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2006年12月31日 (日)

18歳で成人!?

 成人の年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正法案が、年明けから法務省で検討されると報じられてる。来年の通常国会で国民投票法案が成立した場合に、そこから3年以内の成立を目指すというから、若い世代を国民投票に取り込もうという意図は明らか。でも、及ぼす影響はかなり大きい。

 成人を20歳と決めたのは1896年の旧民法、江戸時代には15歳で元服だから、20歳で成人という発想は欧米に倣っただけで、具体的な根拠があるわけじゃない。本当に大人と呼ばれるのも、個人や環境で異なるから、義務教育を終えた時点で成人と考えても差し支えない。

 そうは言っても100年以上、成人は20歳と思い込んで、諸々の法令やルールは、それを前提としてるから、いきなり18歳と言われても戸惑うのは事実。成人になれば権利だけでなく、義務も生まれてくる。酒や煙草は解禁になるが、国民年金を納めたり、自らの行為に責任を負わされたり……。

 一方で犯罪の内容と罰則が不均衡な少年法に対しても、メスを入れざるを得なくなる。犯罪を引き起こせば実名を報道され、裁判で極刑を言い渡されることもある。犯罪被害者の立場から見れば、15歳を成人としても良いくらい。戦後の貧しい少年たちとは事情が違ってきてる。

 身体の発育では15歳で立派に成人、心の育ち方では30歳でも大人になれない。人それぞれに捉え方は異なるだろうが、議論するに値するテーマと考える。日本人としての責任と権利を、どこから認めるのが妥当なのか、当事者も含めて活発に意見を交換すれば、新しい地平を切り開けるかもしれない。

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2006年12月30日 (土)

年々歳々

 御用納めも終わり、世の中はお休みモード。今年も静かに暮れようとしてる。いろいろなことが起こり、それぞれに大騒ぎしたけれど、喉元過ぎれば熱さを忘れるお国柄。当事者にとっては解決してない問題も、世間の関心は日々に薄れ、遠い昔に起こったような錯覚。

 昨年の暮れには時代の寵児と持て囃された堀江氏や村上氏が、一年も経たずに被告席に座らされ、郵政民営化法案に反対して離党した国会議員が、信任を得てから復党するのもお粗末な構図。イラク戦争を支持されたブッシュ政権は、中間選挙で大惨敗して方向転換。こうして見ると一年は長い。

 その一方で親子間の殺人や、学校内でのイジメ、飲酒運転などは相変わらず。オレオレ詐欺も巧妙な手口になって、被害は後を絶たない状況が続く。官製談合で相次ぐ知事の辞職、各省庁での不祥事も頻発し、上から下までモラルハザード。同じことが昨年も囁かれていたような気がする。

 誰もが感じてるだろうが、日本という国とそこで暮らす人と、間違いなくたがが緩んでる。一人ひとりの足が宙に浮いて、流されるままに漂ってる。他人のことなどお構いなし、自分が生きるのに精一杯と、正当化してるうちに傍若無人が当たり前になり、弱者へのいたわりなど思い至らない。

 座って半畳、寝て一畳。人が暮らすのに必要なものは、それほど多くないことに、そろそろ気づかなければ、日本人の持ち味は失われかねない。慎ましく生きて、恥を知ってた先人たちから、私たちは何を学ばねばならないのか。ときには自分自身と向かい合い、問い直したい。

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2006年12月29日 (金)

道交法改正試案

 飲酒運転による重大事故の多発を受け、警察庁は道路交通法改正試案をまとめた。全体的に現行法より罰則を強化してるが、とりわけ酒や車輌を提供した人にも、運転者と同等の10年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられるのが注目される。軽い気持ちで酒を勧められない。

 同乗者に対しても罰則は強化され、運転手の飲酒を知っていれば、積極的に関与しなくとも罪に問われる。飲食店で運転することを知りながら客に酒を提供しても、運転者と同等の罪になるから、郊外の居酒屋はもちろん、ファミレスなども検挙の対象となる。きちんと取り締まることが大事。

 正直に言って罰金刑を認めず、すべて懲役にすれば良いくらい。従来よりは厳しくなったけど、まだ甘いような気がする。当たり前の話だけど、酒が悪いのでも、酒を飲むのが悪いのでもない。酒を飲んで運転するのが悪いのだ。そんなことは、誰にでもすぐにわかること。

