみたいだし。でも、これからの時代には価値観が多様化し、従来の成功法則が必ずしも通用するとは限らない。すでに諸々の面で綻びが目立ち始めてる。

 そこで問われるのが目的、何のためにやるのか、どこを目指すのか、でも、これがなかなか難しい。動いてみないとわからないことも多いし、知識や経験が未熟な段階で方向を決めなきゃ、取り敢えずスタートできないし。時間だけは加速度的に流れていく。

 そうなると自らと向かい合い、目的と目標を検証し、改善を繰り返すしかない。ときには大胆に修正し、方向を切り換えることも。そんなに簡単じゃないけど、そこを掘り起こしていかないと、世間で通用しなくなり、後悔先に立たなかったりして。

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2007年6月22日 (金)

第17回営業マンフォーラムのご案内

タイミングが合えば、新刊も紹介します。
営業という仕事の本質は、いかに伝えるか。
そこに真正面から斬り込みます。

タイトルは、

言葉に力は宿っているか

この後、交流会で名刺交換やら歓談やら、
さらに絆を強めます。

第17回「営業マンフォーラム」を開催します。
営業というテーマに興味があれば、どなたでも大歓迎。
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プログラム
日時   2007年7月21日(土)13時開場
     講演  :13時30分〜14時30分
     意見交換:14時30分〜15時30分
     交流会 :15時30分〜16時30分

場所   中野区立商工会館 和室 中野区新井1丁目9番1号
     ランドプランニング得意先会議として予約してます。
     土曜ですので脇の通用口から入館し、
     エレベーターで3階の和室へお進みください。

テーマ  言葉に力は宿っているか

参加費  3.000円(税込)

 お申し込みは私へのメールで。

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2007年6月21日 (木)

パラダイム

 人はそれぞれの知識と経験を踏まえ、固有の思考の枠組みを持ってる。それは歴史的事実や時代状況、置かれた環境に影響されるけど、自分自身の人生の歩き方に応じるから、そう簡単に修正できるもんじゃない。拡大や縮小は利いても変形できない。

 ところが新しい思想に出会うと、パラダイムの放棄を求められることが多い。水で満たされたコップに酒を注ぐには、水をすべて捨てる必要がある。少しでも水が残ってれば、どれだけ芳醇な酒を加えても、酒本来の味が損なわれるという理屈。

 そもそもそれが酒かどうかは、従来のパラダイムで判断する。すでにパラドックスだが、そこを踏み越えるのは直感力。ピンと来たら全身全霊を委ね、新しい可能性にすべてを懸ける。仏教では一念発起、妻子を捨て出家した高僧の列伝が遺されてる。

 一面の真実を示唆してるのだろうが、私のような臆病者には到底無理。今までに培った知恵と経験値で、石橋を叩きながら世を渡るしかない。それで時代のスピードに追いつけなければ、各駅停車でゆっくりと進むだけ。論を積み重ねないと納得できない。

 確かに従来の発想だけでは、今の時代を切り取れない。何を基準とするのか、価値観の変容も迫られてる。でも、細かく見ていくと歴史は連鎖して、種を蒔かない土地に実は結ばない。たとえ間違ったとしても、私は私が認識できる道を歩くだろう。

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2007年6月20日 (水)

理念について

 人も組織も社会的存在で、認知を求めるなら、理念を求められるのは当たり前。理は「ことわり」で、念は「想い」だから、社会に通用するだけの想いがあるかを問われる。しかし、この「想い」というのが厄介で、ホンネを吐露すれば良いってもんじゃない。

 たとえば楽して儲けるために事業を立ち上げたとして、それを前面に押し出すには、相手にも同じ権益を与えなきゃ同意を得られない。マンツーマンなら説得できるかもしれないが、社会全体に投げ出したらいかがわしさが先に立つ。皆が楽して儲かるわけがない。

 それなら視点を切り替え、不合理なシステムを合理的に改善し、社会に余剰をもたらすなら、そこに富が集まっても納得できる。言葉遊びじゃなくて、パラダイムの転換。人が何を目指してるのか、そこにどれだけの人を巻き込めるのか、想いが違ってくる。

