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2006年7月31日 (月)

何もできないけど

 イスラエルとレバノンの紛争は泥沼化してるが、今度はレバノンの市民が非難してるビルを、イスラエル軍が空爆して、子ども37人を含む57人の犠牲者と報じられてる。非戦闘員であろうとお構いなしに、民族を根絶やしするような憎悪の連鎖を、どこかで断ち切れないものか。

 イスラエルは元々ユダヤ人とアラブ人が混在し、首都のエルサレムは、キリスト教にとっても回教にとっても聖地。さまざまな火種を抱えてたのは事実。それを1948年に国連がパレスチナの分割を決議し、イスラエルが建国してパレスチナ難民が生まれた。

 欧米の覇権主義がアラブ諸国の反発を招き、半世紀を経てもどちらも譲る気配はなし。それどころかイスラエルはアメリカと強い軍事同盟を結び、武力で主張を貫こうとする。一方のアラブ諸国もロシアや中国から武器を援助されてるから、一触即発の緊張は常に存在してた。

 紛争の発端はレバノンのヒズボラ派武装組織が、イスラエル軍の兵士を捕らえて、人質解放の条件としてパレスチナ人解放を突きつけたこと。これに対してイスラエルは、過剰な攻撃を繰り返し、国連軍さえ襲撃。欧米諸国の仲裁案にも耳を貸そうともしない。

 指導者層の思惑は諸々あるだろうが、そこで暮らす人の願いは穏やかな日々。子どもが安心して成人し、家族をつくり次の世代へ繋ぐ。そこにはお互いに異論はないはずだから、恩讐を乗り越えて理性的に話し合い、欧米が関与せずに新しい形を求めるのは無理なのだろうか。

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2006年7月30日 (日)

繋がりたい気持ち

 韓国に拠点を置く新興宗教集団の教祖が、本国だけでなく日本でも、信徒に対して性的暴行を加え、被害者は100人を超えるという。本国での犯罪で国際指名手配を受けたが、現在も潜伏中。日本での信者は2,000人以上。有名大学へ通う学生が多いらしい。

 韓国と聞けば、すぐに思い出すのが統一協会。集団結婚やら霊感商法で世間を騒がせたから、名前くらい覚えてる人もいるだろう。有名大学の学生が入信したのは、麻原彰晃が率いるオーム真理教。傍目から見れば何の不足もない若者たちが、こうした宗教組織へ寄り添っていく。

 競争に勝ち抜いてきた孤独感もあるだろうし、情緒的に満たされない飢餓感もあるだろうし、どこかで何かに縋りたい気持ち、わからなくはない。淋しいのかな。心を預けてしまえば楽になるし、心を預けた以上は身体くらい、差し出すのはわけがない。

 人はひとりで生きていけないから、いつも誰かと繋がりたいと願う。さまざまなコミュニケーションを経て、友情が芽生えたり、恋愛へ発展したり、個と個が結びついていく。精神的に強い背景を求めれば、宗教へ入信したり、政治組織に参加して、その中に溶け込もうとする。

 それぞれが、不思議ではない人間の営み。どのように生きても自由だが、自分を大切に思うなら、もう少し強い心を鍛えなきゃ。こうした事件が起こる背景の一因には、私たち大人が信頼されてないということもある。対岸の火事と思わずに、接する人たちと真剣に向かい合おう。

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2006年7月29日 (土)

県庁の民営化!?

 今夜も爆笑問題のTV番組を観た。今日のテーマは、県庁や市役所を民営化する。警察や教育は国の直轄として、いわゆるお役所仕事の怠慢を衝き、税金の無駄遣いをなくす趣旨。地方公務員の年収は、普通のサラリーマンより250万円高く、さまざまな手当てが支給されてるのが現実。

 それは無茶との意見が多かったけど、そもそも皆が誤解してるのは、民営化すると利潤を追求し、公平を保てないと思い込んでる。普通の会社なら、商品やサービスを買ってくれるお客さまを大事にするが、行政の場合には黙っていても税金を納めてもらえる。ここが根本的に違う。

 つまり税金を納めるかどうかでなく、どのように遣われたかが重要。そのくらいは誰でもわかり、予算が決まればガイドラインに従って行動する。金持ちを優遇して、貧乏人を切り捨てるわけがない。むしろぬるま湯に馴れた公務員のほうが、使命を忘れてるのは誰の目にも明らか。

 本当のことを言えば、議員や役人の報酬を、お手盛りで決めてるのが諸悪の根元。市民や国民を無作為に選定し、報酬のバランスを見直せば、間違いなく軒並み大幅に削減される。それができなきゃ、民営化したところで、足りなきゃ税金や借金で埋める体質は変わらない。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるのは、日本実の体質なのだろうが、借金をこさえた張本人は、私財で弁済するのが常識。すでに退職してようが、不透明な収入は精算させ、お役人になったからといって、議員に当選したからといって、甘い汁を吸わせないようにしなきゃダメ。

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2006年7月28日 (金)

10%の消費税

 自民党総裁選に谷垣財務省が立候補を表明し、小泉路線を継承すると言われてる安部官房長官との対立軸を明らかにした。それはそれで良いのだが、気になるのは消費税率10%以上を掲げたこと。社会福祉が目的と言うが、消費税が最初に導入されたときからのお題目。

 民主主義国家だから、必要な税金は納めなきゃならないし、都市と地方に格差があるのも困るし、ましてや弱い人が置いてきぼりにされるのは、この国に暮らしてる甲斐がない。納得できるものなら、懐が痛むのも仕方ない。でも、その前にやっておくべきことがあるだろう。

 谷垣財務省も深く関わった骨太の方針とやらで、行政改革は目途が付いたような口振り。冗談を言っちゃいけませんや。社会保険庁の責任は、どう落とし前をつける。政治家や官僚の報酬は、どこまで切り下げる。国民の誰ひとり、現場の公務員を切れとは言ってない。