 駐車場スペースが広い郊外の居酒屋などは、代行運転業者と契約するとか、送迎車を走らせるとか、打開策を講じなければ生き残れない。厳しいことを言うようだが、飲酒運転を前提として開店するのが間違い。立地条件で明らかなのだから、警察は手を抜かないで検挙すること。

 酒を飲んで運転するのに、一切の言い訳を許さない。通報されたらすぐ動き、虱潰しに飲酒運転を撲滅する。長距離ドライバーの運転席も、定期的にチェックする。そこまでやらないと、飲酒運転が引き起こす悲劇はなくならない。淋しいけれど、日本人のモラルはそこまで低下してる。

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2006年12月28日 (木)

ワーキングプア

 厚生労働省の諮問機関である労働政策審議会の労働条件分科会が、企業が労働者へ支払う最低賃金の引き上げを求める答申を正式にまとめた。この答申を受けて厚生労働省は、40年振りの抜本見直しとなる最低賃金法改正案を、来年の通常国会へ提出すると報じられている。

 最低賃金には地域別と産業別とに分かれているが、本年度の平均時給額は産業別で761円、地域別で673円、地域によっては生活保護の水準を下回る。要件を満たしたなら、働くよりも生活保護を受けたほうが、快適に暮らせるという構造。誰が考えても、これは改善の必要に迫られている。

 最低賃金法を遵守しない雇用者への罰金も、現行では2万円以下だから制裁としての意味はない。これを30万円以上に引き上げるので、ガイドラインを守らざるを得ない。ワーキングプアと呼ばれる層を減らさなければ、日本人の特質とされていた勤勉な労働意欲は失われていく。

 90年代後半から働き方が変化して、契約社員やパートタイマーが増え、企業の人権比率を抑えてるけど、この辺りも見直されてくると、労働市場そのものに影響を及ぼす。個人のスキルやノウハウに頼り、人材の流動化を促すのが企業や組織にとって、本当に利益をもたらすのかを問われる。

 簡単に言ってしまえば、人は教えなければ育たない。組織にとってコアになる人材は、やはり費用を掛けて教育し、組織の中枢に据えなければ、長期的に捉えた成長と発展を望めない。短期的に成果を評価するアメリカ式発想が、日本の風土に根づくとは思えない。

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2006年12月27日 (水)

どうする消費税

 小泉内閣の7月に、2011年度までに税収だけで政策経費が賄えるように、基礎的財政収支の黒字化を閣議決定した。そのためには来年度からの5年間で16兆5千億円の原資が必要となり、大部分を歳出削減で賄ったとしても、なお2〜5兆円の財源が不足し、これが消費税引き上げの根拠に。

 しかし本年度から来年度の税収増が大きく、それを反映させると、財政健全化に必要な原資は13兆円ということになる。税収は不確実性を伴うが、消費税率を高める根拠は失われる。歳出削減を緩めるわけにもいかず、増税に対する反発はますます強まるのは間違いない。

 それでなくとも行政改革でリーダーシップを発揮すべき閣僚が、お粗末な金銭スキャンダルで進退を問われようとしてる。「美しい日本」を掲げながら、身内が醜態を晒し続ける安倍内閣にとって、不要な増税を国民に強いれば、一挙に支持基盤を崩しかねない。経済政策に国民は最も敏感。

 小泉内閣が支持されたのは、苦しいときは皆で堪えようと呼びかけ、クリーンなイメージを保ち続けたから。官僚の不祥事が暴かれても、それを改革するのが小泉政権と、国民が認めたからこそ長続きした。スキャンダルにまみれ辞任した閣僚もなく、根っこのところで信頼を揺るがせなかった。

 そうした意味では安倍内閣は、ますます線が細くなってきた。組織の捉え直しも必要だけど、消費税に対してどのような判断を下すのか。次の一手を誤ると、政権構想も瓦解しかねない。このまま決断を先延ばしにすれば、夏の参院選は闘いきれない。ここが思案のしどころか。

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2006年12月26日 (火)

壊された窓

 25日の未明にJR西日本の車両基地で、スプレー場の塗料による落書きが発見され、この車両の運転を取り止めるなどの影響。商店街のシャッターや公共施設、果ては名所旧跡や神社仏閣まで、恥知らずの痕跡は日本全国に遺され、こうしたニュースを聞いても鈍感になっている。

