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2006年7月18日 (火)

責任の所在

 パロマのガス湯沸かし器による一酸化中毒で、死者を含む多数の犠牲者が生まれたと、世間を騒がしているが、とりわけ重要なのは、この事件の源が20年前にさかのぼること。事故の発生を知りながら、原因を究明することなく、犯人探しに躍起になった結果である。

 あってはならない事故だが、技術が複雑に発展すれば、生死に関わる問題をもたらすこともある。それはガスに限らず、電気や石油、原子力などのエネルギー、機械化された製品のほとんどが、失敗を積み重ねながら、利便性を高めざるを得ない宿命。失敗したときの態度が問われる。

 企業活動の基本として、利益を求めるは、決して間違ってない。適正な経営活動の成果として、どれだけ多くの利益を得ようと、誰も異を唱えるはずがない。しかしそのプロセスに不正があったり、やるべきことをやらなければ、企業は社会の一員としての資格を奪われる。

 こうした不祥事が間欠泉のように起こり、築き上げた企業の根底を疑われるのは、経営の根底に人間に対する哲学を置かず、表面的な数字だけで短期的に評価する傾向が強いから。企業に関わる一人ひとりが責任を負うのは、顧客や消費者でなく、経営者や株主。

 こうした発想を根本から切り換えなければ、同じような事件はこれからも起こる。問題が明るみに出たとき、社会は企業を許さないが、経営者や従業員はその意味を理解できない。何が企業にとって大事なのか、対岸の火事と思わずに、自らを問い直すことが肝心。

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