 自分に富を集めるために、他人を犠牲にする発想は、一時的に成功しても長続きしない。その理由は簡単で、社会に受け入れられる理念がないから。自分のやろうとしてることが、他にどのような影響を及ぼし、多くの幸せへ結びつくかどうかを問い直さなきゃ。

 だからといってタテマエじゃ、人の心を震わせられない。自分のホンネが人として正しいか否か、常に生きざまを試されてる。やるべきことを高く掲げ、それが支持され認められ、その結果として成功するのでなきゃ、これからの時代に間違いなく淘汰される。

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2007年6月19日 (火)

苦しい思いこそ

 しばらく会わなかった人からメール、心と身体を患って入退院を繰り返し、半年ほど休職してたとのこと。まだ20代だから気持ちも純粋で、創業社長の長男という立場もあって、何もかも自分一人で抱え込んでしまったのだろう。辛く厳しい歳月を過ごした。

 それでも、その間の経緯も含めて、私に連絡してくれたのは、もう大丈夫というメッセージ。袖振り合うも他生の縁、私の講演を聞いてくれて、控室に飛び込んできたのが最初。真っ直ぐな姿勢が潔くて、私も歯に衣着せずにアドバイス。結構きつかったかな。

 連絡が途絶えていたのは、忙しいからと思い込んでたし、来る人は拒まず、去る人は追わないのは、私の毎日のことだから、さほど気に留めてなかった。彼は彼なりに私を卒業し、さらに高い場所を目指してる。そんな風に割り切るクセが身についてた。

 その間に彼は病床で、私の言葉を噛みしめ、孤独に闘い続けて、自らの力で苦境を越えた。少しばかり長く生きた身で見れば、これから人の上に立つ者として、彼は絶対に必要な財産を手に入れた。苦しんだ者でなければ、人の心の痛みは察せられない。

 スキルやノウハウは学べば得られるし、人の力を上手に借りられる。でも人としての器は、自分で磨かなきゃ育たない。苦しさに潰される人もいるけど、胸突き八丁を克服した後は、前途洋々とした未来が開けてる。年の離れた友人の成功が見えるような気分。

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2007年6月18日 (月)

父の日だとか

 朝一番で娘からメール、別便でシャツも届き、こんなときだから流せば良いのに。文面では気丈に表してるが、行間からは苦しい思いが伝わってくる。携帯で返信するのは苦手なので、電話を掛けるとすぐに孫と交代。孫は婆ちゃんと代わってほしいらしい。

 妻も気遣ってくれて、お昼は私のリクエストで万世へ。注文したのはステーキじゃなく、若い頃から食べ慣れたハンバーグ。娘が小さいときは、これが一番の贅沢だった。噛みしめると肉汁が溢れ、幸せな日々が脳裏に甦る。笑顔ばかりを思い出す。

 夕方になると風も吹いてきて、妻と二人で近所を散歩。木漏れ日の林を抜け、住宅街から茶畑まで。車で通りすぎると気づかない風景の変化が、ゆっくりと歩くと目に飛び込んでくる。娘の手を引いて遊んでから、すでに四半世紀の歳月が流れてる。

 子宝に恵まれたのは一人だけだったが、年頃に育つのは当たり前と考えてた。それがどれだけ幸せなことか、つくづくと思い知らされる。娘も遺された孫を慈しむ気持ちが強まり、周囲に対する感謝を忘れないようになってる。それがやけに心に染みる。

 父の日は父のためのものじゃなく、父にしてくれた妻と娘を思って、足りないところを確かめるためのもの。そんな気がして、妻と烏龍茶を飲む。静かな時間の有り難さ、心に刻んでおかないと。来週にでも、娘の顔を見に行こうかな。

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2007年6月17日 (日)

中野で

 中野市民会館で営業マンフォーラム、会場は和室だったので私塾の雰囲気。参加者は少ないなりに盛り上がり、皆が真剣な表情でメモを取る。横道に逸れたところもあったが、それはそれで活発な意見交換。久し振りに参加した人の言葉が新鮮。

 終了後に相談に応えたり、最後はマンツーマンで経営戦略。凄い商材を持ってるのに、活かし切れてないから、提案書までチェックして、気づけば午後9時。創業して間もないから、何とか事業を軌道に乗せてほしい。儲かってから授業料を頂こう。