 でも、これは日本人にとって由々しき大事件。公共のものと自分のものと、いつから区別がつかなくなったのか。芸術家を気取ってるとしたら噴飯物。画家は自腹でキャンパスや絵の具を買う。公共の領分を侵してまで、表現活動を展開しない。車輌をキャンパスにしたいなら、最初に車輌を買い求めろ。

 二人の旅の思い出だとか、史跡に傷つける輩は、心を育てられない愚か者。自分たちが去った後に、彫り込まれた名を見つけて、微笑ましいなんて思うもんか。美観を損ねられた口惜しさに、その名を睨んで怨むだけ。自分が不幸になる種を、わざわざ遠くまで出かけて蒔いている。

 こうした行為を悪戯の延長として、見過ごすから恥が蔓延する。公共に迷惑を及ぼしたら、徹底的に問い詰めて、責任を負わせなきゃならない。落書きの犯人には、それを消させるだけでなく、きっちり損害を賠償させるべき。そうしなきゃ愚か者が増え、ますます世間が暮らしにくくなる。

 公共施設や文化的建造物、自然遺産など、国のものでもなければ、名義上の所有者のものでもなく、日本に暮らす一人ひとりの共有財産。それを傷つける者は許さず、次世代へ伝えていきたい。壊すのは一瞬だけど、創りあげる歳月は金銭で贖えず、二度と取り戻せないとわきまえたい。

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2006年12月25日 (月)

再チャレンジできる

 東京都が来年度から始める再チャレンジ支援、わかりやすく具体的で全国で初めての試み。政府の再チャレンジ支援に、強い影響を及ぼすに違いない。対象になるのは消費者金融からの借金に苦しむ多重債務者や、ドメステックバイオレンスの被害者で再出発の意欲がある人。

 多重債務者だからといって、誰もが恩恵にあずかれるわけじゃない。ギャンブルや無計画な生活が原因なら、自己破産を勧めて再チャレンジ支援の対象としない。他人の連帯保証人になったり、病気で働けなくなったり、真面目に働きながらも地獄に堕ちた人だけを救済する。まるで「蜘蛛の糸」。

 カウンセリングから始まって、生活再建の計画立案を作成し、必要なら弁護士や司法書士を紹介し、利子を払いすぎているなら残高を減らす手段をアドバイス。そのうえで融資が必要な人に限って、東京都社会福祉協議会に設ける基金から、最高200万円、年利6〜9%で貸し付け、6年以内に返済。

 DVから逃れて保護施設に入所した人や、親の死や失業そして虐待などの理由で、児童養護施設に入所した人には、自立に向けた転居や仕事に活かす技能習得のための資金を融資。目的ごとに貸付額は異なるけど、最高で30万円、年利3%、3〜7年で返済。こちらも対象になるのは自立心がある人。

 都税を注ぎ込むのだから、納得できる境界線は必要。計画としては歓迎すべきものだが、問題になるのは実際の運営で、どこにガイドラインを引くのか。それと同時に会計の明朗さ。それらをクリアしたら、救われる人たちがたくさん現れる。こうしたことを実現するのが、本物の政治じゃないか。

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2006年12月24日 (日)

メリークリスマス

 アメリカでは90年代から、ウォルマートが率先して、「メリークリスマス」でなく、「ハッピーホリデー」と唱えようと奨励。これはキリスト教以外の宗教に配慮する発想。キリスト教信者の中には反発する人もいて、この季節になると論争が繰り返されてきたという。

 ところが今年はウォルマートが、「メリークリスマス」も認めますと宣言。表面上は穏やかになったけど、シカゴでキリスト生誕の映画上映を、公共施設で認めるかどうか揉めた。シアトルの空港ではクリスマスツリーが飾られてたが、他の宗教信者が異なる飾りの展示を求めた。

 こうした話を耳にすると、クリスマスはキリストの生誕を祝う祭りと、今さらながら不思議な感覚になるのは、宗教を個人の心の問題として違和感を覚えない日本人だから。諸外国では宗教を巡っての戦争は珍しくないし、異教徒に対する迫害に罪悪感は少ない。

 宗教に対する基本姿勢として、私は日本人が一番正しいと考える。神のために人が在るのでなく、人のために神が創られたと思うから。人の傲りを省みさせ、他への尊重を促す意味では、宗教は私たちに必要。でも、他を責めて、自らの価値だけを認めるようなら、宗教なんて要らない。

 お寺の坊さんまで、「メリークリスマス」と笑顔で応え、お互いが元気に生きてることを喜び合う。少しばかりのドンチャン騒ぎも、愉快に過ごせるなら良いじゃないか。日本人の大らかさ、柔軟性に自信を持って、国際社会の中で振る舞うことが、平和に貢献する姿勢と考える。

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2006年12月23日 (土)

まだ、やるの?