 自分らを安全な場所に置き、既得権はシッカリと押さえて、トカゲの尻尾を切るように、木っ端役人の首を差し出されても、インサイダー取引で儲けた官僚出身者を、世間の批判をどこ吹く風と受け流して、日銀総裁に据え置くような神経で、どこを信用しろというのか。

 まず隗より始めよ。国民に血を流させるなら、日本の支配層と呼ばれてきた人たちが、最初に責任を明らかにして、今までに溜め込んできたものを吐き出すこと。それでも足りないというのなら、その説き初めて私たちは、消費税の引き上げに賛意を表す。あまり舐めんじゃないよ。

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2006年7月27日 (木)

お金を借りるのは

 与謝野金融大臣が金融庁での貸金業制度等懇親会に出席し、貸金業の上限金利引き下げに伴い、少額で短期の場合には例外として高金利を認める案に対し、例外が例外でなくなると釘を刺したと報じられてる。見識であり、こうした例外を認めれば、ザル法になるのは目に見えてる。

 誰だって豊かな生活を楽しみたいし、そうでなくとも生きるには金が要る。働けなかったり、働いても足りなかったり、不本意ながら融通せざるを得ない。親族や隣近所に頭を下げたり、質草を見つけたり、大事にしている物品を売り払ったり、生活を切り詰めたり……。

 ひと昔前までは、貸金業に頼るのはその後。銀行は元々、庶民に金を貸してくれない。金利が高いのを承知で借りるのは、よくよくのことだから、借りる側も貸す側もひっそりと行ってた。ところが高度経済成長の影響か、いつの間にかお互いに手軽なキャッシング。

 貸金業界の言い分は、金利を下げると審査が厳しくなり、借りられない人は闇金に流れる。これはいつも出てくる常套句。しかし実際には、審査を厳しくしたほうが、安易に借りる人を減らす。消費者金融に断られた人は、闇金に走る前に、お金を用立てるのをあきらめる。

 莫大な費用のTVCMを垂れ流すように使い、若い女性や動物のイメージで、金を借りる後ろめたさを和らげ、貸金業界は飛躍的に成長してるが、それが異常と気づかねばならない。借りたお金は返さなきゃならない。それは大変なんだと、世間の常識を取り戻すことが肝心。

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2006年7月26日 (水)

自分と向かい合う

 本を書いたり、講演したり、それで生計を立てていることを、なかなか理解してもらえない。個人的な相談を、メールで持ちかけられるが、無視するわけにもいかず、ていねいに応えていたら、仕事に影響を及ぼしてしまい、どの程度にしておけば良いのか困ってしまう。

 もしかしたら悩みを打ち明けることで、問題の大半は解決して、私が真剣に考えずとも済むのかもしれない。けれどメールを読んでしまったら、それなりのコメントを返すのが礼儀と、思ってしまうのは私が旧いのか。無償で人の知恵を当てにしてるのだから、取り合わなければ良いのか。

 営業という仕事は、それぞれに置かれた環境が異なり、それに伴って浮かび上がる問題も個別。確かに本を読んでも、セミナーに参加しても、自分が直面する問題に、ストレートに応えてくれない。自分自身のフィールターを通す能力がなければ、遠い世界の話に聞こえてしまったりする。

 それでも自分自身と向かい合い、すべての源泉は自分にあると考えれば、想像力を働かせてヒントを見いだせる。そのときに肝心なのは闘う覚悟。実を言うと問題点は、当事者ならぼんやりとわかっていて、そこを突き抜けるには闘わねばならないのもわかってる。

 誰かに手を差し延べてもらえば、傷つかずに済むと思うのは、皆が弱い人間だから仕方ない。でも、そこで助けてもらったら、いつまで経っても闘い方が身につかない。厳しいことを言うようだが、自分で苦しみ、悩み、這いずり回り、結果を恐れずにぶつからねば、可能性は開かれない。

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2006年7月25日 (火)

違うような気がする

 朝日新聞によると、戦時中に日本軍に動員されて戦死した朝鮮人の遺骨返還に関わり、政府は北朝鮮在住の遺族3人と同行者2人の入国を拒否し、通知したという。市民団体が主催する交流行事に、韓国人遺族と共に出席する予定だった。原因は言うまでもなく、北朝鮮に対する制裁措置。

 感情的にはわかるような気もするが、第二次世界大戦で日本が、朝鮮半島から中国大陸を侵略したのは、明らかな歴史的事実。そこで暮らす人たちを強制的に徴集し、日本軍として闘わせたのは人道に反する。その結果死へ至らしめた遺族に対し、国籍を問うのは如何なものか。

 私は典型的な小市民だから、今の日本の社会を是認するし、北朝鮮のような独裁国家に生まれなくて良かったと思う。報道で伝えられる北朝鮮の論理も、独善的で間違ってると考える。だけど、それとこれは違う。第二次世界大戦の評価は別として、アジアの人たちを苦しめたことは認めなきゃ。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。それが屁理屈とわかるのが日本人。今どこで暮らしていようが、過去に迷惑を掛けた人の関係者なのだから、礼を尽くして温かく迎えるのが人情ではなかろうか。国籍や思想信条いろいろ違っても、人と人として接するのが日本人のスタンス。

 私の考えは甘いかもしれないし、単純すぎるに違いない。でも、お殿様でも家来でも、風呂に入るときは皆裸、相手がどこの国の人だろうと、切れば赤い血が流れるのも同じ。太平洋戦争の戦死者の遺族なら、さぞかし高齢者なのだろうから、あまり冷たくしないでほしい。

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2006年7月24日 (月)

野球は夢を与えるか

 山本圭一さんの淫行容疑に端を発し、揺れ動いた欽ちゃん球団も、ファンの熱い声援を受けて存続が決まった。これで選手たちも胸を撫で下ろし、試合を楽しみにしてた人たちもほっとしてるだろう。これで一件落着かと思えば、こうしたときには必ず外野席から野次が飛ぶ。