 そこで初めて聞いたのは、無農薬栽培の烏龍茶が、台湾でしか栽培されてない事実。元々は中国本土で生まれ、大航海時代から後はヨーロッパの王侯貴族が争って求めた逸品。ジャスミン茶も高級なものは、ゼンマイのような形状、明日にでも飲んでみよう。

 日本人でもネイティブのように発音できる。そんな夢のような教材を開発した人も、いよいよ仕上げの段階に入った。すでにアメリカ在住の舞台女優らから申込み、だからといって難しなく、初めて英語に触れた人が、数週間でマスターできる優れもの。

 私を取り巻く人たちが、成功へ羽ばたいて、大きくなるのが嬉しい。これも私の種蒔きかな、エナジーをもらえるし。何より喜べるのは、私の言葉が力になること。成果へ近づくほど、信頼関係も強く結ばれ、面倒な話でも身を乗り出したくなっちゃう。

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2007年6月16日 (土)

流れを呼び込む

 妻と智光山公園へ、菖蒲が満開で見事。風も爽やかだが、歩きやすいのは木陰が増えたから。木々が伸びて空を覆い、柔らかく私たちを包み込む。池の畔にも菖蒲が植えられ、パステールトーンの色彩に癒される。少し歩くと薔薇園に出迎えられる。

 暑い日が続いても、そこはやはり6月、突き刺すような太陽じゃない。額が汗ばんでも、拭えば凌げる程度。雨上がりの大地を踏みしめれば、足下からエナジーを注ぎ込まれ、私の中の生命が躍動する。頭もスッキリして、勢いが増してきそう。

 このところ、ある人から頂戴した講義録を読んでるのだが、流れを呼び込む9つの法則が説かれてる。1物事に真剣に関わる。2自分に素直になる。3勇気を持つ。4情熱を忘れるな。5今ここに生きていることに価値がある。一つひとつ頷けることばかり。

 続いてるのは、6心に壁を作るな。7物事をあるがままに受け入れろ。8前向きに生きろ。9徹底的に信頼することしか価値は生まないと思え。どうやらユングの説くシンクロニシティーを踏まえ、アメリカでフローの研究から導かれた成功法則らしい。

 大事なのは、これをどう読み解き、具体的に落とし込むか。諸々とヒントを示唆されたような気になってる。もう少し掘り起こし、突き詰めて、伝えられる形に仕上げたい。自然に身を委ねると、素直な気持ちになって、新しいものを貪欲に吸収できる。

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2007年6月15日 (金)

米屋の羊羹

 両親が成田山をお参りしたとのことで、お土産に頂戴した米屋の羊羹、渋い煎茶によく合う。妻は一切れ食べるのがやっとだが、私は好物なので食べ過ぎる。子どもの頃は甘味が少なかったので、とりわけ上等なお八つだった。今はもう遠い昔の話。

 幸いなことに両親とも健在だが、年老いてない感覚で自転車に乗る。若い人のように音楽を聴いてたり、携帯に夢中になってたり、無鉄砲なスピードを出したりしないが、それでもヒヤリとすることはあるらしい。私は車を運転するから、わかるような気がする。

 歳を重ねるほど反応が鈍くなり、集中力も弱まって、自分が思うほど素早く動けない。それは悪いことじゃないけど、自分でわきまえないと、危険に身をさらしかねない。そんなことを考えたのも、小田急線の駅で同年代の女性が重傷を負ったから。

 駅のホームで次の電車を待つのは退屈だから、駆け込み乗車する気持ちはわからなくもない。だけど閉まったドアを無理矢理こじ開けて、発車時刻を遅らせるのはルール違反。車掌だけを責めるのはお門違い、大人の分別で行動を慎めば、何も起こらなかった。

 歳を重ねれば体力は衰えるけど、それだけ知恵と経験は蓄えられる。それを活かして身を守り、世の中の役に立たなきゃ。若い頃は頬張った羊羹だって、今はゆっくりと味わえる。失ったものを嘆くより、今できる喜びを噛みしめ、自分のペースで動けば良い。

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2007年6月14日 (木)