 やらせ問題や乱脈経費で問題になったタウン・ミーティング、静かに幕を引くのかと思ってたら、来年度も継続するらしい。当初の予算の3億円を8千万円に圧縮し、行政関係者からの発言しか求めないようにするなど、それでもやらなきゃいけない理由がわからない。

 政府が求めてるのは意見交換でなく、単に国民からの了解を得たという形。反対意見に耳を傾けるつもりもないし、それによって議論を国会へ差し戻すなど、そんな気持ちはさらさらない。ワンマン社長が率いる会社で、上意下達の会議を開くのとよく似てる。

 給料を頂戴してる立場なら、それでも会議には参加するけど、税金を納める側の国民には、一方通行のパフォーマンスに付き合う義理はない。自己満足だけが目的で、政治離れを加速させるだけなら、せめて税金を費やすべきではないけど、政治家や官僚はそんなモラルも失ってる。

 教育再生会議での有識者の意見を悉く無視して、官僚主導の事務局が作成した原案を、民意を反映したと言い繕う手法と重なり合う。有識者の意見が必ずしも正しいとも思わないが、最初から採り上げる気もないのであれば、招集すべきではなかったのもタウン・ミーティングと同じ。

 こうした現象が次々と起こると、いくら鈍感な私たち国民も、安倍内閣のソフトなイメージが、偽りの姿と感じざるを得ない。期待して見つめる人たちは多いのだから、民主主義の原点に立ち戻り、人の意見をよく聞いて最善の策を選択しなければ、日本は迷走を繰り返しかねない。

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2006年12月22日 (金)

食べられない

 内閣府の調査によると、日本人の75%は将来の食糧自給率に不安を感じてる。この数字は6年前の調査より17%増えている。ちなみに日本の食糧自給率は98年から8年連続で40%。3年前の調査ではオーストラリアが327%、フランスが136%、アメリカが127%、ドイツが97%、中国が95%。

 山の中にあるスイスでも60%だから、客観的に捉えても日本の食糧自給率は低すぎる。股間医の調査では、外国産のほうが安ければ積極的に輸入すべきと答えた人は8%、調査を始めた87年から最小の数値。逆に高くとも国内産の食糧を選ぶと答えた人は87%で過去最高。

 国際情勢が不安定で、食糧輸入に危機感を抱いてるより、目に見える形で安心を確かめたい。健康に対する関心が高まってるからに違いない。日本の食糧自給率は65年当時は80%近く。それが高度経済成長と共に、工業製品と農産物の境がなくなり、等しく消費財と捉えられていった。

 でも、ちょっと考えればわかることだが、農産物は生命、そのままにしていれば腐敗する。生産地から近い場所で消費したほうが、身体にも良いし美味しく食べられる。そんな当たり前のことに、私たちは40年の歳月を経て、ようやく気づいたのかもしれない。

 生命は、手塩に掛けなきゃ育たない。愛情を注ぎ込まなきゃ実を結ばない。自分たちが食べるものを自分たちで作る。こうした基本に立ち戻ることが、人が人として暮らす原風景。その大事さを噛みしめれば、さまざまな問題も解決の糸口が見える。決して小さなことじゃない。

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2006年12月21日 (木)

ひとつの時代

 12月20日、青島幸男氏が骨髄異形成症候群で逝去。74歳だったという。多彩な才能を惜しみなく花開かせ、放送作家、俳優、直木賞受賞作家、映画監督、参議院議員、東京都知事として活躍し、その名を知らない人はいない。いつまでも生きてるような気がしたので、俄には信じられない。

 順風満帆の人生のようだが、スタートは早稲田大学在学中に結核に冒され、就職を断念し療養中に漫才の台本を書き、NHKのコンクールで採用されたこと。民放の「おとなの漫画」や「シャボン玉ホリデー」で、画面に登場するシナリオライターとして注目を集めた。