 世間を騒がせ、少年たちの夢を壊した社会的責任を、どのようにとるのかというメディアの声。たかが草野球の球団ひとつが、潰れようが潰れまいが、余計なお世話というもの。周囲で騒ぎ立て、煽ったのはメディアじゃないのか。こういうのをマッチポンプと呼んでる。

 それに少年の夢だって、いつの時代の話をしてるんだ。今どきの小学生だって、野球選手が立派な人なんて思ってない。野球が上手で運が良けりゃ、プロの選手になって大金を稼げる。小さい頃から野球に明け暮れた人たちが、知識も常識も薄いことくらいわかってる。

 自分の能力が野球にあれば、高収入を得られる職業の選択肢として、野球を挙げるだけ。それと野球を観る意識は明らかに違う。数あるエンターテーメントの中のひとつのチャンネルとして、野球を観戦してるに過ぎないから、サッカーのほうがおもしろければサッカーを観る。

 まして草野球なら、好きか嫌いで決まる世界。野球が好きだけど、それで飯を食えなきゃ、他のことで飯を食いながら、それでも野球がしたい。素人演劇、素人楽団、そんなものはいくらでもある。何か問題が起きたときだけ、正義の仮面をかぶって、安全な場所から攻撃するんじゃないよ。

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2006年7月23日 (日)

MLMの勘違い

 私自身は関わったことはないが、仕事がらMLMのことも少しはわかる。1950年代からアメリカで始まった販売形態で、企業と消費者をダイレクトに結ぶことで、中間の流通マージンを排除でき、消費者に紹介料を還元するシステム。原則としては違法性はない。

 要するに企業以外は皆が消費者なのだが、販売する権利を得ることで、自営業者のように錯覚する。これが最初の躓き。次に階層ごとに紹介のマージンが違うので、組織をつくれば働かなくとも収入を得られるように思い込む。これが第二の躓き。あげくの果てはセミリタイアの夢を見る。

 少し考えればわかることだが、どのような商品でも、永久無限に消費され続けることは難しい。飽きたらやめるし、死んだら消費できないし、金がなければ商品を買えない。会社組織と根本的に異なるのは、お互いがお互いを当てにして、すぐに崩れる性質を帯びてること。

 それでも商品に惚れ込んで、良い物だから勧めてるなら、マージンが入ろうが入るまいが文句は出ない。ところが商品が二の次で、お金儲けが最優先。そのうえ楽して儲けたい心構えの人が多ければ、さまざまなトラブルを引き起こすのは目に見えてる。他人は自分の都合で動いてくれない。

 率直に言ってMLMそのものに問題があるというより、そこに関わる人の意識に問題が多すぎる。お金儲けは額に汗して働くか、誰も考えられないアイデアを捻り出すか、どちらにしても苦労しなければうまくいかない。消費者はどこまでも消費者、その基本を忘れないことが肝心。

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2006年7月22日 (土)

世襲は是か非か

 ここのところハマッてるのが、日テレ金曜日20時からの、爆笑問題のバラエティ番組。今夜は二世議員を認めるなというテーマ。二世議員が大挙出演してたから、結果は最初からわかってたが、そのやり取りはおもしろかった。国会議員に限らず、世襲は思ってるより多い。

 落語や歌舞伎の世界も世襲だが、生まれたときから環境に馴染み、芸を磨ける利点がある一方で、閉ざされた世界になりがちで、新しい才能は受け入れられない。言われてみると落語が衰退し、漫才やコントに人気が集まるのも、この辺りに一因があるのかもしれない。

 だけど落語家には、誰にでもなれる。ひと昔前の名人と呼ばれた人たちは、必ずしも親の跡を継いだわけじゃない。そこで思い当たるのが、既得権を得てること。林家正蔵など親の七光りだけで、ろくな芸もできずに札びらを切ってるのは有名な話。貧乏で芸を磨いたことなど金輪際ない。

 これが政治家ともなると、話は深刻で、世情に疎いまま先生になり、当選回数が多いので要職を務める。金に苦労したことなどないから、役人の給料を高いとも考えられず、庶民の生活の苦しさも想像できない。そうした人たちが、日本のルールを決めてるというわけ。

 会社にしても、同族経営を前面に出すと、優秀な社員が去っていく。ひと昔前に比べると、日本人は既得権を無前提に承認しなくなってる。この傾向はこれからますます強まるに違いない。世襲が良いか悪いかを問う前に、公正な競争を実現できるかどうかを検証すること。

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2006年7月21日 (金)

MLMからのお誘い

 先日、知人から明らかにMLMのお誘い。商品も悪くなさそうだし、稼ごうと思えば稼げるし、従来とは異なった方法で試したいこともある。この手の案内は、いつもならすぐ断るのだが、ちょっと気になり数人に相談した。そのうちのひとりから的確な返信。

 MLMに誘い込まれるときは、迷いが生じてることが多い。自らが根になってビジネスを立ち上げるなら良いが、できあがった組織に組み込まれたら、稼げたとしても一過性で終わる。それくらいの理屈は、わかってるじゃないですか。仰るとおり、ひと言もない。

 営業について考える毎日だから、ときどき無性に現場へ戻りたくなる。納得できる商材があれば、自分で動いて売上を伸ばしたい。そんな気分が高まってくると、お客さまを訪問し、既成の概念をひっくり返し、新しい価値に対する理解と共感を得たくなる。

 でも、違うんだよね。やるなら自分で0から始め、一つひとつ積み上げなきゃ。他人が築いた城は、しょせん外様で雇われるだけ。お金があるとか、ないとかじゃなく、濡れ手で粟を願う気持ちのどこかに、隙が生まれてるということ。桑原、桑原、持ち味を忘れちゃいけない。

 それでも営業の現場の匂いは、私の胸をワクワクドキドキさせる。ビジネスを立ち上げることも視野に入れ、自分自身を見つめ直す時機なのかもしれない。世の中が急激に変化して、従来の価値が問い直されてるのだから、裸になって可能性を切り開くのも必要なのかも。

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2006年7月20日 (木)

