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2006年7月10日 (月)

親殺しの系譜

 最近、学業の優秀な子が、父母を殺害する事件が相次いでる。世間から見れば恵まれた環境に置かれてるのに、本人にすれば堪えきれない抑圧をはねのけるには、父母を殺すしか他に出口が見いだせないのだろう。抑圧が消えたとたんに、憑き物が落ちたような状態になる。

 今さらフロイトでもないが、私たちはオディップスの時代から、父を殺して成人するのが通過儀礼。親の支配下に置かれた状況から、心理的葛藤を乗り越えて、自立した個人として地歩を築く。父を殺した段階から、父は絶対君主でなく、人生の先輩のひとりになる。

 それを短絡的に物理的な殺害へ走るのは、生きるためのトレーニングをしてないから。唯一の価値観を押しつけられ、競争に勝つことだけを強いられるのは、人ではなくサラブレッドである。いかに駿馬と讃えられようとも、競走馬はしょせん人の慰みものでしかない。

 確かに若者は間違えるし、大人の判断が正しいことも多い。しかしオギャーと生まれた瞬間から、人は人として独立した存在。アドバイスを与えても、強制的に道を歩かせてはならない。親の目から見れば愚かな選択でも、行くと言われたら行かせるしかない。それが親としての最初の覚悟。

 それでも子どもに最善の道を歩ませたいのが親心、ダメなものはダメと叱らねばならない。それではどうするのか? 親が柔らかな価値観を持ち、臨機応変に対処する力を備えること。親の価値観が狭ければ、子どもはそこから抜け出せず、安易な解決策しか思いつかない。

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