何だかなぁ

 都内で打ち合わせてるとき携帯にメール、発信するのは妻しかいないから、すぐに開くと私の本を読んで、コンサルの相談をしたい人が居る。連絡先も記されてたから、仕事が終わった後に電話したけど繋がらない。少し遅くなるが、事務所に戻ってから再び連絡。

 ところが実際には厚かましい問い合わせ、私の本に関する質問でもなく、ましてやビジネスに結びつく話でもない。電話一本でアドバイスを得られると勘違い、手短に答えたが後味の悪さは残る。双方にメリットがなきゃ、単純に時間を盗まれた印象。

 仕事柄もあるが、提案を求められることも多い。それに応えないと何も始まらないから、ない知恵を絞って形に仕上げても、そのまま梨のつぶてだったりする。こちらのピントが外れてるなら、それくらいは伝えてほしいと思うのは、私のワガママなのかな。

 お互いを尊重して礼を尽くすのは、人間関係の基本と考えるのだけど、どうやら近頃では通用しなくなってる。文句があるなら力で示せ、そういうことかと受けとめざるを得ない。そんな人ばかりではないけど、昔気質の私には淋しすぎる風潮だったりして。

 それが時代の流れで、皆の幸せと結びつくなら、私のスタンスを切り換えりゃ良いのだが、諸々の場面で不都合が起きてる。問題点が明らかなら、具体的でわかりやすい解決策が必要。それを創り出すのも私の仕事かな、落ち込んでる場合じゃないでしょ。

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2007年6月13日 (水)

話を聞けない

 世の中には立派な人がたくさんいて、それぞれに素晴らしい意見を持ってるのに、活かされないケースが多いような気がする。その原因は簡単、皆の頭が良くなりすぎて、人の話を聞けなくなった。とりわけ私たちの世代辺りから、その傾向は強まってる。

 自分の考えを相手へ伝え、同意を求めたい気持ちは皆同じ。若い人は知識も経験も未熟だから、どうしても舌足らずになる。そこを経験豊かな想像力で補って、きっちり受けとめるのが大人の知恵。自分の意見を述べる前に、やらなきゃいけないことがある。

 誰に対しても真剣勝負で挑むのは、力任せで押さえ込むことじゃない。相手が何を伝えたいのかを、真正面から受けとめるのが、コミュニケーションを成り立たせる最初の作業。叩き潰すだけの荒技では、相手の心を開かせないのは当たり前。

 歳月を重ねてきたのだから、自分の人生に誇りもあれば、譲れないところもあるでしょ。でも、それは三歳の幼子でも同じ。百人いれば、百の人生があり、百の価値観がある。自分を認めてほしければ、その前に相手を認めるのが先じゃなかろうか。

 言いっぱなしで終わらせるなら、声が大きい人の勝ち。でも、それじゃ何も生まれないどころか、感情的なシコリを遺すだけ。自分の意見が正しいと思うなら、がっぷりと四つに受けとめて、相手を心から納得させなきゃ、大人としての沽券に関わるよね。

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2007年6月12日 (火)

そろりそろり

 昼飯の後に、久し振りに妻と近所を散歩。この辺りは森が残っていて、脇から入れるようになってる。ひと雨来そうな空模様だが、木々に埋もれると風が爽やか。住宅地を抜けると、どこにでもある田舎の風景、さらに進んでいくと見慣れた街並みにぶつかる。

 気づかないうちに、コンビニが2軒なくなって、違う職種の店になってる。こんなところに公園があったかと、私ひとりが忘れてる場所もある。娘が通った幼稚園は取り壊され、跡には某宗教の立派な文化会館。狭山市で暮らしてから30年、そりゃ変わるよね。

 若い頃に住んでた公団の近くには、当時から開けてる店もあり、幼い娘の手を引いて、諸々と買い物を楽しんだ情景が甦る。しばらく休んでたコロッケの美味しい肉屋さんが、店を開けていたので嬉しくなったりして、あちらこちらの路地を探索。

 流石に1時間も歩くと、脹ら脛が張ってくる。強い陽射しがすっかり消えて、ぽつりぽつりと雨宿り。家に戻って珈琲を飲み、くつろいでるうちに昼寝モード。目覚めれば夕暮れ、こんな日を繰り返しちゃいけないが、心も身体も休みたがってるのかな。