誰が勘違いさせてるのか

 極楽とんぼの山本さんが、函館で女子高校生と淫らな振る舞い。それが発覚して吉本興業から解雇され、出演予定のTV番組は中止を決定。それだけじゃなく所属する野球倶楽部まで、主宰者の萩本欽一さんは解散を宣言。萩本さんの潔さは立派だが、山本さんは氷山の一角のような気がする。

 TVのバラエティ番組を観てると、お笑い芸人たちが当たり前のように、素人の女性とコンパしてると自慢話。酒を飲んで酔わせれば、その後にどのような展開が待ってるのか、大人の男と女なら想像できる。17歳の女子高生になれば、ホテルへ付いていくことの意味も理解できるだろう。

 男と女が肌を合わせるには、お互いにそれなりの覚悟が必要。一生を添い遂げる気持ちがなければ、男は女を誘わないし、女も応じることなどない。それが私たちの世代の常識。そうした感覚を古臭いと思うなら、何があっても泣き言など吐かない。自らの責任ですべてを負えば良い。

 ちょっと有名だったり、小金を溜めてたり、近寄っておこぼれにあずかろうとすれば、相手が勘違いするのは仕方ない。少し余計にお金を渡せば、何でも思い通りになると、世間の常識から隔離されていく。芸人と一般人の境界線を、最初に無視したのはどちらなのか。

 ファンと称する人たちも、芸人を画面の中に閉じこめておかない。擬似的な恋愛関係を楽しみ、遊んでるのはお互いさま。まして酒が絡んだら、酔って支離滅裂、後は野となれ山となれ。舞台の上で尻を見せるのが許されるなら、どこで何をやろうがお咎めなしと思ってしまう。

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2006年7月19日 (水)

梅雨はいつ明けるのか

 今年は5月の連休明けの頃から、雨が降る日が多いだけでなく、局地的な豪雨に見舞われてる。西日本全域から甲信越、東海まで、土砂崩れや水害の被害も次々と報じられてる。犠牲者を出すほどの大雨になると、その後の復旧も大変で、及ぼす影響は計り知れない。

 天気のことだから、なかなか防ぐ手段を講じられないが、こうなると国と地域の連携の重要性。時代の流れは地方分権へ移ってるが、単にそれぞれの地域を切り離すのでは、抜本的な問題解決にならないと、つくづく考えさせられる。日本は狭い国土に、たくさんの山々が連なってる。

 私が暮らす首都圏は、人口が集中してるうえに、関東平野という環境にも恵まれ、自然災害を避けられてるが、日本の中では珍しい地域。車で1時間も走れば、切り立った山肌の間を抜け、狭い平地を活かさざるを得ない地域が多い。人口が疎らなのも、そこに暮らす人のせいじゃない。

 大雨による被害も、地震による被害も、どちらかといえば都市部より、こうした地域に集中してるなら、都市に暮らす人がサポートするのは当たり前。国が復旧に尽くさなければ、誰も暮らせなくなっていく。その結果、一番困るのは都市に暮らす人たちではないか。

 人智を尽くしても、自然の猛威に逆らえないのなら、人智を尽くして、人の暮らしを守るのが最優先事項。日本のどこで暮らしていても、安心して毎日を過ごせるように、何かがあったときには、日本国民皆の助力を得られるように、その前提を踏み外したら改革とは呼べない。

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2006年7月18日 (火)

責任の所在

 パロマのガス湯沸かし器による一酸化中毒で、死者を含む多数の犠牲者が生まれたと、世間を騒がしているが、とりわけ重要なのは、この事件の源が20年前にさかのぼること。事故の発生を知りながら、原因を究明することなく、犯人探しに躍起になった結果である。

 あってはならない事故だが、技術が複雑に発展すれば、生死に関わる問題をもたらすこともある。それはガスに限らず、電気や石油、原子力などのエネルギー、機械化された製品のほとんどが、失敗を積み重ねながら、利便性を高めざるを得ない宿命。失敗したときの態度が問われる。

 企業活動の基本として、利益を求めるは、決して間違ってない。適正な経営活動の成果として、どれだけ多くの利益を得ようと、誰も異を唱えるはずがない。しかしそのプロセスに不正があったり、やるべきことをやらなければ、企業は社会の一員としての資格を奪われる。

 こうした不祥事が間欠泉のように起こり、築き上げた企業の根底を疑われるのは、経営の根底に人間に対する哲学を置かず、表面的な数字だけで短期的に評価する傾向が強いから。企業に関わる一人ひとりが責任を負うのは、顧客や消費者でなく、経営者や株主。

 こうした発想を根本から切り換えなければ、同じような事件はこれからも起こる。問題が明るみに出たとき、社会は企業を許さないが、経営者や従業員はその意味を理解できない。何が企業にとって大事なのか、対岸の火事と思わずに、自らを問い直すことが肝心。

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2006年7月17日 (月)

自然と共生できるのか

 今日は「海の日」だとか。海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の発展を願う趣旨ということだけど、なーに90年代の半ばに国民の休日を増やそうと、こじつけて発足したものだから、7月の第3月曜日などとわけのわからない祝日になってる。それでも自然との共生を考える切っ掛けになる。

 そんなことを思いながらTVを眺めてると、今年も各地で野生の猿が暴れてるらしい。画面に映し出されたのは軽井沢だが、日光でも大暴れしてるのは有名だし、春先には屋久島の様子が報じられる。自然保護の条例のために、ほとんどの土地では猿を駆除するわけにもいかない。

 猿が里へ下りて来るには、さまざまな要因があるのだろうが、人間の自然への働きかけが無計画なのも、見落としてはならない理由のひとつ。山に餌があるうちは、猿もテリトリーを越えない。どこかで誰かが境界線を踏み越え、猿を里へと追いやったのは事実。

 日本の生態系が崩れてきたのは、今に始まったことでなく、ブラックバスなど日本へ持ち込んだのは手前勝手な利己主義者。スポーツフィッシングなどと権利意識を声高に主張するが、それなら個体管理も含めて責任を持つのが筋というもの。釣った魚も食べないのは、仁義に外れた行い。

