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2006年9月19日 (火)

どうして話せないの

 さいたま市北区で54歳の男性が、わが子を意志で殴り殺し、首吊り自殺。私が生まれた街で、私と同い年の男が、「申し訳ない」と書き遺し苦渋の決断。親が子を殺し、子が親を殺し、それが日常茶飯事。とりわけ親が子を殺すのは、育てたプロセスの全否定。

 私もひとり娘の親だから、コミュニケーションの難しさはわかってる。良かれと思ってやったことでも、娘には伝わらず、心の傷になってることもある。そのときは軽い気持ちで放った言葉が、娘に突き刺さり、後で悔やんだこともある。私の目には、30歳を迎え二児の母となった娘は危なっかしい。

 高度経済成長の影響を受け、若い人たちは生まれたときから満たされてる。必要なものは欲しいという前に準備され、手厚く保護され成人してる。それだけに打たれ弱く、硝子のように繊細。いきなり怒鳴りつければ萎縮して、自分の殻の中に閉じ籠もるだけ。私たちがそうさせてしまった。

 それでも時間を掛けて語りかけ、話す言葉に耳を傾ければ、少しずつだけど成熟していく。これは私の娘だけでなく、さまざまな場面で出会う若い人たちに共通し、自分の頭で考え、自分の足で歩くようになると、大きな可能性を花開かせていく。あきらめなければ、いくらでも何とかなる。

 あえて死者に鞭打てば、殺すくらいなら親子の縁を切り、冷たい世間に放り出せ。子どもがどう育とうと、親としては責任を免れない。忸怩たる思いを胸に抱き、悔やみながら日々を過ごし、それでも子どもに未来を託すのが親の務め。無理心中は楽になる逃げ道。

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