 クレージーキャッツのヒット曲を手掛けた作詞家としても成功し、「意地悪ばあさん」の主演でお茶の間にすっかり浸透した。義理と人情を重んじ、気っ風の良い江戸っ子気質は、そのまま庶民の味方としてのイメージを定着させ、畑違いの参院選でも見事にトップ当選を果たす。

 テレビの時代の申し子として活躍したが、組織の論理には最後まで馴染めず、東京都知事に当選したけれど、オール野党の都議会では持ち味を発揮できなかった。都知事を退任してからタレント活動を再開したが、積極的に登場しようとする勢いは失われ、静かに舞台を去った印象。

 個性が輝く時代は終わったのか、それとも新しい個性へ引き継がれていくのか、怒濤のように人生を駆け抜けた姿は、私たちの世代にはあまりに眩しい。青島氏が蒔いた種を一つひとつ実らせ、人が人として生きられる温かい世の中を創るのが、故人への何よりの餞ではなかろうか。

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2006年12月20日 (水)

下半身の問題

 政府税制調査会の本間正明会長が、民間人でありながら公務員宿舎に住み、そのうえ同居人を本妻としながら、実際は愛人と暮らしていたと、週刊誌にすっぱ抜かれたのはつい先日。公務員宿舎を大挙するだけでなく、税制調査会長の辞任を求める声が強まってる。

 どうやらこの人は、竹中平蔵さんに近い人らしいが、大阪市の都市経営諮問会議の議長を務めていたときも、地位の要求やら組織人事への口出しやら、きな臭い問題が伝わってる。学者としてどれだけ優秀なのか、そこのところはよくわからない。政界とのパイプが太いということか。

 やってることを見てると、典型的な権力志向、それも旧来型のスタイル。地位も名誉も財産も手に入れたら、色に走るから笑っちゃう。日本の庶民は、こうした生き方を一番許せない。短命で終わった宇野元総理大臣を、例に挙げるまでもない。暴露された時点で、辞任するしか道はない。

 ハッキリ言って、政策が正しいかどうかなど、誰も気にしちゃいない。無節操な男が声高に正論を唱えるのが許せない。そうした庶民感情に気づかず、本間さんを庇い立てするようなら、安倍首相も同じ穴の狢と目されて、クリーンなイメージが泥にまみれたら、少なくとも女性票は失われる。

 正直に言って復党問題より、はるかに支持率を下げる時限爆弾。一番きれいなのは本人が辞任することだけど、それができなきゃ、引導を渡すタイミングを間違えないようにしなきゃ、来年の参院選に禍根を残すに違いない。ここで問われるのは、安倍首相のリーダーシップ。

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2006年12月19日 (火)

人の痛みは……

 今春の診療報酬改定で、公的医療保険によるリハビリテーションの日数が、最長180日に制限されている。日本リハビリテーション医学会の調査によると、適切でないと判断する専門医が56%、妥当とするのは僅か7%、設定は必要だが日数に問題があるとするのが33%。

 こうしたケースとは違うのかもしれないが、私は3年前の4月に停止してる自動車にいて、居眠り運転のワゴン車に追突され、おまけにブレーキとアクセルを間違えて踏まれ、典型的なむち打ち状態。同乗してた妻は救急車で運ばれたが、私は警察官が来るまで待って事故の立ち会い。

 入院するまでに至らず、骨も折れてないことから、書記の診断は妻が1ヶ月、私は2週間。それくらいで完治すると思い込んでたら、後から首から腰にかけて痛み出す。筋肉の異常らしいが、医師に診断によれば湿布とリハビリでしか対応できず、民間の鍼などに頼ってもいけないとのこと。

 それから私は1年、妻は1年半、リハビリに通い続け、妻は完治しないまま保険会社の要請で、リハビリを打ち切らざるを得なかった。今でも少し疲れると、肩胛骨から腰まで固まってしまい、血流が悪くなるけど、私がさするくらいしか癒す方法がない。キリがないからガマンしろという理屈。

 私が通ってた頃も、高齢者を含めて長期のリハビリ患者は多かった。皆が時間をやり繰りして、少しでも痛みを和らげようと病院へ通う。必死に歩行訓練を続ける人もいた。それを風景で眺めれば、のんびりしてるように映るかもしれないが、誰もが歯を食いしばり堪え忍んでいる。

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2006年12月18日 (月)