 ペットに飽きたから野に捨て、山に捨て、旅行の浮かれ気分で餌付けして、いったい自分がどれだけ偉いと思ってるのか。生命を弄んだら、自然に逆襲されるのは当たり前。人間は自然を征服したわけでなく、自然界の中で活かされてる。謙虚に事実を見つめ直さなきゃ。

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2006年7月16日 (日)

第9回営業マンフォーラム

 第9回営業マンフォーラムを次のように開催します。

 8月10日(木)19時〜21時

 情報オアシス神田

 東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F
(1Fがコンビニのサンクスです)
 電話 :03-3253-2911
 http://www.jo-kanda.com/map/map.html
 参加費3,000円

テーマ 自分自身の底上げと人脈形成

● 終了後、近くの居酒屋で2時間前後の懇親会。
  自由参加で実費負担です。
 参加ご希望の方は、メールしてください。

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2006年7月15日 (土)

2007年問題って

 来年になると団塊の世代が定年を迎え、元気な爺さん婆さんが巷に溢れると、さまざまなところで採り上げられてる。政府としては元気な爺さん婆さんは働かせ、年金の総支給額をできるだけ減らしたいこともあり、今頃になってシルバービジネスにスポットライトを浴びせてる。

 年金は世代間の相互扶助なら、やるべきことは未納者の根絶。少なくとも90%以上から徴収するのが前提。現役世代の働ける人は働かせ、納めるものはきちんと納めてもらう。役人が私腹を肥やしたり、予算を消化するために、横流しした年金の補填は、役人自身が片を付ける。

 そのことと、60代以上の高齢者が働くのは別。会社を辞めたからといって、急に働けなくなるわけでもない。実際に農業や漁業の現場では、生涯現役で働く人がたくさんいる。定年退職後に会社を立ち上げ、仲間たちと新規事業に乗り出す人たちも少なくない。

 政府が余計な心配をせずとも、来年になれば団塊の世代立ちが、新しい動きを示し始めるに違いない。60代になると健康状態も人それぞれだから、身体がいうことをきかない人たちも出てくる。十把一絡げに考えるのでなく、一人ひとりの状況に応じたサポートが肝心。

 いくつになっても働くことで、世の中と繋がりたいのが人情。大切なのは能力に応じて、社会が受け入れること。会社や役所の肩書が通用すると勘違いしてる輩はひと握り、速やかにお引き取り願うしかない。普通の人たちは、自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘る。

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2006年7月14日 (金)

開き直るしかない

 エースの上原を投入しながら、一時は逆転したけど、さらに逆転され、とうとう巨人が9連敗。開幕ダッシュが夢幻のよう。昨年に比べても、弱い巨人の印象を受ける。負け続けてるんだから、確かに弱いんだろう。今の巨人では、どことやっても勝てる気がしない。

 これは、私たちの仕事でも同じ。うまくいかないときは、何をやってもうまくいかない。実績を積み重ねた営業マンでも、売上を稼げないときは、とことん稼げない。その原因は明らかで、動く前から結果を予測して、失敗しないようにブレーキを掛ける。勢いがないから突破できない。

 常に闘いは、今の力で闘うしかない。足りないところがわかっても、付け焼き刃で補えば、身についてないからポロを出す。本を読んで覚えた知識を、こなれるまえに遣おうとするから、生兵法でケガをする。学んだことが力になるには、種を蒔いてから実が熟すまでの時間が必要だ。

 結果を恐れないのでなく、結果を考えないこと。勝つとも負けるとも一切予測せず、やるべきことをやるためには、開き直るしかない。自分自身を見つめ直し、今の自分にはこれしか力がないと思い切って、それを最大限に発揮することだけを考える。ダメならダメで仕方ない。

 人の力の差なんて、それほど極端にあるわけじゃない。しかし持てる力を存分に活用してる人と、わずかしか活用してない人の差は生まれる。いつも足りないところばかりに目を向け、謙虚に反省してるだけでは、最前線で闘い抜けない。頭でっかちになったら、足がすくんで動けない。

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2006年7月13日 (木)

何を言ってるのやら

 朝日新聞によると北九州市の指定暴力団が、市の教育委員会に対して、暴力団追放ビデオを中学校や高校で上映すると、子息が苛められる恐れがあり人権侵害になると、中止するように申し入れていたという。ちなみにビデオはドラマ仕立てで、制作したのは福岡県警とのこと。

 今までに自分たちは、ガキの頃から世間に迷惑を掛け、泣き寝入りしてる被害者たちもたくさんいるだろう。面白半分の恐喝だとしても、脅された人の心は一生傷つく。覚醒剤や麻薬、売春など、暴力団が絡んだ社会悪は根絶せず、それをきちんと知らせて伝えるのは大事なこと。

 わが子が可愛いなら足を洗って、正業に就くのが筋だろう。苛められるのがイヤなら、今までの被害者たち一人ひとりに、土下座して詫びて回るが良い。任侠映画ではあるまいし、一般社会と隔絶し、渡世の道を歩んでいるわけじゃない。自らが撒き散らした害毒をわきまえることだ。

 こうした意見に対して、開き直る覚悟があるから、暴力団に籍を置いてるなら、基本的に家庭を営むのが間違い。妻子はすでに泣いてる。誰が見ても本末転倒な振る舞いに、教育委員会や警察はどう対処するのだろうか。わけしり顔で上映を中止したら、裏で繋がってると思われても仕方ない。

 盗人にも三分の理があり、暴力団員も人の子。それはわかったうえで、誰もが自分の人生を、自分自身で背負わねばならない。やり直すことはいつでもできるが、そのためには過去を捨てなきゃ。自分は他人を苛めても良いが、わが子が苛められては困るとは、あまりに虫の良い話。

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2006年7月12日 (水)

今日は月一回の……

 今日は営業マンフォーラム。昨年の暮れから始まって、今度で8回目になる。正直に言って、よく続いてると思う。平日の夜にしたのは、現場の営業マンが参加しやすいように。それでも仕事の都合で、参加予定者が来られなくなったりする。なかなかスケジューリングは難しい。

