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2007年1月14日 (日)

DVの果てに

 渋谷で起きたバラバラ殺人事件、かなり異常な現象だけど、その背景に潜むのは、この世代に共通する心象風景。引き金になったのがDVというのも、象徴的なように思えてしまう。男も女も想像力に欠けていて、自分本位に考える人が多いような気がする。穿った見方だろうか。

 夫から暴力を受け、外に愛人がいるとわかっても、妻が別れようとしなかったのは、人から結婚の失敗を非難されたくなかったから。豊かな生活に未練があったというより、どんな犠牲を支払ってでも、幸福な妻を演じて人から賞賛されたかった。その形を崩されるのだけは堪えられなかった。

 それを知ってか知らないでか、夫はさらに幼児性思考。DVは容認されることで、さらにエスカレートする。鉄間が抵抗できないとわかると、他の女性に色目をつかい、あげくの果てに離婚を切り出す。相手の人格を無視して、玩具と扱ってきたのだから、どうしても自業自得のように映ってしまう。

 経済的な繁栄を追い求め、物質的な豊かさが幸福と、勘違いしてる人が増えてる。でも、心に風が吹き抜ける淋しさは、人の温もりでしか癒せない。お互いの身体が冷えてたら、抱きしめてもさらに凍えるだけ。ひとりで生きる強さもなければ、無理心中も予測される結末。

 こうした猟奇的な展開は、私たち一人ひとりに、何が大切なのかを問い直させ、自分たちの暮らしを見つめ直させるものなのか。死んで花実が咲くものか、自分で自分の心を殺しても同じ。もっと素直になれたら、きっと楽になれて、悲惨な事件を招かなかっただろうに。

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