インターネット

 インターネットの大手プロパイダの中枢で、3年半ほど活躍した人と話す機会があり、驚かされたのは想像してるより、インターネットを使ってる人が少ないこと。今年2月のデータでは、7千万人以上の利用者がいて、世帯普及率も6割に届こうとしてる。人口としては充分である。

 ところが実態では都市部に集中し、利用する範囲も偏りがあり、TVや新聞などのメディアには及ばないらしい。確かに言われてみると、さまざまな情報を発信しても、届く範囲が狭いという印象。中高年層の利用が増えてることも、インターネットの普及が加速化される印象を受けるのか。

 SNSのミクシィにも参加してるが、ユーザーが800万人を越えたのも遠い話。利用者の実感からすれば、やはり上限千人のミニコミュニティ。私のページを頻繁に覗いてくれるのも、300人くらいに見てるから、とてもじゃないがミリオンペースで声は届かない。小さな島がたくさんある感じ。

 それでもインターネットをベースに、稼いでる個人も組織も存在するのは事実。これから先の話になると、既存のメディアと複合して、さらに注目されるように考える。そのときに重要視されるのは、リアルの裏付けではなかろうか。バーチャルとして独立してたら、限界があるように思う。

 インターネットが普及し始めてから、やっと10年というところだから、新たな展開は間違いなく起こる。匿名性という要素は影が薄れていき、信頼に足るコンテンツだけが生き残る。そうならなければインターネットそのものが、善男善女から淘汰されるような気がしてる。

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2006年12月17日 (日)

本当に恐いのは

 小泉内閣時に全国で展開されたタウン・ミーティング、莫大な税金を投じただけでなく、官僚の主導による「やらせ問題」まで発覚し、落としどころは軽いお叱りと、担当大臣の報酬の一部返納。当事者たちの意識は薄いようだが、これは明らかに情報操作、民主主義の根幹を揺るがす大事件。

 タウンミーティングの内容は、さまざまなメディアを通じて流布され、それが民意として認知されるから、一般国民の意識にも強く影響を及ぼす。衆院選の自民党圧勝の背景に、タウンミーティングの存在があったことを否定できない。政府の構造改革を大半の国民が支持してると錯覚させた。

 イメージとして重なるのは、第一次世界大戦後のドイツ、当時は最も民主的とされたワイマール憲法の下で、ヒットラーが率いるナチス党は大躍進を遂げて、国民の支持を得て専制国家を形づくる。そのプロセスでゲッペルス宣伝大臣が、世論をコントロールした事実を忘れてはいけない。

 実際に絶対多数を占める与党が推進するのは、国権を強化する一方で、その皺寄せを国民に押しつける政策。弱者に負担を強いて、強者の権益に利することで、効率的に国家の財政を安定させ、国際的な発言力を強めようとしてる。その根拠になるのは、国民の支持を得た路線の踏襲。

 正直なところ、衆議院を解散し、国民に信を問うのが筋と考える。それがウヤムヤにされ、民主党も矛を収めてしまいそう。こうした茶番劇で政治離れを加速させ、その間に国会で決められた法令は、国民一人ひとりを縛りつける。何もやらないことで、私たちは崖っぷちまで追い詰められる。

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2006年12月16日 (土)

年賀状の季節

 来年の民営化を前に、郵政公社として最後の年賀状受付が始まった。『郵政研究』という雑誌に、連載させてもらってる私にも、いろいろと思うところがある。ここ数年の郵政民営化の流れで、一番大事なところが問われてない。それは郵便局が、国民にとって大切な存在であること。

 今さらながらに考えるけど、郵政民営化の背景には、莫大な運用資金を巡る利権と、それに伴う政官癒着があった。それはそれで改善されるべきであり、ひと握りの既得権者に貪らせてはいけない。でもよく考えてみると、それって大多数の国民と、郵便局で働く人とは関係ない話。

 銀行も証券会社もない離島や僻地でも、郵便局は地元と密接に関わって、そこに暮らす人たちのライフラインとなってきた。日本全国どこへでも郵便物が届けられるだけでなく、郵便貯金や簡易保険は安心な生活を支えてきた。その事実は、決して過小評価してはいけない。

 一連の不祥事と乱脈な運営が原因で、社会保険庁の民営化が論じられてるが、ここでも忘れてならないのは、年金や健康保険が果たしてる役割。病気や高齢で働けなくなったとき、誰にも頼らず暮らしていけるよう、皆が生活費を切り詰めて掛け金を支払ってる。明日のために、今日をガマンする。

