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2006年8月 6日 (日)

濡れ手で粟じゃ悪いのか

 世の中は、不公平にできてる。生まれも育ちも、スタイルも頭の良さも、皆が違うのだから、ヨーイドンとスタートしても、公平な競争というわけにはいかない。明らかに有利なポジションを得てる人もいれば、その正反対の人もいる。努力が必ず報われるとも限らない。

 それはそれとして身の程をわきまえ、足りるを知って暮らしたのは昔の人。今では皆が優位に立とうとして、競争をあきらめようとしない。それだけチャンスが拡大したのだから、喜ばしい傾向なのかもしれない。うまくやれば私だって、一発逆転の可能性がある。

 勘違いしてならないのは、誰も自分が得た権益を、無償で提供しないという事実。世の中のニーズを的確に捉え、それを満たす仕掛けを用意すれば、濡れ手で粟も夢じゃないが、そこへ至るまでのプロセスは、試行錯誤の繰り返し。道に転がっていても、そう簡単に拾えない。

 どんな世界にもセンスがあり、それを磨いてる人は、さしたる苦労もなく成果を導ける。その逆にセンスの欠片もない人は、どんなに努力を重ねたつもりでも、骨折り損のくたびれ儲け。自分に向いてる仕事なら、いくら働いても楽しくて、頑張ってる自覚がないという事情もある。

 一番気の毒なのは、濡れ手で粟を夢見て、いつまでも餌食にされる人。宝くじを買い続けても、当たらない人は当たらない。砂浜に落ちてる一粒の宝石を探し、講習を受けたところで役立たない。濡れ手で粟は結果でしかない。その前に何をやりたいのかを考えることに気づかなきゃ。

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