 最初のうちは私が話す時間が長かったが、回を重ねるごとに参加者が積極的になり、しだいに熱気も増していった。今では私が元気をもらい、日々の仕事の活力源にしてるくらい。集まるのは月に1回だけど、仕事に対する手応えが違うという声を聞くと、続けていて良かったと嬉しくなる。

 今のところテーマについて議論を闘わせてるが、皆の意識も高まっているので、新しい展開も考えていきたいところ。腹案もあるけれど私から提案するのでなく、参加者からの意見を重視して、流れに任せるのも選択肢のひとつと考えてる。それほど一人ひとりが成長してる。

 その背景にあるのは、皆のこぼれんばかりの笑顔。どのような内容であっても、激しく議論を闘わせても、お互いがお互いを尊重してるのは、活き活きとした表情を見ればよくわかる。自分と違う意見でも認めて、そのうえで主張するルールが固まってきてる。

 私自身が一番得たのは、世代が異なろうとも、熱く語り合えば心が通うこと。当たり前のようだが、書斎に閉じ籠もってると、その辺りの感覚がわからなくなり、自分と違う世代に疑心暗鬼。素直な気持ちで本気でぶつかれば、お互いが理解し共感する。

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2006年7月11日 (火)

曇ったり、曇ったり

 梅雨なんだから仕方ないのだが、ここのところ晴れ間が見えない。西日本が豪雨に見舞われてることを考えたら、さして強い雨も降らずに曇り空が続いてるのは、恵まれてると考えなきゃいけないのだけど……。出かけるときも傘を差さないだけで、随分と凌ぎやすいのだが……。

 交通事故に遭ってから、この季節になると腰や肩が疼き、疲れやすくなるのも事実。暑ければ暑いで大変なのもわかってるが、カラッと晴れてくれたほうが少しは楽になる。そのせいでもないのだが、もうひとつ仕事に乗れない。原稿を書こうとしても、パソコンと睨めっこが続く。

 ここのところ研修や講演が続いたから、忙しくしてると天気も気にならないが、少し時間ができても出かけられず、だからといって仕事にも集中できず、少し疲れてるのかな。いつ降り出すかわからない空を眺めてると、ぼんやりと時間だけが過ぎていく。

 そうは言っても予定は入ってきて、今週も仕事は続いていく。いろいろと準備も進めなければいけないし、やることはいくらでもあるのだが、今ひとつピリッと来ない。その場に出ると何とかなるが、自由にされると空気が萎む。螺旋を巻き直さなきゃダメじゃん。

 頭をスッキリさせ、気を引き締め、心を入れ替えなきゃ、この夏を乗り切れない。まだまだ発展途上なんだから、隠居の爺さんのような台詞を吐かないで、熱く燃えなきゃね。曇り空の向こうには、お日さまが笑ってるんだから、それを忘れなければ大丈夫。

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2006年7月10日 (月)

親殺しの系譜

 最近、学業の優秀な子が、父母を殺害する事件が相次いでる。世間から見れば恵まれた環境に置かれてるのに、本人にすれば堪えきれない抑圧をはねのけるには、父母を殺すしか他に出口が見いだせないのだろう。抑圧が消えたとたんに、憑き物が落ちたような状態になる。

 今さらフロイトでもないが、私たちはオディップスの時代から、父を殺して成人するのが通過儀礼。親の支配下に置かれた状況から、心理的葛藤を乗り越えて、自立した個人として地歩を築く。父を殺した段階から、父は絶対君主でなく、人生の先輩のひとりになる。

 それを短絡的に物理的な殺害へ走るのは、生きるためのトレーニングをしてないから。唯一の価値観を押しつけられ、競争に勝つことだけを強いられるのは、人ではなくサラブレッドである。いかに駿馬と讃えられようとも、競走馬はしょせん人の慰みものでしかない。

 確かに若者は間違えるし、大人の判断が正しいことも多い。しかしオギャーと生まれた瞬間から、人は人として独立した存在。アドバイスを与えても、強制的に道を歩かせてはならない。親の目から見れば愚かな選択でも、行くと言われたら行かせるしかない。それが親としての最初の覚悟。

 それでも子どもに最善の道を歩ませたいのが親心、ダメなものはダメと叱らねばならない。それではどうするのか? 親が柔らかな価値観を持ち、臨機応変に対処する力を備えること。親の価値観が狭ければ、子どもはそこから抜け出せず、安易な解決策しか思いつかない。

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2006年7月 9日 (日)

堕落バッジって、おい

 今年は坂口安吾の生誕100年だそうで、東京の世田谷文学館で、坂口安吾をモデルにした文豪Tシャツを売り出すという。1着4,410円が高いのか、安いのか、わからないが、先着300名には堕落バッジのおまけつき。安吾の代表作『堕落論』をもじってるのは言うまでもない。

 織田作之助と並んで無頼派のシンボル、安吾は私の好きな作家のひとり。彼の描く女性像は儚く、それでいて図太い。男どもが意気地をなくしても、女たちはたくましく生き延びる。行き場のない人生で、安吾にとって女神たちは生きるための座標であり、拠り所だったに違いない。

 それにしても堕落バッジとは、恐れ入谷の鬼子母神。草葉の陰で安吾も苦笑い。誰が買うと思ってるのだろうか。買った人が『白痴』や『青鬼の褌を洗う女』を読むのか。文学に親しんでもらおうと、形振り構わない気持ちはわかるけれど、ちょっとばかし方向がずれているのでは?