 日本人は勤勉な国民と呼ばれるが、それはこうしたシステムが整備されてるから。真面目に一所懸命に働いていれば、日本全国どこに住もうと、裏切られないから頑張れる。その根っこのところを無視したら、一時的な経済成長を得られても、手痛いしっぺ返しを食らわされる。

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2006年12月15日 (金)

そのまんま知事

 宮崎県の現職知事が辞職したのを受け。タレントのそのまんま東氏が立候補を表明。すでに共産党県委員長の津島忠勝氏が党公認で立候補。自民党は元経済産業省課長の持永哲志氏を推薦候補として絞り込み、民主党も独自候補の擁立を視野に入れて動いてる。明らかに混戦になりそう。

 安藤前知事の辞職の理由が汚職に絡んでるばかりでなく、県の高級官僚も関わっており、行政のトップクラスが逮捕されているだけに、保守王国といえども選挙結果に予断を許さない。そのまんま知事の誕生も、決して笑い話とは思えない。私はそれも、一石を投じる効果はあると考えてる。

 単なるタレント候補なら、お騒がせなだけ。でも東氏は政治を志して早稲田大学に再入学し、平穏な暮らしを求める妻と離縁し、本気で日本の政治を変えようとしてる。政治手法も行政の常識も知らないだろうけど、それだけに庶民の視点でメスを入れられるのじゃないか。

 お笑いタレントとして悪ふざけしたり、ゴシップ記事をすっぱ抜かれたり、タケシ軍団のリーダーとして、警察のお世話になったこともある。そうした履歴を踏まえて、なおかつ政治を志す気持ちに、私が宮崎県民なら、一票を投じたい気もあるが、本当に決めるのは政策を聞いてから。

 所属事務所との契約を打ち切り、芸能人の応援を頼まず、背水の陣で闘う東氏が、宮崎県知事に最適かどうかは別として、候補者の一人として真剣に向かい合ってほしい。たとえうまくいかないところが出ても、そのプロセスで明らかになることは、宮崎県民にとってマイナスではないと思う。

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2006年12月14日 (木)

道路特定財源って

 来年度の道路特定財源の税収は3兆5千億円、予定している道路を建設しても5千億円余るから、その半分を一般財源化するという。聖域なき構造改革を推し進めると言えば聞こえは良いが、その前に原資は受益者負担という事実を忘れていないか。不公平な税収はスルーされている。

 自動車重量税もガソリン税も2倍以上の暫定税率、アクセスの整備を急ぐために緊急発動されたままで、いつの間にか見過ごされてしまっている。モータリゼーションの進展と共に、道路も必要とされたには違いないけど、不透明な建設費の使途は周知の事実として問題視されている。

 大切なのは道路を建設するか否かでなく、必要な道路を適正な予算で建設すること。その間に私腹を肥やす人を認めないこと。使うことが目的で、建設そのものを自己目的化しないこと。交通量が少なくとも、陸の孤島にしないために、開通させる道路はあっても良い。

 それと同時に配慮すべきなのは、公共交通機関への優遇措置。利用客の少ない地方のバスを、経済原則だけで路線を廃止させたら、困ってしまう人はたくさんいる。アクセスの整備を目的とするなら、道路特定財源の中からサポートするという手もある。国税なのだから、国全体を視野に入れるべき。

 税金は少ないほうが嬉しいけれど、合理的な理由があれば納得できる。ところが暫定税率をウヤムヤにしたうえで、既得権者の財布代わりにされるのじゃ、文句も出ようというものだ。日本を良くするために選ばれた代議士なら、日本の国民が幸せになることを一番最初に考えてほしい。

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2006年12月13日 (水)

夕張市民は日本人!?

