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2006年6月20日 (火)

法とモラル

 光市の母子殺害事件の判決が差し戻され、今までの無期懲役から極刑になる可能性が高くなったと報じられてる。私たちは報道によってしか、この事件の全貌を知ることはできないが、その限りではやむを得ない決定のように思われる。犯した罪の重さは、どんな事情を踏まえても否めない。

 しかし気になるのは、同じようなケースで、同じ判決が下されているか。事件の露出度が高いから、市民感情に配慮して、メディアが納得するような判決だとしたら、とんだ茶番劇。帝政ローマの時代に処刑を見せ物にした感覚と、ちっとも変わってない。

 人が人を裁くことそのものに、根本的な矛盾を内包してるが、基本的には社会秩序を守り、人々が安心して暮らせるように、ペナルティを課している。犯罪者を裁くのは裁判官でなく、社会の総意。更正が可能だとしても、人々の反発が強すぎるほど罪が大きければ許されない。

 私など単純だから、命は命でしか贖えないと考えてしまう。ひとりでも殺したら、死んで詫びるしかない。しかし身内が殺人者なら、もう一度やり直すチャンスを与えてほしいと願う。勝手な言いぐさだが、それが偽らざるホンネ。その葛藤が裁判の形に表れ、さまざまな判決が下される。

 そうなると法令の条文は同じでも、社会がどのようなモラルを規範として、人々がどこで暗黙の合意を形成してるかが重要になる。その一方で詐欺などの犯罪で、被害者を死へ追い詰めても、極刑を言い渡されることはない。酔っぱらい運転で人を轢き殺しても、懲役しか科せられない。

 世の中が複雑になるほど、犯罪は多様化して、被害の形も幅広くなる。自分が巻き込まれ当事者になることは、誰にとっても他人事ではない。自分が被害者ならあきらめもつくが、大切な人が被害者になれば、報復を願うに違いない。それだけに厄介なテーマである。

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