 歳月を重ねると、油断してるうちに季節が巡る。今年の夏は猛暑とのことで、今から思いやられるが、それを感じられるのが有り難い。急ぐ旅ではないし、ゆっくりきっちり一歩ずつ。前へ進めれば良いとしよう。明日が訪れることに深く感謝して。

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2007年6月11日 (月)

たまには仕事

 いよいよ梅雨空になってきたが、暑い日が続いたせいか凌ぎやすい。出掛ける日は、曇ってるくらいが丁度良い。土曜日は池袋のメトロポリタンホテル、企業グループ主催の研修会で講演。午後からだったので、街は人で溢れていて、私はお上りさん気分。

 担当する方が私より年長で、ていねいに接してもらうとお尻がこそばゆい。控室で待機してたが、時間が押してきて、頭の中でシナリオを再構成。登壇すると前二列は明らかに経営者、それも先輩諸氏なので、ここを巻き込むのがスタートと腹づもり。

 それでも始まってしまえば、一人ひとりと真正面から向かい合って、真剣勝負を挑むいつもの私流。質疑応答までを予定時間内に収めて、かなり具体的な質問にも的確に答え、手応えを感じながら会場を去る。この後は懇親会への参加、創業者と同じテーブル。

 数人から声を掛けられ、講演会場では出ない際どい質問。相手の立場から本気で考え、それぞれにアドバイス。経営者たちは悩んでいると、今さらながらに実感する。数時間だったが、できることはやり切った。さらに可能性を開くチャンスを待つのみ。

 講演や研修が終わるまでは、気が引き締まってるけど、終わって帰りの電車に乗ると、どっと疲れてしまうのはいつものこと。お土産にクッキーを頂いて、妻と紅茶で楽しむとき、いくらか心を和らげる。ひと休みしたら次の準備、頭を切り換えなきゃ。

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2007年6月10日 (日)

螺旋を巻き直し

 それなりに忙しいのだが、油断してると気が抜ける。ここのところアプローチは受けてるが、自分から積極的に働きかけてない。それじゃスピードが緩んじゃう。諸々のお話を頂いてるうちに、会わなきゃいけない人を訪れ、忘れられないようにしなきゃ。

 それと並行して勉強し、考えをまとめていこう。日々新たに革新しようと、人に説いてるのだから、自分が変わらなきゃ洒落にならない。落ち着いていられるほど立派じゃないのは、自分自身が一番よくわかってる。未熟なら未熟なりに精一杯を尽くせ。

 そうでなくとも7月には本が出て、雑誌では8ページの記事が載るし、電子出版も20点を超えるから、私自身の中身を詰めておかないと、対応すらできかねないかも。動きながら次の展開を想像し、最善の手を打たなきゃダメと、先日も話してきたばかり。

 緊張感を身に纏い、気力を充実させると、流れを引き寄せられるのは、経験則でわきまえてる。のんべんだらりと日々を過ごせば、そのツケは間違いなく回ってくる。小手先で仕事をこなせるほど器用じゃないし、全身全霊で打ち込まなきゃ何も生み出せない。

 自分の内側に引き籠もらず、ジタバタと動き回れば、いろいろな人からヒントを示唆される。それをどのように加工して、戦略から戦術へ落とし込めるのか、自分から実践しなきゃね。闘う意欲が萎えたら戦線離脱、未だ最前線でやるべきことはたくさんある。

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2007年6月 9日 (土)

迷い道

 時代の感覚に応じられなきゃ、どの世界でも淘汰されるのが掟。既得権を持つ人は、昨日と同じ明日が続くことを望むが、それを認められるのは絶対的多数の支持を踏まえてのこと。他人の幸せを土足で踏みにじり、私利私欲を貪れば許されない。

 基本になるのは社会での役割を果たし、正当な報酬の範囲内で生活を営むことだが、何を社会が求めてるのか、どこが適正な報酬なのか、その辺りは不透明。人は皆、自分に都合良く考えるから、明らかに法令に違反してなきゃ、恥じることはないと思い込む。

