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2007年3月19日 (月)

贖罪の行方

 95年3月20日、地下鉄サリン事件で12人が死に、5,500人以上が被害を受ける。首謀者の松本智津夫被告は未だ獄中で生き延び、後遺症に苦しむ人が数多いことを考えると、理不尽さを拭いきれない。松本被告を教祖とするオウム真理教は、アーレフと改称しながら存続し、教義を守ろうとしてる。

 長らくアーレフの代表を務めてた上祐史浩氏が脱退を宣言し、松本被告と訣別した新団体の設立を準備してるが、それが社会的にどのような意味を帯び影響を及ぼすのか。サリン事件の被害者への賠償責任を負うというが、どれほどのことができるのか。まったく予測も立たない。

 上祐氏がオウム真理教設立以来の幹部であり、諸々の反社会的事件に手を染めていないにしても、行動を共にして承認してたのは紛れもない事実。上祐氏の言葉に説得され、殺人に赴いた信者がいるかもしれない。一連の事件の被害者に対して加害者の立場を、十字架として背負い続ける。

 その一方で葛藤を経た贖罪への意思を、素直に認めたいところもある。人は皆弱い生き物だから、悩んでいるときに強烈な個性に出会うと、誰だって押し流される可能性を秘めてる。蛸壺のような精神状態へ陥れば、常識的な判断が機能しなくなり、奈落の底へ転落していくのかもしれない。

 上祐氏が問われるのは、地下鉄サリン事件や松本サリン事件の被害者に、どのように向き合うのか。罵倒を浴びせられても、献花に赴くだけの気持ちがあるのか。正直に言って上祐氏の存在は、迷走する時代の象徴、ヒステリックで矮小な私たちの心象風景。他人事ではないような気がする。

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