 北海道夕張市が財政破綻し、来年度からは財政再建団体へ。炭坑の街として栄えた夕張だが、1990年にすべてが閉山。観光に活路を求めて、夕張メロンや映画祭など話題になったものもあったが、成果を導くまでには至らず。そのうえ財務管理が放漫で、ついに自力での再建をあきらめた。

 お役所仕事の見通しの甘さもあるし、営業戦略も下手だったに違いないが、この辺りの反省は夕張市だけが負うものではない。どこの地方都市でも武家の商法、対岸の火事と思わないこと。問題なのは財政破綻が明らかになってからの、政治家やお役人たちの振る舞い。

 市長の給与は7割減というけど、経営責任を問うなら、それでも高い。309人の市職員は、早期退職説明会に170人が参加。当事者意識があるなら、退職金など受け取れないだろう。実際に民間企業が倒産したら、社員は問答無用に職を失い、翌日から路頭に迷うしか選択肢はない。

 夕張市やその関係者が責任を負うのは当然だが、住民にまで求めるのはお門違い。今のままの計画なら動ける人は他の街へ移り、高齢者や地元を離れられない人だけが、不便な生活を強いられることになる。無風地帯の選挙区で、投票した責任をそこまで問い詰めるのか。

 忘れてならないのは、夕張市民も日本国民。小学校をひとつにするとか、図書館をなくすとか、病院を小さくするとか、それを切り捨てとは言わないのか。処分すべきは処分して、責任を負うべきは負わして、そのうえで普通に暮らす人たちが、穏やかに暮らせるようにするのが政治じゃないのか。

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2006年12月12日 (火)

御手洗ビジョン

 日本経団連が新年に発表する将来構想の原案が明らかになった。御手洗富士夫会長が就任してから初めて、公にされる経済界重鎮の意見だから、政界、官界はもとより一般国民も無関心ではいられない。税制や経済のテーマだけでなく、教育から憲法のテーマまで幅広く盛り込まれてる。

 経済の活性化を図るために、法人税の大幅減税を強調するのは、その立場から当たり前だろう。消費税については引き上げもやむなしとしてるが、11年度までに2%と提示して、政界が示す10%以上に届かない。これも消費市場を睨めば妥当なライン。税金は打ち出の小槌ではないと知ってる。

 そこで狙うのは、9年度での基礎年金の国庫負担割合の引き上げと、11年度に予定する基礎的財政数字の黒字化。どちらにしても必要不可欠なのは、政官界の自浄作用と大胆な経費削減。経済界がどこまで踏み込もうとしてるのか、今のところはハッキリと見えない。

 15年までに400万人減少するとされている労働人口を、外国人の受け入れや女性および高齢者の活用で100万人の減少に抑えるという。この辺りはいささか疑問視、ニートやフリーターの問題も含め、雇用形態や労働分配率を捉え直さなければ、安定した労働力は確保できないと考える。

 憲法改正にまで言及し、基本的には現政権の政策を支持する流れだが、その推移を穏やかにしようとする印象。国民的合意を強く意識してるのは、御手洗氏の人柄のような気もする。そうは言っても枠組みを変えようとはしないから、どれだけの実効力を持てるかが試金石。

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2006年12月11日 (月)

自立する時代

 しばらく休んでいたけど、師走になったこともあって、世間はやはり騒がしい。政治や経済の大きな流れを見てると、ますます個人の自立を求められ、横並びの繁栄を望めそうもない。格差社会の問題点を指摘されながら、格差を助長する傾向は強まってる。富国強兵という言葉が現実味を帯びてくる。

 格差の基準になるのは経済原則、富を集めた人は優遇され、そうでない人は排除される。そのプロセスでルール違反していても、罰則は軽微で財産を没収されたりしない。ほとぼりが冷めたら、蓄積した富をベースにして、何度でも勝負を仕掛けられる。富がなければチャレンジもできない。

 明らかにアメリカを模した社会へ移行してるのだけど、日本人の大半が選挙で支持してるのなら、それも仕方がないのだろう。皆が自分は成功者になり、豊かな老後を過ごせると信じ、ジャパニーズ・ドリームの実現へ清き一票を投じてる。穏やかに暮らすより、勝利を目指して闘いたい。

 それならそれで腹を決めること。泣き言を口に出しても、誰も手を差し延べてくれない。今までの成功法則が、これからも通用するとは限らない。昨日の延長線上に明日を描けなければ、アドバンテージと思っていたものが足枷になることも。優秀な大学を卒業しても、それで人生は保証されない。

 これは企業や組織も同じ。過去の実績に胡座を掻いてると、根元から崩れ去る危機が訪れる。富裕層だからといって、ウカウカ油断してたら、尻の毛まで抜かれかねない。皆が皆で闘い合って、血を流した果てに、本当に幸せは見えるのだろうか。私たちは、それを望んでいるのだろうか。

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