 しかし本当のことを言ってしまうと、法令がいつも正しいとは限らないし、社会正義が適切に機能する保証もない。とりわけ私たち一人ひとりは、目の前で起きてる現実さえ、目を背けて見ない振りをする。自分の身に危害が及ばなきゃ、しょせんは他人事。

 だからといって仙人でもあるまいし、社会を捨象して独りでは生きられない。今は遠い問題でも、巡り巡って当事者になる。そのときに声を荒げても、蟷螂の斧では力及ばない。人生は何が起こるかわからない。僥倖ばかり訪れるわけもない。

 最初の作業は自分を律すること、そして社会への参加意識を生活に根づかせること。できる範囲で、やれることをやれば良い。大事なのは社会を外化させず、そこに関わる当事者として強く意識し、間違っていても自分の意見を堂々と述べること。

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2007年6月 8日 (金)

透明度の問題

 社会保険庁の杜撰な年金管理が明らかにされ、暴かれるほど実態の酷さに呆然となるが、今度は介護大手の失態、どこまで弱い者を苦しめれば気が済むのか。世も末のような気もするが、今まで隠されてた事実が表沙汰になっただけ、不正は延々と続けられてた。

 インターネットの普及もあるが、皆が苦しむ時代になったから、不合理な局面に照準が当てられる。高度経済成長期には、それぞれが少しずつ濁り、各々に権益を受けてたから、見て見ぬ振りをしてただけかも。個人意識の自立が促されたこともある。

 そうは言っても資本主義社会は、自由競争が大前提で、私たちの多くはこの仕組みを支持してる。全員平等の正義を掲げ、管理社会へ移行するのを恐れてる。一人ひとりの自由を認めながら、公正な競争を裏付けるような、そんな社会を望んでるような気がする。

 そうなると個人でも組織でも、問われるのは透明度の高さ。どのように動いてるかが具体的で、わかりやすいほど、たくさんの人を惹きつける。そのためには伝える工夫も必要、真面目に頑張ってさえいれば、認められるというもんじゃないのも事実。

 自分の良さを掘り起こし、伝えたい人へ伝わるように演出。その力を蓄えた個人と組織が、これからの時代に間違いなく勝ち残る。だからといって羊頭狗肉なら、その正体はすぐに見破られる。自分自身と向かい合えるか否か、個人にとっても組織にとっても重要。

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2007年6月 7日 (木)

大宮へ

 妻が預かってきた香典返し、今日は親戚へ届けなきゃ。義理の姉は蓮沼、16号を一直線。久し振りの訪問になるが、長居する気になれない。途中で昼飯を食べたが、妻の食は細いまま。それから妻の実家へ。ここは生まれたばかりの赤ん坊が居るので、挨拶のみ。

 私の実家へ寄ったが、実を言うと両親は、娘と同じことを経験してる。生後一年の長男を、肺炎で失ってる。私が生まれる前のことだから、詳しくは聞いてないが、悲痛な心情は想像できる。父の口から、会社の帰り道、毎日念仏を唱えていたと初めて聞く。

 「心が言えるまでに半年か一年」、私の言葉を耳にしたとたん、母は五十年経った今でも、赤ん坊姿の兄を思い出すと応える。忘れることなんかできない。それが本当のところだろうな。両親が涙ぐんできて、退散するしかない。最後は義母を見舞わなきゃ。

 妻のことをわかってるのか、92歳の義母は体調は良好そうで、頬にも肉がついてきた。握る両手が力強くなってる。生命の灯火が盛んになってると、やはり嬉しくなる。我が儘なのかもしれないが、身内の健やかな日々を祈らざるを得ない。妻も少し微笑む。

 川越辺りで突然の雷雨、お役は果たしたから、あまり気にならない。娘から妻へのメールで、四十九日の場所と時刻。こうした決まり事は、故人と繋がりながら、遺族が日常へもどるための儀式。そこで肩を抱きながら、共に背中を震わせる。いつまでも続く。

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2007年6月 6日 (水)

岡山で

 ある企業グループ主催の講演、昨年の2月も同じホテルで講演、4月にはプライベートで旅行、岡山とは縁があるのかも。前日の夕方に到着し、ちゃっかり懇親会に招かれ、大盤振る舞いを楽しませてもらった。担当部長は意欲溢れた好漢、九州男児。