 こうした話を小耳に挟むと、改めて出版とは何なのか、考えさせられてしまう。文学として価値が高いと諭しても、読者はそう簡単に増えないだろうし、それ以前に食指を動かす版元は現れない。目の前に現金の匂いを嗅がなければ、企画を立てない出版社が増えている。

 志では飯が食えないと、耳にタコができるほど聞いている。しかし志がなければ、出版はアドバンテージをとれるのか。安吾の生誕100年なら、安吾の本を前面に打ち出し、読まれるようにするのが筋なのに、小手先に走らなければならない現実が哀しすぎる。
 

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2006年7月 8日 (土)

お金を儲けちゃ……

 TVのバラエティ番組で爆笑問題が、堀江さんと村上さんを採り上げて、株式市場でインチキしたら無期懲役にすべきと、相変わらず極端なテーマで議論を闘わせてた。このくらい過激に揺さぶると、ものごとの本質や発言の背景が見えてきて、実におもしろい。

 賛成派は基本的にマネーゲームを否定。お金はあくまで行為で生ずる価値の代価、お金がお金を生むことで生産的な価値は生まれないとの論旨。濡れ手で粟の欲望は、品性としても卑しいと指摘。しかし実際に貧富の差がある社会の中で、モラルだけを説いてもなかなか伝わらない。

 これに対して反対派は、生産性が低下する社会では、お金がお金を生むシステムを活かさねば、経済成長は実現できないという立場。堀江さんや村上さんの成功が、株式市場への参加を促し、経済を活性化させたと指摘。しかしその背景には、表ばかりでなく裏もある。

 正直に言って一般大衆が、株式市場でどれだけ儲けているのか。成功してるのはひと握りで、ほとんどの人は餌食になってるような気がする。一攫千金を夢見ても、ほとんどが空くじで終わる。それだけで済めば良いが、欲が欲を生み借金漬けになる人もいる。

 お金を儲けちゃいけないと思わないし、株でも商品相場でも、やりたい人は勝手にやれば良い。うまくいけば大儲け、それも嘘じゃないだろう。でも、儲けるまでの道のりは遠く、全戦全勝の結果は誰も保証してくれない。巨万の富か破滅の道か、博打を打つだけの覚悟はあるのか。

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2006年7月 7日 (金)

農業を捉え直したい

 7月6日は全農機商連という業界団体に呼ばれて、幕張で講演のお仕事。それなりに準備していったが、日本の農業は国際的な競争を余儀なくされ、それに対応するために法人化へ向けての態勢を整えるなど、変革の過渡期を迎え厳しい環境に置かれている。

 私の講演の骨子は、どのような状況の中でも、事実をありのままに捉え、明確なビジョンを描き、果敢に行動を起こした者が勝ち残るというもの。実はもう少し違うメソッドがあるのだが、それは私の飯の種だから、あまり詳しい内容はここでは触れたくない。

 講演が終わった後にパーティにも参加し、全国各地のリーダーたちと交流を深めたが、やはり地域を代表する顔は皆力強く、前向きに仕事と取り組んでいる。厳しければ厳しいなりに知恵を働かせ、創意工夫を凝らし、一歩を踏み出して進もうとしてる。私より先輩の方々が、私よりはるかに若い。

 そこで感じたのは、日本の土地を耕し、日本の種を蒔き、日本の食を育むことの大切さ。私たちの身体と心には、日本の自然との相性が一番良い。それに加えて農家の方々は、その土地に適した農産物を生み出すまでに、いかに試行錯誤を繰り返したのか、いろいろと教えられた。

 農業という産業は、自然というキャンパスに向かい、人間の総合力を駆使して、芸術を創り出しているようなところがある。それを側面からフォローするのが農機具であり、現場の一人ひとりがアドバイザーにもパートナーにもなってる。奥行きの深さを実感しただけでも、私にとっては大収穫。

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2006年7月 6日 (木)

楽しみがひとつ減った

 巨人がまた負けて、自力優勝の可能性が消えたという。親の代からのファンだが、今シーズンはこれで終わりかな。4月のスタートダッシュが素晴らしかっただけに、狐か狸に化かされた気分だけど、やはり冷静に考えると、指導者より組織づくりの問題のような気がする。

 堀内監督が批判されたのは、チーム内で若手を育てず、他チームのスター選手を金で引っ張ってきたこと。一世を風靡したスターでも、絶頂期を過ぎれば故障も増え、力も衰えていくから、期待通りの活躍を望めない。それを原監督は大胆な若手起用で、目覚ましい結果をもたらした。

 しかし若手は若手、すぐに壁にぶち当たる。その解決策として選んだのは、他チームのベテランを引き抜いて、当座を凌ごうという狙い。スケールが違っても、昨年までと同じ方法論。生え抜きの選手も起用されず、原監督の頑固な一面が悪いほうに出てる。

 巨人に入団した選手を巨人で育て、一流に仕上げていくのが基本なのに、外部からの流入が増えるほど、モチベーションは落ちていく。おまけに投手陣は見直されず、ハートの弱い選手ばかりなのは、教育方針に致命的な欠陥があるかと疑ってしまう。本当に彼らは力がないのか。

 やることなすことチグハグで、エラーで勝てる試合を落としたりしてるから、TVの視聴率が10%を切るのも当たり前。たとえ勝てなくとも希望が見えれば、ファンは応援するのだが、辻褄合わせをしてるとしか思えなければ、やはり気持ちが離れていく。何とかならないのかい、渡辺さん。

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2006年7月 5日 (水)

わけがわからん

 北朝鮮が日本海へミサイルを発射、韓国は竹島を強硬調査。言いたいことがあるなら言えば良い。お互いの意見がまとまらないなら、第三者がいるところで話し合い、落としどころを決めれば良い。それが当たり前と思うのに、国際間の交渉ではどうやら通じないらしい。

 自分の主張を通すのに、暴力を背景にするのは、ヤクザの常套手段。北朝鮮や韓国だけでなく、アメリカも中国もロシアも、何かあれば相手の国民を殺せると凄んでる。核を抑止力と呼ぶ発想は、理解と共感を得る可能性を否定し、弱肉強食を絶対視する獣の論理。

 私たちの祖先たちが心血を注いできたのは、皆が笑って手を繋げる世界を築くため。さまざまな芸術を生み出し、文化を発展させて、お互いの知恵を活かし合おうと、深く交流を進めてきた。お陰さまで私たちは、世界中の国々の力を借りて、豊かに穏やかに暮らせるようになってる。