 1時間ほどの講演だったが、水を打ったような静けさ。目が合うとしっかり視線を返し、真剣にメモを取る人も多い。これから伸びようとする企業は、熱気がビンビン伝わってくる。手応えも充分、これからさまざまに関われそうで、期待に胸が躍る。

 心地良い疲れは、講演をやり切ったからか、それとも往復の新幹線のせいか。少し本を読んだりしたけど、車窓に流れる風景に見入り、穏やかな気持ちにさせられた。過ぎゆく街それぞれに、新しいビジネスの予感、積極的に攻め入りたいな。

 私が留守の間に、妻は娘の家へ。今は少しでも、側にいてあげるのが、何よりもの励みになる。私より妻、母の力は偉大。私は脇役として仕えることにしよう。止まった時計を動かすのは、そんなに簡単なことじゃない。ゆっくりと、無理をせず、ちょっとずつ。

 妻が傍らにいることで、娘と孫が少しだけ癒される。妻はくたくたになって、私が足腰をほぐし、少しだけ和らぐ。私は仕事で喜ばれ、心安らかになる。しばらくの間は、こんなことを繰り返し、笑顔を取り戻すしかない。泣いてばかりじゃ、前へ進めない。

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2007年6月 5日 (火)

モノローグ

 抜けるような空に、すでに陽射しは鋭い。いつの間にか初夏は訪れ、見渡す限り眩しく光ってる。汗ばむ肌に、吹く風が心地良い。このままぼんやりと漂いたいが、仙境へ至るには早過ぎる。人と人の間にこそ、私の生きられる場所がある。

 来る人、去る人、通り過ぎる人、遠くから私を見つめてる人、それぞれの思いの中で、私は活かされてる。いつまで生きるのか、どこまで歩むのか、それはわからないけど、自分の足の重さを確かめながら、ゆっくりと大地を踏みしめる。

 ときどき立ち止まり、あるいは後退り、なかなか前へ進めないけど、それでも良いんだ。歩いてる実感があれば、必ずどこかへたどり着く。そこでまた考え、いくつかの道のひとつを選ぶ。そんなことを繰り返しながら、やがて老いていくのだろうな。

 道がなければ草を分け入り、河に遮られたら泳いで渡り、その気力があるうちは大丈夫。山を越え、谷を越え、へばりながらも突き進む。もっと平坦で楽な道もあるし、歩かずとも済むかもしれないが、これが私の選んだ道、無器用でもこだわり続けよう。

 それが細くとも、私が歩いた後に道ができ、続いてくれる人がいたら嬉しいな、歳月を経た後で、誰かが見つけてくれて、利用してくれるかも。そんな先のことなど、わかりゃしないから、今はただ信じて、ひたすら道を極める。それが幻であっても。

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2007年6月 4日 (月)

流れるままに

 少し前の話になるが、間接的に関わっていたコミュニティが閉鎖された。事前に話は聞いていて、事情も呑み込んでいたが、中心になって関わる人の温度差と目的の違い。それぞれに思うところもあるだろうが、観念だけで突っ走った結果のように映る。

 それと前後して、人間を育てる塾を開きたいと、相談されてた人の構想も頓挫。出版関係で新たな事業を展開しようと、頼まれて開いたコミュニティも進展しない。正直に言って臆病だから、それぞれ距離を置いていたので、私には致命的な打撃になっていない。

 私が一歩踏み込まなかったのは、夢でお腹が一杯になって、現実と乖離してると感じたから。若い人だけでなく私より先輩でも、自分の思いが強すぎて、周囲と折り合いをつけられず、泥仕合に巻き込まれてる人もいる。ビジネスのほうが、よっぽどわかりやすい。

 皆が同じ価値観を抱く護送船団方式の発想が疑われ、個人の可能性に着目されるのは時代の流れ。でも、過渡期なのだろうか、玉石混淆もそうだけど、どこに座標軸があるのか不透明。皆がエースで四番の草野球、自分ではメジャーリーガーと思い込んでる。

 そうは言っても、石の中には玉が光ってる。それを見分けられないのは、明らかに私の力不足。これからも同じようなアプローチがあれば、適切な距離で時間を費やし、勉強させてもらうつもり。流れに身を委ねなきゃ、新しいものを見つけられないし。

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2007年6月 3日 (日)

さぁ、やるぞ!

 今日は原稿を書かなきゃ、テーマは郵便局長の仕事。秋からの民営化へ向け、骨子が定まったところで、7月号で営業特集。充分に余裕があったのだが、来週は予定が詰まってるので、実質的には締切の気分。ようやく道半ばへ至り、ほっと胸を撫で下ろす。

 これからの時代には、ますますコミュニケーションが重要。それも肉声で語らないと、心と心が通い合わず、人を動かすことなどできない相談。頭の良い人も増えるだろうし、ツールも発達していくだろうが、肝心なのは生身の人間としての想像力。

 自分が伝えたい内容をストレートにぶつけるのでなく、相手の言葉に置き換えて、相手の利益に訴えかけて、自分の目的へ誘いながら、合意を得るのが営業のプロセス。その辺りは業種に関わらず同じこと。とりわけリーダーに求められる役割は大きい。

 仕事に打ち込んでると、自分の天命に気づかされる。一人でも多く、壁を打ち破れるように、あらゆる角度からサポート。知識や経験も大切だが、何よりも優先されるのが思いの強さ。自分の内側に深く降りていき、コアになるところを自覚してもらわなきゃ。

 ほんのちょっとのヒントで、人は飛躍的に成長する。優れた原資を活かさずに、ないものねだりをする人が多いから、私の言葉を届けなきゃ。今の場所から語るのでなく、明日は一歩前へ進んで、私自身が成長しなきゃ、言葉に力は宿らず、人の心を震えさせない。

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2007年6月 2日 (土)

泥のように眠る

 朝一番で日帰り温泉へ。ここのお風呂は温くて、いくら入っていても飽きない。ついつい長湯になって、空いていたから手足を伸ばし、ぷかりと浮かんでた。サウナで汗と一緒に疲れを流し、頭の中がグルグル回るまで俯いてた。曇り空なのも心地良い。

 少し遅めの昼飯、食べ終わると睡魔に襲われ、ほんのちょっとだけと寝転がる。気づくと夕暮れ、やたらと喉が渇いて、それでようやく目覚めたみたい。これだけ寝ても、まだ眠い。お茶を飲んで、ひと息ついて、なかなか身体が動き始めない。

 夢の中で、私は何かを探して歩いてる。目的を達せられたと思うと、そこは実は勘違いで、新たに歩き始めねばならない。何度も同じことを繰り返し、たどり着いたのが階段を昇った後に続く商店街だが、そこはあまりに長くて、階段の下でためらってる。

 覚えてるのはそれだけで、ほとんどは闇に包まれてた。胎児のように膝を抱え、丸くなって漂う。どこから来て、どこへ向かうのか皆目見当が付かない。足腰が鉛のように重く、自分の自由にならない。それでいて不安はなく、流されるのを受け入れている。

 流石にこれだけ眠ると、いささか寝疲れて、夕食の後もぼんやりしてる。すべてをリセットするための準備か、ウォーミングアップを終わったら、戦闘モードへ突入できるのか。背筋を伸ばし、大きく深呼吸して、頭だけはスッキリさせなきゃ。

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2007年6月 1日 (金)

営業マンフォーラムのご案内

情報を制する者は、営業を制する。
急速に増大する情報の真贋を見抜き、
最適に活かすにはどうすれば良いのか。

タイトルは、

情報の読み方、見抜き方

この後、交流会で名刺交換やら歓談やら、
さらに絆を強めます。

第16回「営業マンフォーラム」を開催します。
営業というテーマに興味があれば、どなたでも大歓迎。
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プログラム
日時   2007年6月16日(土)13時開場
     講演  :13時30分〜14時30分
     意見交換:14時30分〜15時30分
     交流会 :15時30分〜16時30分

場所   中野区立商工会館 和室 中野区新井1丁目9番1号
     ランドプランニング得意先会議として予約してます。
     通用口から入館し、エレベーターで会場へお進みください。

テーマ  情報の読み方、見抜き方

参加費  3.000円(税込)

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