 お互いを認め合い、必要ならば譲り合い、分け合いながら、共に生きてるのではないか。どこの国も豊かになりたいと願い、努力を惜しんでないが、それは他国の権利を奪うことを許されるものでない。それぞれの合意の範囲内で、友好的に決められるものである。

 小学生でもわかる理屈を、各国の指導者たちになると、どうしてわかろうとしないのか。暴力では何も解決しないと、歴史が証明してるのに、暴力を背景に自分の主張を遠そうとする。それが人類の叡智がもたらした結論なのか。滅び行くことを、私たちは目指してるのか。
 

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2006年7月 4日 (火)

それぞれの決断

 サッカーの中田英寿選手が、現役を引退するという。まだ29歳、身体が動かなくなる年齢ではないが、スポーツ選手の引き際は本人でなければわからないところがある。どの段階で決断するのか、人それぞれの人生観にもよるから、他人が口出しできることではない。

 私の好みから言えば、三浦知良選手のように、ボロボロになるまで現役にしがみつくほうが、自分の人生と重ね合わせやすい。泥まみれになって朽ち果て、倒れるように闘いを終わらせるのが美しいと感じる。余力を残して舞台を去らないでほしい。そう思うのは未熟な私の感傷か。

 しかし一方では中田選手の潔さに、拍手を贈りたい気持ちもある。日本のサッカーを世界レベルに押し上げ、強豪ひしめくヨーロッパでも通用すると実証し、ワールドカップをリアルなものとして位置付けたのは、中田選手の功績が大きいと衆目の一致するところ。

 それだけに余人には想像できない苦悩もあり、伝えきれないもどかしさもあり、ひとつの限界を迎えていたのかもしれない。違うフィールドでの可能性を発見し、チャレンジ精神に火がついたのかもしれない。私たちは彼の決断を受け入れて、これからを見守るしか術がない。

 僅か10余年の間に、ひとつの分野で世界のトップレベルまで昇り詰めた人が、どのような展開で人生を描くのか。私の枠組みでは捉えきれないところがあり、教えてもらうことが多そうな気がして、少しばかり胸が高鳴るのも事実。時代は確実に移り変わっているのだろう。

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2006年7月 3日 (月)

消費税と社会保障

 政府が7月上旬にまとめる「経済財政運営の基本方針」に、消費税の改定についての具体的内容は盛り込まれないことになったという。社会保障の安定的財源として重要との表現で、税制改革で対応する旨を記す。わかったような、わからないような玉虫色の印象を受ける。

 消費が発生した段階で課税される仕組みだから、政府としては確実な収入を見込める税金ということになるが、その前にやることがいくらでもあるだろう。所得税ひとつにしても透明感は薄く、国民年金に至っては未納入者を野放しにしているのが実情。

 それよりも根本的な問題は、役人や政治家の給料が適正か、民間ベースに合わせるなら中小企業を基本にすべきで、大手上場企業に準ずる必要はないが、実際には役人や政治家が一番甘い汁を吸ってると皆が思ってる。公僕が国民より贅沢に暮らすことが、おかしいとは思わないのか。

 1988年に竹下内閣で税率3%でスタートし、97年に橋本内閣で5%に引き上げ。そろそろ国民も納得するだろうと考えているのだろうが、一抹の不安を感じて社会保障という大義名分を持ち出してる。これまでも同じことの繰り返し。消費税の歳入は増えても、社会保障の予算は削られてる。

 いくら私たちがバカでも、いいかげん騙されないぞ。都内の一等地に格安の住宅を提供し、天下りで何度も退職金を支払い、私利私欲に目が眩んだ役人たちが、天下国家を論じても薄ら寒い。まず隗より始めよ。役人と国民の生活レベルを同じにするほうが先だろう。

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2006年7月 2日 (日)

公開セミナー告知

 私のセミナーに参加したい人のために、9月8日に秋葉原の東京都中小企業振興公社で、公開セミナーを開催するので告知する。定員は30名で、満数になりしだい締め切るというので、少し勇み足なのは承知のうえ。東京都中小企業振興公社では違うテーマで、9月24日に公開セミナーを予定してるが、これは後日、告知する。

 9月8日 10時 〜 17時

 テーマ  最強の営業マンになる

 内容   講義とディスカッションの組み合わせ

 受講料  7,500円

 詳しい内容および申込みは下記からお願いします。

http://www.tokyo-kosha.or.jp/topics/0606/0013.html

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まだ若いのに

 元総理大臣の橋本龍太郎氏が、68歳の若さで亡くなった。6月の4日に腸管虚血で入院し、大腸の大部分を切除していたという。派閥の会長も辞め、表舞台からは身を退いた形だったが、村山内閣の後を受けて総理大臣に就任し、省庁再編など行政改革にも着手した。

 田中、竹下の系譜となる平成会を率いただけに、金銭に関わる事件にも深く関与して、それが致命傷で退陣した節もある。小泉政権誕生の一方の立役者であり、派閥政治の幕引き役という一面も見逃せない。毀誉褒貶の多い政治家だったが、私たちの生活に強く影響を及ぼした大物である。

 もう少し枯れた年代を迎えれば、昭和から平成にかけての時代を、興味深く語ってくれそうな気もしていた。功罪については、歴史が証明するだろうから、今の段階では、ご冥福を祈るのみ。それにしても小泉政権が終わろうとしてるときに、象徴的な人物の訃報である。

 私がいささか心を揺らしたのは、68歳という年齢。手が届きそうな印象を受ける。若い頃に少し先輩だった方々と近いだけに、とても他人事に思えないのも事実。橋本氏は病死だが、命に関わるような病を患っても、ちっとも不思議でないと思い知らされる。

 一日一生、そんな言葉が切実に迫ってくる。まだやり残したことの多い未熟な身としては、そう簡単に鬼籍に入るわけにいかないが、こればかりは自分ではどうすることもできない。たとえ百歳を越えようとも、すべてを完了できないのかもしれないが、それにしても60代では早過ぎる。

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